断章「夜の帷を下ろす者 / fraternity science」

 都市沖合、“氷の塔”着水現場から少し離れた海上に、大規模な群鳥が存在していた。鳥たちは鳴き声を響かせながら忙しなく羽ばたいているが、餌たる魚群が海面下に居るわけではない。そこには、一艇の小型潜航艇が浮上していた。

「まさか、記録者リットが機能を取り戻すとはね」

 学者風の出で立ちをした男が佇んでいる。ひざ下まで伸びた白衣をゆったりと羽織り、リラックスした姿勢で両手をポケットに仕舞っている。

 かような風貌に違わず、男は博士ディーというコードネームで呼ばれていた。。

「そもそもとして君、調教者レヴィリスがリットを捕獲できなかったことが想定外ではあるが」

 左眼に装着された黒縁の片眼鏡モノクルをコンコンと叩くディーに、甲高い声が返された。

「ぐげっ……」

 年端もいかない幼女、レヴィリスが海上に落下しかねないほど甲鈑から身を乗り出している。足をばたつかせ、口を尖らせて不満げな様子だ。

「レヴィは悪くないもん! お人形さんが空から落ちてくるから、それをお友だちが拾ってくるだけでいいってディー言ってたもん! お人形さんが逆らうなんて聞いてない!」

 レヴィリスの“お友達”という言葉に反応したのか、宙空を旋回する鳥の群れ――銀色のカラスがカア! カア! と歓声をあげた。

「リットはお人形さんなどではないよ。彼女はれっきとした人間だ……まあ、動かない人形と思ってくれて構わない、とは言ったけどもね。本来なら、君の異能【宙の鳥籠プ/レイテル】で何の苦労もなくリットを手中に収めることができたのだが……」

 ディーは顎に手を当てて、何かを思案するかのように眉を潜める。

「……【世界の記憶レコード】にアクセスすることで外部の知識に触れることは出来るが、元来意思や感情を備えていないリットにとって、それらの知識は無機質的な情報の羅列にすぎないのだよ。リットが自発的に行動できるとは考えられない」

 ぶつぶつと神妙な顔で呟くディーに、レヴィリスはおそるおそるといった様子で尋ねる。

「あいつが悪いの?」

 レヴィが指す人物とは、ディー一行よりも早くリットを捕獲し、スフィアと交戦し、あまつさえ迎撃した者のことである。

「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。リットの脳内のことは分からないからね――確実に言えることは、彼はボクたちの明確なる敵ということだ」

「……レヴィ、あんなのみたことないよ。まるで異能をたくさんもってるみたいだった」

「まるで、ではない。彼はそういうシグナルなのだろう……レヴィが知らない、昔の話だ」

 ディーは暗夜へと視線を向ける。過去を思い出すかのように、訥々と語りだした。

「かつてボクたちは連合側に付いて、シグナルを討伐していたのだが……終戦間際の数年間、まことしやかに囁かれた噂があったのだ。曰く、そのシグナルは、かつて討伐されたはずのシグナル達と、全く同じ異能を保有していた、と。要は、シグナルの能力は一人につき一つという原則に反している、というわけだ」

「そこまで分かってるのに、なんで噂なの?」

「簡単なことだよ。彼と相対し、その情報を正しく持ち帰ったものは誰もいない。遠目から僅かに覗き見ていた者が、曖昧な報告をしたからこそ、今なお噂に留まっているというわけだ。さて――危機感を覚えた連合は、そんな彼の者を災厄指定レッド】シグナルと定め、亡霊ゴーストという仮称を与えた」

 不安そうに震えるレヴィリスを、ディーは優しく諭す。

「暗夜戦争末期の亡霊ゴーストが、時を経て三年越しに現れた。ならばすべき事は簡単だ。亡霊狩りを始めよう。それがボクたち──【フラタニティ・サイエンス】の仕事なのだから」

 ディーは微笑む。片眼鏡モノクルの奥に秘められた左眼が――紺碧の輝きを発した。

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