漆黒の群れ
1
某所、廃校跡地。
時刻は午後10時をまわった。
数台のバイクが、今やあちこち雑草の生えたグラウンドに集まっている。
持ち主たちは各々、自慢の愛車を披露したりバイクに跨ってスマホをいじったりと自由にすごしていた。
川口 なつきは一番仲の良いメンバー、のどか と一緒に、好きなタレントや気になる人の恋の話に夢中だった。
なつきは3ヶ月ほど前にこのグループに入ったばかりで、まだメンバー全員の顔や名前までは覚えられていなかった。
メンバーは全員、背中や袖に刺繍の施されたツナギを着ている。
真っ黒なツナギに真っ黒なバイク。掲げられた旗には「黒羽」という文字と、くちばしの真っ赤なカラスの紋様が施されている。
"くろば ” あるいは ”カラス ” とも呼ばれ、メンバーの全員が女性だ。
なつきの様にあどけない少女もいるが、中には年齢が分からないほど落ち着いた人もいる。
その中でも特に異彩を放っているのが、校舎へ伸びる階段付近にいる三人の女達だ。三人とも真っ赤な口紅を引いている。
このグループで " 黒羽五人衆 ” と呼ばれるトップの五人だけがその紅を引くことを許されていた。
真っ赤な口紅は隊旗に描かれているカラスの口ばしが深紅である事に由来し、
「その口ばしが赤いのは、血肉をついばみ染まったから…」
そんな所以が誰ともなく語り継がれていた。
「なつき、ちょっと」
五人衆のひとり、副総長の 観音寺 弥生が手招きしている。
急に名前を呼ばれてビクッとなったなつきは、緊張した面持ちで三人のもとへ向かった。
観音寺はなつきがイメージする「女性」の規格を大きく越えている。背が高く体つきもがっちりしていて、常に腕組みして立っているその姿から「観音仁王」の異名をとっていた。
その傍らで、階段の一番上に座っているのがこの黒羽の総長、相良 翔子だ。
他の誰よりも別格の雰囲気があり、顔つきは整っているが目には異質の光が宿っている。
その彼女の赤い唇が少し緩んでいるのを見てなつきはいささかホッとした。
総長と副総長に背筋を伸ばして挨拶をする。
「押忍。失礼します」
やや畏(かしこ)まったなつきに総長が穏やかに口をひらいた。
「あんた、こないだの集まり来なかったじゃん。どうしたの?」
「あ、すみません…。実は…」
なつきは辿々しく理由を述べた。
「実は…。お、親にバイクの鍵を取り上げられちゃって…」
「あらぁ〜取り上げられちゃったのか。でも、それならそれで連絡くらい寄越してくれないとさ」
「はい…、すみません」
総長の言う事はもっともだった。
”こないだの集り“とは、ひと月に一度行われる定例集会、いわばミーティングで、強制ではないが原則的に全員参加が通例だった。その集まりに連絡もせず欠席するのはチームのルールじゃなくてもNGだろう。
なつきは、当然シメられる事を覚悟した。ここに五人衆のひとり、武闘派の大野 理沙が居なかった事がせめてもの救いだった。
「もうちょっとこっちおいで」
「…押忍」
なつきはおそるおそる階段を上がる。側まで来た彼女の両肩に総長が手を置いた。
「あんたは入ってまだ間がないけど、ルールは覚えてるよね?何かの理由で乗れない人間は誰かの「ケツ」を借りる、要は二人乗りするって事。もう一つ。集まりの参加は基本的に自由だけど、大きな集まりに出れない時は必ず誰かに一報を入れる。連絡とれる様な仲間は、もう居るんだろ?」
そう尋ねられて、なつきはのどかの顔が思い浮かんだ。
「押忍…。すみません」本当に申し訳ないと思い、なつきは心から謝った。
総長が、なつきの頬に両手を当てがう。
来た。平手打ちか、グーで殴られるんだろうか。
なつきは固唾を飲んで身構えた。が、翔子は困った様な顔でため息をつき、優しい口調で告げた。
「心配するじゃん。来るはずの人間が連絡も無しに来なかったら。途中で何かあったんじゃないか、誰かに攫(さら)われたんじゃないか、とか。あんたは入ったばっかだけど、それでもあたし達の大事な仲間なんだからさ」
「あぁ…」
