第8話 非情の赤
「俺の両親と西松の両親が全く同じ顔になっていたんだ。
そんなことあり得るか?」
「面白いな。それは初耳だ。それと似たような経験をしたことも無ければ、聞いたこともない」
俺たちは先頭車へ向かって歩きながら、コロニー落下以降の身の上の変化を城本へ話していた。
「さらにだな。俺は詩郎と言う名前なんだが、両親は俺を忠紀と呼ぶんだ」
「え⁉︎うちもだよ!全く同じ!
俺は松彦なのに忠紀呼ばわりされた!」
「何だと⁉︎西松っ!お前もか!」
西松の言葉に俺もつい、大声が出てしまった。
車内は席が八割埋まる程度なのだが、乗客のほとんどの視線が俺たちに集まる。
城本は不意に立ち止まった。
「それは面白い。そんな話は見たことも聞いたこともない」
城本はそう言った後、腕を組み、何か考えているように視線を宙に走らせた。
「別の人間二人の家庭環境が同じになっていたとは…
さっきまでの世界の主はかなり念が強いのかも知れない」
「何の為だよ」
「それはわからんな」
その後、俺たちは再び先頭車に向かって歩き始めた。
揺れる車内を歩くという行為は俺の体力を普段以上に消耗させる。
それにより、俺の膝や足首は限界を迎えつつあった。
「おい、いつになったら先頭車に着くんだよ?」
「それはわかってるんだけど、おかしいんだ」
西松は怪訝な表情を浮かべて立ち止まった。
「何がおかしいんだ?」
「この電車はローカル線用の車両で短い編成のはずなんだけど、ここでもう10両目だよ。しかも先頭車がまだ見えないんだ。こんなことあり得ないよ」
また西松の電車話か…
「また電車の話かよ。
この世界の主は、この田舎電車を長い編成にして走らせるのが夢だったんじゃないのか」
その刹那、西松は呻き声を漏らした。
「風間、それだよ。
多分、堀込くんだよ。昔、堀込くんがそんな妄想をしていた」
西松のその一言の後、俺と西松は同時に城本へ視線を走らせていた。
「確定だな。ここは堀込の世界だ。
このままだと脱線の可能性もあるからな。先を急ぐぞ」
「ちょっと待って!」
城本が歩き始めようとした時、西松が引き留めた。
「トイレ行かせて」
西松の野郎、何を言うかと思えばトイレと来たか。
進行方向先にはトイレがあった。
西松はそのトイレへと小走りで向かう。
しかし無情にも戸が開かない。
戸の表示は使用中の赤となっていた。
「まじかよ!」
使用中という現実を突きつけられ、西松は焦燥感のせいか顔を歪める。
「この先の車両にもあるんじゃないのか?そこで済ませればいいだろうよ。
話はそれからだ…」
「それがわからないんだよ。有り得ない編成だから、トイレが前の車両に有るかわからないんだよ」
西松は通常時も内股気味なのが、さらに内股となり、若干腰を屈め始めていた。
その時、俺はある事を思い出した。
「西松よ。お前は池袋駅でジャスミンティを買っていたよな?あれはどうした?まさか飲み干したんじゃないだろうな?」
「そのまさかだよ」
「聞いて呆れる。あの短時間で500mlを飲み干したのか。しかもお茶だろうが。利尿作用を知らないのか?」
「それぐらい知ってるよ!でも仕方ないだろ!飲みたかったんだから」
「一号、まぁいいじゃねえか。西松をそう責めるなよ」
どういう風の吹き回しか、二号が西松を擁護し始めた。
「何言ってるんだよ、二号。スピード出し過ぎだの、脱線するだの危機感煽り始めたのは西松だろうよ」
「まぁ、それはわかるんだがな。生理現象だから仕方ない」
二号が擁護する中、西松の腰の角度は直角に近付きつつあった。
西松はトイレの戸を連打する。
「開けて〜、早くして〜」
西松は情けない声を上げた。
漏れちゃうよ〜ってか?そうだ。西松と言えば失禁癖だ。ここでも漏らせばいいさ。ジャスミンティなんぞ、スカしたものを通ぶって飲むからだ。その報いだろうよ。
「その空きのペットボトルの中にしておけよ。今日は特別だ。後ろを向いててやろう。
話はそれからだ…」
「そんなの無理だよ」
西松は再びトイレの戸を連打する。
次第にその叩く速度は早くなり、如何に非常事態であるかを物語っていた。
しかし個室からの反応は無く、使用中の赤表示が非情さを強調しているかのようだ。
西松の限界を感じた時、不意にトイレから解錠される音が聞こえた。
ゆっくりとトイレの戸が開くと、中から男が静かに出てきて、その戸と男の隙間に西松は身を滑り込ませる。
施錠される音と共に中から出てきた男の顔を見て、俺は驚きのあまり思わず一歩下がる。
「パリス!」
と言った刹那、俺とパリスの視線が交錯する。
「あっ、シロタン」
何処となく、パリスの顔がいつもよりすっきりしているように見える。
「パリス。お前、何でこんなところにいるんだ?」
「え?シロタンこそどうしたの?なんでここにいるの?
シロタンも…、来たの?」
パリスはこれ以上ないぐらいの薄笑いを浮かべた。
パリスが言うところの“来たの?”に、何となくパリスの状況が飲み込めた。
「パリスよ。残念だがここは鶯谷の店ではない」
「え?え?」
パリスは辺りをしきりに見回す。
「あれ?ここはパリジェンヌじゃないの?」
「それは何のことだが知らないが、ここは電車の中だ」
「え?電車の中って何線?」
西松は何線と言ってたか…
「東北本線だ」
パリスの疑問に二号が答えた。
「東北本線?
それよりもシロタン太った?
シロタン太った?」
大事な事だから二度と言うってやつか。
パリスは俺を見て、身体だけ元に戻ったということが言いたいのであろう。
今、奴の象徴であるPARISTシャツをめちゃくちゃに引き裂き、燃やしてやりたい衝動に駆られている。
しかし、パリスはパリスであった。
池袋駅では蝶ネクタイとジャケットに革靴でめかし込んでいたのだが、パリスはいつものパリスへと戻っていたのだ。
二号が言うところのこの世界がどんなものかをパリスへ説明すると、奴は薄笑いを浮かべながらも驚いていた。
ただ、パリスにとってそんなことは二の次、どこか上の空であることがその様子から窺い知れる。
まぁ、そんなところがパリスらしい。
いつ何時もパリスはパリスだ。
白ブリーフ無頼 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン4 飯野っち @enone
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