ブックタワーを攻略せよ!
四谷軒
01 フランク・ブラングィン
その屋敷は本に埋もれている。
近所の住人がそう言っていた。
むかしは、爵位を持つ貴族が住んでいたらしいが、いつか死んでしまったらしい。
本に埋もれて。
「……つまりは、せっかくの父祖伝来の財産も、みんな、本に?」
「あとは美術品も幾ばくか……だがまあ、
深夜、松方幸次郎は画家のフランク・ブラングィンと共に、その古びた屋敷の門扉の前に立っていた。
*
松方幸次郎。
薩摩藩の志士にして、明治の元勲である松方正義の息子であり、実業家として知られ、数々の会社の社長を務めたが、主に川崎造船所の経営にかかわり、辣腕をふるった。
そして第一次世界大戦下。
イギリス。
幸次郎は首都ロンドンを訪れていた。
当時幸次郎は、受注中心だった造船業界で、ストックボート方式という、事前に需要を見越した生産をおこなっていた。
今回の訪英もその発注の関係と言われているし、一説によるとUボートの情報収集のためとも言われている。
造船会社の社長として、あるいは日本政府の側の人間として多忙を極めていたが、忙中閑あり――ベイカー
雰囲気を出すために、鹿撃ち帽にインバネスを着こんで歩いていると、ふと町中に掲示されているポスターに気がついた。
「Put Strength in the Final Blow: Buy War Bonds ……とどめの一撃にあとひと押し――そのために国債を?」
その煽り文句を添えて、英国兵が敵兵を
かなり過激かつ残忍なポスターで、イギリスとドイツ、どちらからも「これはひどい」と言われ、ドイツ皇帝に至っては、ブラングィンの首に賞金を懸けたといわれる、いわくつきのものである。
「凄い
幸次郎は素直に感心した。
戦意を昂揚させるための注文どおりに描いたであろうその
それだけ、ブラングィンの筆が優れている証左だ。
「こういう
こうして幸次郎は激務の合間を縫って、画家・ブラングウィンを探し尋ねた。
幸次郎には、夢があった。
彼の母国・日本はまだ貧しく、芸術に触れあう機会が少ない。
そういう国の人たちに、少しでも芸術の素晴らしさを伝えたい。
そのヒントが、このポスターにあるように思えた。
*
ブラングウィンがとあるパブに出入りすることを知った幸次郎は、足繁くそのパブに通った。
そしてある日、その日最後のステーキ・アンド・キドニー・パイをサーブしてもらったところ、非常にうらやましそうな顔をしている男が、隣に座っているのに気づいた。
「すまんね。三日三晩かけて
「それは気の毒に」
牛肉と炒めた玉ねぎ、そしてグレイビーソースの香りがたまらない。
隣に座った男――フランク・ブラングィンはそんな表情をしていた。
幸次郎はくすりと笑って、パイをブラングィンの方へ押しやった。
「どうぞ」
「いいのか」
「代わりに、その
「……わかってるじゃないか、サー」
ブラングィンは大喜びでパイにかぶりつき、大いに飲み、最後には大笑いして幸次郎の肩をたたき、アトリエへと招くのだった。
アトリエで描きかけの
酒が進むうちに、幸次郎はおのれの夢を語り出す。
日本の人たちに、少しでも芸術に触れあう機会を作りたい、と。
「そいつぁ
ブラングィンは手を打って感心した。
そしてすぐ「
「そういうのを……何というのかなぁ、あったような気がする」
「……そうか」
もうこの頃になると、ふたりともべろべろに酔っ払っていた。
「ああ、そうだなぁ、サー。そういえば……あの……この町外れの、『本の屋敷』のからみで……」
「『本の屋敷』? ブナ屋敷じゃなくてか?」
「ははっ、ブナ屋敷ってなんだよ。サー、そりゃエルロック・ショルメか?」
「エルロック・ショルメって……シャーロック・ホームズのフランス読みか?」
「いやいや……これがルブランのルパンものでな……ってまぁいいか、とにかく『本の屋敷』だ。行ってみよう」
「これからか?」
幸次郎の酔いが一気に醒めた。
もう深夜だ。
霧のかかった夜のロンドンは、歩くのもためらわれる。
「これからさ」
いつの間にか、ブラングィンの酔いも醒めていた。
そういう目をしている。
「……実はな、サー。あのパブからずっと、
「何?」
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