末路
1
いつもの廃校グラウンドに、黒羽の全員が集結している。だが今夜は静かだった。グループ結成以来、こんな夜は初めてだ。
咲楽の訃報は既にメンバー全員の耳に届いていた。
翔子はいつもの階段の一番上、いつの頃からか
"壇上”と名付けられた場所に立った。
彼女の後ろには黒羽の旗が掲げられている。
翔子は一瞬、ブロックの囲いに目をやった。
が、すぐ前を向き、深呼吸してから声を出した。
「みんな。今日は黒羽にとって特別な夜だ。こうして全員が揃うのは何年ぶりかな」
翔子は大切なピアスが入っている胸のポケットに手を当てがった。
「咲楽も一緒にいる。みんなのここに、ちゃんと居る。みんなが俯(うつむ)いて走らないか、ぼんやりとハンドルを握ってやしないか、しっかり見てるよ。
……だから」
思わず涙声になった息を、一度大きく吸い込んで呼びかけた。
「前を向いて走ろう!しっかり前を見て。はぐれない様に、外れない様に。何かにぶつかっても、立ち上がれる様に。コケそうになっても、踏ん張れる様に。仲間がコケたら、手を差し伸べれる様に。そして……」
翔子は精一杯に声を張る。
「前へ前へ。ずうっと先の前を見て。真っ暗な道の向こうに見える、小さな光をめざして。前を向いて、走っていこう。
一緒に……」
翔子は胸のポケットをぎゅっと握った。
会場は、すすり泣きと沈黙に包まれていた。
その時、誰かがパンパンパンと拍手をする。
弥生だった。
目を真っ赤にして、涙が落ちない様に少し上を向いて、翔子に拍手を送っていた。
葵も一生懸命手を動かして拍手を重ねる。理沙は口を真一文字に結び、涙をポロポロこぼしながら力いっぱい拍手に参加した。やがて拍手は、メンバー全員の手で、力いっぱい捧げられた。
咲楽、聞こえてる?あなたへの拍手だよ。
人生をフルスロットルで生きたあなたへ
の。そして私たちに、とっても大切な事を
教えてくれた、あなたへの……。
総長がエンジンを始動させる。
副総長の弥生、そして葵、理沙も続いてエンジンをかける。
全員がエンジンをかけ、黒羽の群れが飛び立つ準備を整えた時、
「待って!」と声がした。
現れたのは、なつきだった。
脱退しても持っていたらしく、黒のツナギを着ている。
彼女は涙をゴシゴシ拭きながら、「私も、一緒にいいですか」と震える声で尋ねた。
「もちろんさ」翔子が応える。
「乗りな!」弥生が自分の後部座席を親指で示した。
「ありがとうございます」
誰も乗った事の無い弥生のゼファーに、小さななつきが跨った。
「よく来てくれたね」
振り返った翔子に、なつきは口をキュッと結んで泣き顔になった。
「しっかり涙拭いときなよ。風で乾いてカピカピになるぞ」
弥生がなつきの手をとって自分の腰に掴まらせた。
「じゃあ、いくよ」
総長の掛け声で、黒羽の群れが一斉に翔び立った。
2
先頭を走る翔子は控えめなスピードで隊列を率いていた。しっかりと、咲楽が愛した場所を踏みしめるために。そしてメンバーの中には泣いてる者も居るだろうから、なるべく危険が及ばない様にするためだった。
咲楽と初めて出会った時の事を今でも鮮明に思い出す。
まだチームを作るずっと前で、誰かと連るむのを極端に嫌っていた。今思えば、信じて裏切られる事がこわくて逃げていたのかも知れない。
トゲトゲしい態度にも怯む事なく彼女は話し掛けてくれた。愛くるしい顔で。真っ直ぐな瞳で。
この子になら騙されてもいいかと思ったが、すぐに考えは変わった。
この子は騙したり、裏切ったりしない。
"人を信じる”という事を思い出させてくれた。そんな人間が居るんだと。そんな尊い真実があるんだということを。
(一緒について行ってもいいですか。
私、三国 咲楽といいます)
あの時自分が何と答えたのか覚えていない。軽く一緒に流してもいいかという意味だと思ったかも知れない。
でも彼女は、咲楽は本当にずっとついて来てくれた。最後まで。自分が本当は心から手に入れたかった、"みんなが居る”というこの目的地まで。
「ありがとう。咲楽」
翔子はそう呟いて胸のポケットに触れ、そっと涙を拭った。
ハンドルを握りながら、葵は咲楽が腕相撲を挑んできた日の事を思い出していた。退院して一ヶ月を過ぎた頃だ。格闘やってるから腕力には自信がある、と意気込んでいた。
思えば自分に勝負を挑んできたのは後にも先にも咲楽だけだった。だが意気込んでいた割に、勝敗はあっけなかった。
