終幕
独白
事件の幕切れは呆気ないものだった。
成田孝臣が死んだ。それも、事故死だった。
――嘘だろう!
“成田孝臣死す”の知らせを受けた阿佐部は思わずそう叫んだ。
成田孝臣は運転手付きの社有車で自宅と会社を往復していた。帰宅途中、運転手がスピードを出し過ぎ、カーブを曲がり切れずにガードレールに激突、車体は大破し、運転手と後部座席に乗っていた成田孝臣が死亡している。即死だった。
阿佐部たちが成田孝臣と会ってから、僅か二日目の出来事だった。
交通事故とあって事件は一課の管轄外だった。竹村は交通部の捜査結果を待つしかなかった。やがて、成田の事故に不審な点が浮かび上がってきた。
そして、牧野が出頭してきた。
「牧野が出頭してきたのですか⁉ 今更、一体、何故? あいつ、前に出頭した時には何もしゃべらなかったくせに」武部に呼ばれた竹村が疑問をぶつけた。
「それをお前さんたちに聞き出してもらいたい。事件について、やつは何か知っている。頼むぞ」
「分かりました!」
竹村と吉田、そして阿佐部は取調室に向かった。
取調室には牧野が背広姿で背筋を伸ばして腰かけ、竹村たちを待っていた。
「牧野さん。またお会いしましたね」そう言いながら、竹村は牧野の対面にどかりと腰を降ろした。吉田が背後に控える。マジックミラー越しに阿佐部が見守った。
「刑事さん。お久しぶりです」牧野がにこやかに答える。相変わらず、眼鏡の奥の眼が爬虫類を思わせる冷たさを感じさせた。
「今日は自らご出頭して来られたとか。一体、何の用事でしょうか?」
「刑事さん。嫌味を言いたくなる気持ちも分かりますが、今日は聞いてもらいたいものがあって参りました。亡くなった会長のご意志です」
「成田会長の? 事故と関係がある話ですか?」
「先日、会長に会いにいらっしゃいましたよね。あの後、会長がおっしゃっていました」
「・・・」
「そろそろ潮時だと」
「潮時ですか?」
「八重洲インテグレイティッド・シティが起動に乗るまではとお止めしていたのは私です」
「八重洲インテグレイティッド・シティ?」
「東京駅前にマンション、デパートは勿論、病院、学校、それに役所の一部機能を集めたビルをつくろうというプロジェクトです」
「へえ~」と感心することしか出来ない。
「希さんの拘留を黙っていたこと、随分、叱られました。会長は決して、逃げ隠れするつもりはありませんでした。まあ、これを聞いて下さい」と言って牧野は胸ポケットから携帯電話を取り出した。「事故のあった日の夜、成田会長から電話がありました。今から言うことを録音しておいてくれとおっしゃられて、こうして録音しておきました。今日はそれを聞いて頂きたいのです。会長の遺言でもあります」
「成田会長の遺言ですか。聞かせてもらいましょうか」
牧野が再生を始めた。
私は成田孝臣です。ナリタ・エンタープライズという会社で会長を勤めています。あまり時間がないようですので、なるべく要領よく話しましょう。
愛媛県の宇和島であった事件は全て私が仕組んだものです。黄鶴楼という屋敷を建て、柴崎亜由美、水谷信二、長谷川真理子の三人を殺害し、その後建物を爆破、残りの住人たちを殺害しようとしました。
井藤希はそこにいただけで、実際に彼らを殺害したのは私です。彼女は無実なのです。
井藤希が頑なに証言を拒んでいるようですが、井藤健太は血を分けた実の息子でした。不倫の代償として親子の名乗りを上げることができないまま、健太はあの世に旅立ってしまいました。
健太が自殺した後、希に頼んで健太の部屋を見せてもらいました。血は争えなかったようで、健太は大学で建築学を専攻しており、将来は一級建築士になることが夢だったのです。そのことを知った時、私は後悔で胸が張り裂けそうでした。冷血漢だと言われている私でさえ涙が止まりませんでした。
健太の部屋に黄鶴楼の写真が飾ってありました。黄鶴楼のデザインが気に入っていたようで、雑誌にあった黄鶴楼の写真を切り抜いて部屋に飾っていたのです。健太の几帳面な性格を表すかのように綺麗に雑誌から切り抜いて台紙に張って、まるで絵葉書のようでした。
「母さん、何時か黄鶴楼を見に中国に連れて行ってあげるよ」健太は希にそう言ったことがあるそうです。それを聞いた時、私は健太のために、健太の墓として、黄鶴楼に模した屋敷を作ろうと思ったのです。
