蠢(うごめ)く影
1
平八は1枚の写真を見ていた。白いワンボックス車の側面に黒いスプレーで落書きがなされている。 盗難車だが被害届は出されていない。おそらく"いわくつき”の車だろう。
問題はこの車が発見された状況だ。
これが見つかったのはこの警察署の駐車場で、車内には男三人が乗っていた。
残されていた、という表現が正しいかも知れない。
三人はいずれも何者かによって怪我を負わされ、気を失っていた。
発見に至った経緯も異様だった。 深夜、署の駐車場の隅で突然この車のクラクションが鳴り響いた。何事かと署員たちが駆けつけたが、車に細工が施されており、彼らによってバッテリーのコードが外されるまでその音は鳴り続けた。 誰が何の目的でこんな大胆な事をしたのか分からず、当時は警察すなわち国家権力に対する挑発行為だと騒ぎになったようだ。しかし犯人の特定が出来る物証も無く、被害者からも詳しい事情が聴取できなかったため、このワンボックス事件(正式な名称ではないが)に関しては未解決のまま現在に至る。
だが平八にはおおよその見当が付いていた。こんな事が出来るのは一人しかいない。そしてその動機も国家への挑発などという大袈裟なものではなく、おそらくこの三人への制裁だったのだろう。 というのも、被害に遭った男たちはいずれも逮捕歴があり、繰り返し罪を犯す いわば「ならず者」達だった。そんな彼らが加害者ならともかく被害者の立場で詳細を話したがらないのは、よっぽど後ろめたい事があるか、余程恐ろしい目に遭ったか。いずれにしても警察としては彼らに尋問する訳にもいかず、代わりに手配の出ていた案件で結局は御用となった。
それにしても。
平八はもう一度写真を手に取った。
謎と問題だらけのこの車。その側面には大きく「ゴミばこ」と書かれている。
ワンボックス=箱(型車)。そこに入っている悪党どもを「ゴミ」と皮肉って。
「こしゃくな事しやがる」
平八は愉快そうに苦笑いした。
2
―――「生意気な女がいるから人の道を叩き込んでやろうぜ」
最初にそう言い出したのは「ヤス」と呼ばれる男だった。本名は誰も知らない。 ヤスは情報を集めたりケンカ相手を探してくるのに長けていた。
「女なんか放っとけ」
リーダー格の「サメジマ」は冷めた口調でそう言った。頭のキレる男で、作戦などは彼が仕切っていた。
そんな中「ユウジ」は、女と聞いて色めき立った。
彼らは連るんで悪さをするが仲間という関係ではない。それゆえ互いの事には興味が無かったし最後は自分の事が一番だった。
ユウジはサメジマにも吹っかけた。
「なぁやってやろうぜ。俺たちの怖さと、男の良さってもんをたっぷり教え込んでやろう」
その言葉で、三人はゲスな笑い声を上げながら目的を一致させた。
全身黒ずくめの女が一人で夜道を歩いている。 周囲に人影はない。 ヤスはハンドルを握りながら車のエンジンを切り、惰性で静かにその髪の長い女に車を寄せていく。
後部のスライドドアから飛び出したユウジが女を車内に引きずり込んだ。女は悲鳴ひとつ上げる事も無かった。
さすがユウジだな、とサメジマは思った。
「よぉ〜イケてる姉ちゃん。俺らとちょっとドライブしようぜ」
運転席のヤスはそう言いながらアクセルをベタ踏みして車を勢いよく発進させた。
助手席のサメジマはバックミラーをチラチラ見ながら思っていた。
(この女、ただモンじゃねえな。男三人に拉致られてどこ連れて行かれるかも分かんねーのに、顔色ひとつ変えやしねぇ)
だがその澄ました顔が、逆に三人をゾクゾクさせた。
山の方へ向かって1時間ほど走っていた時、女が「ふわぁ〜」とあくびをした。そして男達に向かって、
「ねぇどこまで走んの。長いんだけど?やんならさっさとやろうよ」と言い放った。
そのふてぶてしい態度に、ヤスはカチンときて適当な路肩に車を停めた。
