03 ブックタワーを攻略せよ!
「うーむ、
ブラングィンはおどけて言う。
ここは、さる貴族の屋敷だった『本の屋敷』。
その貴族は、本や美術品を得るために、父祖伝来の財産、家財道具は全て――机やテーブルすらも――売り払ったという。
夜の『本の屋敷』の「大広間(
閉め切って、よどんでいた屋敷の「大広間」の空気が流れているということは、扉が開いているということだ。
「……奴が来たか」
ブラングィンはただの画家ではない。
画業のために、世界各地を旅行した。
舟に乗り、甲板員として働き、イスタンブールや黒海、エジプト、モロッコ、スペインと渡り歩いた。
切った張ったの修羅場も経験した。
拳銃を抜く。
「ふん、こちとら
ふてぶてしい表情は、もう画家ではなく騎士のように見える。
ブックタワーの隙間から垣間見て、幸次郎は思った。
「……さて」
刺客の中折れ帽がのぞいた。
今か。
中折れ帽がブックタワーの
ブラングウィンの背後。
中折れ帽が沈む。
刀を抜こうとした矢先。
幸次郎の目の前のブックタワーから、
「……玄関に飾られていた奴!」
抜刀。
刀を振りかぶるが、そのまま止める。
「おっと、稀覯本だらけ、だったか」
芸術を愛する幸次郎としては、傷つけるのは避けたい。
どうやらそれは刺客も同じようで、ブックタワーを倒して襲ってくる気配はない。
だがすぐ向こうで
そんな気配が伝わって来る。
「サー!」
ブラングィンが叫ぶ。
拳銃をかまえるが、それより素早く刺客が移動。
ブラングィンはいつの間にかみぞおちに一発、蹴りを食らっていた。
ブラングィンの拳銃はあらぬ方へ向いて乱射、天井を傷つけて終わった。
「……やれやれ、天井も細工がいい奴なのに」
ブラングィンが毒づく。
だが気にしている暇はない。
今ので、拳銃には一発しか弾丸がなくなった。
どうするか。
刺客の狙いは、このブラングィンではなく、幸次郎のようだ。
もう本のことは気にするなと言いたいが、そう言われて気にしない男ではないだろう。
では。
「ブラングィン!」
幸次郎が台を蹴った。
揺動するブックタワー。
「そうか!」
ブラングィンが拳銃をかまえる。
刺客が跳ぶ。
銃弾を避けるつもりか。
だが。
「……食らえ!」
ブラングィンは撃った。
台の脚を。
脚が撃砕され、ブックタワーが崩れる。
ブックタワーは攻略され、本の津波が。
刺客の側へ。
「……ヌッ」
刺客が小さく叫び、落ちてくる本の数々を蹴り飛ばす。
その、本と本の隙間を縫って。
瞬間。
幸次郎は深く息を吸い、体を沈みこませる。
そして。
伸びあがるように。
立ち、刀を抜いた。
「……チェスト!」
一度、見たことがある。
郷里・鹿児島の志士、桐野利秋の剣。
落つる水滴を
あれを、やってみよう。
そう思った時は、体が動いていた。
「…………ッ!」
刺客の声なき声が。
一度、二度。
本と本の間を縫って。
そして、もう一度。
「ガッ」
刺客の中折れ帽が飛ぶ。
スリーピースに、真一文字の線が。
線から血が沁み、飛び散る。
「やったのか」
ブラングィンが拳銃に弾を詰めながら聞く。
幸次郎は首を振った。
「殺してはいない」
「……そういう意味じゃない」
ブラングィンは苦笑した。
屋敷の外から警笛が聞こえる。
どうやら、拳銃の発砲音に警察が反応したようだ。
刺客はがっくりとうなだれている。
目は閉じているが、肩が動いている。
どうやら、生きているようだ。
*
ブラングィンは襲われた側なのでおとがめなし、幸次郎は外国人であることを
「……で?」
翌日。
正午。
幸次郎は、ブラングィンと出会ったあのパブで、ブラングィンとステーキ・アンド・キドニー・パイをつついていた。
『本の屋敷』でブックタワーを攻略したその翌朝、幸次郎の宿にブラングィンがやって来て、ひとしきり礼を言ったあと、「祝勝会」だとこのパブに誘ったのだ。
「ああ、
「……いやいや」
そっちじゃないと、幸次郎は首を振った。
「私の目指すもののあるところに案内してくれるんじゃないのか」
「ああ、それか」
パイを食べたら行こう、とこともなげにブラングィンは言った。
「それより、あの刺客だが……君目当てだそうだ、コウジロウ」
「そうか」
「驚かないんだな」
「心当たりはある」
幸次郎には、Uボートの機密を探っている間諜だといううわさがある。
かつての元勲・松方正義の息子で、海軍と結びつきの強い、造船会社の社長であることから、そんなうわさがひとりあるきしていた。
「待てよ」
幸次郎はパイの最後の一片を突き刺した。
ブラングィンは苦笑しながら「何だ」と聞いた。
「であれば、何で君のアトリエで以前から『見ていた』んだ?」
「そこはそれ」
本国からの指令で、絵描きよりも間諜を始末しろと、変更命令が来たらしい。
刺客は戸惑ったが、幸次郎を始末したのちは、またブラングィンを殺せと命令が来ることを予期した。
だから、『本の屋敷』の本を傷つけることを嫌った。
ブラングィンがしばらくして、また屋敷に来ることを期して。
「……要はあちらさんも人手不足で、新たに人を寄越すより、そういう風にしたんだろう」
この戦争の終わりも近いな、とブラングィンは杯を上げた。
どうやら祝杯らしい。
幸次郎もそれに応じて、杯を上げる。
満足したようなブラングィンは立ち上がった。
「では、行くか」
「どこへ?」
「……忘れたのか? 君の目指すもののあるところ、だよ」
不得要領な幸次郎が、ブラングィンにいざなわれるままに、ロンドンの街を歩くと、それが見えて来た。
「……
「そう、博物というか、芸術を見せる場所でもある。これだろう? 君の求めるものは?」
「……そうだ」
のちに松方コレクションと呼ばれる幸次郎の蒐集品が、国立西洋美術館に展示され、人々の芸術とのふれあいの場となったのは――画家フランク・ブラングィンとの出会いから始まるといわれる。
その陰には、このような挿話が、あったのかもしれない。
【了】
ブックタワーを攻略せよ! 四谷軒 @gyro
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