最終話 くまきち
それからリコちゃんは、辛い時、オイラではなくカイくんに話すようになった。
いつしかオイラは、量産型らしく、ぬいぐるみらしく、無心でいるようになった。いや、自らそうなったというよりは、何も感じなくなってしまったのだ。楽しいという感情も、辛いという感情も、どこかに置き忘れてしまったかのように。本当に、ただ流れるように、日々を淡々と過ごしていた。
リコちゃんとカイくんの仲はどんどんよくなっていった。もう付き合ってるんじゃないかってくらい。帰ってきたら速攻メッセージを送り、部活中のカイくんを待つ。返信が来たら、嬉しそうにスマホに夢中になる。夜はたまに通話をする。オイラはそれらを何も感じず、ただ見ていた。
オイラはどうかしてしまったんだろうか。今になって神様が心を抜き取ってくれたのだろうか。たまに泣きたくなるのはなんなんだろうか。それとも、心なんて最初からなくて、全部オイラの妄想で願望で、オイラは本当はただのぬいぐるみだったのかもしれない。
何もない毎日は過ぎていった。
四月になった。リコちゃんは二年生になった。あの三人とはクラスが離れ、部活も辞めて、カイくんと付き合い始めた。リコちゃんはクラスの中心人物になったらしかった。全てが上手くいって、毎日楽しそうだった。つまり、オイラの出番はなくなった。オイラは何も感じなかった。
そんなある日のこと。リコちゃんは学校へ行ってしまって、オイラがいつも通りタンスの上で窓の景色を見ていると、カサカサと部屋のドアを廊下側からこするような音が聞こえた。虫でもいるんだろうか。でも、虫にしては少し音が大きかった。と、半端に閉まっていたドアが開いて、猫が入ってきた。
タマオだ。タマオがリコちゃんの部屋へ入ってきたのだ。
タマオは少し瘦せたオスの三毛猫だった。野良猫でもやっていけそうな風貌をしていて迫力があった。オイラはタマオに睨みを利かせて、あっち行け、と心の中で念じた。だがタマオは何食わぬ顔でこちらへ近づいてきてタンスの下まで来た。そして、もにもにとお尻を揺らしてタンスの上、つまりオイラのいる場所へジャンプした。タマオが来ると、タンスの上は満席になって、代わりにオイラが床に落下した。すると、タマオも下りてきた。完全に狙いはオイラらしかった。
タマオはオイラを猫パンチで二回叩いた。オイラは横向きで倒れていたから、それを顔面に受けた。タマオはオイラに「シャー」と威嚇した。オイラに敵対心があるみたいだ。オイラはタマオに何もしていないのに。
オイラは内心でタマオにテレパシーを送るように会話を試みた。てすてす、あ、あ。オイラは今、君にテレパシーを送っている。効果はなかった。タマオはさっきのパンチで爪を立てていたから、オイラの耳の下辺りの糸が少しほつれた。オイラは何も感じなかった。
タマオがオイラに噛みついた。爪を立てた前足で抱きついて、後ろ足でじたばたガリガリとオイラの体を引っ掻いた。痛くはなかった。あの頃の心に比べればちっとも。
しばらく抱きつかれた後、オイラの目線が上向きになった。首がもげかけていることが分かった。オイラは今日死ぬのかな。死ぬってどんな感じなんだろう。
ちなみに、オイラはタマオにやられる前からなかなかにぼろぼろだった。そりゃ何年も生活していればそうもなるさ。お風呂に入れる訳でもないしね。タマオにとどめを刺されなくても、いずれ寿命は来ていたんじゃないかな。でも決心した別れと唐突な別れは違う。オイラはただ驚いているだけだけど、心があったならもっと悲しいんじゃないかと思う。
多分オイラの首が吹っ飛んだ。オイラは天井を見ていた。天井はリコちゃんと一緒に寝た時、何回か見たことがあった。でも、今それを思い出す理由が分からなかった。リコちゃんはもう、オイラにとってただの持ち主でしかない。心を失ってからそう思ってきたのに。
もし、もしも、この光景を帰ってきたリコちゃんが見たら、なんて思うんだろう。カイくんと同じように大切に、その場限りじゃない言葉をかけてくれるんだろうか。いや、リコちゃんはオイラと話す時はいつだってちゃんと言葉を使って話してくれたじゃないか。まるで、心がある相手に話しかけるみたいに。
オイラは量産型のぬいぐるみ。……だからなんだ。量産型だったら愛されることを諦めなくてはいけないのか。そうじゃない。オイラだってこの世に一つしかないくまきちというぬいぐるみなんだ。辛い気持ちも嬉しい気持ちも心があったからうんと味わえたんだ。オイラに心はあったんだ。オイラの心はリコちゃんの幸せを願うことができるんだ。それはオイラにとっての幸せでもあったんだ。
タマオは飽きたのかどこかへ行ってしまった。オイラは生き残った。むしろ感情を取り戻して一歩成長した。リコちゃんに会いたい。オイラは選ばれないけど、オイラが勝手に好きだからそれで満足なんだ。
オイラが自分を励ましていると、やがてリコちゃんが学校から帰ってきた。階段を上る音。部屋のドアが開いていることに驚いた様子。そして部屋にいるオイラの惨状を見た反応。もう、その全てが愛おしい。
「くまきち……タマオか……」
リコちゃんは放心したようにただそこに立っていた。でも、オイラはまだ生きているよ。
やがて、リコちゃんはオイラを持ち上げて、ため息をついた。そしてオイラを持ったまま部屋を出て、リビングにいるお母さんの元へ向かう。
久々のリビングはとても広く感じた。オイラずっと部屋に籠っているからね。お母さんの顔すら久しぶりだ。
「お母さーん、タマオ部屋に入れたでしょ。これ見てくまきち」
呼ばれたお母さんはキッチンからやって来て、手に持ったオイラの顔を二人で覗き込んだ。
「あら、ひどい。でも、かなり古かったでしょう」
「うん。もう、仕方ないか」
リコちゃんは蓋つきごみ箱を開けて、オイラを放り込んだ。
蓋が閉じていくその最期、オイラはリコちゃんの声を聞いた。
「また買うか。ありがとねくまきち。ばいばい」
やれやれ、量産型は辛いぜ。
量産型テディベア、くまきちの恋心 鈴椋ねこぉ @suzusuzu_suzuki
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