第5話 カーテン

リハーサルが始まるまでなら、ここで練習してもいいよ、と脩一が言ってくれたので、みちこと紗奈は日曜の昼間シュウ・オンにこもっている。

「みっちゃんてマ、ジ、メ」

 紗奈が鼻にかかった声で言う。

 みちこは紗奈の曲を譜面におこし、熱心に書き込みをしている。解析と練習の繰り返しから、独特の音運びが生まれる。コーラスを添えるのも得意で、メロディーを削がないように抑え気味にハーモニーを作り出す。紗奈の曲が一層輝きを増すように。

 一方で、紗奈から私もみっちゃんの曲にギター合わせてみようか、と言い出してくれないものかと待っていたけれど、一向に気配がなかったのである。

「ねえ紗奈ちゃん、私の曲も一緒にやってほしいな」

 どれだけの勇気を振り絞って口にしたことだろう。

「えー、私下手だし、なかなか覚えられないし」

 そんな紗奈の返答に失望したけれども、ゆっくりでいいからお願い、と言ってみた。そこから、やはりと言うべきかまるで進歩の兆しがない。

「あの、そこはストロークじゃなくて、アルペジオで入って欲しいっていうことだったの」

 前も言ったよねとほのめかしてみるのだが、知らんぷりの紗奈、呑み込んでしまうみちこ。朝から少し兆しのあった頭痛が強くなってくる。自分の曲にはあんなにグルーブのあるギターを弾くのに、テクニックはあるのに。第一、メモすらしないではないか。

「えー、みっちゃん、このコード難しすぎ。鍵盤とは違うんだから。ここAマイナーってことでいいよね」

 あんた自分の曲ではもっと難しいコード鳴らすじゃない、とは、やっぱり言えないみちこ、歳上。

「はあ」

 ため息をついたのは頭痛のせいもある。両のこぶしでこめかみをぐりぐりした。

「頭わるい」

 呟いてから、紗奈が息をのんだのに気づいてはっとする。

「みっちゃんって」

「あ。ごめん、ごめんね。私、浜松の生まれで、頭痛いときに頭わるいって言うの」

「私も子供の頃、浜松にいたの」

「えっ、そうだったんだ」

「小学校の頃転校したから、ちょっとだったけど」

 どこの小学校だったの、と聞こうとしたのだが。

「うちねえ。両親が離婚したの。三年生のとき」

 小山さんだったら、ここで根掘り葉掘り聞き出すのかもしれないがみちこはただ、相槌をうつだけだ。

「それでお母さんについて東京に行ったから。お兄ちゃんがいなくなってしまったら、お父さんてば、私なんてどうでもよかったみたいで」

 いつも紗奈を覆っているカーテンが開いて、こちらへ顔をのぞかせているようだ。そこへ行ってもいいのだろうか。お兄ちゃんがいたの? いなくなった、ってどういうことなの?

「だから久しぶりに浜松弁を聞いたな、って感じでちょっと懐かしい。ね、三ヶ日みかんって、あれちょっとしたブランド扱いなんだよ、知ってた?」

 地元のみかんは、今でも母が箱で送ってくれる。紗奈にその話をするのが、なんとなくはばかられて、みちこは軽く微笑むと頷いてみせた。


 その夕方、トリをつとめる紗奈の後ろからみちこが現れ、キーボードの前に座るとパラパラと拍手がおこった。

 イントロはみちこが弾く。紗奈の書く曲は哀しげなマイナー調のものが多くて、ライトがあたった通り道に漂うダストが、一緒になって泣いているように見えてくる。もしかしたら紗奈は人一倍傷つきやすくて、必死になって自分を護っているのだろうか。ゆるゆるふわふわに見せかけたカーテンの中で、内側だけを向いて。

 ステージのトリにこだわるなんて、私も大人気ないな。みちこは、一層丁寧にキーボードを鳴らす。この曲が盛り上がるのに、私の、この音が必要なのだ。

 それだけでいい。


<続く>

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