なつきは意外な展開への安堵と、新入りの、下っ端の自分を仲間として想って貰える事への嬉しさから思わず涙が出た。
「お、押忍…、気をつけます。すみませんでした…」
しゃくりあげる彼女をよしよしと撫でながら、翔子はそばのブロック(かつて花壇だったであろう囲い)に腰かけている少女に、
「咲楽、今日この子にケツ貸してやって」と声を掛ける。咲楽はスマホをポケットにしまって「よいしょ」とブロックを飛び降り、
「OK、いいよ。かわいい私のおしりで良ければ!」と快活に応えた。
なつきの胸がドキッとときめく。
三国 咲楽は五人衆の中でも、いやグループ全体の中でもダントツの可愛さだ。彼女はメンバーで唯一人、黒のショートパンツスタイルで、隊紋の描かれたジャケットを羽織っている。
ショートパンツは自慢の美脚をアピールする狙いがあると言われているが、実は得意の蹴りを繰り出す際にツナギより振りやすく効果が得られるため、というのが本当の理由だった。
なつきはヘルメットを借りて咲楽の後部座席に座っる。先に乗っていた咲楽が声を掛けた。
「咲楽ちゃんの腰にしっかり掴まっててね。走りは見た目ほど大人しくないぞ!」
なつきは言われた通り腰にぎゅっと手を廻した。
(こんな華奢な腰で、この400を操れるなんて)
咲楽は愛車のXJR400を、まるで自転車にでも乗る様にスイスイ乗りこなしてる。なつきも同じXJRだったが、自分の場合乗ってると言うより乗っけるられてるという感じだと自覚していた。
それだけに咲楽への憧れはより大きなものとなっていた。
「じゃあ行くよ!」
咲楽がエンジンをかけると、愛車のXJRは返事をするように「ウォンッ!」と雄叫びを上げる。
咲楽はギアを1速に入れて優しく走り出した。
後ろに自分が乗ってなければいつもの様に元気にアクセルを開けたに違いない、となつきは思った。
咲楽に続いて数台が走り始める。まるで群れを成して飛び立つカラスの様に。
たぶん咲楽さんは、いつもよりゆっくり走っ
てくれてる。それに従って続く、仲間たちの
バイク。
(あんたはあたし達の大事な仲間なんだから)
翔子さんの言葉が耳に残っている。その大事
な仲間たちと、自分はあとどれぐらい一緒に
居られるんだろう。
なつきの決断すべき時は迫っていた。
咲楽の腰に廻した腕に思わず力がこもる。咲楽がそれに応える様にポンポンとしてくれた。
あぁこの優しさとぬくもりに触れられるのも、もうあと僅かなんだ。
なつきは潤んだまぶたを咲楽の背中にぎゅっと押し付けた。
2
荻野 平八(オギノ ヘイハチ) が所轄に異動してから2週間が過ぎていた。
本庁から人が移ってくるのは珍しい事ではなかったが、年配の、しかも間もなく定年を迎える男が来るのは初めてだった。
どこからともなく「左遷」や「島流し」といったような揶揄する噂が飛び交った。
平八は年齢の割に鋭い眼光とイカツい風貌を持ち合わせていたが、周囲への物腰は意外なほど穏やかで親しみを持つ者も次第に増えていった。
唯一人、署長の萩野(ハギノ) だけは “鬼の平八”と呼ばれていた頃の有能さと恐ろしさを知っていたので、彼が鬼のツノを出すことが無いよう毎日願っていた。
平八は机の上に雑に置かれた書類を何となく眺めている。それはこの街に存在する女だけのバイク集団、「黒羽」についての関係資料だった。
構成人数およそ三十名。全員未成年(但し一部においては不確定)。トップ五名については人物等の特定済み。摘発を要とする案件は、
①集団による暴走行為。
②未成年者の深夜に及ぶ徘徊。
③恐喝及び暴行。
④別グループに対する暴力行為。 等。
と書いてある。
馬鹿げているなと平八は思った。これだけ要件が揃っていながら、なぜ未だ解決に至らないのか。本庁で数々の実績と経験を培ってきた平八にとっては全く理解出来なかった。
全員補導なり逮捕なりしてさっさと解体させれば良いものを。何か、そう出来ない、させたくない理由でもあるのかと妙に勘ぐりたい気持ちにさえさせる。
面白く無い事はもうひとつあった。
それは「孔雀」と呼ばれる存在がおり、資料の隅に手書きで書かれた様に
