光と闇と
1
今夜は、会う。
一日中降り続いた雨は街も道路も水浸しにして、夜になると更に激しさを増していた。 前回の教訓から、翔子は少し厚めの服を着て、バッグにはおしるこも買い込んで入れている。
時刻は夜の11時をまわった。
さぁここからが本番だ。いつでも来い。今日
は朝まで粘ってやる。
翔子はおしるこの蓋を開け、ぐいっと飲み干した。
本降りと小降りを繰り返しながら、雨は0時過ぎても止む気配はなかった。防水のウエアが少し浸みてきた気がする。
自分は何故こんなにもアレに執着するのか、その理由をあれこれ考えるのももうやめにした。
とにかく会いたい。会って確かめたい。あいつが何者なのか、なぜ走るのか、そして何がこんなにも自分を惹きつけてやまないのか。
バッグに入れていたおしるこは、もう半分ぐらい空き缶になっていた。
雨の音に混じって、重厚感のある唸り音がする。
「来た」
翔子は立ち上がり、バイパスの向こうに目を凝らす。
雨に霞んだ光がやがて強さを増してくる。
身の回りを整えて、翔子は愛馬に跨りエンジンをかけた。
孔雀はバイパスを全開で疾走する。
今夜も、無事に走りきった。
バイパスの終着点、交差する道路の信号は青だ。 いつもの様に左折して先のコンビニを目指す。
交差点を左に曲がった孔雀を翔子はライトを点けずに後を追う。気付かれれば逃げてしまう、そして逃せば二度とチャンスは無い。そう思えた。
警戒心の強い幻の動物でも追うように、翔子は絶妙な間隔を開けて静かに付いて行った。
その幻の孔雀は一般道に降りてからは法定速度で走る。
思った通りだ。あいつは何処でも構わず突っ
走る阿呆な飛ばし屋じゃない。やっぱり環状
の直線だけを狙って翔んでいる。
まるで、何かに取り憑かれたかのように…。
数百メートル走った所で、先行していたバイクは道路脇のコンビニに寄った。
翔子は少し間を開けて相手の死角になる場所に単車を停め、急いでエンジンを切る。
そぉっと顔だけ出して伺うと、奴はまだメットを脱がずじっとバイクに跨ったままだ。
何してるんだろうと思いながら、再び走り出した時に備えて翔子もまたヘルメットを脱がずに居た。
孔雀はエンジンを止め、ゆっくりとヘルメットを脱ぐ。そして纏めていた長い髪を後ろでほどいた。
女だ。
翔子は意表を突かれた。
狂った様な激しい走りはてっきり男のものだと思っていたからだ。
彼女の好奇心はますます揺さぶられた。
女はバイクを降り、ゆっくりとした足取りで灰皿の置いてある場所に向かう。 雨の落ちてこないポイントに腰かけて取り出したタバコに火をつける。しばらくそのままでいたがやがて吸い込み、ふう~っと長い煙を吐き出した。どこか遠くを見る目をしている。
ヤバいもん吸ってないだろうなと少し訝(いぶか)しみながら、翔子は彼女に近づいていった。
近づいて来る黒ずくめの女にタバコをくわえたまま顔を向ける。特に驚いた様子もなく無関心とも言える表情で翔子をみている。 その堂々とした風格にやっぱりこいつは只者じゃないなと翔子は思った。そしてなるべく平静を装い思いきって声を掛けた。
「あんた、あんな走り方してたらそのうち死ぬよ?」
皮肉っぽく言ったつもりだったが相手は表情を変えることなく
「いいよ。そのつもりだもん」
と言い放った。
マジかこいつ。やっぱりヤバい奴なのか。
ふぅっ、と少しため息をついて翔子は女の側に腰を降ろす。相手は相変わらず無関心だった。
翔子はバッグを開け、おしるこを2本取り出した。
「飲む?ちょっとぬるくなっちゃったけど」
彼女は「ありがと」と意外にもすんなり受け取った。翔子も自分の分を開け、二人でぬるいおしるこをすする。