咲楽は「ハンデ」と言って今度は両手で挑戦した。さすがに強かったが、勝ちを奪われる事はなかった。
勝負のあと咲楽は、「よーく分かりました。葵さんの右腕は間違いなく最強です!」と讃えた。
いつの間にか集まっていたギャラリーに「折れるかと思ったよ〜」と泣きついて笑わせていた。
今思い出しても、胸がジンと熱くなる。
優しい子だったから、負けると分かっていて敢えて挑んできたのかも知れない。
黒羽に入ったのは私の方が後なのに、少し歳が違うからといってあの子はずっと私を先輩として接してくれた。
腕相撲にしても、私に花を持たせてくれたのかも知れないし、みんなに"最強なんだよ”ってアピールしてくれたのかも知れない。
でも、あの子はあの子なりに私の壊れかけた体を心配してたに違いない。
「咲楽、安心してよ。最強の葵様は、今でもここにいるぞ」
目に涙をためて、葵は袖なしの左腕を天高く掲げた。
隊列は昨年開通した長いトンネルに向かった。
ここで咲楽は自分のバイクの響く音を楽しんだり、アクセルを開け閉めして愛馬のご機嫌を確かめたりしていた。
長いトンネルを抜けた先、目の前が開けると幾つもの光が視界に飛び込んでくる。
道路の向こうを見下ろせば街の灯りが、見上げれば無数の星がまたたいている。
ある日咲楽が嬉しそうに
「宝石箱を見つけた!」と弥生に教えてくれた。それがこの場所だった。
今夜は満天の星空だ。
見てるかい、咲楽。あんたの大事な宝石箱
だよ。
弥生は星空を見上げ、そこに咲楽が笑って頷いてる姿を思い浮かべた。
今走っている道路は、咲楽がよくバイクを停めて夕焼けを眺めていた小道だ。
以前たまたま通りがかった理沙はここで咲楽のバイクを見つけ、自分も横に停めた。
どこに行ったのかと探していると、少し上がった所で彼女は夕焼けを見ていた。
夕日に照らされたどこか憂いげな横顔を見て、声を掛けるのをためらった。
普段あまり目にすることのない、その静かな美しさに思わず「綺麗…」と呟いた。その声に咲楽が気付き、振り返ってニッコリした。
「ねっ!ここから見る夕焼け、綺麗でしょ!」そう言って、一緒に見ようと誘ってくれた。
一つしかない肉まんを半分こしたら、咲楽は遠慮せずに受け取った。理沙はそれが嬉しかった。
黒羽に入ってまだ間もない頃だ。早く仲間が欲しかった。
「♪カーラースーなぜ鳴くのぉ。カラスはや~ま〜にぃ〜」
咲楽が突然歌い出し、理沙は思わず吹き出した。
「私ね、カラスは『カァカァ』じゃなくて、『おっかぁ、おっかぁ』て鳴いてる様に聞こえるんだ。会いたくて淋しいのか、"大好きだよ”って鳴いてるのか」
理沙はそんな事を考えた事も無かったが、言われてみるとそんな風にも聞こえてくる。
「夕焼けとカラスって、すっごく似合うよね。ちょっと切ないけど、私はどっちも好き!」
二人で日が沈むまで眺めていたのが昨日の事の様に思い起こされる。
理沙は涙を手で拭った。
危ない。これ以上泣いたら前が見えなくな
る。
……今のあたしは淋しいよ、咲楽。
それから、大好きだよ…。
理沙も今は、カラスの様になきたかった。
行く先々で、咲楽のあどけない笑顔と思い出がみんなの胸に浮かんでいた。
先導する翔子の単車が とある交差点を曲がった時、メンバーの中には"ここも走るのかよ”と思う者もいた。
そこは咲楽組の巡回ルート。咲楽が事故死した場所がある道だ。
だが翔子に迷いは無かった。咲楽の命が、想いが最後まで息づいた場所だ。ここを外す事は出来ないと、最初から決めていた。
理沙は走りながら、あの日ここを巡回していたら跳ねられたのは自分だったかも知れないと、亡き友の無念に想いを馳せていた。
葵も同じ事を考えていた。自分か、自分の組の誰かか。きっと、それも耐えられなかっただろう。
数百メートル先の傍らに、おびただしい数の花が手向(たむ)けられている。それを目にした翔子は胸がぎゅっと締め付けられる想いになった。
その場所に差し掛かった時、誰かがエンジンを
「ウオオオオーッ」と空吹かしさせた。
それに呼応する様に隊列のあちこちから「ウオオオオッ」「クオオオオンッ」「ウオオオオオーンッ」「オオオオオオオーッ」とアクセルを全開にさせる音が聞こえる。
行き場のない悲しみ、怒り、無念。
まるで獣たちの遠吠えのようにそれらは続々と鳴り響いた。