“そのバイクは雨の夜にしか現れない。環状バイパスで目撃された情報によれば、その姿はまさに孔雀のようである” と追記されている。
バカバカしい。誰が書き足したか知らんが、
警察の仕事は都市伝説を暴く事じゃないんだ
ぞ。この署の連中、いやこの街の住民は本気
でこんな事を警察で扱えと言ってるのか。
平八は呆れて思わずあくびが出た。
ふと、本庁の上司から異動を命ぜられた時の苦い記憶がよみがえる。
余計な真似をしなければ自分は今も向こうに居て、定年を前線で無事に迎えられたはずだった。だが己の信念を捨てて知らぬ顔で見過ごしてしまえば、おそらく生涯に渡って悔やむ事になっただろう。それもまた事実だった。
―――本庁の内部で不正が行われている。
それに気づいたのは昨年の今頃だった。
当初にわかには信じられなかったが、調べを進めるに連れ、その悪質さと巧妙さ、さらにはかなり上層部も関わっている事が判り自分一人の力ではどうする事も出来ないと悟った。かと言って相談相手を間違えれば真実は永遠に闇に葬られる。悩んだあげく平八は新人時代から面倒を見てもらっていて信頼のおけるたった一人の人物、すでに警視にまでなっている男に全てを打ち明けた。
彼は親身になって話しを聞き、平八の報告書にも関心を持って隅々まで目を通した。
「これはいかん。すぐに何とかしなければ。荻野君、ご苦労だった」そう言って警視は、この件を全て自分が預かり対応することを引き受けてくれた。
警視の言葉の真意を平八は後で知ることになるのだが、この時は今まで重くのしかかっていたものからようやく開放され、やはり信頼出来る人物に相談して良かったと心から安堵した。
翌週、年下である直属の上司から異動の下命が出た。平八の故郷でもある街の警察署に新しく「暴走族対策室」を立ち上げたからその指揮にあたれ、というものだった。
“栄転” という言葉が上司の口から出たが、厄介払いの左遷である事は明白だった。
――やられた。
平八は腹わたの煮えくり返る思いだった。
結局のところ信頼出来る人間など、この腐っ
た組織には一人も居なかったという事だ。
悔しく歯ぎしりする平八にその上司は、
「君ももうすぐ定年だ。故郷の街で残りの警察人生をゆっくり過ごしたまえ」と追い打ちをかけた。
その嫌味なネットリした薄笑い顔を、平八はこぶしで殴って部屋を出た。
クビにならなかったのが不思議なぐらいだった。―――
名ばかり「対策室」のドアを、若い職員がノックする。
「荻野室長、萩野署長がお呼びです」
ややこしそうに首をかしげながら呼びかけた職員に「ありがとう、すぐ行く」と返事をした。
とは言うものの、一体何用だろうと眉間にしわを寄せながら仏頂面で署長室へと向かう。
一応ドアをノックして、「失礼します」と返事を待たずに中に入ると、署長と一緒に若い刑事が待っていた。
狡猾そうな男だ、と平八は瞬時に思った。
「あぁ平…じゃない、荻野警部。こちら本庁から本日異動になった 浅間 真二 巡査部長だ。本庁刑事課から、対策室の応援要員として配属になった。君の相棒だ」
「浅間です。よろしくお願いいたします」
若い刑事は大袈裟なほど丁寧に頭を下げた。薄笑いを浮かべたのが、老いぼれを見下した様に平八には見えた。
「彼は本庁でもかなり優秀だと聞いている。きっと力になってくれるだろう。仲良くやってくれたまえ」
署長は懇願するような目を平八に向ける。
” 仲良く “ という単語にやや力が入っているようにも感じた。
「承知しました署長。じゃあ君、さっそくパトロールに出掛けるか。街の様子を知っておくのも重要だ」
部屋を出て行こうとする二人に、「荻野君、ちょっと」と署長が平八を呼び止めた。
「私、先に車を廻して来ます」
署長に頭を下げて若い刑事は署長室を出て行った。
二人きりになると、萩野が情けない顔で泣きついてくる。
「平ちゃ~んたのむよぉ。彼は本部長の甥っ子で、くれぐれもよろしく頼むって念押しされてるんだよぉ」
旧知の仲の平八にしか見せない表情だ。