雨が、まるで話すタイミングを与えたかの様に少し小雨になった。
「何で、死にたいの?」
静かに尋ねる翔子に彼女はきっぱりと言った。
「好きな人に会いたいから」
一瞬、翔子の胸がドクッ跳ねた。
「好きな人があそこで死んだから、私も同じように、同じ場所で。そうして迎えに来てくれるのを待ってる」
抑揚のない彼女の話し方とは逆に、翔子の鼓動は早まっていた。
“好きな人があそこで死んだ”
翔子の脳裏にあの日の出来事がフラッシュバックする。
土砂降りの環状。倒れたバイク。動こうとする男。
そしてそれを、素通りした自分。
黙り込む翔子に、彼女は
「私が子供だったんだ」
と、やや自嘲気味に語り始めた。
2
一緒に住んでいたアパートを出ると彼が言った時、手塚 沙織は激しく拒んだ。
彼は新しい勤務先はここからだと片道2時間かかってしまう事、今この機会を受け入れれば今後大きな昇給のチャンスに繋がる事などを話して必死に説得した。
だが沙織はお金の事より一緒の時間を奪われるのが嫌だった。毎週末には必ず会えるからと言われても納得しなかった。
困り果てた彼は、実はこれからずっと二人で居られる様に、そしていつか二人の新居を構えるために、今は稼ぎが必要なんだと打ち明けた。
思いがけない告白に沙織は感動した。
本当はもっとロマンチックにプロポーズしたかったが、かえって不安な思いをさせてしまった事を彼は謝った。
沙織も、自分の方こそいつもわがままばかりでごめん、と詫びて彼を抱き締めた。
彼もその想いに応えるように力いっぱい抱き締めてくれた。
新天地で彼は能力をいかん無く発揮し高い評価を得ていたが、週末しか会えないのは沙織としてはやはり淋しかった。時々出張が入ってそれも叶わない時など、本当に仕事なのかと疑ってしまう自分も嫌だった。
彼はいつも優しく、自身の事より周りを、そして誰よりも私を大切にしてくれていると分かっていた。
だがその優しさが沙織を幸せな気持ちにも不安な思いにもさせた。
ある日、沙織は大事な用があるからすぐ来て欲しいと電話をかけた。 彼は翌日の早朝から仕事に行くからさすがに無理だと伝える。だが沙織はどうしても会いたいんだと最後には声を上げて泣いてしまった。
受話器の向こうで彼は「待ってろ」と一言残し、電話を切った。
彼に無理をさせて申し訳ないと思ったが、沙織はようやく落ち着いて彼の到着を待った。
だが朝になっても彼は来なかった。電話をかけても繋がらない。
“待ってろ”というのは週末まで待てという事だったのかと心底落胆した。
しかし週末が過ぎ、日曜日が終わっても彼は現れなかった。電話は何度かけても無機質な音声が流れるだけ。そのうちかける気力も失った。
自分は呆れられ、捨てられたのだと悟った。 わがままで自分勝手でいつも彼の優しさに甘えてばかりで。彼を思いやったり支えになった事など記憶にない。もう放っとかれても仕方ないのかも知れない。
それでも黙って別れるなんて酷いと思った。
約束したのに。信じていたのに。
彼を恨み、そんな自分も恨みがましかった。
10日程経った頃、彼の携帯から着信があった。 沙織は喜びと安堵と怒りと色んな感情が入り乱れて、つい 「もしもし?!」と大声で電話に出た。 少し間があったあと、電話の向こうから「もしもし。手塚様でいらっしゃいますか」と落ち着いた年齢を感じさせる女性の声がした。 沙織は一瞬困惑しながら「そうですけど」と答えた。相手は、彼の母親だと名乗った。
「突然のお電話申し訳ございません。壊れた電話を直して頂くのに思いのほか時間がかかってしまいまして。不躾(ぶしつけ)ながら、やりとりの記録から息子の特別な方なのではないかと思い、ご連絡させて頂いた次第でございます」
