第11話 火の島が吠える(3)
「ローラ、今から私はあなたのこれからの人生に関わる話をするわ」
ローラは背筋を伸ばして切れ長のアイネスの目を見つめる。
べリア島の朝は今日も陽射しが照り付ける快晴だ。ログハウスの窓からは凪いだ海がキラキラと輝いているのが見える。
「アイネス、分かった。ローラの人生の話、聞く」
ローラは真剣なまなざしでアイネスを見つめた。ローラの横に並んだメイシュエも大きな瞳を開いてうなづく。朝凪の海風が開け放した海側の窓からダイニングへと、一迅吹き抜けていく。
「アイネス、でもね、お話終わったら海に泳ぎに行っていい?」
「もちろんよ。二人とも、いい子ね。まずはローラは知っているかもしれないけれど、ストタニアの歴史について少しお話するわ」
「うん、家庭教師の先生から習ったから知ってるよー」
アイネスは二人の顔を順に見つめてから、ゆっくりと厳かに語り始めた。
◇
「十五世紀の初め頃、ストタニアは、アルフォンソ公の先祖、ザクセル・アルフォンソ卿という領主のもとでエストリア帝国から独立して独立国となった。とても優秀で有能でイケメン、ストタニア史上最高の名君として知られてるわね。でも、実は本当に優秀だったのは、ザクセル卿の奥さんのベルナルディータ・アルフォンソ妃だったとされている。
やがて領主夫妻に三つ子の女の子が生まれた。長女のカミラ、次女のエリシア、三女のグラシア。カミラは博学の才媛、エリシアは当時の女性としては珍しいレイピアの名手で優れた武道家、グラシアは当代きっての社交上手だった。やがてザクセル卿が亡くなると、長女のカミラが名目上領主を継いだの。ただ、実態は三人姉妹の共同統治だったと言われている。三つ子の三人姉妹はそれぞれの特技で力を合わせて、強国に挟まれたストタニアを国際的にも国内的にも上手に統治していった」
「知ってるー。ストタニアの三賢女さんだよね。ローラ、家庭教師の先生に習ったよ」
「そう。やがて三人はそれぞれ婿を取ったの。そして、各々のところに子供が生まれた。長女カミラは男の子一人、次女エリシアは女の子と男の子の姉弟、そして三女のグラシアのところには、女の子の三つ子が生まれたのよ。ちなみにグラシアの旦那さんはフローレンシアの公爵で地方領主だったそうよ」
ふむふむと聞いていたメイシュエが目を丸くした。
「へえ。三つ子がまた三つ子を授かったんですか」
「ふふふ、そうね。やがてカミラが亡くなるとグラシアの三つ子の長女ミランダが領主を継いだのよ」
「ええ? その時代だと、普通長女のカミラさんの一人息子さんが継ぐんじゃないんですか?」
メイシュエはさらに不可解な顔をする。そこへローラがドヤ顔で知識を披露した。
「ストタニアではね、昔から女の人が領主になるの。それが伝統なの。ね、アイネス」
「そう。その時代のベルナルディータ妃とその長女カミラ公、二代約六十年間にわたる治世が相当素晴らしかったのでしょうね。三つ子の三姉妹の長女に継いでほしいという世論が圧倒的に強くなったの。よほど善政が民衆の脳裏に残っていたのでしょうね。自分たちの領主は三つ子の三姉妹であるべきだ、という独特の考え方が生まれていたのよ。
そしてグラシアの三つ子の次女レティシアのところにまた三つ子の女の子が産まれた。グラシアの死後、そのレティシアの三つ子の長女が領主を継ぎ、その後はまた生まれた三つ子の長女が継ぐ、と代々三つ子の長女がストタニア領主を継いでいくことになった」
メイシュエはたまらずアイネスの説明を遮った。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! そんなに何代も続けて三つ子が生まれるわけないじゃないですか! えーと、カミラさん、グラシアさんの長女、レティシアさんの子、その子供、さらにその子供。え? 五代も続けて三つ子が生まれたんですか?」
アイネスはわら半紙を手に取りペンでさらさらと家系図を書いて見せた。一番上にベルナルディータと書き、そこから三本の線を引いて、その下にさらに箒のように枝分かれしていく。
