エピローグ「光の在りか」
『――あの子を生かすだなんて……ゴースト、貴方は変わったわね』
「そうか?」
足のつかない衛星電話越しに、ハルミはかつての同僚である情報屋“ヴァンダル”と話し込んでいた。ここでヴァンダルの言う“あの子”とは、童女レヴィリスを指している。
レヴィリスはリットを急襲しただけでなく、ディーの指示の下多数の一般市民をその手に掛けていた。そしてヴァンダルが調べた限りでは、暗夜戦争終結後においても暗躍している。ハルミにとって、まさしく復讐すべき対象そのものである。しかしハルミは――
『――“この子を匿ってやってくれ。悪い子じゃない“だなんて、まさか貴方の口から聞くとは思わなかったもの』
「ただ、見えていたんだ。ソイツがディーに操られて、判断力を失った子供だってことが」
ハルミの両眼には、【
『まあ傍に置いて見ると、確かに中々可愛い子ね。今は年相応にしゃいでいるところなのだけれど、ゴーストも声を聴いてみるかしら?』
「いや、いいよ。遠慮しておく。なんだかんだ、今でも複雑な心境だからな……それに、俺はもうゴーストじゃないよ。ハルミだ、そう呼んでくれ」
『……ええ、分かったわ。ではまた、気が向いたら電話を頂戴、ハルミさん』
+++++
「……ハルミ、お話は終わった?」
白い衣をその身に纏ったリットが、そわそわとした素振りを見せてハルミに聞く。
ハルミの袖を引っ張るリットの小さな手に、ハルミは義手で反応を返した。
――一度死に、再び甦ったハルミは、またもや【
ディーとの死闘にて、ハルミは左手と右足を失った。それ以外の傷は現代の医療技術と、ハルミの驚異的な自己治癒力で回復したが、欠損した部位は決して元に戻ることはない。
……ハルミたちはまだ、世界を股にかけた逃避行を続けている。
死闘を繰り広げた数日間――【星の降る夜】と呼ばれる一連の事件で、暗夜戦争末期の
ハルミとしてはあの日ゴーストは死んだのだが、そんなことなど世界は構いはしない。
そして更には、ディーが元居た組織【フラタニティ・サイエンス】から、”記録者と呼ばれる、この世界の根幹に関わるシグナルが脱走した“という情報がリークされた。
ハルミとリットは、一夜にして世界中のお尋ね者となったわけだ。
――そして現在、ハルミ一行は真夜中の砂漠に佇んでいる。
夜の砂漠は酷く冷え込む。リットやハルミの纏う白い外套は、防塵と防寒性を兼ね備えた民族服であり、砂漠を生きる者たちの必需品であった。
時折思い出したように、ハルミやリットは、二つの月が浮かぶ空を見上げる。
都市部と違い、あらゆる光源が存在しない砂漠の星空は、思わず息を飲むほどに荘厳な光景であった。宝石のように瞬く星々が、見渡す限りの夜空に散りばめられている。
ハルミは【
この世界で最も恐れられた【
対してハルミは、【
「ずっと、何を話していたの?」
故にリットの質問に対して、ハルミは業務連絡の必要性を説いたわけである。
「定期的な連絡だよ。いつどこで、俺たちが狙われるか分からないしな」
「お話、長かった……仲、いいね?」
どことなく、リットの言葉に険があるように聞こえる。いつも通りの訥々とした話し方ではあるが、ハルミには分かる。これは不機嫌な時の話し方であった。
「ま、まあ、一応元同僚だから、いいと言えばいいかな?」
「私と話している時よりも、楽しそう……」
「ええ!? もちろん今のほうが楽しいぞ! こうやって話してて、ほら、わかるだろっ?」
「なんだか、わざとらしい……」
リットの表情は相変わらず無表情であり、その言葉にも全く抑揚が付いていない。
対するハルミも、自身の感情をはっきりと伝えることができないでいる。
――つまるところ、リットも、ハルミも、お互いが相手の気持ちに気づいていないのだ。