沙織はいまいち事態が飲み込めない。ただ、ざわざわと嫌な胸騒ぎが広がり始めていた。
「息子は先々週、事故で亡くなってしまいまして。初七日も終えましたがようやくお電話が出来る様になりましたもので。ご連絡が遅くなって大変申し訳ございません」
悲壮感の漂う沈痛な声で、その現実感のない言葉が頭の中に繰り返しこだまする。
ジコデナクナッテシマイマシテ。
じこでなくなってしまいまして。
事故で亡くなって…。
「大変恐縮なのですが、もし宜しければ息子の弔いにおいで頂く事は出来ませんでしょうか。実家にございますので。場所は…」
電話の声を聞きながら沙織は住所をメモした。 茫然として字がうまく書けず何度も聞きかえしたが、母親はその都度丁寧に教えて確認した。
電話を切り、手にしたメモに目を落とすと文字は歪み、そして全てひらがなだった。 ――――――――――――――――――
電車とバスを何本か乗り継いで教わった住所へ向かう。 閑静な住宅地の一角に昔ながらの佇まいでその家はあった。
門柱に"忌中”と書かれた札が立てられている。沙織はゆっくりと近づいてその家のチャイムを鳴らした。 出迎えてくれたのは電話で話した彼の母親だった。
「ごめんなさいね。どうぞ、お入りください」
やつれた顔を少し伏せがちに沙織を招き入れ、そのまま奥へと案内した。
仏壇には彼の写真が立てられていた。 いつもの見慣れた無邪気な笑顔だ。 その手前に、見慣れない四角い箱が布に包まれて置いてある。それが何なのか沙織には分かったが、心がそれを受け入れる事を拒否していた。
仏壇に膝をつき写真を見つめる。
彼が笑っている。いつもの顔で笑っている。でも彼はここには居ない。彼が居るのはこの小さな四角い箱の中だ。
理解しようとする頭と反対の働きをしようとする心が沙織にめまいを起こさせた。
倒れそうになる彼女を咄嗟に支え、
「ここでいいから、横になって」
と彼の母親が声を掛け、ゆっくりと横たえた。
沙織は目を閉じてそのまま静かに意識を失った。
目を覚ますと布団に寝かされていた。夢を見ていたかと思いかけたが、部屋は見知らぬ家の和室。 ゆっくりと体を起こすとおぼろげながら意識が戻ってきた。
閉じられたふすまがある。
あのふすまの向こうに彼がいる。
もう笑わない、話す事もない彼の亡骸が。
あんなに体格のいい人だったのに。
あんなに大きな背中だったのに。
何度も強く抱き締めてくれたのに。
あんな小さな箱に入って…。
沙織の目から雫が落ちた。それは止めどなく、溢れる程の涙に変わった。
そんなはずない。
いつか二人でって約束したんだ。
頑張って家を建てるって言ってくれたんだ。
“待ってろ”って、言っていたんだ。
嗚咽の漏れる泣き声に気付き、彼の母親がやって来て背中をさすった。そして何度も
「ごめんね、ごめんね」
と繰り返し、一緒になって泣いた。
そうして二人はしばらくの間、悲しみに打ちひしがれていた。
その晩、食事も喉を通らない沙織に、彼の母親は温かいスープを作った。優しい味をすすり、少し落ち着いてきた沙織だったが、仏間には行けなかった。
スープを飲み終えた沙織は
「私のせいなんです」
と静かに口を開いた。
どんなに恨まれても憎まれても、私は打ち明
けなければならない。
そう覚悟して沙織はあの夜の事を全て話した。
話を終えた沙織は静かに目を閉じた。
大切なたった一人の息子を奪われた、この方の想いをそのままを受け止めよう。それが償いになる訳でもないけれど…。 そう沙織は思っていた。
話を聞き終えた母親が、つぶやくように言った。
