ブックタワーを攻略せよ!

四谷軒

01 フランク・ブラングィン

 その屋敷は本に埋もれている。

 近所の住人がそう言っていた。

 むかしは、爵位を持つ貴族が住んでいたらしいが、いつか死んでしまったらしい。

 本に埋もれて。


「……つまりは、せっかくの父祖伝来の財産も、みんな、本に?」


「あとは美術品も幾ばくか……だがまあ、そういうところだろうイグザクトリー


 深夜、松方幸次郎は画家のフランク・ブラングィンと共に、その古びた屋敷の門扉の前に立っていた。



 松方幸次郎。

 薩摩藩の志士にして、明治の元勲である松方正義の息子であり、実業家として知られ、数々の会社の社長を務めたが、主に川崎造船所の経営にかかわり、辣腕をふるった。

 そして第一次世界大戦下。

 イギリス。

 幸次郎は首都ロンドンを訪れていた。

 当時幸次郎は、受注中心だった造船業界で、ストックボート方式という、事前に需要を見越した生産をおこなっていた。

 今回の訪英もその発注の関係と言われているし、一説によるとUボートの情報収集のためとも言われている。

 造船会社の社長として、あるいは日本政府の側の人間として多忙を極めていたが、忙中閑あり――ベイカーストリートの221Bに行ってみようと思いついた。

 雰囲気を出すために、鹿撃ち帽にインバネスを着こんで歩いていると、ふと町中に掲示されているポスターに気がついた。


「Put Strength in the Final Blow: Buy War Bonds ……とどめの一撃にあとひと押し――そのために国債を?」


 その煽り文句を添えて、英国兵が敵兵を銃剣ベイオネットで突き刺しているだった。

 かなり過激かつ残忍なポスターで、イギリスとドイツ、どちらからも「これはひどい」と言われ、ドイツ皇帝に至っては、ブラングィンの首に賞金を懸けたといわれる、いわくつきのものである。


「凄いだな」


 幸次郎は素直に感心した。

 戦意を昂揚させるためのどおりに描いたであろうそので、逆に戦争の現実をまざまざと見せつけている。

 それだけ、ブラングィンの筆が優れている証左だ。


「こういうを描く人に、ぜひ会いたい」


 こうして幸次郎は激務の合間を縫って、画家・ブラングウィンを探し尋ねた。

 幸次郎には、夢があった。

 彼の母国・日本はまだ貧しく、芸術に触れあう機会が少ない。

 そういう国の人たちに、少しでも芸術の素晴らしさを伝えたい。

 そのヒントが、このポスターにあるように思えた。



 ブラングウィンがとあるパブに出入りすることを知った幸次郎は、足繁くそのパブに通った。

 そしてある日、その日最後のステーキ・アンド・キドニー・パイをサーブしてもらったところ、非常にうらやましそうな顔をしている男が、隣に座っているのに気づいた。


「すまんね。三日三晩かけてを描きつづけていたもので……腹がいてしょうがないんだ、サー」


「それは気の毒に」


 牛肉と炒めた玉ねぎ、そしてグレイビーソースの香りがたまらない。

 隣に座った男――フランク・ブラングィンはそんな表情をしていた。

 幸次郎はくすりと笑って、パイをブラングィンの方へ押しやった。


「どうぞ」


「いいのか」


「代わりに、そのを観せてもらっていいだろうか」


「……わかってるじゃないか、サー」


 ブラングィンは大喜びでパイにかぶりつき、大いに飲み、最後には大笑いして幸次郎の肩をたたき、アトリエへと招くのだった。

 アトリエで描きかけのを観ているうちに、ブラングィンがワインを持ってきて、そして大いに語らい、幸次郎は会いたかったと本心を告げ、そうかそうかとブラングィンは幸次郎の背を叩いた。

 酒が進むうちに、幸次郎はおのれの夢を語り出す。

 日本の人たちに、少しでも芸術に触れあう機会を作りたい、と。


「そいつぁ豪儀グレートだ」


 ブラングィンは手を打って感心した。

 そしてすぐ「待てよウェイト」と、何か思いついた様子だった。


「そういうのを……何というのかなぁ、あったような気がする」


「……そうか」


 もうこの頃になると、ふたりともべろべろに酔っ払っていた。


「ああ、そうだなぁ、サー。そういえば……あの……この町外れの、『本の屋敷』のからみで……」


「『本の屋敷』? ブナ屋敷じゃなくてか?」


「ははっ、ブナ屋敷ってなんだよ。サー、そりゃエルロック・ショルメか?」


「エルロック・ショルメって……シャーロック・ホームズのフランス読みか?」


「いやいや……これがルブランのルパンものでな……ってまぁいいか、とにかく『本の屋敷』だ。行ってみよう」


「これからか?」


 幸次郎の酔いが一気に醒めた。

 もう深夜だ。

 霧のかかった夜のロンドンは、歩くのもためらわれる。


「これからさ」


 いつの間にか、ブラングィンの酔いも醒めていた。

 そういう目をしている。


「……実はな、サー。あのパブからずっと、尾行つけられている」


「何?」

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