02 『本の屋敷』
「……実はな、サー。あのパブからずっと、
「何?」
ブラングィンがアトリエの窓にさりげなく目を向ける。
幸次郎は酒のお代わりを取りに行く振りをして、そっと窓外を見る。
街灯の向こう、人影が見える。
ソフト帽に、スリーピースのスーツ。
いかにもな風貌な男だった。
「このアトリエでずっと視線を感じていたんだ……ついにドイツ皇帝の刺客がやって来たんじゃないかと思って、な」
ブラングィンは肩をすくめた。
これでは集中して
そのためには、あの刺客(?)を
「そこでわざとパブに行ったら、あのパブの定番、ステーキ・アンド・キドニー・パイを前にしている東洋人がいるじゃあないか」
見た瞬間、ブラングィンはひらめいた。
この東洋人を仲間にして、刺客を撃退する作戦を。
「あの『本の屋敷』は、本だけじゃない、
ブラングィンの作戦はこうだ。
『本の屋敷』に行く。
ブラングィンはわざとひとりになる。
おそらく刺客は襲って来る。
そこを、刀をかまえた東洋人の幸次郎がうしろから脅す。
「帰れ」と。
「どうだい、
「……何だ、気が合ったから誘ってくれたんじゃないのか」
「いやいや! それもあるそれもある! そんな顔すんな、うまくいったら、君の目指すもののあるところに案内しようじゃあないか」
「えっ」
もう幸次郎の求めるものを思いついたのか。
問いただそうとする幸次郎をよそに、「行くぞ」とブラングィンはアトリエのドアを開けた。
*
その屋敷は本に埋もれている。
近所の住人がそう言っていた。
むかしは、爵位を持つ貴族が住んでいたらしいが、いつか死んでしまったらしい。
本に埋もれて。
「……つまりは、せっかくの父祖伝来の財産も、みんな、本に?」
「あとは美術品も幾ばくか……だがまあ、
深夜、松方幸次郎は画家のフランク・ブラングィンと共に、その古びた屋敷の門扉の前に立っていた。
「来たか」
「おい、勢いでついてきてしまったが……ブラングィン画伯、あの刺客を脅すって、具体的にはどうするんだ」
「それか」
ブラングィンは懐中から鍵を取り出し、扉の鍵穴に入れた。
ごとり、と重々しい音が響き、扉が開く。
「これだ」
屋敷内にするりと入ると、ブラングィンは玄関ホールに飾られた
思わず手にする幸次郎。
ずしりと重みが伝わる。
何というか、その重みだけで名刀とわかる。
銘は、何だろうか。
そう思って幸次郎が抜こうとすると、「急げ」とブラングィンが引っ張って来た。
「わざと鍵は開けて来た。奴がすぐ入って来るだろう」
この先に、待ち伏せにうってつけの場所があるという。
少し歩くと、大広間、のような空間に着いた。
「大広間、のような」というのは、テーブルというか机というか、台という台は本が積み上げられている。
その本の塔――ブックタワーがそこかしこに佇立し、視界がさえぎられている。
「な、これなら、その辺のブックタワーの陰にひそんでいればいい」
ブラングィンはいたずらっぽくウインクした。
そして懐中から拳銃を取り出す。
「サー、合図をしたら、君はその陰から、すうっと刀を向けてくれれば良い。奴がそれで止まったら、あとは
仮にも刺客なら、それとばれたら終わりだ。
殺す気はない。
少なくとも、しばらく放っておいてくれればいい。
「……来るぞ」
ぎぎ、という音が聞こえた。
扉が開く音だ。
幸次郎は仕方なく、そこらのブックタワーの陰に隠れようとする。
刀が意外と取り回しが悪く、近くのブックタワーに引っかかって、倒れそうになる。
「気をつけろ、けっこう、
台は安物だがな、とブラングィンは断りを入れた。
どうやら、家財道具は売り払って、本や美術品に
酔狂な貴族だったんだな、と言おうとして、幸次郎はやめた。
空気が動く。
刺客がこの「大広間」に入って来たのだ。
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