「…馬鹿な息子って、普通は思うんでしょうね」
そして沙織を見つめて続ける。
「でもね沙織さん、私はあの子が馬鹿な事をしたとは思えないんです。あなたのせいだとも決して思いません。どうしてだか分かりますか?」
お母さんは穏やかな口調で話しかけてくる。
どれ程の悲しみがあっただろう。どれ程泣き、息子の名前を呼んだか。
沙織は計り知れず、言葉が出なかった。
「息子はね、沙織さん。あなたの事を本当に愛していたんだと思います。一度も話してはくれなかったけど、私には分かります。そして、その愛する人が今まさに自分を必要としていると思った時、あの子は兎にも角にもあなたに会いに行こうとした。何を置いても、一番大切な人の所に。他には何も考えず、その肩をただ抱き締めるために。そんな息子を、私は誇りにすら思うんです。バカな親でしょう?」
沙織は母を見つめながら、首を横に振った。
「これは事故なんです。誰も悪くない。もちろんあなたも。そして、あの子も。…だからどうか、自分を責めないで。もしあの子がここに居たら、自分のしてしまった事であなたが、大切な人がこんなにも苦しんでる姿を…きっと辛いと思うんです。側に居たいのに居られない。何も出来ない、してあげられない。そんな自分が歯がゆいと思うんです」
沙織は黙って母親を見つめた。
「沙織さん。あなたはあの子の人生で、かけがえのない大切な時を一緒に居てくださった。それはお二人が互いに思う事であって、私なんかが口を挟む事では無いんでしょうけどね。母として、あなたにこれだけは伝えたい」
彼女は沙織を優しく、そして強く抱きしめた。
「一緒にいてくれて、本当にありがとう」
一瞬、彼の声と重なったような気がした。 沙織には確かにそう感じられた。
その言葉こそ、今は伝えるすべのない彼が沙織に最も伝えたかった事。
彼の、大切な想い。
「わたしも、私も本当に、ありがとう」
母親を抱き締め、沙織はわぁわぁ泣いた。一緒に涙しながら、彼の母はずっと優しく抱き締めてくれていた。
翌朝、彼の家を出る前に沙織は意を決して仏間へ向かった。母はそっと一人に、いや、二人きりにさせてくれた。
沙織はしばらく彼の遺影を見つめていたが、やがて ふっと口元を緩めた。
「バイクは危ないからって、私には絶対乗させてくれなかったよね。一緒にツーリング行きたくて、内緒で免許とりに行ってたらケンカになっちゃったね。 …でも、合格した時「おめでとう」って喜んでくれたね。私、本当に嬉しかった。
“夜走るのはダメ、バイクは見えにくいから危険なんだ”って。だから私がいっぱい電気つけてあげたのに、帰ってきてひとこと目に"いやぁ、コレは無いわぁ”って。しばらく乗る度に言ってたよね。丸一日かけて頑張って付けたのにさ。 でも。一度も外さずに付けててくれたよね…」
彼は優しかった。朗らかで、たくましかった。 大好きなバイクにも乗れず、今頃どこに居るんだろう。 ふと、思いついた事があって沙織は帰る前に彼のお母さんに相談した。
後日、実家に保管されていた彼の形見のバイクは沙織が引き取った。 壊れてしまった多くの部品を修理して、再び息を吹き返させた。
人の命もこんな風に戻せたらいいのにと叶わぬ事を思った。
彼のために沙織が付けたカラフルランプは、奇跡的に無傷だった。―――
3
「…それで、そのバイクで死のうって思ったんだ?」
静かに沙織の話を聞き終えた翔子が口を開いた。
「別に死ぬつもりで直したんじゃないよ。バカな事って思われるかも知れないけど、彼のバイクに乗ってる時は一緒に居られる様な気持ちになってさ。でもそのうちに、彼の最期の時はどんな感じだったんだろう、彼はどんな気持ちで走ってたんだろうって考える様になって、ひょっとしたら彼と同じ事をすれば会えるような気がして…」
