遠き羽音に


―――2年後―――


道路沿いにヤシの木が並ぶ道の向こうに小さな砂浜を見つけて翔子はバイクを乗り入れた。 水平線を眺めていると果てしなく続く海が世界の広さを教えているように思えた。 砂浜に腰を下ろしウェストポーチからスマホを取り出して、保存しておいたウェブニュースに再び目を通す。 そのスポーツ欄には写真付きの見出しで 「観音寺、日本一へ王手」と書かれ、柔道着姿の弥生が写っている。


高校卒業後、スポーツに力を入れている企業に弥生は就職した。彼女の実力は周りの期待を大きく上回るものだった。社会人向けの大会で数々の好成績を収め、現在ではスポーツ用品のスポンサーまで付いている。

 やよなら、きっとやってくれる。

記事を読み終えた翔子は、葵にも思いを馳せた。


頭のいい彼女は地元の大きな会社で経理として勤めていたが、父親の引退を機に実家のバイク屋を継ぐことになった。しかし現場を離れた父親には 「座ってるだけでいいから」 と社長の椅子を用意した。

もともと一人で自営していたので社員は葵一人だったが、彼女は現場はもちろん、経理経験で培ったノウハウを活かし収支管理を徹底して行った。無駄な物は削り必要な事には金を掛け新しい事も益に繋がるものは積極的に取り入れる。

この方針が実を結び、傾きかけていた経営は徐々に持ち直し、僅かだが社員を雇えるまでになった。

半年前、彼女は念願だった自分の店をオープンさせた。

父親の木戸モータースの隣に 「PRO SHOP・葵」 と看板を掲げ、パーツの販売、取付、修理などを担う。 父の店で買ってくれたお客さんにはサービス価格でカスタムを提供。このスタイルが若者を中心に人気を呼び、現在では父の店と合わせて15人ものスタッフが働いている。

父と葵にとって社員は家族同然で、困った時は助け、嬉しい時はともに喜ぶ。

いかにも葵らしいと翔子は思った。

ちなみに彼女の腕力は健在で、若手を含め腕相撲で敵う相手はまだ居ないらしい。

来年、彼女は1児の母となる。


スマホを戻してチャックを閉めようとした時、着信を告げるメロディーが流れた。「大野 理沙」と表示されているのを見て、翔子は画面を操作した。

「もしもし」

翔子が出ると受話器から元気そうな声が聞こえてくる。

「おー良かった!翔子ねぇ、今電話大丈夫?」

弾むような明るい声だ。いい話に違いない。

「大丈夫だよ。久しぶりだね、どうした?」

三ヶ月前にも電話で話したばかりだが、毎日のように会っていた頃と比べると少し久しく感じる。

「あのさぁ、再来月“弥生さん”いよいよ決勝じゃん?んで、それが終わってからみんなでお疲れさま会やろうって思ってんだけど、来れる?ってゆうか今何県に居るのかも知らないんだけど」

翔子は現在地を伝えた。かなり西の方だが、無理じゃなければ来てほしい、との事だ。

「大丈夫、行くよ。お店予約しといてね」

「オッケーい!祝勝会か残念会になるかまだ分かんないけどねっ」

軽口を叩いてはいるが彼女も自分と同じく、弥生の勝利を確信していることだろう。

「それとさ、来月咲楽の三回忌なんだけど、来られそう?」

  三回忌…。そうか。

翔子はスケジュール帳を見て確認する。 理沙は言葉を続けた。

「出来れば来てほしいんだよね。咲楽のお母さんも "一番上のお姉ちゃん”に会いたがってるし」

咲楽のお母さんと理沙たち三人は現在も交流が続いている。それは彼女たちの献身的な誠意の賜物だった。


二年前、咲楽が埋葬されたあとも彼女たちは咲楽の家族に誠意をもって働きかけを続けていた。 月命日には毎回訪れ、その度に反応は得られなったが咲楽との思い出を手紙にして、当時の写真と一緒に送ったりもしていた。 一周忌など親族が集まる時は訪問を控えたが、日を改めて参じるなど足繁く通っていた。