「要するにだ。大事な坊ちゃんをなるべくリスクの少ない看板の付いた所で実績を作らせて、ちょっと階級を上げてから本庁に戻したい、そんなところだろ」
平八は鼻をフンッと鳴らした。
「そりゃあ俺にも分かってるけどさあ。俺の立場も、分かってくれよぉ」
本庁に同期で入った頃は年も階級も変わらなかったが、今や萩野は随分と出世した。人柄と、程良い力の抜け加減の賜物ではあるが、彼の苦しい立場も平八にはよく理解出来た。
「やってはみるけどさ、続かないと思うぜ。ああいうのは打たれ弱い上に自分からリスクは負わないタイプだ。そのくせプライドだけは妙に高い」
長年いろんな人間を嫌というほど見てきた平八は一目で見抜いていた。
「分かるよ、うん、分かってる。でも今回は本当に頼むから。“鬼の平八”のツノは、もう出す事は無いと思うよ」
萩野が懐かしい呼び名を口にする。平八の全盛期、警察内外を問わず誰もが知っていて恐れた仇名(あだな)だった。
「分かった。鬼のツノは引っ込めておくさ」
ホッとした萩野に、ひとこと付け加えておく。
「でも金棒だけはいつでも振り回せる様にしてあるからな」
「平ちゃ~ん…っっ」
すがるような声を背中に聞きながら、平八はイタズラっぽい笑みを浮かべて部屋を出た。
3
そろそろ告げなければいけない。
なつきは焦っていた。時間が経つほどタイミングを失ってしまいそうだった。それに…。
彼女は病院の白い建物を振り返って呟いた。
「…早くお母さんを安心させてあげたい」
母がキッチンで倒れたのは、なつきが黒羽の定期集会に出かける支度を始めようとしている時だった。
救急車を呼び、父と一緒に病院へ向かう間、なつきは泣きながらずっと祈っていた。
(お母さんを助けて下さい。他には何もいらないから、お母さんを助けて下さい)
青ざめた表情の母を見つめながらその手をしっかり握りしめ、何度も何度も繰り返していた。
病院で処置を受けると、母の容態は落ち着いた。
医師によると母はストレスと睡眠不足からくる疲労で心臓に負担が掛かっていたらしい。しばらく入院して投薬治療を必要とするが命に別状はないとの事だった。
帰りのタクシーで父が話してくれた。
「母さん、このところなつきの事が心配でちょっと寝不足だったみたいなんだ」
それは責める様な口調ではなかった。
なつきがバイクで出掛ける日は、帰るまでずっと寝室で起きてたらしい。それでも行くなと言わなかったのは、内向的だった娘がやっと周りと交流を持てるようになった事、そして時々楽しそうに仲間たちの話しをしてくれる事が本当に嬉しかったからだ。
「あの子が信じて選ぶ道は、決して悪い所へは繋がっていない」
母は口癖の様にそう言っていたという。
事実、黒羽の仲間たちは違法な薬をやったり誰かの金品を奪ったりなどということは決してしない。それでも、夜中に集まる事は「非行」と言われればそうなのだが。
ともかく母は娘を信じ、否定的な口出しをする事はなかった。だが夜な夜な出掛けて行くのはやはり心配で、バイクの音が無事に帰って来るとようやく安心して眠りに就いたようだった。
なつきは母の密やかな愛と、それを共に受け容れようとする父の深い心を知り、声を出して泣いた。
その夜はとてもじゃないが集まりに向かうどころではなかった。
あの日、総長に尋ねられ“親に鍵を取られた”と嘘をついてしまった事もなつきの胸を苦しめていた。
総長にも仲間にもそして両親にも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
次だ。次の集まりで翔子さんたちに全部話そう。
なつきは次の集まりが最後だと決心した。
4
相良 翔子は大の男嫌いだ。
だがそれには彼女の辛い過去が起因している。
幼い頃、翔子は父が大好きだった。
時々乗せてくれるCB400というバイクも、父が被せてくれる大きなヘルメットも、そして大きな背中にしがみつく温もりも。
それはいつも、翔子が何より安らぎを感じられる大切なひと時だった。
だが小学生の時、突然父が他界した。
癌だった。