「いやはや、お二人が成長するのはいつになることやら……」
リットの被るフードの中で、ため息を付くクロハラであった。
「……なんのことだよ」
「別に、ゆっくりでいいですぜ。わしはいつまでも、旦那と嬢ちゃんを見守りますからな」
「だからなんの話だよっ!?」
そんなクロハラが、スンスンと鼻を鳴らす。今や嗅ぎ慣れた匂いの一つが、こちらへと向かってきているのである。
「おっと、やっこさんが帰ってきましたぜ」
「おい、今誤魔化したな?」
「――ただいまっ、リットちゃん」
「……おかえりなさい、スフィア」
ハルミやリットと同じ白の外套を身に纏ったスフィアが、調子よくリットに抱きついた。
「う~ん、ちっさくて柔っこくて、リットちゃんが傍に居ないとアタシ生きていけないわ」
スフィアの背後には、砂漠の中で静かに暮す集落が存在する。スフィアは自身の生まれ故郷であるそこから抜け出し、ハルミたちの元に戻ってきたというのだ。
「あと、ハル……じゃない。アンタも、ただいま。仕方なく戻ってきてあげたわ」
「なあ、今言い換える必要あったか?」
「……チッ」
「反抗期の子供かよ!?」
リットとの対応の違いに驚くハルミ。クロハラはいやに生温かい眼差しを向けていた。
「ていうかスフィア、夢はもう叶ったんだろ? だったら、俺たちみたいなお尋ね者に付いてくる必要は無いんじゃないか。それに異能のないお前には、きっと危険な旅になる」
スフィアは一度死に、契約通り【
「何よアンタ、非力でか弱い美少女一人守れないっていうの?」
「え……? 非力で、か弱く……?」
「ふざけてないで答えなさいよ」
「そっちが茶化したんだろうが! ……まあ、守るけど」
ハルミが気恥ずかしそうにボソリと言う。スフィアも僅かに頬を赤面させた。
「む……なんだか、ちょっと、いい空気」
「まあまあ嬢ちゃん、少しだけなら見逃すのも花ってもんですぜ」
どことなくむくれているリットと、それを宥めるクロハラであった。
「だったらいいじゃない。アタシは暇で暇で仕方ないから、リットちゃんを愛でる傍ら、アンタやネズミに付いていってやってもいいって言ってるの。分かる?」
「……そこまで言われたら、断れないな。追われる身だから、旅の心地は保証しないぞ?」
これで良かったのだ。感情表現の乏しいリットに、どことなく達観したクロハラ、何事も受動的なハルミにとって、スフィアのような賑やかし役がいることは幸いである。
「……あ、そういえばさ、アタシ一回死んだじゃん?」
「だから、死んでない。あれは、ギリギリ、セーフ……!」
「ま、まだ拘ってたのね、それ……」
「スフィアは死んでない……ハルミと違って、死んでない……」
「なるほど、それがトラウになってるんですな……」
「…………、あーそうそう! 死んでないんだけどさ、仮死状態になったわけじゃん? その時、真っ暗な世界にアタシはいたんだけど――そこに見たことない女の子が立ってたんだよね」
「幻覚でも見たんだろ? ……んん?」
反射的に否定しそうになったが、スフィアが語る経験は、ハルミにも覚えがあった。
「そ、そいつはもしかして、赤髪に青い目をした、小くて可愛い女の子か?」
「だいたいそんな感じだったけど……なんでアンタが、そんな小さい子を知ってんの?」
「……もしかして、そういう趣味?」
「ちげーよ! いや、詳しく言えば違わないけど、ともかく違うんだ……!」
「まあいいわ。ともかくね、アタシが死んで生き返った時間ってほんと一瞬なわけだけど、その時にさ、その女の子に一言だけ言われたの――三股まではオッケーだよ、って」
「――――」
彼女の言葉に、ハルミの呼吸が止まった。心なしか、表情も段々と朱に染まってゆく。
「あれ、どういう意味なの? ていうか誰に言ってんの? アンタなんか知ってる?」