後ろのユウジが女に近づく。車に連れ込んだ時、手際よく両手を後ろに縛っておいたのだ。
「イケてるツラして、この生意気なクソ女が。そのキレイな顔、今からぐちゃぐちゃにしてやるよ」
そう言ってユウジが女の正面に構えた時、
「ぐぁっ!」という叫びと同時に前席まで吹っ飛んだ。
女は座ったまま、強烈な蹴りを喰らわせたのだ。
「てんめぇ何しやがる!」
サメジマが助手席から飛び出しスライドドアを開けた瞬間、顔面を思い切り蹴られ後ろに倒れて気絶した。
開け放たれたドアから飛び降りた翔子は縛られた両手をジャンプして前にくぐらせ、運転席を降りたヤスの背後から、縛られたままの腕をあっという間にその首に絡める。
「ちょっと、手伝って欲しんだけど」
耳元でささやく女の声は怖ろしく不気味で、逆らえば首に回されたロープであっけなく絞め殺される、そう思わせる気配があった。
更にいつの間に奪ったのか手にはサメジマのサバイバルナイフまで握られている。
ヤスは黙って何度もうなずき、彼女に指示された通りまずは拘束していたロープをほどいた。そしてあちこちでのびている男達を二人でワンボックスの荷室に乗せる。それからナイフを突き付けられたまま言われる通りに車を走らせた。
そうして着いたのは、警察の駐車場だった。
「ライト消して、駐車場の中入って」
ヤスは言われるがまま彼女の指定した一番端に車を停める。そこは常夜灯の光も届かない、暗いスペースだった。
すぐエンジンを止めさせると、女はヤスの喉元にナイフをあてがい忠告した。
「今夜の事は忘れな。あたしも黙っていてやる。もし誰かに喋ったりしたら」 女が後ろを振り返って続けた。
「このナイフで全員ころす。 後ろのヤツの指紋がベタベタ付いてるだろうから、仲間割れでもしたぐらいにしか思われないだろうね。どうせあんたら散々悪さしてきたんだろ?そんな連中にお巡りも大して手間かけやしないさ」
抑揚のない彼女の話し声はまるで呪文の様に、本当にそうなるとヤスに思わせた。
ヤスはかすれた声で「はい…」と絞り出すのがやっとだった。
「いい子だ」
不気味にニヤッとして、翔子はナイフの柄の部分でヤスの後頭部を殴りつけた。 気を失ったのを確かめると、後ろに積んであった黒のスプレーで車体に大きく「ゴミばこ」と吹き付けた。それから運転席のハンドルにクラクションが鳴りっぱなしになるよう細工してその場を離れた。
外の異変に署員達が気付いて駆けつけた時、翔子は既に離れた場所を歩いていた。 そして誰も気に留めない様なドブ川に、汚れたナイフを投げ捨てた。
――― 当時はまさかこんな大それた事をする人間がいるなんて思いもしなかっただろう、と平八は思った。 現在は署内のセキュリティもかなり進んでいるが、当時 駐車場に設置されていたカメラは防犯用ではなく、場内の安全管理を目的としたもので全てのエリアをカバーしている訳では無い。しかも、どうやら固定式だったようだ。当時の映像を何度見返しても画面の片隅にワンボックスらしきものが映ってはいるが、その辺りをチラチラしている黒い影が人なのかノイズなのか拡大してもよく分からない。周囲が暗いのも悪条件のひとつだ。
当時の記録では「手配中の男 三名による自首」という形で片付けられている。
それはそうだ。
気が付いたら署の駐車場に置かれていた車から手配犯を発見、などというマヌケな報告書を誰が作れるもんか。 おまけに当事者たちからは何の有力な情報も聞き出せないときたもんだ。
犯人が、いや彼女がそこまで読んでいたのかどうかは知る術が無いが、この警察署の記憶には残るが記録には残せない「汚点」であることには違いない。
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