「公式の記録では十八世紀に共和制に移行するまでの二百年間、代々三つ子の長女が領主を継いで三姉妹で共同統治をしていたと書かれているわ。でもメイシュエの言う通り、同じ家系に都合よく女の子の三つ子が生まれ続けるなんて、確率的にあり得ないわね。
カミラ公が三つ子だったのは事実。その次の領主だった三つ子の長女レティシアがまた三つ子を授かったのもおそらく事実。そしてこの三代の女領主たちが素晴らしい善政を敷いたのも事実でしょう。これですっかりストタニアの人たちは三つ子姉妹の共同統治でないと善政はできないと思ってしまった。
民意がそういう考えで固まってしまったとすると、時の施政者である領主はどうすると思う?」
アイネスの問いにメイシュエはうーん、と腕を組んで考え込んでしまった。ローラも「えー、先生は全部本当だとしか教えてくれなかったよー」と言ってメイシュエと一緒になって考え始める。しばらくしてメイシュエはまさかという顔で、おそるおそる自分の考えを述べた。
「えーと、すごいこと考え付いたんですけど。もしかして関係ない似たような年齢の女の子を連れてきて……?」
「そのとおりなのよ。領主はなんとしてでも三つ子が生まれたことにしようと、無理やり女の子を三人そろえることにしたのよね。その手段は記録に残っていない。残るわけがないわよね。おそらく金銭で買ったり、脅したり、あるいは……」
「さらってきたりしたんだね……」
ローラが渋い表情を見せた。実際は今現在進行形でさらわれてきているのだが、それよりも自分の出自自体がどういうものなのか気になったのだろう。
「ローラもさらわれてきた子だったのかな。そう言えばパパやママとあんまりお話したことない……」
アイネスはそんなローラをなだめるように語りを続けた。
「ローラは残念ながら、現ストタニア領主夫妻の子でないことは間違いないわね。ただ、さらわれてきたのとは違うはず。これからその理由を話すわ。いいかしら?」
「うん。パパもママも家庭教師の先生も誰も教えてくれなかったローラのこと、教えて」
まっすぐにアイネスを見つめるローラの瞳には迷いも、怯えも、躊躇いもない。ああ、この子はやっぱり強い子だ、とローラを横目に見ながらメイシュエは感じる。
「近代になると、このストタニアの風習に近隣諸国、エストリアとフローレンシアだけでなく南ヨーロッパのいろいろな国の政治勢力が目を付けた。自分の娘をストタニアに送り込んで、政治的あるいは経済的に利用しようとしたの。特に歴史的なつながりからフローレンシア共和国の旧貴族勢力が猛烈に自分の娘を三姉妹に加えろとねじこんできたのね。自分たちは革命で貴族階級の特権がなくなってしまったものだから、なんとかストタニアの領主階級に食い込もうと考えていたのね」
さすがにこのあたりの話はローラには分からないようだった。アイネスの語りにもピンと来ていない様子だ。
「一般民衆も、領主のところばかりに必ず三つ子の姉妹が産まれ続けるのを不審に思い始めた。『三つ子の三姉妹が領主となって共同統治する』という建前が維持できなってきたの。とうとう十八世紀にストタニアも革命が起こって、議会制の民主共和国になった。
ところが議会が、旧領主の家系を全員終身貴族院に任じる決まりを作ったものだから、事態は余計に混乱したわ。公民である領主の跡継ぎを決めるという建前がなくなってしまって、もうやりたい放題になったのよ。とにかく領主の家系の三姉妹に自分の血族を押し込むことさえできれば、一族の終身の安泰が保証されるみたいなものだからね。一般民衆の目の届かないところで相当血なまぐさい出来事があったはずよ。
そしてこの三つ子に有力家系の女の子を押し込むという流れは、二十一世紀になってもいまだに続いている。ローラはおそらくそうやってストタニアに押し込められた南ヨーロッパの有力者の一族の一人だと思うわ」
