第6話 栄光について(1)

 グッドコート氏は最後まで逃亡しなかった。

 まずグッドコート氏は「誘拐された息子についての情報を提供した人に二十ポンド進呈しんていする」と言った。二十ポンドはグッドコート氏の事務員の一年の給料だという。

 イギリス本国だと、同じくらいの仕事をしていれば年に七十ポンドは稼げる。いくらアジアの港町でもそれは安すぎるのでは、と、セントローレンスの港町で失笑を買った。

 しかも、グレアム・グッドコートが、フランス船ヴィクトワール・ド・ロリアン号でサンフランシスコに向かっている、ということがわかると、情報を提供してくれた船会社に「その船を引き返させろ」と要求し、二十ポンドは支払わなかった。

 もちろん相手にされなかった。

 そのグッドコート氏は、代理領事が自分を守ってくれると信じていたようだ。

 だが、ハーディング代理領事は、派遣されてきたポールマクローのフランス領事館警察の職員にグッドコート氏の身柄をさっさと引き渡してしまった。

 優美な船型のフランスの高速蒸気艇に載せられるまで、グッドコート氏は、大声で代理領事に助けを求めて懇願こんがんしたり、そのすぐ後には大声で代理領事を罵ったり、また懇願したりまた罵ったりしていた。

 ブルック商会はまだグッドコート氏が連れて行かれないうちに後任の支店長を選任した。

 スコットランド出身で、エジプトより東に来るのは初めてという人物だという。グッドコート氏のように現地で財をなした人物を支店長に採用するのではなく、地元とのしがらみのない本国人のほうがいいと判断したらしい。

 グッドコート氏が連行されるのを見送った後、セントローレンスの港、波止場に建つ倉庫の壁に背をもたせかけて、コリンス船長はガートルードにきいた。

 「いつ気づいた?」

 かたわらに立つガートルードは答える。

 「お坊ちゃんが行った学校が、慈善活動や社会奉仕に力を入れてて、しかも、本格的な劇団を持ってる、という話を聞いたとき」

 今日は、ガートルードは、薄汚れてはいるものの、フリルがいっぱいついた赤い上衣に白いレースの帽子、黒のスカートという、ヨーロッパ人の女らしい姿をしている。

 すこしあいだをおいてから、続ける。

 「その学校の校風に合わないで戻って来たのならともかく、学業以外も成績優秀ってことは、その社会活動とかもまじめにやったんだろうし、それなら、自分の家業を嫌いになるだろう、とは思ったよ」

 ガートルードはコリンス船長を見上げた。

 「船長は?」

 「考えたことは同じだ」

 簡潔に答える。

 「だいたい、頭はもじゃもじゃ、髭は伸ばしほうだいでそれももじゃもじゃ、なんていうと、ほんものの海賊ってよりは、お芝居の海賊だろう? 劇団にいた、っていうなら、そういう扮装ふんそうをするだろう、って」

 「でも、それは、そのパーソンズとかいう実在の海賊がそんな風貌だからじゃないの?」

 「そんな海賊いないんだよ」

と船長は答える。いささか得意げだ。

 「いない、って?」

ときいたが、ガートルードもそれほど驚いてはいない。

 「つまり、あのおん曹司ぞうし、というか、あの純真そうな坊っちゃんが、船員の格好をしてそこらへんの酒場に入って、そんな話を言いふらしてたの。「おらっちはシンガポールから香港に向かっていたんだけどよぉ、パーソンズというひげもじゃの頭目とうもくに率いられた海賊にやられてよぉ、ほんとひどい目に遭ったぜぇ」とか、そんな話を。それも、船員っていっても、日によっても変え、たぶん演じる性格も変えてな。そうすると、船員や荷役にやく係が勝手にその話を広めてくれるわけだ。おれは上海、香港、シンガポールとか、そっちのほうは行かないんでただ聞いてるだけだったが、あとで考えてみると、その海賊団の話を聞くのって、ここの港で、か、ここに出入りする船の船員から、だけだったからな。シンガポールから来た船の船員から直接そんな話は聞いたことがない」

 「そこまで仕込んでたんだ」

 ガートルードが感心する。

 船長が言う。

 「こっちに帰って来て劇団で舞台に出る機会もないから、楽しんでやってたのかも知れんさ。自分の邸宅にいても、親が悪いことをやってるのを見ても止められない、って挫折感がたまるだけだからな」

 ガートルードは軽く笑った。

 「ま、もともとあそこが人身売買とかアヘンの密売とか武器の密売とかをやってるのはわかってたけど、代理領事と仲がいいんで、どうにも手が出せなかった」

 で、肩をそびやかす。フランス人の船長がやっていたように。

 「それに、そういうのやってるのって、べつにあのグッドコートだけじゃないし、警察がまじめにアヘン売買だの人身売買だのの取り締まりなんか始めたら自分らの尻に火が回ると思う人間は、この街にはいくらでもいるからね」

 コリンス船長が答えて言う。

 「そういう土地柄から、イギリス本国の大学への進学を目指すお行儀のいいグラマースクールに留学して、お坊ちゃんもショックだったろうよ。デュピレーには、帰って来て、何度か父親を説得しようとしたと話したらしいが、もちろん、親が聴くわけもない。かえって、その親が、おまえはそのカネで養われてるんだぞ、とか説教したとしたら、お坊ちゃん本人は、もっと、何とかせねば、という思いを強めただろう。そうなると、もう強盗を偽装するとかして、派手に世間の耳目を集めるしかないとでも考えたんだな」


 * 時代によるポンドの価格換算は、イギリスのThe National Archives(イギリス公文書館)の「Currency converter: 1270–2017」を利用しました。

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