家の中は灯が消えたように静かになり、明るく朗らかだった翔子は部屋に籠る事が多くなった。
母は女手ひとつで家計を支え昼も夜も仕事に行った。お陰で貧しさを感じる事も無かったが、母も淋しかったのだろう。夜の店で知り合った男を家に連れ帰る様になった。
頼れる人が欲しかったのかも知れない。
だが翔子が中学二年の時、当時よく来ていた男が宿題中の翔子の部屋に入ってきた。母は買い物に出掛けたと言う。居心地の悪さを感じていた彼女に男は必要以上に接近してきた。そして机に向かっていた翔子の肩や背中を撫で始めたのだ。
びっくりした翔子は「何ですか!?」と大声で抗った。元々この男のこずるそうな雰囲気が嫌いだった。
男は一度手を離し、「スタイルいいね、翔子ちゃん」と呟いた。
翔子は寒気がした。
再び触れてこようとする男に「やめてください!」と大声で叫んだ時、玄関から母が帰って来た音が聞こえた。
「ちっ。何だよ」
男はふて腐れた様に部屋の出口へ向かった。だがドアを閉じる瞬間、「今度、ゆっくりな」と不気味な笑みを残して行った。
翌日、翔子は母親にこの事を打ち明けて訴えた。だが母は「ちょっと大袈裟じゃない?」と言い放った挙げ句、「スキンシップよ。新しく娘になるあなたに少しでも関わりを持とうとしてるんじゃないの?」と結論づけた。
翔子は思った。
この女はもう駄目だ。あの男にのぼせて完全
に盲目になっている。自分の愛する男が、こ
れから二人の家族になろうとしている人間が
そんな事をするはずがないと本気で思ってい
るのだ。
その日の夜、翔子は家を出た。
数日の間は友達の家を転々としていたがそれも長くは続けられない。危険を承知で公園に寝泊まりする事もあった。そんな日々を過ごしながら街をうろついていたある日、アパートで一人暮らしをしているという一人の少女に出会った。夜の街がよく似合う彼女は翔子の境遇に理解と同情を示し、行くアテが無いなら家事をやってくれる事を条件に自分の所に住めばいいと言ってくれた。
寝泊まりする所が喫緊の問題だった翔子にとってそれは願ってもない助け船だった。
だが、ここでも事件は起こる。
翔子が留守番をしていると、家主が不在とは知らずに訪れた彼氏に翔子は言い寄られた。
しつこく強引な態度と恩人への裏切りに怒った翔子は、「彼女に言いつける」と相手を平手打ちした。
彼は逆上し、翔子に殴る蹴るの暴力をふるった。
本能なのか備わっていた素質なのか、翔子は必死で自分を守り決定的なダメージから免れていた。
そして相手が疲れて一瞬の隙を見せた際に反撃に出る。ケンカなどした事のなかった彼女は手加減も知らずにただ夢中でやられた様にやり返し、気がついたら相手は完全にのびていた。
荷物をまとめ慌ててアパートを出る翔子に、冷たい雨が追い討ちをかける。だがそれでも構わなかった。
これから先、雨が降ろうが風が吹こうが一人
で生きていこう。もう誰も信じない。頼りに
もしない。自分ひとり信じられればそれでい
い。
その頃から、昼はがむしゃらに働き夜はバイクで街に出る、という生活になっていった。学校へも行かず、家からのコンタクトも完全に絶った。
野郎たちには容赦も手加減もしない翔子だったが女の子には優しかった。家出した少女を危険から守るため泊めてやり、本人とよく話し合った。多くの場合、彼女達は安らぐ場所を求めていた。
仲介役になって家に帰してやったり、時には家族と話して彼女達の未来を絶望から救う事にもなった。
そんな翔子の存在は少しずつ知られる様になり、彼女を慕う少女達も増えていった。
その頃出逢った 咲楽、弥生、葵、理沙 が、後に黒羽と呼ばれるグループの五人衆として翔子と歩みを共にする事になるのだった。
5
平八は署内にある自分のデスクで考えを巡らせていた。時刻は夜9時をまわっている。業務報告書を書き終えた「相棒」の若い刑事がいそいそと帰り支度を始める。ふと、パソコンの画面をにらんで考え込んでいる年配の上司に、珍しく自分から声を掛けてきた。
「あれ?何か悩んでるんスか?」