その音にかき消される様に、翔子は咲楽の名前を何度も叫びながら、大声で泣いた。
環状バイパスに入った。二車線道路の左側を黒の集団が列を成す。その様は喪に服した葬列を思わせた。
(翔子姉、今度バイパスで競走しようよ)
(新旧のマシン対決かい?いいねぇやろっか)
(もし負けても、単車が古いせいにしないでよ)
(あはは!する訳ないじゃん。だって負けないもん)
(おぉっと翔子選手、早くも勝利宣言です!これは見逃せない戦いになりそうだあ!…あ、みんなも呼ぶ?あぁでも負けたとこ見られたくないなぁ)
(あんたもう気持ちで負けてんじゃん)
(あははっ!ほんとだよねーっ)
早く叶えてあげれば良かった。
果たせなかった「約束」。
でも正直、どっちが勝つかマジで分かんなかったよ。あんた身軽で、度胸も座ってたからね。
ふと視線を落とすと、追い越し車線を走るライトがバックミラーに映った。
バイクか。一般車だろう。
うちらはゆっくり走ってるから、遠慮なく抜いて行きな。
翔子率いる黒羽の列は法定速度をやや下回る巡航に入った。だが追い越し車線のバイクはなかなかスピードを上げて来ない。黒の集団が珍しいのか、その異様さに圧倒されているのか。
翔子はアクセルをさらに緩めた。
バイクは黒羽の列を1台1台少しずつ抜いていく。
一人ひとりにしっかりと視線を送るバイクに、仲間達は「誰?」という反応をする。
数台後ろ辺りまで追いついた時、翔子はそれが誰なのか分かった。
孔雀だ。
孔雀、いや沙織は翔子の横に並んだ。
トレードマークのカラフルランプは今夜は灯いていない。沙織はヘルメットのシールドを上げると翔子に向かってゆっくりと頷いた。
――そうか。一緒に走ってくれるのか。
翔子も沙織にゆっくり頷いて応えた。
伝説の孔雀が、直線をゆっくりと走り抜ける。
この静かな並走は、バイパスの終点まで続いた。
3
廃校グラウンドに、黒羽の隊列は戻って来た。
遺影に手を合わせるでもなく、焼香をあげる訳でもなく、自分たちにしか出来ない弔いの仕方、"追悼走行”を終えて。
孔雀はグラウンドには入らず、一人 校舎の裏へと走り去り、消えて行った。
ありがとう、沙織。
大切な仲間を共に悼(いた)んでくれた彼女に、翔子は心の中で深く感謝した。
いつもの集会では各々が好きな様にバイクを停めるが、今夜は示し合わせたかの様にメンバー全員が整然とバイクを並べた。
最後の1台も向きを揃えてエンジンを止める。
静か過ぎる夜だった。
満天の星が切ないほど美しく空を彩っていた。
翔子は黙って隊旗を見上げている。誰も、一言も発する事なく彼女の背中を見つめていた。
この旗を作って名前を入れる時、咲楽は 、自分は隅っこでいいと言った。
出会ったのは彼女が一番最初だが、副隊長を決める時も 自分は器じゃないからと辞退した。
元気で明るく、誰よりも目立つ彼女だったが、常に他人を敬う奥ゆかしさがあった。
手先も器用な方ではないのに、みんなの名前を旗に刺繍(ししゅう)する役も買って出た。
数日後、見事に出来上がった旗を絆創膏だらけの手で「えへへっ」と持って来た。
あの時の笑顔も忘れられない。
いくつもの記憶の中に咲楽の笑顔があった。
数え切れない程の思い出と、黒羽の歩みの中に。
翔子はみんなへ向き直り、仲間たち一人一人の顔をゆっくり見つめたあと、深呼吸してから声を発した。
「みんな。今日は長い走り、お疲れさま。今日ここに、黒羽の全員が集まったね」
そっと胸ポケットの上からピアスの膨らみに手を添える。
「みんなと出会って、たくさん走って、一緒に戦ったり泣いたり、そしてたくさん笑った。黒羽というチームは強さだけじゃなくて、他のどこにもない、ひとりひとりが家族みたいに強い絆で結ばれて、最高で最強のチーム。本当に心から誇りに思う」
全員が静かに、力強く頷いた。
翔子は改めてみんなを見渡し、ふうっと息をついて、そして思い切って告げた。
「これは、私のわがままで、急で本当に申し訳ないんだけど…。黒羽は、今日を持って解散しようと思う」
はっきりと断言するのは避けた。
本当に急な話だし、メンバーの中には続けたい子たちもいるかも知れない。もしそうであれば、彼女らに全てを委ね、自分は一人でチームを去るつもりだった。