「待て待て待ってくれ! あいつどこまで、俺の気持ちを掻き乱せば気が済むんだ……!」
「……まあ、あの魔女のことだ。いつ化けて出てきてもおかしくないだろうよ」
「だからって、わざわざ出てきて言うことがなんでそれっ!?」
クロハラの冷静な分析にハルミは頭を抱える。
「えっ、なにアンタ。してるの三股? ――最低ね」
「してねぇよ!?」
「そうですぜ。旦那はまだ三股なんてしちゃいねぇ――これからするんですぜ」
「だからしないって!? お前まで勝手なこと言うなよ、消すぞっ!?」
「……と、被告人が喚いておりますが? 嬢ちゃんのコメントをどうぞ」
「ティアが化けて出てくるのは、すごくうれしい……けど三股は、許容できない、絶対に」
「だから、リットまで乗らないでくれぇ!」
ハルミが泣き出しそうな声で叫ぶ。そこにはもう亡霊と呼ばれていたころの面影はない。
喧騒が治まりそうもないので、ハルミが泣き言を漏らす。いつもなら喜んで会話に花を咲かせるハルミであるが、この時ばかりは、一刻も早く話が終わって欲しかった。故に、ハルミは「いい加減助けてくれ」と、クロハラへと必死に目配せをする。
クロハラは主の情けない姿にため息を付くと、彼の願いに沿うように話題を変えた。..
「さて、いつまでもここに留まるわけには行かねえですな。旦那、行く宛はありやすかい?」
「……えっと、俺には無いな……リットは、どこに行きたい?」
クロハラとハルミのこの会話は、毎度のお決まりであった。話を振られたリットは、考え込むように顔をあげて、赤い瞳を星空へと投げかけた。
「……」
――たった今、リットが見る光景に、【
あの日、【星の降る夜】にて、リットは死者を蘇らせた。それはハルミやスフィアに限ったことではない。――一連の事件に巻き込まれた、全ての被害者を元通りに蘇生させた。
それはもはや物質の再構築という次元を超えた、因果律の逆行とも呼ぶべき奇跡の所業。
そしてそのような行為を働いたリットを、“この世界”は許さなかった。
力の暴走の果てに、リットは【
けれども、これで良かった、とリットはそう言っていた。
「……決めた。今度は欧州に行く。できれば、スペインかトルコが良い」
「リットちゃん、その心は?」
「かの国のデザートに興味がある。辛いのも、甘いのも、たくさん食べてみたい」
「おお! それもまたオツですなあ、嬢ちゃんよ」
はしゃぐスフィアにクロハラ。無感情に見えて、案外この状況を楽しんでいるであろうリット。そんな二人と一匹を見て、ハルミは今ここに生きている幸福を噛み締めた。
「――さて、行くか!」
「少し、待って」
そう言われてハルミが振り向くと、リットは自身の頬を小さく捏ねている最中であった。
「えっと、多分、こう……」
「何してるんだ――って、リット、それはもしかして……」
「まだ、自然には出来ない。でも、この言葉は、笑顔で言いたいから」
リットの頬が少しばかし引き攣っており、ぎこちなさが多分に見受けられる。それでも、ハルミを見つめるその表情は、リットが初めて見せた、確かな微笑みであった。
「……わたしは、この世界のことをもっと知りたい。色んな国に行って、色んな景色を見て、色んな人と出会いたい。それに何よりも、わたしはハルミのことを、もっと知りたいから……だからハルミ、わたしをどこでもない場所に、他でもないあなたが連れて行って」
満天の星空、静かに広がる砂漠で差し出されたリットの手を、
「いつまでも、どこまでも、ずっと一緒にいよう」
ハルミは迷いなく握り返した。
【了】
星滅のリット 電磁幽体 @dg404
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