平八をしかめっ面にさせる喋り方で、さほど興味なさそうに若い刑事が尋ねる。説明するのも面倒だったが、平八は大人の対応をした。
「この街の、若者の犯罪データだ。数年前から今日分まで、少年課が取り扱った全ての案件が記録されてる」
「へぇ~ぇ」
やはり手応えのない反応が返ってきたが、「あれ?」と若僧が声を上げた。
「2年ぐらい前から少しずつ下がってますね」
サルでもグラフは読めるらしい。
平八は少し話してやろうと思った。
「そうだ。増加傾向にあった若年層の犯罪件数が初犯も含めて、横ばいから緩やかな減少を見せている」
「若者が減っちゃったんスね」
言われるほど田舎じゃない故郷を馬鹿にされた気がして平八は少しムッとした。
「若者の数は関係ない。帯グラフにもある様に人口は総じて増加傾向にある」
「そっか。じゃあお巡りさん達が頑張ったんだ」
そろそろ帰りたくなってきた若い刑事は話を切り上げようと適当な結論を出した。
「それも違うな。勿論彼らの日々の努力はあるが、ここまで顕著にある時期から下がり続けるというのは、普通は考えにくい」
「ふ~ん。じゃあ何があったんでしょね」
若い刑事がカバンを持ち替えてさぁ帰ろうとした時、「くろば だ」
と平八がつぶやいた。
「はい?」
出口へ向かいかけた浅間が振り返った。平八は腕組みをして画面を見つめたまま話しを続ける。
「くろば。漢字にすると“黒羽”と書く。カラスとも呼ばれ、この街でおそれられる女暴走族のチームだ。このグループが結成されたのがおよそ2年前。グラフの時期と重なる」
平八は迷っていた判断を自分に言い聞かせる様に声に出した。そうすると改めて間違いないと思える。
おそらく誤った判断ではない。
「え〜そんなんありえないっスよ。ただの偶然ですって。お疲れ様っス」
出口へ歩き出した浅間の背中に、平八は少し力を込めて声を掛けた。
「なぁ、お前たちはよく“ ありえない ” とか、”くそ吹いた “ とか口にするがな。ありえない事も時に有り得るんだよ、事件や事故の背後には。刑事として職務に就く人間が、軽々しく流行り言葉で物事を片付けるな」
黙り込む浅間に平八は付け加える。
「それにな、くそを吹く人間なんて俺ぁ見たことねぇ。それこそ “ ありえない “ 話だ」
平八なりの冗談のつもりだったが、若い刑事は振り向きもせず「はい、覚えときます。お疲れっした」と去って行った。
一人になってからも平八はまだ迷いがあった。
” ありえない事 “ 。そんな事が本当に有り得るのか。
このグループが何者なのかもっと詳しく知る必要がある、と思った。
そして、「孔雀」という存在についても。
6
なつきにとって、今日は特別な夜だった。
みんなと居られるのもこれが最後。しっかり目に焼き付けておこうと熱い眼差しで仲間たちを見つめている。だが最後に総長達へ脱退の報告をするという重責が控えているため、のんびり構えてはいられなかった。
のどかには伝えるべきだろうかと喉まで言葉が出ていたが、結局タイミングを見計らって迷っている内に時間だけが過ぎてしまった。
のどかは怒るだろうな。それとも急な別れを
悲しむだろうか。せめて咲楽さんには感謝の
言葉を伝えたかったけど、今日の集まりには
来ていないみたいだ。その代わり、「武闘派」
として知られる大野 理沙さんが参加してい
る。…シメられるだろうな。
なつきは身の縮む思いだったが、今日を逃せばいつまでズルズルしてしまいそうだった。
もう、決意は固めていた。
「今日はこれで解散」の声が掛かり、各々が散っていく。のどかはいつもの様に「またね!」と手を振った。なつきは精一杯の笑顔で、
「バイバイ」
と手を振り返した。
いつもの「うん、またね!」じゃなかったせいか、のどかは少しだけ「?」という顔をしたが、乗せてもらう先輩が待っていた事もありそのまま帰って行った。
さようなら。ありがとう。
なつきは心の中でつぶやきながら彼女を見送ると、意を決して階段の上がり場へ向かった。
「…っていう感じだから、これに関しては念のため話だけ通しといて」
総長が葵さんに何かを伝えている。