咲楽という大切な仲間の命を落とさせてしまった。それは自分の責任だという苦悶のまま仲間の前に立ち続ける事に耐えられない。あくまでも自分の想いからの意向だ。
翔子の言葉を聞いて誰もが項垂(うなだ)れ、目を閉じて頷いたりしていたが、誰も異存を持つ者は居なかった。
翔子は仲間たちに「一旦、座ろっか」と声を掛けて自分も腰を下ろした。弥生は翔子の後ろに立ったままだったが腕組みだけを解いた。
翔子が話を続ける。
「旗を見ながら、思ったんだ。ここに、咲楽の名前が記されている。この旗を見る度にあの子の事を思い出すだろうけど、正直、私は辛い。だからってこの旗から彼女の名前を失くす事なんて絶対に出来ない。これはあの子が…、咲楽がここに生きた…、証なんだ」
思わず声が震えた。仲間たちは黙って、あるいはまた涙して翔子の言葉に頷いた。
翔子もまた、堪えていたものが込み上げて頬をつたった。彼女が仲間たちの前で初めて見せる、脆く優しい弱さだった。総長としてではなく、一人の人間としての。
「きっとみんな」
しゃくり上げながら、なつきが懸命に声を出した。
「私なんかが、い、言う事じゃないけど…ヒクッ。きっとみんな、同じ気持ちだと、思います」
ううっと泣き出した彼女を周りのみんなが寄り添って肩を抱き締めた。
仲間たち全員で、互いに悲しみを分かち合った。
解散する事では無く、今ここに彼女が居ないという現実を。受け入れ難い悲しみを。
咲楽の居ない黒羽は、もう黒羽ではない。
誰の心にも同じ想いがあった。
咲楽という存在は黒羽にとってもみんなにとっても、それ程までに大きく、かけがえのないものだった。
翼を折られ、足をもがれ、もはや翔ぶ事も立つことも出来ない、悲しい鳥の哀れな末路。
「それじゃあ旗を。…降ろそうか」
涙を堪えながら弥生が葵と理沙に声を掛けた。
黒旗が静かに外され、翔子たち四人がまるで最後の役目の様に、丁寧に旗をたたんだ。
折りたたまれた隊旗は、副総長から総長へ手渡される。
「総長。長いお勤め、ご苦労さまでした」
「うん…」
翔子は階段を下りてみんなの前に立った。
「みんな。今日まで一緒について来てくれて、本当にありがとう。私の大事な、かけがえのない仲間たちに、本当に感謝しかない。ありがとう」
翔子は深々と頭を下げた。
「翔子さん!」
仲間たちが翔子に駆け寄った。
「ありがとう!翔子さん!」
「私も、感謝しかありません」
「こちらこそです姉さん!こちらこそ、本当
に…」
「総長、今日まで本当にありがとうございまし
た」
みんなが感謝の気持ちを次々と言葉にして、翔子に抱きついた。
小脇に旗を大事に抱えながら、翔子も一人一人に応えて抱き締め、頭を撫でたりした。
「…グスッ。翔子姉さんサイコー」
「うん…」
理沙と葵も涙ぐみながら呟いた。
仲間たちに触れ合う最後の翔子を見守る三人も、彼女と同じ思いだった。
世の中には色んなチームがある。卒業暴走と称して街中を派手に駆け廻る総長もいる。
決して小さくないこの街の、最強と呼ばれたチームの総長は、華々しさなどかけらもなく、こうして静かに幕を閉じる。
そこがまた翔子らしい。そしてそんな彼女が誇らしい。
最後まで仲間を愛した総長、翔子を見つめながら、弥生は心からそう思った。
全てのメンバーが別れを惜しみながら帰った後、翔子はたった一人、グラウンドの裏手へとまわった。
校庭の敷地から道路へと降りられる階段で、スマホを触りながらやはり彼女は居た。
今日はタバコを吸っておらず、代わりに棒付きの飴をくわえている。
翔子は黙ってその隣に座った。
スマホを離し、遠くを見つめるようにして沙織が呟く。
「いいの?これで」
「うん」
翔子は静かに、そして淀みなく答えた。
「そっか」
しばらく沈黙した後、沙織が口を開いた。
「淋しくなるね、この街も。カラスも孔雀も居なくなったら…」
その言葉を聞いて見つめる翔子に、沙織は力なく微笑んだ。
「あたしも辞めるよ。バイパスで馬鹿な事をするのは」
また遠くを見て、沙織が想いを打ち明けた。
「あの子が、思い出させてくれた。とっても大事なこと。私も忘れない様にしようって、そう思った。
――命はひとつしかない――
限りあるその時間(とき)を、私も精一杯生きなきゃって」
翔子は黙って頷く。そして沙織と一緒にしばらく遠くを眺めていた。
「さて」
沙織が立ち上がってバイクの方へ向かう。
ふと、何かを思い立った様に足を止め、翔子を振り返った。