もともとバブル期に、うちのリゾート計画のひとつとして、あの場所が候補地のひとつになったことがありました。その時はバブルの崩壊と共に計画は立ち消えになりましたが、東口という男の休眠会社をダミーにして、その計画を復活させることを思い付いたのです。
健太の墓標の建設が始まると、私の心の中で悪魔が囁き始めました。あいつらを生かしておいて良いのかと。彼らを生贄に捧げてしまえと。
どうしても彼らが許せなかった。彼らさえいなければ、健太は今でも生きていたはずだから。そう、柴崎亜由美、水谷信二、長谷川真理子の三人です。
柴崎亜由美には役者の卵にIT会社の社長を演じて接近させ、結婚詐欺に引っ掛かったふりをして黄鶴楼に誘き出すことに成功しました。夫の柴崎が同行したことは想定外でしたが、彼も亜由美の共犯者であり、無辜の民とは言えません。
死出の旅路に同行したいと言うのであれば断る理由はありませんでした。
水谷信二は高給を餌に黄鶴楼に誘い出しました。彼の居酒屋を破産に追い込み、多額の借金を背負わせたのは私です。上手い投資先があると話をもちかけ、全てを奪っておいてから彼を罠にかけたのです。
長谷川真理子も同じです。人材派遣会社を通して高級を餌に彼女を雇い入れました。
渡辺さん、森友さんと交友関係があり、窃盗事件のことは良く知っていました。長谷川真理子が森友さんの宝石類を奪ったという確証がなかったので人を雇って、長谷川真理子のことを調べさせました。森友家を辞めてから、彼女の夫にはギャンブル癖があり、多額の借金がありましたが、事件後に全て、返済していました。盗んだ宝石を売って金に換えたのでしょう。警察ではありませんから、それで十分でした。彼女が窃盗犯です。渡辺さんは健太の為ならいくらでも用立てるつもりだったと警察に話したと聞きました。健太のことがなくても、三宅さんという若い女性が死んでいる。罰を受けるべきです。
三人を罠にかけたところで、日野の交通事故の話を聞きました。亡くなった和田慎太郎君一家は、うちが開発したマンションの住人でした。丁度、黄鶴楼で働く料理人が欲しかった時でした。慎太郎君両親の無念が、わがことのように思えました。日野のような人間が許せなかった。どうせ生きていても仕方がない人間です。両親に代わって、恨みを晴らしてやろうと思いました。
それでも、両親が望まないことはしたくない。「何でも構わない。何でも良いから、もし、恨みを晴らしたいと思っているのなら、あなたが大切にしているものをひとつください」そう言って、何かをもらうことで、彼らの気持ちを確かめました。
そうそう。預かった絵は健太の部屋にあった黄鶴楼の写真と一緒に、黄鶴楼の基礎として埋めました。墓へのお供え物です。
こうして私の計画はどんどん膨らんで行ったのです。
最後は鈴木雅哉です。
彼はうちの会社の社員でした。会社の面汚しのような男です。計画を実行するとなると、彼をどうしても黄鶴楼に招き寄せたくなりました。幸い、社内に鈴木と親しかった人間が何人かいて、その内の一人が、逃亡中のやつに接触することに成功しました。そして、「絶対に安全な隠れ家がある」と黄鶴楼へおびき寄せることに成功したのです。
無論、香港にいるリサさんの両親のもとにも会いに行き、大事なものを預かって来ました。日本に出発前に食事に行き、そこで撮った家族写真でした。それも黄鶴楼の基礎として埋めました。
こうして、舞台は整いました。
私は東口に成りすまし、クルーズ船のニューウィン号を操船して宇和島へと向かいました。そう、黒髭の船長は私だったのです。ドーランで顔を黒く塗り、付け髭をして変装しました。船が趣味で、船舶免許を持っています。ニューウィン号は私の持ち船のひとつでした。
先ずは長谷川真理子と希を船に乗せ、黄鶴楼に連れて行きました。そして、彼女を殺害しました。彼女を絞め殺したのは私です。
遺体は部屋に置きっぱなしにしてあったのです。希が長谷川真理子に成りすましました。そして、私は宇和島港に戻ると、水谷と日野を連れて、再び黄鶴楼に戻ったのです。
翌日、宇和島港で鈴木に柴崎夫婦をピックアップして、黄鶴楼に連れて行きました。その後、宇和島港に戻った後、陸路で再び黄鶴楼に向かいました。