なつきはタイミングを見計らって声を絞り出した。
「押忍。…総長、皆さん、少しお話しがあります。よろしいでしょうか」
かしこまった話の切り出しに一同が注目する。
「どうした?改まって」
なつきは深呼吸して言葉を吐き出した。
「すみません。勝手で申し訳ありませんが、今日でチームを、辞めさせて頂きたいと思いまして…」
全員黙って翔子の言葉を待った。
「…もう、腹は決めてるんだね?」
「はい」
なつきの目には決意が表れていた。
しばらくの沈黙のあと、翔子がふっと息をついた。
「それなら言い切っちゃっていいよ。” 思いまして “ だったら、まだ隙間があるみたいに聞こえちゃうから」翔子は諭す様に言った。
「あ、押忍…。すみません」なつきはややトーンダウンした。
「ふふっ。謝ることはないさ。少し遠慮もあっただろうし、怖かったんだよね。良かったら話、聞かせてくれる?」
思いがけず柔らかな語り掛けに、なつきは張り詰めていたものが切れたようにポロポロと泣き出してしまった。
(ああ。この人はなんて、他人を思いやってくれるんだろう)
なつきが落ち着くのを待って、全員が彼女の話に耳を傾けた。
なつきの事情を、特に翔子は真剣な表情で聴いていた。
全てを聴き終え、「そっか」とつぶやいたその声は、残念とも同情の様にも聞こえた。
しばらくなつきを見つめていた翔子は、
「脱退するからにはケジメをつけなきゃならない。分かるよね?」と口にした。
やっぱり、となつきは思った。はいそうですかで抜けれるような甘い世界では無いとは思っていた。
分かっていたつもりだが、いざその時になると足がすくむ。
翔子はいつかの様になつきの両肩に手を置いた。
こわくて逃げ出したいのを、なつきは母の事を想いながら懸命にこらえていた。
「まず、うちを抜けたらもう二度と戻っては来れない。うちは入ってくる人間は拒まないけど、そう簡単に出たり入ったりされても困るからね」
巣を離れた鳥は親でも敵になる。そんな話を思い出しながらなつきは頷いた。
「あと、こっちのが大事なんだけど、うちに戻れないからって何処か他のチームに入ったりしない事。もしもソコとウチが揉め事にでもなった時に、昔の仲間を啄(ついば)む様な事はしたくないからね」
カラスの群れが死肉を貪り合う姿を想像して、なつきはごくっと唾を飲み込んだ。穏やかな物言いだが、翔子の目は本気を感じさせた。
「はい。守ります」
もとより、なつきはバイクを手放すつもりでいた。
あれば必ず乗りたくなる。乗りまわせばまた母に心配を掛ける。今の母に心配やストレスは命に関わる事だ。もうそんな真似は出来ない。
「約束します。二度とバイクには乗りません」
決意表明をしたなつきに翔子は表情を和らげた。
「別に二度とバイクに乗るなって言ってるんじゃないんだよ。あんたから好きな事を取り上げようなんて、これっぽっちも思ってない。ただチームを離れるからには、これからは真っ当な道を進んで欲しいって、そう願ってる」
なつきはしっかりと頷いた。
翔子は目を細めて、彼女の両肩をポンポンと叩いた。
「よし!じゃあ あんたの卒業祝いに、あたしの単車乗せてあげるっ。取っ替えっこして少し流そうか。うちらからの最後の思い出に」
「えっ!いいんですか!?」なつきは本当に驚いた。
バイクは自分の相棒であり、命みたいなものだ。そうそう他人に貸したりしない。ましてや総長のCB400など畏れ多くて誰も、跨ったことすらないだろう。
「女に二言はないよ。ちょっとじゃじゃ馬だけど、あんたなら乗れるさ。はい、これ」
翔子のバイクのキーをなつきは両手で受け取った。
辞める人間に脅しや暴力を振るうでもなく、それを暖かく送り出してくれるなんて。
(あんたはあたし達の大事な仲間なんだから)
あの時の言葉を思い出して、なつきの目からまた涙が出てきた。本当に素晴らしい仲間たちと出会えたんだと心から思った。
その仲間の群れを、今日自分は離れていく。
「ほらほらそんなに泣くと風で冷えるぞ」
副総長の弥生が笑顔で声を掛けた。