一周忌を二か月ほど過ぎた月命日の日、いつものように三人で訪れたがこの日もインターホンに母親が応じることは無かった。

三人が門扉を出ようとした時、後ろで玄関の開く音がした。

振り返ると咲楽の母親が顔を出し、

「あの…、もし良かったらお茶でもいかがですか」と遠慮がちに声を掛けた。

三人は顔を見合わせて

「お、お邪魔させて頂きます」

と家の中へ招き入れてもらった。


仏壇には咲楽の写真と位牌が立てられていた。

順番に線香に火を灯し手を合わせ終えた三人に

「こんなに遅くなってしまって、本当にごめんなさい」

と母親は額を床につけて謝った。

三人は慌てて母を抱き起こし、自分たちこそ辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさいと、その小さな体を抱き締め、泣いて謝った。


咲楽のお母さんは多恵子と名乗り、三人の顔をひとりひとり眺めた。

「あなたが弥生さんね。聞いていた通り、本当に頼りがいがありそう。あなたは葵さん。すごく頭のいい人だよってあの子が教えてくれました。それからあなたが理沙さん。いつも一生懸命で、真っ直ぐな人。そうよね?」

三人とも少し照れながらも感動した。

咲楽は自分たちの事をそんな風に話してくれていた。

母にも分かってもらいたい、そんな想いがあったのかも知れない。

そして母は娘の行動を危惧し反対しながらも話に耳を傾け、みんなの名前まで覚えてくれていたのだ。

「あなた方に頂いたお手紙、全部大切にとってあります。あの子がどれほど愛されていたか、皆さんのおかげでどれほど楽しい青春を生きたか。いつも読み返しては感激して涙しておりました。写真も沢山ありがとうございます。我が家では、いえ私の前では見られない、あの子の本当の笑顔を見られた様な気がします」

三人は胸が熱くなった。自分たちがしていた事はきちんと届いていたのだ。 母の胸に…。

「咲楽が使っていた部屋、ご覧になりますか?何もかもほとんどそのままにしておりますが」

三人は「お願いします」と言って多恵子と一緒に2階へ上がって行った。


部屋に入ってまず目を惹かれたのは黒羽の特攻服だった。

事故で傷んだ部分は修繕され、今でも使っているかの様に綺麗に掛けられていた。

「驚かれたでしょう。実はこれを飾る事には、私としては最初は抵抗がありました。でも皆さんのお手紙や写真を拝見するうちに、これはあの子の宝物なんだから、母親の私が勝手な思いで仕舞い込んでいてはいけないと、この部屋に、あの子の元に返そうと思ったんです。 …あの子が最後に身につけていた、一番の勝負服なんだから」

母はその袖に触れながら呟いた。

壁には沢山の黒羽と咲楽の写真が飾られていた。 弥生たちが手紙と一緒に送ったものもたくさんある。 そのうちの一枚が、大きく引き伸ばされて咲楽の机に立てられていた。

「これが私の一番お気に入りなんです。写真屋さんで大きくしてもらいました」

それは黒羽の集合写真だ。 全員が勇ましくポーズを決めているなか、咲楽だけがいかにも楽しそうに一番端でVサインをしている。

葵はこの時の事をよく覚えている。


黒羽結成◯周年目かで、全員で写って雑誌に送ろうという事になった。 ところが咲楽だけはイカついガン飛ばしやキメの顔が何度やっても笑ってしまい出来なかった。 やり直しを繰り返させられて苛立ちを見せた葵に