港からの道は黄鶴楼で行き止まりに見えるよう作ってありましたが、実際は壁の向こうに道が続いています。庭の築山の横の壁の裏側には階段があって、外から簡単に侵入できるようになっていました。
そこから黄鶴楼に忍び込んで、地下につくってあった秘密の部屋に潜みました。勿論、マスターキイを持っていましたので、どの部屋にでも自由に入ることができました。そう、三つ目のマスターキイがあったのです。水谷がひとつ、希がひとつ、そして私がひとつ、マスターキイを持っていました。
柴崎亜由美の殺害は偶然でした。彼女が塔を登って行くのに気がついて、後を追って行き、突き落としました。
そうそう。前掛けのことを話すのを忘れていました。
黄鶴楼を建設している時、一度、現地を下見に行きました。近所をぶらぶらしていると廃村の外れに廃校舎があって、校庭にお地蔵さんがいました。それも何故か五体。
六地蔵と言って、六対の地蔵が並んで立っていることが多いのですが。六体の地蔵の内、一体が失われて五体になったのか、或いはもとから五体の地蔵しかなかったのか分かりませんが、五体の地蔵が仲良く並んで立っていました。
彼らがここの主なのだと思いました。唐突に、あの場所を五主島に偽装するアイデアを思い付きました。五主島にもバブル期に再開発の計画があって訪れたことがあったのです。
幸い、海から来ると、あの場所は島にしか見えない。島だと言って、やつらを連れて来れば、誰も疑わないでしょう。逃げ場のない島に閉じ込めておいて一網打尽にする。そんな悪魔のような計画が頭に浮かびました。
五主島に五体の地蔵、そして五人の生贄。それが最初のアイデアでした。柴崎亜由美の夫は余計でしたけどね。五繋がりで考えている時、彼ら五人が仏教の五戒に反していることに気がつきました。それに気がついた時には、それこそ小躍りしましたよ。神の啓示だと思いました。神が私に彼らを殺せと言っているように思いました。
一人、殺す毎に、地蔵の前掛けを取りに行って首に掛けました。
何でしょう? 理由なんて特にありません。彼らの非を鳴らしたかった。死してなお、辱めたかった。よく分かりません。今、考えると、何かに取り憑かれていたとしか思えません。
さて、水谷の殺害です。あの夜、あいつ、なかなか部屋に戻らなかったので、食堂でうとうとしているところを後ろから近づいて絞め殺しました。
島に殺人鬼がうろついているから部屋から出ない方が良いと残りの住人に思わせる為に、部屋から見える丸池に遺体を放り込んでおきました。
水谷を殺したのは私です。希に水谷の遺体を丸池まで運んで放り込むなんて不可能です。警察もそのくらい分かっているでしょう。
目的の三人を殺してしまうと、正直、後はもうどうでも良かった。希と二人で黄鶴楼を離れ、事前に仕掛けてあった爆薬で黄鶴楼を爆破しました。
墓標代わりに建てた塔でしたが、あんな目立つ塔より瓦礫の山の方が墓標に相応しいような気がしました。だから、残りの住人たちと共に黄鶴楼を葬り去りました。
計算違いだったのは、柴崎が脱出したことでした。彼が生き残るとは思ってもいませんでした。幸い、警察は彼の話を信じなかった。あの場所を孤島だと信じ込ませておいたことが役立ちました。
丁度、長谷川君、ああ、長谷川真理子の夫、長谷川大嗣君です。彼が奥さんを殺した人間を血眼になって探し回っていることを知っていましたから、彼に奥さんを殺した犯人が柴崎だと吹き込んでおきました。
案の定、長谷川君は柴崎を探し出して口を塞いでくれました。
その長谷川君も真実を知ってしまった。彼は今、私の車を運転しています。運転手の溝口君は無事らしいので安心しています。
希が自首をしたと聞かされ、私は自己嫌悪に苛まれました。彼女を犠牲にして、また逃げ出そうとしている。二十年前、私が逃げ出してしまったばかりに、息子の健太と親子の名乗りを上げることが出来なかった。
今度は逃げちゃあ、いけない。ちゃんと分かっていました。身辺整理が終わったら、警察に自首して出るつもりでした。
それがこうして自首することも出来なくなりました。
希に罪を押し付けては死ねない。だから、長谷川君に頼んで、こうして電話を掛けさせてもらっています。長谷川君だって、事実を知りたいはずです。全てを白状することが出来て、これで思い残すことはありません。