「準備が出来たらスタートしていいよ。今夜あんたは最初で最後のVIPだ」
なつきを先頭に黒羽のトップたちが隊列を組む。要人警護の車列を思い浮かべて、なつきはこんな扱いはきっと一生に一度だろうと感激しながら初めての単車をスタートさせた。
”単車 “と ”バイク “の違いがなつきには分からなかったが、この乗り物がまさに「単車」と呼ばれるのだろうと思った。人間の思う通りにはいかず、丁寧に扱ってやらないと乗りこなすのは難しい。総長が「じゃじゃ馬」と呼んだのも分かる気がした。
でもこの単車は乗り主に愛されている。何がどうという説明はつかないが、そこはかとなく、なつきにはそう感じられた。
ひととおり廻って廃校に戻っくる時、後方で葵が別れの「コール」を奏でた。美しく、余韻の残る響きだった。
そして全員がエンジンを止めると、夜の静けさが一層淋しく感じられる。
翔子がなつきに「どうだった?」と訊いてきた。
バイクの乗り心地の事を訊かれたのは分かっていたが、なつきは今夜の事も含めて今までの思い出が込み上げてきた。
「最高でした。本当に楽しくて、幸せでした。今まで本当に、本当にありがとうございました!」
顔も声もぐしゃぐしゃになりながら、なつきは心からお礼を伝えた。
翔子がなつきをぎゅっと抱きしめる。
「こちらこそ。今まで一緒にいてくれて、ありがとうね」
そして抱きしめる腕に力を込めて
「お母さん、早く良くなるといいね。大事にするんだよ」とささやいた。
今までで一番、暖かくて優しい声だった。
「うぇぇ…。ありがとうございます。大事にします!本当にありがとうございます!」
なつきにとって、生涯忘れられない卒業式となった。
なつきが帰ったあと、意を決した様に大野理沙が口を開く。
「姉御、ちょっと甘くないですか」
「甘いって?なにが」
翔子の声には迫力が感じられる。だが理沙は負けじと言葉を続けた。
「その、チームを辞めるって、そんな軽いもんじゃないっすよ。もっとしっかりケジメつけさせて、自分の身の程ってもんを知らしめてやんないと」
かつて色んなグループや仲間内で「卒業」を見て経験してきた理沙にとっては、あり得ないという思いだった。だがそんな彼女の言葉に翔子は首をかしげる。
「つまりあんたの言うようにケジメだ掟だって託(かこつ)けてボコボコにしてヤキ入れてさ、それで何が残んの?今まで仲間だ何だってほざいてた人間が最後は痛めつけて酷い目に遭わせてさ?そうすればこんなチーム二度と戻って来るかって楽しかった思い出までトラウマになる様な思いさせて。それに何の意味があんの?」
普段あまり目にすることのない厳しい眼差しと強い口調だった。理沙はかなり怖じ気づいていたがもう後にも退けず、
「あ、あたしはただ…その、伝統あるチームや族はいつだって半端ないカタの嵌(は)め方してきたから、こういう時はちゃんとしたケジメをつけさせ…わっ!」
理沙の体が宙に浮いた。観音仁王、弥生が理沙の襟を掴んで持ち上げたのだ。
「おいってめぇ!さっきから誰に向かって口きいてんだ!?黙って聞いてりゃ、くだんねー事いつまでもウダウダ述べやがって!身の程知らねーのはテメーの方だろーがっ!」
「く、くるし…はなし…て!」
仁王様に持ち上げられた小鬼が如く、理沙は足をバタバタさせた。
「離してやんなよ、やよ」
観音寺の事を唯一人「やよ」と呼ぶ翔子の一声で、観音仁王は厳つい顔のまま理沙を地面に降ろした。
ケホッケホッと咳き込む理沙に翔子はしゃがんで
「まだ何か言い足りない事ある?」と促した。落ち着きを取り戻した口調に、理沙も先程より言葉を選んで本心を語った。
「あたしは…、翔子姉さんに昔みたいな、勢いのある黒羽のアタマで居て欲しいんすよ。あの頃はおっかなくて(今でもおっかないけど)、迫力があって(凄い迫力あったけど)。”梟(ふくろう)“やった時、ウチらめちゃめちゃ強かったじゃないですか」
翔ぶ鳥たちに風はふく @yu-the-eye
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