「ね 、"風立ちぬ”って知ってる?」
おもむろに訊かれて少し虚を突かれた翔子は、
「ううん。初めて聞いた」
と答えた。映画のタイトルか何かだろうかと考えた。
「"風立ちぬ いざ生きぬやも”。
これはね、"さぁ、生きていこう”って意味なの。
この世に生まれながらにして、いつか死ぬ事を運命づけられた人間の、それでも生きていく儚さと哀しみを詠んだ詩なんだって」
「へえ」
知らなかった。沙織は博識だな、と感心した。
「じゃあ、私もこれで」
愛車のエンジンをかけて沙織も去って行った。
なぜか不意にしゃくり上げそうになる。
今夜は優しく聴こえるトライアンフの排気音を、少し淋しい気持ちで翔子は目を閉じて聞いていた。
4
「お前ここんとこ帰り遅いな。忙しいのか」
二人分の朝食を手際よく作りながら、兄が声を掛けた。
「んー、まぁね。室長と一緒に色々と練ってるところだから」
新聞から目を離さずに啓太は答えた。
「まあ秘匿(ひとく)性の高い仕事だから、あんまり話せないのは分かってるよ。ほれ、食え」
目玉焼きとソーセージの乗った皿をテーブルに置き、兄の龍也は一応声を掛けた。
黙ってると自分が2人分食べてしまった後で文句を言われそうだったからだ。
何がそんなに気になるのか、弟は広げた新聞の横から箸だけ伸ばしてソーセージを掴もうとしている。
無礼な奴っちゃ。
皿を少しずつ遠ざけてやろうかと思ったが、自分ももう仕事に行く時間だ。さっさと食べ終えて流し台に向かう。
今日は啓太が洗い物の当番だから、このま
までヨシっ、と。
荷物をしょって、もうひと言だけ声を掛けておく。
「夢中で読んでるけど、それ昨日の新聞だぞ」
「なっ!? 早く言えよ!どおりでおかしいと思ったわ!」
無駄にしてしまった時間を取り戻そうと啓太は急いで食べ始めた。
兄は笑って、「あんま無理すんなよ」と言って先に玄関を出ていった。
スマートフォンが鳴っている。
アラームかと思って時計を見た。
午後4時。こんな時間にアラームはセットしてない。 電話か。
スマホは離れたテーブルの上でしつこく鳴っている。あそこまで行くのさえも億劫(おっくう)だ。
枕元に置いとけば良かったと翔子は思った。
やれやれといった感じで仕方なく電話に出る。
「もしもし」
わざとでは無いのだが、面倒臭い感がつい出てしまう。
「ごめん、寝てた?」電話の主は弥生だった。
「うん、まぁ」
このところ変な時間に寝起きするのが常態化してしまっている。何をするにも無気力で、本当は電話にさえも出たくなかった。
弥生は「久しぶり」とか「元気?」とかいうありきたりな挨拶なしに、いきなり用件を言う。
「あのさ、あの日の夜、隣町で車の盗難があったらしいよ」
“あの日”とは無論、咲楽が事故死した日だ。
「へぇ」翔子は特に関心を示さず返事をする。
「何か、匂わないかい?寄りにもよって同じ日の夜にさ。しかもその車、まだ見つかってないらしいよ」
「ふーん」
弥生の情報収集網は健在だった。だが翔子の反応に、弥生は明らかに機嫌を損ねた。
「ふーん、て…。 ねぇ気にならない?ちょっとその辺り嗅ぎ廻ってさぁ、怪しいやつ片っ端からあたっていこうよ」
弥生としては何としても警察より先に見つけ出して、それ相応の罰を自分たちの手で与えたかった。しかし翔子は少し考えて「放っときゃいいよ」と言った。
「あんたがそこまで掴んでるって事は、警察でもそのくらいは捜査してるって。あとはその人達に任せてさ、早く捕まる事を祈っとこうよ」
弥生は翔子の腑(ふ)抜けた態度にイライラし始めた。
「翔子。あんたふざけてんの?咲楽をあんな目に遭わされてさぁ、何とか懲らしめてやろうとか思わないの?黒羽のアタマだろ。しっかりしなよ!」
抑えきれず、つい口調が荒くなったが弥生は構わなかった。
「っるさいなぁ。寝起きの頭にガンガン響くんだよ、あんたの声は。それに、あたしはもう黒羽のアタマでも何でもないし。用件それだけ?じゃあ切るね」
翔子は一方的に電話を切った。
“ブツッ”という音が受話器から聞こえ、弥生はスマホを睨みつけて畳に投げた。
歯ぎしりしながら、怒りを通り越してもはや呆れる。
何だよ翔子。何でだよ。…あんな事があっ
たのに。一体どうしちまったんだ。
あんたの心意気はそんなもんか?黒羽が無
くなりゃ、あんたもそれまでか?