健太のもとに行けるのが楽しみだ。あの世で親子の名乗りを上げることにします。
長谷川君が痺れを切らしているようです。これくらいにしておきましょう。最後にもう一度、言わせて下さい。全ては私が計画し、実行したことです。希は関係ない。彼女は巻き込まれただけなのです。
牧野君。悪いが、この録音を警察に持って行ってくれ。この前、うちに来た刑事さんたちなら、悪いようにしないはずだ。牧野君も、今回の件には関係ありません。全て、私が一人でやりました。
牧野君。色々、迷惑をかけたね。会社のこと、後はよろしく頼んだよ。じゃあな。
長い録音が終わった。
取調室は重い空気に包まれていた。それを見守る阿佐部もやるせない思いでいっぱいだった。何だろう。悲しみ、人の業の深さ、犯罪に対する怒り、様々な感情が阿佐部の心を揺さぶっていた。
「その録音、証拠として提出いただけますか」
やっと竹村が口を開いた。
「はい」と答えた牧野がポケットからハンカチを取り出して眼鏡を外し、目元を拭った。凡そ感情に左右させるような人間には見えないが、泣いていたようだ。
「長谷川大嗣というのは長谷川真理子の夫なのですね」
「はい。ろくに働きもせずに、昼間からパチンコ屋に通い、妻の稼ぎで生きているような最低の男でした。ああいう欲塗れの人間を操るのは簡単でした。柴崎をひき殺してくれたところまでは計画通りだったのですが、その後、事件が大々的に報道されると、長谷川真理子以外に犠牲者が大勢いることが分かり、流石に彼も騙されていたことに気がついたようです。まさか自暴自棄になって、会長を道連れに自殺を図るなんて思いもしませんでした。全ては私の判断ミスです」
「ほう~牧野さん。あなた、事件に関与していたことを認めるのですね? 成田会長は一人で罪を背負おうとしたようですけど」
「会長が亡くなった以上、逃げも隠れも致しません。福永昌弘から身分を買い取り、彼に成りすまして計画の実行をサポートしました。黄鶴楼の建設を手配したり、ニューウィン号の一時係留許可申請を行ったり、あいつらを黄鶴楼へ呼び寄せる手配をしました。どいつもこいつも欲塗れの人間ですから、金で簡単に操ることができました。会長は私の名前を出さないように、随分、気を使って話をされていましたが、実際には私のサポート無しに計画を実行することは難しかったでしょう」牧野が胸を張る。
冷徹に見えて忠誠心に溢れた熱い人間であるのかもしれない。
「事件当時、会社にいたという成田会長のアリバイは偽証だった訳ですね?」
「出勤記録は私が偽造しました。朝晩、会長の社員証をカードリーダーに通しておくだけです。大学時代の講義の代返みたいなものですね。ニューウィン号には無線設備があって船内にはテレビ会議システムを持った部屋があります。会長はそこから会議に出てもらいました。皆、会社にいると思っていたようです。うちの社員は偽証した訳ではありませんので、その点、ご了解ください」
竹村は「ふん」と鼻を鳴らすと「何故、そこまで成田会長に尽くしたのです? 仕事でしょう。殺人事件に関与するなんて、そこまでする必要はなかったのではありませんか?」と尋ねると、牧野は「会長には、返したくても返しきれない恩があります」と答えた。
「恩? 一体、何をしてもらったのですか?」
牧野のような人間に義理人情は似合わない。牧野は「はは。刑事さん。それは秘密です。会長が亡くなった今、もう私しか知らないことです。墓場まで持って行きます」と言って楽しそうに笑った。
成田孝臣の交通事故について再捜査が行われた。長谷川大嗣による過失致死の可能性が浮上したことにより、捜査は竹村たちが担当した。
事故当日、お抱え運転手だった溝口は成田が退社するのを待っていた。駐車場で待っているところを暴漢に襲われた。ナイフで脅され、制服と車の鍵を奪われ、近くに停めてあった車のトランクに監禁された。
そして、正体不明の運転手の運転で、成田を乗せた車はナリタ・エンタープライズを後にした。二人を乗せた車は高速道路のガードレールに衝突し、大破、炎上し、運転手と成田孝臣が亡くなった。
遺体のDNA鑑定が行われ、焼死体となった犠牲者は成田孝臣、長谷川大嗣であることが確認された。