雨の環状を全速で翔け抜ける。それで愛する
人が命を落としたというのに。
翔子の胸の中で悲しみとも怒りともつかぬものがざわついた。
「でも結局、会えないんだよね。きっと死ぬまで、同じ様になるまではずっと会えない。早く迎えに来てくれればいいのにさ」
捨て鉢のように呟いた沙織の頬を、翔子は思わず平手打ちした。
痛ったぁ!と目を丸くした彼女に、翔子はハッとして謝った。
「…ごめん」
「ふふっ、いいよ。びっくりしたぁ!ビンタなんてされたの久しぶり過ぎだよ」
少し赤くなった頬をさすりながら沙織が言った。
だが翔子はまた「ごめん」と言ったきり顔を上げようとしない。
「へいきだって。軽い一発だったもん」
沙織はさすっていた頬から手を離した。
「ちがう。ごめん。ごめんなさい。私のせいだ」
「えっ?」
何の事か分からない沙織に、翔子は顔を上げて告白した。
「あの夜、あたしは彼を見た」
沙織は黙って翔子を見つめる。
「あの時、彼はまだ生きていた。手が、動いてたんだ。だから…」
翔子は誰にも打ち明けられなかった真実を、正直に話した。
「だからもしあの時、引き返して救助してたら彼は助かったかも知れない。でもわたしはそれを、しなかった。…男なんて、無謀な運転をする奴らなんてみんなくたばっちまえばいいって。そう思ってた…」
翔子は唾を飲み込んで続けた。
「だから、あんたの彼をころしたのはあたしなんだ。あたしが、あんたの大事な人を見殺しにした」
あの人に、そして他の誰にも大切な人が居るなんて考えもしなかった。自分の事だけを考えていた。自分と、仲間の事だけで他には何も無かった。それしか必要なかった…。
翔子の目からいつの間にか涙がこぼれていた。
沙織はタバコに火をつけて、ふぅ~っと長い息を吹き出すと、「そっか」と地面に目を落として呟いた。
「警察の言う事もアテになんないね。あの人達の話じゃ、彼は即死だったって言ってたけど」
翔子はうなだれたまま、黙って肩を震わせた。
「でもね、助からなかったんじゃないかな、どのみち。警察がそう判断したって事はそれなりの状況だったんだろうし。あなたが見た時も、動いてたかも知れないけど、もう意識は無かったんだと思う。あなたが引き返して救急車を呼んだとしても、きっと無理だった。それぐらい無茶なスピードで転んじゃったんだよ、あいつは」
沙織は視線を落としてつぶやいた。
「そして、その原因をつくったのは·…私」
二人の間に沈黙が流れる。
「だから」
沙織は翔子に近づき、震える肩をそっと抱いた。
「どうかそんなに、自分を責めないで」
顔を上げた翔子を、沙織は悲しげな、それでいて優しい眼差しで見つめ、ゆっくりと頷いた。
「うううっ…」
翔子は再び頭を垂れ、涙を流した。
その背中を、沙織は静かに優しく撫でていた。
4
「んもぉう我慢ならないっす!」
いつもの集まりが終わって、理沙が翔子に詰め寄った。
「総長お願いです。あたしに孔雀と、タイマン張らせて下さいっ」
理沙にとってはどうにも目の上のたんこぶらしい。彼女がどこまで本気なのかは分からないが、その思いも受け止めてあげたい、と翔子は思った。
「おし、いいよ。張りな、タイマン」
総長の言葉に理沙は色めき立った。
「だけどね理沙、まがりなりにもあたしらはバイク乗りだ。バイク乗りにはバイク乗りなりの、決着(ケリ)のつけ方ってもんがある」
いまいちピンと来ない理沙だったが、ポンッと昭和な閃きの仕草を見せて
「つまり、走りで勝負って事ですね?」と問いかけた。