前のあんたなら、真っ先に飛び出して血眼
(ちまなこ)になって街中を探し回っただろう
によ。
畳の上に転がったスマホを、忌々(いまいま)しさと憐れみの混ざった目で見つめる。
「終わっちまったな…。翔子」
悔しそうに寂しそうに弥生は呟いた。
ベッドの上でしばらく座ったまま、翔子はぼんやりしていた。
かなりの時間そうしてたらしく、外はもう暗くなり始めている。
翔子は どっこいしょと腰を上げ部屋の片付けを始めた。もともと家具の少ない部屋はさほど時間をかけずに掃除まで済んだ。
シャワーを浴び、汗を流す。普段よりじっくりと時間をかけ、体の隅々まで綺麗にして身を清めた。
タオルで拭き上げた後、肌身の上にサラシを巻いて、黒羽の特攻服を身に纏(まと)う。その上から、白い布でたすき掛けを結った。
その様は、命を賭して討ち入りに赴く武士が如き出で立ちであった。
鏡に向かって真っ赤な紅を引く。
最後に、黒羽の紋の入ったコートを羽織る。
「バサッ」という音が、大きな鴉(カラス)の羽音の様に部屋に響いた。
玄関を出るとき、鍵はかけなかった。もうここに戻って来るつもりは無い。施錠は必要無かった。
胸のポケットに手を当て、ピアスの感触を確かめる。
アパートの階段を下り、停めてあるCB400のキーを廻した。ずっと放置してたが、バッテリーは大丈夫そうだ。燃料も充分に足りている。
彼女はそれを確かめると、単車を静かに押しながらアパートの敷地を出た。
道路で愛馬に跨りエンジンをかけようとした時、横から眩しい光で照らされた。
ヘッドライトを灯したのは、特攻服でゼファーに跨り、腕組みしている弥生だった。
「こんな時間にお出掛けかい。随分とおめかししてるじゃないか」
真紅の唇をニヤッとさせて、弥生が言った。
「こんな時間、ってほど遅くないけどね」
翔子もニヤッとして、「あんたも一緒にランデブーする?」と訊いた。
「あぁいいねぇ。でもランデブーじゃなくて、ツーリングになりそうだよ」
弥生があごで示した道路の向こうから、2台のバイクが近づいて来る。
鳴り響く排気音を聴き紛う事はない。それは葵のゼファー、そして理沙のスーパーフォアだ。
特攻服姿の四人は、道路の上で互いに向かい合った。
「なんだかゾクゾクするねぇっ」
魔女の様な笑いを浮かべて理沙が言った。
「待っていたよ。こんな日を」
鉄パイプを装備した葵が、赤い唇でニヤっ
とする。
弥生が翔子に声を掛けた。
「では総長。役者も揃った事だし、出陣のお言葉を」
翔子は戦友たちの顔を見渡し、「フッ」と目を閉じて微笑む。
そして獣の様な目をギラッと見開いて叫んだ。
「黒羽 特別攻撃隊!これより、うつけ者に天誅を下す!!」
四人の愛馬は、一斉に咆哮をあげた。
5
今日は気分がいい。
田所正志は缶ビール片手に部屋でテレビを観ていた。
今日面接を受けた会社で、担当の人間に
「自分にはこれと言って取り柄がありません。目の前の仕事に、ただ正直に黙々と、真面目に取り組むだけです」と素直に打ち明けた。
何社も落ち続け、正直なところ、半ばヤケになっていた。
だがこの言葉に、担当の人間は「素晴らしい事です」と言った。
彼は色褪せた紙を取り出した。そこには綺麗な直筆で
"人に真面目に。自分に正直に”
と書かれていて、表に返すとそれは名刺だった。
役職は、「代表取締役社長」と印刷されている。
「私は仕事へ取り組む姿勢を大事にしています。そしてそれは我が社の理念でもあります」
中規模企業だったが、働く場としては充分だ、と田所は思った。
その帰り、社長は自ら見送りに出て
「待っていた人材に出会えました。一応書面で結果を送らせて頂きますが、よろしく頼みますよ」
と最後は握手まで求められた。
田所は帰りのバスで笑いが止まらなかった。
(こりゃ入社早々、他を追い抜いて一気に役職までいきそうだな。いや、あの老いぼれに代わって、取締役を任されるかも知れんぞ)
恩も敬いも無い身勝手な妄想を膨らませながら、田所はアパートに着いても一人でニヤニヤしていた。
「よーし、今夜は祝杯だ。好きなだけ飲め!」
母親から送られたビールを冷蔵庫から取り出して鼻歌を歌いながらフタを開けようとした時、不快な音を聞いた気がした。窓に近寄って外の様子を窺う。
間違いない。バイクの音だ。そんなに多くないが何台か走っている。
田所にとってそれは目の前をウロつくハエのように鬱陶しかった。
「ちっ。せっかくの気分を台無しにしやがる」
田所は窓とカーテンを乱暴に閉めて座椅子に戻った。
(待てよ。ハエを追い払ってから、気分良く飲み直せばいいじゃないか!)
