五話 駒瀬村ー1

 村へ続く道すがら、村人を見つけたのは運が良かった。前方から慌ただしく駆け寄ってくる男たちは、皆手に猟銃を掴み、偲を見かけた途端に安心したようにホッと息を吐いた。自分が探されていたことを不思議に思いながら、偲は立ち止まった。


 重力に押しつぶされるような感覚で、疲労がのしかかる。心労はわずかに晴れた。偲もか細く長く、息を吐き、緊迫していた気持ちを解すことができた。


「偲! お前だったか」


 現村長の一人息子である高村たかむら菖太朗しょうたろうが飛び出してきた。汗っかきの彼は真冬にも関わらず発汗している。「よかった」と袖で額を拭う。

「みんな、何やってるんだ?」


 探されているのはわかっているのだが、その理由がわからない。菖太朗は偲の額をペンッと叩いた。


「お前を探してたんだよ、馬鹿! 畑仕事してたら変な獣の咆哮に何度も続いた銃声! 誰かが何かに襲われてるんじゃないかって、みんなで慌てて村を飛び出してきたんだ!」

「そ、そうなのか。ごめん、心配かけて」

「ホントだぜ、まったくよぉ」


 項垂れながら長く息を吐き出した菖太朗は、鼻腔を侵食する冷たい血の臭いに大きく目を見開いた。偲が引くソリの中に鹿の角と血塗れの少年が丸まっているのに気付くと、思いっきり退き村人たちと激突した。グキッと右足を捻って「ぐっ」と呻いたあと、ソリの中の少年と偲を振るえる腕を上げ指先で交互に差しながら声を荒げる。


「てめぇ何死体なんぞ運んでやがる‼ まさか……狩ったのか? 獲ったのか、人間を⁉ あの銃声ってそういう事か⁉ 獣みたいな咆哮ってこいつの断末魔だったのか⁉」


 村人たちの間にも驚愕が伝染し、そんなまさか、まさかそんな、と口々に言いながらソリの中の少年を次々に覗き込んだ。そして菖太郎の怒号が本物だったと理解した瞬間「赤いし白い!」と、少年の髪色にまで着目しながら叫んだ。


 偲は菖太郎にも村人の集団にも負けないくらいに声を張り上げて否定した。


「違ぇよ! 人なんざ撃つもんか!」

「でも穴だらけじゃねーかよ!」


 幼馴染夫妻の間に生まれた時から可愛がっている兄妹の弟の方が、人道を外れてしまったと菖太朗は涙目で声を震わせた。思春期が未だ枯れず、ちょっと不愛想になってしまったけれども、面倒を見ようと会いに行ってもペッと追い返されるので、さほど面倒を見ていたわけでもないが、毎日何かと気にかけていた。


 神様よ、いったいどうしてだ? 偲をどうして悪の道に?


 菖太郎は神を恨みながらも問いかけた。


 時々、狩猟で獲った肉を多めに分けてくれたり、毛皮で巾着を、骨や角で厄除けの装身具を作って玄関の陰にそっと置いていく素直の無さが大変可愛らしくて憎めない大事な幼馴染夫妻の息子が……。自分が死んだあと、二人に合わせる顔が無い。否、死んであの世で二人に土下座の前に、姉の的場清子に合わせる顔が無い!

「お前の母ちゃん父ちゃん姉ちゃんと俺たちは、お前をそんな奴に育てた覚えはねえぞぉッ!」


 落涙寸前の菖太郎にガクガクと身体を揺さぶられて、首と掴まれた二の腕の下の傷が痛んだ。ソリの中の血塗れの少年のという視界への衝撃が強すぎて、偲が負っている傷がまったく目に入らなかった。


「いだだだだッ! やめろって! 俺は撃ってねえしそもそも死んでねぇし!」

「あっ、ホントだ。まだ息があるぜ!」


 指先を少年の鼻先に近付けた村人が、か弱い呼気を捉えて言った。


「何っ、ホントか? 気のせいとかじゃ?」

「……うん! ちゃんと呼吸してる! 偲は殺しちゃいねえ! まだ!」

「だからやったのは俺じゃないって‼」


 誰も彼もが狼狽して役に立たない。とりあえずは少年を村に運ぶことになって、やっと負傷している偲に気付いた菖太朗が、代わりにソリを引くよう村人二人に指示を出した。肩を貸そうと菖太朗はわずかにしゃがんだ。ありがたいと素直に感謝しながら腕を回す。


 話を訊くよりも先に二人の治療が優先だ、と高村の屋敷に向かった。慌ただしい集団の様子に、好奇的な視線と声がかけられる。だが、偲が負傷していると知るや否や「清子を呼んできな!」と一人の女が叫び、旦那が慌てながら走って行った。