「そう。まずはね。それで勝てたら、あんたの思うように拳(こぶし)でタイマンでもケジメでもつけりゃいい。でももし負けでもしたら…」
「ま、負けでもしたら…?」
破門、なんて言わないよね?と理沙の頭を不安がかすめる。
「そん時ゃもうアレに執着するのはやめな」
理沙はホッと胸を撫でおろした。
「それなら大丈夫っす!"黒羽のスピードスター”と呼ばれるあたしは、黒羽のメンツを汚す様な事はしません。勝って兜の緒を締めてきます!」
理沙は意気揚々と帰って行った。
二人きりになって、弥生が腕組みしたまま首をかしげる。
「"勝って兜の”って、別の意味で使われるんじゃ…」 「まぁまぁ」
翔子も思ったが、黙っといてやった。
「それに、"黒羽のスピードスター”ってあいつが勝手に自分で言ってるだけで」 「まぁまぁ」
それも思ったが、速く走るのは確かに得意だ。昔から逃げ足だけは誰よりも速い。もしかしたら本当に黒羽で一番の速さかも知れない。競わせて無いけど。
「とりあえず、あの子の思うようにやらせてあげよう」
翔子の言葉に、弥生は「仕方ないね」といった感じで肩をすくめた。
―――翌週。雨の夜―――
「本当にここでいいんすか?」
もらったおしるこを手に、理沙が尋ねた。
"翔子お気に入りスポット”に、今夜は二人で座っている。勝負の前に相手を見極めさせるため、理沙を連れて来ていた。
「あたしを疑うんじゃないよ。実際あたしはここでこの目でアレを見てるんだからね」
「押忍。すみません」
翔子にならって理沙もおしるこ開けた。コーヒー派の理沙は甘い汁が苦手だったが黙って飲み始めた。
午前0時をまわった。雨は予報通り、周囲を霞ませるほど降っている。 孔雀を待ちながら、翔子は思っていた。
出来ればもう危険な走りはして欲しくない。本当にいつ大きな事故を起こすか分からない。でも孔雀が、沙織が自分の想いから発起する行動を自分は止める事は出来ない。そんな権利もない。 ならばせめて、彼女の想いとは相反する事になるのだが、どうか今日も無事であれ。命を失うことなどなかれ。と心から願うのだった。
「来たよ」
退屈で欠伸(あくび)をしていた理沙が、翔子の声で目を覚ました。
翔子は耳がいい。降りしきる雨の中でも遠くから来るバイクの音を聴き分ける。
彼女にならって理沙も耳を澄ましていると、少しずつエンジンの音が聞こえてきた。
「向こうから来る」
翔子がバイパスの反対車線、少し畝(うね)になっている直線方向を指差す。
雨粒に打たれながら理沙が目を凝らすと、その向こうが白く光だし、やがてバイクのヘッドライトが現れた。
この雨の中、たった1台で…。
噂どおりだが想像以上のスピードで、"それ”は近付いて来る。
理沙はゴクッと唾を飲み込んだ。
バイクに跳ね上げられた水しぶきが羽根の様に広がる。その羽根が色鮮やかに美しく彩られ、光を放っている。
「うわあ…」
まるでイルミネーションを眺める様な声を理沙は漏らした。
今にして思えば、孔雀の正体はあの光だった。沙織が彼の安全を願い一人で取り付けた色とりどりのランプ。だが翔子は、あの輝く羽根こそが彼女を守っているような気がしてならない。思い過ごしかも知れないが、どうしてもそんな思いを捨てられなかった。
孔雀が去ったあと、ポカンとしている理沙に訊いてみた。
「どう。やってみる?」
理沙は表情をそのままに、顔だけ翔子に向けて
「いい…。無理っす。バケモノとは勝負できないです」と答えた。
「だね。帰ろっか」
翔子に連れられて、理沙は素直に家路へついた。
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