そう思い立った彼はビールを冷蔵庫に戻しアパートを出た。
外へ出ると、音が一段と聞こえる様だった。
ややふらつく足取りで付近を徘徊する。
袋小路になっている奥まった場所に、白い車が停めてある。今度は軽自動車より少し大きめだ。
「懲りないジジィめ。近所の皆様がご迷惑するだろうが!」
車に近寄って見るとまたキーが差したままになっている。辺りを見廻すと人影は無い。
すぐ側の家にも電気は点いておらず、無人である事が塀越しでも分かった。
田所は車のドアを開け運転席に乗り込み、当たり前の様に走り去って行った。
塀の向こうの家の外壁に、家人に協力を得て取り付けられた警察の監視カメラが、その一部始終を克明に記録していた。
6
アパートから聞こえた方角に車を走らせていると、程なくしてバイク達を見つけた。
数は4台。決して多くはないが、田所が「ゴミ共」と忌み嫌っている格好のバイク連中だ。
「ちょっとビビらせてやるかぁ」
田所はわざとスピードを落として距離を空け、アクセルを踏み込んで一気に間合いを詰める。
バイクのグループは車が迫ると右に左に避けて進路を空けた。
「うへへへ。そうそうお前らはこの俺に道を空ければいいんだよ」
だが先頭を走るバイクだけは道を譲らず、それどころか挑発でもするかの様に蛇行運転を始めた。
「くそが。ゴキブリめ」
田所はバイクにギリギリまで接近してパッシングする。するとバイクはスピードを上げた。
スピードを上げはしたが、一向に前は空けない。
別に田所は急いでいる訳では無い。
だから速度が上がったからといって気が済む訳でもない。
ただバイク共を蹴散らして優越感を得たいのだ。
彼の中で、徐々に鬱憤(うっぷん)が溜まり始める。
車はすでにかなりのスピードが出ていた。
田所の目は血走り、正常な思考が、正しい判断が出来ない状態にあった。
「ううぅっ、どけっ!どけってんだおらぁーっ!」
突然、バイクのブレーキランプが光った。
あっ!と思った瞬間、車はバイクに追突し、追突されたバイクは火花を散らしながら乗っていた人間もろとも道路を滑走して行った。
田所は慌てて車をUターンしようとした。
「ドンッ」という衝撃があり何かがぶつかった。
バックミラーを見ると先ほど追い越したはずのバイクが後ろにくっついている。
何だ何だと思っていると今度はもう一台が車の前に回り込み、ドンッ!と前側にぶつかる。
挟まれる様な格好になった車から田所が出ようとした時、3台目のバイクが運転席のドアに体当たりしてきた。
三台のバイクは田所の車を囲うように挟み、全員が一斉にアクセルをひねった。
グオオオオオオーッ!という爆音と、タイヤが空回りするギャギャギャギャギャーッというスキール音で田所は頭が変になりそうだった。
更に、排気ガスとタイヤの擦れる煙がもうもうと立ち昇り、周囲は灰色のモヤで全く見えなくなった。
何が何だか分からないまま田所の心拍はドラムのように早鐘を打っていた。
やがて、バイク達は全開にしていたアクセルを揃って閉じた。
取り戻された静けさの中、立ち込めるモヤが徐々に薄れていく。その霞の向こうに、先程ぶつけたバイクが静かに横たわっている。
田所が目を凝らすと、倒れていた人間がむっくりと起き上がった。
ゆっくりと立ち上がり、一歩、また一歩と車の方へ近づいて来る。
長い髪は激しく乱れ、着ていたコートはズタズタになり、片足を引きずるようにして近づく女。
数メートル先まで来ると、そのおぞましさに田所はぎょっとした。
額から流れる血が顔全体を真っ赤に染め、その中でバケモノの様な目だけがギラッとこちらを見ている。
手に何か棒の様な物を持ち、まるで死人(しびと)が魂を奪うため地獄から這い上がって来た様な、この世のものとは思えない様相だった。
田所は必死にドアを開けようとするが、地獄の門番が塞いでいてそれを許さない。
やがて、血まみれの悪魔は田所の車のすぐ側まで来た。
異様とも言えるギョロリとした目で田所を睨み、ソレがドアの横に立つと門番が場所を空けた。
田所が慌ててドアノブを掴むより早く、
「ガシャーン!」と窓ガラスを叩き割った腕が彼の胸ぐらを掴む。田所の上半身は車の外へ引きずり出された。
血まみれの悪魔は、くっつきそうなぐらいその顔を近くまで寄せる。
「ひぃっ!あ、わっ、わあぁ!」
田所はシートベルトをしてなかった事を初めて後悔した。
「お・ま・え・か」
地の底から唸る様な声で化け物が訊く。
「おまえが、 さくらを、 やったのか」
田所は何の事か分からない。
が、今日と同じ様にバイクを跳ね飛ばした事があったのを思い出した。
このバケモノはその事を言ってるのだ。
「答えろ。おまえが、さくらを、ころしたんだな」
田所はガタガタと震えだした。
殺される。殺される!いやだ、死にたくな
い。
「言えっ!お前がやったのか!」
「あ…ぁあぁ、はい!ぼくです。ぼ、ぼくがあの日、バイクにぶつけました」
鋭い眼光で悪魔が睨む。
「ああぁ…ご、ごめんなさい。その…し、死んじゃうなんて…。殺そうなんて思ってなくて、すみません。ごめんなさいこのとおりです!」