「……そうだったんだ。なんか、ローラ、自分がめちゃくちゃかわいそうに思えてきた。でも、でも、お城の生活、退屈だったけど、そんなに悪いことはされなかったよ?」
「そうね。領主の跡継ぎ候補であったことは間違いないからね」
二人のやり取りを聞いて、メイシュエが疑問を挟む。
「ということは、ローラのほかに二人跡継ぎ候補の女の子がいるってことでしょ? あとの二人をローラは知らないの?」
メイシュエの問いに対して、ローラがさらりと応じた。
「全然知らない。ローラ、お部屋から出ちゃいけなかったから、お城に何人住んでいるのかもわからないの。アドラクシオンも三回に一回、一人ずつ行っていたからほかの子のことは全然知らない」
アイネスは一呼吸おいて二人に話しかけた。
「二人とももう少し私の話を聞いてくれる? 実は、もう一つ。このストタニアの独特の継承システムには致命的に困ったところがあった。
それはね、三姉妹の長女は博識、次女は身体能力に優れ、三女は如才のない外交上手と役割が固定されていたこと。なんせ赤ん坊の時からそのポジションになることを運命づけられているわけだから。自分の役割と能力の差に悩んだ領主の三姉妹は、はっきり記録には残っていないけどたくさんいたはずなのよね」
「メイシーが博識にならなきゃならないみたいなもんだねー。それは大変だよ」
「ちょっと待ちなよ、ローラ、私だって結構お勉強できるんだよ?」
「えー、だって、メイシーどうみても武闘派じゃん!」
メイシュエがむきになって反論するのを、アイネスはやさしく手で制してさらに続ける。
「十八世紀の後半ぐらいになると、時の領主の家に娘が産まれると、すぐに将来跡継ぎにするための女児を二人探すようになった。そして自分の娘を加えた三人を、十五歳になるまでお城に幽閉するようになったのよ。領主の家には娘が産まれた、ということだけを一般には公表してね。
十五歳までの間に適性を見極めて、長女になるもの、次女になるもの、三女になるものを決めるようにしたのね。これが
「アドラクシオンの時だけ、ということですか」
「そのとおりよ、メイシュエ。アドラクシオンの風習はエストリアからフローレンシアにかけての山の中に広く残っているけど、礼拝中喋ってはいけない、というのはストタニア独特なのよね」
「そうすると、今回のタスクは……、誰かをローラの代わりに
「そうね。ここからは私の推測になるけど、どうしてもある女の子を
話し終えたアイネスの目をじっと見ていたローラはしばらく目を伏せて考え込んでいる。その様子を心配そうに眺めるメイシュエ。海に向かって吹き抜ける風がローラの髪をふわりとなびかせた。
「ローラ、もうすぐあなたの代わりになる子がここに連れてこられるわ。それまでにあなたはどうするか、ゆっくり考えてみて。ローラの人生の分岐点よ。
クライアントがあなたを引き取ると言っているから、クライアントの所に行くのが一つ。ただしその素性は私にもまったく分からない。クライアントがいい人である可能性は良くて五分五分だわ。
代わりの子とすり替わったふりをして、お城に戻るのが二つ。これはクライアントに対して少し細工が必要だから、うまく行くかどうか分からない。失敗したら最悪殺されるわね。
最後の三つ目は、どこかで自分で生きていく。私たちみたいにね。生き残れる可能性は一番低いかもしれない」
「……分かった。ローラ、それまでに考える。けどね」
ローラはダイニングの椅子から立ち上がってやにわにログハウスの出口に向かって駆け出した。
「泳ぎながら考えていいでしょ? メイシー、わたし、海の中で考えるから付き合って!」
そう叫ぶと一目散にビーチに向かって崖の階段を駆け下りて行った。
ログハウスの玄関扉の向こうには、どこまでも青い夏の空が光っていた。
プルシアンブルーのレクイエムに枯れた花束 ゆうすけ @Hasahina214
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