 高村の屋敷は村長宅なだけあって広く、そして緊急時の逃げ場所にもなっているので、町で買い集めた医療品を保管した部屋が用意されている。大怪我を追った際には、その部屋が医院となるのだ。しかし、重要な存在が不足している。医療の心得がある医者だ。村民にも医療に詳しい者がいるわけでもなく、少年と偲の治療は傷口に消毒液を付けて包帯で巻いて保護するという簡素なことしかできなかった。


 幸いにも、偲の傷は深いものではなく、たったそれだけの治療でも何ら問題はなさそうだった。だが、あの白い少年――白狗の彼はそういうわけにもいかない。全身が穴だらけなのだ。女物の着物で修繕されたボロ衣を慎重に向いた人たちは、顔を顰める――少年の骨の浮いた薄い身体には、生傷と塞がりかけた瘡蓋が残る傷、そして、数多くの打撲魂があった。左耳の先が不自然な傷口を残して欠けている。比較的、まだ新しい創傷のようだ。その耳の傷も、顔の火傷の痕も、鬼鹿と戦った時に負った傷だけではない。度重なる暴行の痕跡だった。


「可哀想に。どこぞで虐待されてたな」


 菖太郎が忌々し気に舌打ちをした。彼にはかつて妻がいたが、出産の際に妻子共に死んでしまった。生きていたら、偲と同い年である。もともと子供好きだったのだが、その悲しい出来事以降、さらに拍車がかかったのだと、生前の母に聞いた。その頃は猫可愛がりが鬱陶しくて菖太郎が苦手だったが、少しの間は大人しく可愛がられてやっていた。


「この髪の色のせいかしら」


 治療に協力してくれた晶子あきこという女中が、血で固まった毛束をお湯にぬらした手ぬぐいでふやかして血を落としながら呟いた。


「そいつ、目の色も青いよ」

「じゃあ、それも理由かもしれないね」

「三つ目の猿や百足みたいな蛇がいるように、白い髪に青い目の人間が居たって不思議じゃないってのにな。俺らにないだけで、珍しいモンがたまたま揃って生まれてきたってだけだろうによ」


 消毒液に浸した綿を傷に軽く押し付けると、少年は「うぅ……」と呻いた。白狗の時とは全然違う、か弱い声だ。


「この傷は医者に見せた方が良いな。町から医者を呼んでくるか?」

「町は今、風邪が流行っているらしいわ。お医者様は町の人よ。この子に風邪が移りでもしたら死んでしまうわ……幸い、。多分だけど、

「……は?」


 偲は二人が交わしている会話をほとんど聞き流して少年の白い睫毛を見つめていたが、晶子の発言が聞こえた瞬間、そんなわけないだろうと胴体の傷口を覗き込んだ。そして、彼女の発言が事実のように見える傷の状態であることに気付くと、二度も三度も連続で驚いた。


 鬼鹿との戦闘で負った角の棘による棘刺創、赤い傷口が生々しいものの、すでに癒着していた。重傷人を見るのは初めてで、大きな傷がどのように治癒していくのかはわからないが、確実にこんな速度で止血しなければ癒着も始まらないことは確かだ。


 人じゃないからか? 村の人たちに、こいつにはもう一つの姿があるって教えた方が――


「なあ、偲」

「っ?」

 菖太郎に呼びかけられ、不意を突かれた偲の方は跳ね上がった。


「こいつ、どこで拾ってきたんだ? 狩りの最中、何と争った?」


 真面目な眼差しで菖太郎が問いかける。偲は答えあぐねいて、目を見つめ返しながら沈黙を返すしかない。


「本当のことを言いなさい」


 父が存命の時も、時おり見せた父親としての気配。二人目の父親のような貫禄。

「……ッ」


 少年に向けて目を逸らす。今は閉じ切った、あの青い目が吠えた「逃げろ」という眼差し。猟銃に怯えて牙を剥き唸りながらも、自分を傷付けようとは決してしなかった。ただ、撃たないでくれと懇願しただけの、傷だらけの何者なにもの


 こいつは、俺を助けてくれたんだ。なら、俺だってこいつを助けてやらないと。

 恩を仇で返すのは、人道から離れた屑の行いだ。菖太郎が嘆く人物像だ。


「こいつを、助けて欲しい。……恩人なんだ」


 両手を付き、額を畳に付ける。菖太郎は丸見えになった細い旋毛を見つめながら、確約の一言を返した。


「わかった」

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化者 ーケジャー 〜開闢の絆〜 綾川八須 @love873804

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