田所は泣きながら白状した。残念ながらその涙は懺悔(ざんげ)のものではなく、自分に迫る恐怖からくるものだった。
化け物女は田所の胸ぐらを掴んだまま、もう片方の手で光る棒を掲げた。よく見るとそれは50cm程の刃渡りを持つ日本刀だった。
「どうしてやろうかねぇ。馬鹿な事が二度と出来ないように、両腕をバッサリ削ぎ落としてやろうか」
女はギラギラした目で日本刀を近付ける。
「ひっ!!」
「それとも、二度と馬鹿な事が考えつかないように、この頭を首ごとすっ飛ばしてやろうか」
光る刃(やいば)が田所の首筋に当てがわれる。
ズキッと痛みがしてその部分から血が滲んだ。
「た、助けてください。か…勘弁してくださいっお、お願いします!」
女は首に当てた刃に力を込める。
「こわいか。えぇ? 怖いのか?」
「…こ、こわい、怖いです。怖いです!だからどうかゆ、許してください!」
翔子は一度目を閉じ、そしてカッ!と見開いた。
「誰だって死ぬのは怖ぇんだよっ!!」
「ヒッ!!」
田所は恐怖のあまり失禁した。死の危機に直面した動物の、本能的反射行動だった。
翔子は田所を乱暴に運転席へ放ち、見下した眼差しで吐き捨てた。
「てめぇみてぇなクソ、刃を汚(けが)すまでもねぇ」
弥生のバイクの後ろに乗り、「行くぞ」と翔子が声を掛ける。それを合図に、門番とその仲間達はエンジンをかけた。
田所は冷たく濡れたシートに力なくへたれ込んで、
「た、たすかった…」と息を吐いた。
「おいっ!!」
血まみれ女が振り返って叫ぶ。
「てめぇはとっとと遠くへ消えろ。二度とうちらの前に姿を見せんな!もしまた現れたら」
女は真っ直ぐに刃先を向けた。
「今度こそ、骨も残らねえぐらいズタズタに切り刻んでやる」
田所はゾクッと背筋が凍った。
本気だ。
今度会ったら、本当にそうなる。
田所の体は勝手にガクガクと震えた。
女たちのバイクが唸りを上げて立ち去ったあと、けたたましいサイレンを響かせながら数台のパトカーが臨場した。
助かった。お巡りさんに話して、すぐにアイ
ツらを追いかけてもらおう。
パトカーは田所の車を取り囲み、複数の警官達が降りてきて彼の周囲に集まった。
訳が分からない様子の彼に、覆面パトカーから降りてきた刑事が声を掛ける。
「田所だな」
なぜ自分の名前を知ってるのか不思議に思いながら「はい…」と答えると、刑事が一枚の紙を突き付けた。
「田所正志。車両窃盗の容疑で逮捕する」
「……え?えっ…、なっ、えぇ?!なんで僕がそんな、何を根拠に」
うろたえる田所には何も言わず、平八は助手席のボックスを開けて車検証を取り出すと、それを田所へ広げて見せる。
その所有者欄には「警察本部 警務部 車両課」と記載されていた。
「悪いな。この車、警察(うち)のモンなんだ。
おい、ワッパかけろ」
田所は愕然とした。だが必死で言い訳を考える。
「あ、あの、悪い奴らに追いかけられて、それでその、仕方なく置いてあった車で逃げました。…すみません」
この期に及んでまだ往生際の悪い男に、平八は
「はぁ…」とため息をついてルームミラーをクルッと回して見せた。
フロントガラスの、ちょうどミラーの陰になる所に消しゴム大のプラスチックが貼り付けてある。
「GPSって言うんだっけ?最近のはすごいな。こいつなんか位置情報だけじゃなくて、走行した軌跡、スピード、それから時間まで全部この薄っぺらいのに記録されるらしい」
平八はマイクロSDカードの部分を指さして言った。
「あっの、族は?僕はあのバイク集団に殺されかけたんだ!あのバイクの持ち主も捕まえて下さいよ!」
男が示した先に転がっている黒いバイク。それを調べている別の刑事に「おーい。そっちはどうだ」と平八は声を掛けた。
「駄目ですねぇ。車台番号が削り取られてて、特定は難しいと思います」
須栗はややわざとらしく答えた。
「そうかぁ、そりゃあ残念だぁ。卑劣な事する奴も居るもんだ」平八の目は田所に厳しく向けられていた。
「さ、行こうか。お前には聞きたい事が山ほどある」
田所は失意の表情で手錠をかけられ、パトカーへ連行された。
平八は被疑者確保の連絡を無線で萩野に入れ、さてボロボロになったこの借り物の車を、車両課にどう説明して返そうかと頭を悩ませていた。
被疑者確保の連絡を受け、萩野は警察本部長に電話をかけた。
「そうか。ご苦労だった」
あとは、あの鬼の平八と呼ばれる有能な刑
事が、全ての真実を明らかにしてくれるだろ
う。
受話器をおいた 本部長専用電話の傍らに、キックボクシング姿の少女の写真が立ててある。
在りし日の姪の姿を、彼は目を細めて見つめた。
あの日、暴れるタツさんを抑えながら彼女たちを追い返してしまった事を、たとえ真相を知らなかったとはいえ彼は心の底から後悔していた。
彼女たちこそ、来てくれる事を咲楽が最も望んだ人達ではなかったか。
弔いもさせず、最後の別れも許さず。
咲楽はきっとこの叔父を恨んでるに違いない。
天国へと旅立った愛しい姪に彼は心から申し訳なく思い、また遺影に手を合わせて目を閉じた。
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