「ごめん。だって楽しいんだもん」 と謝りながらも笑っていた。

結局雑誌には送らず、この写真もただの記念撮影に終わったが、いま葵は目を細めてその写真を眺めている。

 咲楽。今となっちゃこの写真、サイコーだよ。 

 楽しくて仕方がないあんたの気持ちが 、写真

 から溢れてるじゃないか。

部屋にはキックボクシングの装具などの他にギターも置いてある。咲楽は音楽もやってたんですかと尋ねる理沙に、 「あぁ。いえそれは、あの子の兄の物です」と母が答えた。

「お兄さんは今どちらに?」 弥生が尋ねると、母親は

「今はお坊さんになってます」と微笑みながら答え、咲楽の兄についても教えてくれた。


咲楽の亡くなった後、兄は辛く苦しむ日々が続いた。失って初めて、たった一人の妹の計り知れない存在の大きさに気付かされた。 当たり前の存在が失われるという現実が受け入れられず、行き場のない思い、決して救われる事のない哀しみ、それらを抱え込んで一時は自閉症になってしまった。 その苦しみのなか。彼はもがきながらも同じ様に大切な人を亡くした人達に支えられ、互いに寄り添っていくうちに「死の闇」という鎖から解かれ、「命」とは、「生きる」とは何か、という意識へとシフトしていった。 そして、未だ見えぬその答えを導かんと出家して行(ぎょう)に励み、住職を志した。 まだ若い彼は学校などへ呼んでもらい、そこでの講演活動を通じて若い世代に生きることを説き、命の尊さ儚さを諭す活動を続けている。 その活動の一環として大好きな歌でオリジナルソングを披露するなどして最近では地元メディアにも取り上げられ、「歌うお坊さん」として話題になっているという。


三国家を後にする時、多恵子から

「またいつでもいらして下さい。お姉ちゃん達が来てくれるとあの子も喜びますから」

と声を掛けてもらった。

弥生、葵、理沙の三人で

「お母さん…」と抱き締めた。

それ以来、月命日だけでなく時には夕食やお泊りなどにも呼ばれ、三人が来ると母は決まって 「お姉ちゃん達来たよ」 と仏壇の咲楽に声を掛ける。

そうして付いた呼び名が、 弥生は "大きいお姉ちゃん”。葵は "賢いお姉ちゃん”。理沙は "元気なお姉ちゃん”。そして翔子の事を "一番上のお姉ちゃん”と親しみを込めて呼んでいるという。



翔子はスケジュール帳を閉じて理沙に伝えた。

「そうだね。うん、今度は行けるようにするよ」

そして「約束する」と付け加えた。

「ところで理沙はどう?仕事、順調?」

大野理沙は地元に残り、看護師となっていた。

「もー大変ばっかり!若い子の面倒見ながら自分の仕事もこなさなくちゃなんないし。あーあたし今日は帰れるかなぁって、いつもそんな感じだよ。こんな大変だからみんなあたしを押し上げたんじゃないかって疑りたくなっちゃう」

決して大きな病院ではないが、彼女は持ち前の根性と率先力で今はフロア責任者、チーフとなっていた。

いつかメディカルセンターで救命士になるのが夢だという。

「でもさぁ笑えるよね。若い頃はヤンチャして他人(ひと)怪我させたり、それこそ下手すりゃ命まで奪いかねなかったかも知んないのに。そんなあたしが今は他人の命を救う側になるなんてさ」

翔子はしばらく沈黙して、彼女に伝えた。

「笑わないよ。心から 誇らしい、って思う。 友達として、本当にそう思うよ」

親友の力強い言葉に、

「……泣いちゃうよ」

と理沙が言った。

「まぁとにかく、来れそうだったらまた連絡ちょーだい。トライアンフ、あたしも乗ってみたいな、なんてね。じゃ!」

仕事中なのか、最後は少し慌ただしそうに電話を切った。


「お母さん、か…」

多恵子さんの話を聞いて、翔子は自分の母親にも思いを馳せた。


母はあの男とはとっくに別れていた。翔子が一人で暮らし始めた頃だ。相手の浮気と暴力が原因だった。 最初の頃は電話やメールで「帰ってきて欲しい」「私が間違ってた」など自分の事ばかりで翔子をうんざりさせていたが、いつの頃からか「体は大丈夫ですか」「しっかり食べれてますか」「あなたが何処で何をしていても、あなたの幸せを願っています」といった娘を慮(おもんばか)る言葉へと変わっていった。


来月、翔子は故郷へ帰る。

「久しぶりに、母さんとこ寄ってみようかな」

そう呟いて、翔子は砂浜に寝転んだ。



雲がゆっくり流れている。

風が優しく吹いている。

海も堪能したし、今度は山にでも行ってみようか。 知らない場所、見たことのない景色はまだまだたくさん待っている。

翔子は起き上がり、バイクに跨った。

ドルン!ドルルルルル…

心地よくエンジンが廻る。今日もご機嫌な様だ。 タンクを撫で、そこに掘られた文字をなぞる。 距離を走る時のルーティンだ。

「さぁ、風になるよ!」

翔子は愛馬に声を掛けてアクセルをひねった。


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