「長谷川真理子の夫が車を運転していたのですね」吉田の言葉に「因果応報。成田は息子の仇として長谷川真理子を殺し、妻の仇として長谷川大嗣に殺された。人を呪わば穴二つというやつですね」と阿佐部が応じた。
「穴二つの穴って何ですかね」と吉田が聞くと、「馬鹿なやつだな。墓穴のことだ。人を呪う時は自分が入る墓穴を準備しておけということだ」と横から竹村が口を挟んだ。
「先輩は本当、物知りですね。成田は最後の瞬間に、長谷川の眼を盗んで、牧野に電話をかけて全てを告白した――ということでしょうか」
「どうだろう。長谷川大嗣が電話を掛けさせたのかもしれない。成田の悪事をバラす為に、そして、自らの行いを正当化させる為に。どうです? 阿佐部さん」
竹村に話を振られ、阿佐部は「そうですね」と頷いてから「それに井藤希の為に、でもあったでしょう」と答えると、「ああ」と竹村と吉田が揃って頷いた。
「長々、お世話になりました」
事件は決着を見た。阿佐部は明日、松山に戻ることになっていた。
「ご一緒できて光栄でした」と竹村。
「名残惜しいです。もうすっかり仲間のような気がしていました」と吉田が言うと、「仲間だなんて僭越な野郎だ」と竹村が批難する。
「いえ、仲間だと思って頂ければ、私も嬉しいです」
「今晩は飲みに行きましょう」
「先輩のおごりで」
「いいよ~金なら出すよ」
「そんな。割り勘にしましょう」
阿佐部も名残惜しそうだった。
意外だった。近藤が松山駅まで迎えに来てくれた。しかも、顔を合わすなり「お疲れ」と言ってくれた。飛行機が嫌で列車を乗り継いで帰って来た。体は綿のように疲れていた。正直、出迎えがありがたかった。
「わざわざすいません。来て頂いて助かりました」と正直に伝えた。
「一刻も早く、事件の話を聞きたかっただけだ」
照れ隠しもあるのだろうが、本音かもしれない。「寄こせ」と荷物を持ってくれ、車まで案内してくれた。
助手席に収まり、「近藤さん。事件の黒幕は成田孝臣でした」と話し始めると、「ああ」と軽く返事しただけだった。やはり事件の話が聞きたかったというのは方便のようだ。阿佐部を迎えに来てくれたのだ。
「成田孝臣は単独犯であったことを強調していました。井藤希が犯行を自白していましたが、成田の証言により証拠不十分で釈放になりそうです」
「あの女は本当に事件に巻き込まれただけだったのか?」
「どうでしょう? 自発的に黄鶴楼に向かった訳ですから、事件に関与していたことは間違いないでしょうね。それに、彼女は自由に屋敷内を歩いていても怪しまれなかった。だから、黄鶴楼に戻ってきた柴崎亜由美の後をつけて、展望スペースから突き落としたのは――少なくとも柴崎亜由美の転落死は、彼女の仕業だったのではないかと思っています」
「ああ」とまた近藤が短く返事をする。
疲れているのなら黙っていて良いということだろう。
暫く沈黙が続いた後、ふと、思いついたように近藤が言った。「成田が操縦していたクルーザーの名前は確か、ニューウィン号だったな?」
「ええ。そうです」
「何故、成田がニューウィン号という名前を付けたのか、今、分かった」
「何故ですか?」
「“新しい”のニューに“勝利”のウィン、合わせて新勝だ。成田山新勝寺から取ったのだろう。自分の名前の成田にちなんでニューウィン号という名前を付けたのだ」
「ああ、そうかもしれませんね」
こういうことに近藤は詳しい。
また沈黙が続く。車中、掛け合い漫才を見ているようだった竹村と吉田を思い出した。羨ましくはあったが、ここでは阿佐部と近藤なりの関係を築いて行くしかない。
「昨日、傷害事件があった。俺たちが担当することになった。面白い話を聞いてきた。明日から忙しくなるぞ」近藤が言う。
「はい。楽しみにしています」
今回の事件捜査で、近藤の意外な一面を色々、見せてもらった。少々、やりにくいパートナーではあるが、近藤と仕事をするのが楽しくなって来ていた。
「楽しみか・・・」予想外の返事だったようで、近藤が苦笑した。
「少し寝ます」
「着いたら起こす」
車は松山市内を走って行った。
了
海賊島の墓標 西季幽司 @yuji_nishiki
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