其の五

「で、なんでまた来たの?」


 翌日、早速放課後の屋上に姿を見せた僕に、ジト目で幽霊少女はそう言った。


「なんでって、お菓子持ってきたら来てもいいって言ってたので……」


 ふんっと、鼻を鳴らし、「で、何持ってきたの?」と、僕の鞄を凝視する。


「えと……これです」

「あら、ヨーグレットじゃない」


 鞄から出して、彼女に差し出した途端に引っ手繰るように取り上げた彼女は、ビリビリと雑な開け方で開封し、ベコっと一粒取り出し、そのまま口へ放りこむ。


「これってなんでこんな錠剤みたいな包装されてるのかしらね。知ってる?」

「さぁ……」


 好きなお菓子だけれど、起源や梱包理由までは普通知らないだろう。気にしたこともなかったし。というか、最近はスーパーとかコンビニでも売ってないみたいだし、もしかしたら販売終了しているのかもしれない。


「ところで、悩みはなんなの?」

「悩み?」


 あぁ、そういえばお菓子を持ってくれば悩みを聞いてくれると言っていたっけ。僕は彼女と会うには単純にお菓子という名のお供え物が必須であると解釈していたけれど、どうやら律儀にも彼女は悩み相談も受け付けてくれるらしい。


「まぁ、お菓子次第だけどね。ヨーグレットは美味しいけれど、流石に駄菓子の域を出ないわ。そうね、せめてカントリーマァムくらいは持って来て欲しいところね。それか、たけのこの里。そのくらいの機転は利かせて欲しいものだけれど――子供にそこまで要求するのは少し酷かしらね」


 明らかに僕よりも幼く見える少女に子供扱いされるのは、結構腹立たしいものだったのだけれど、彼女の髪の毛を見ると、満更僕を子供扱いできない年齢だとも思えない。


「――善処します」

「そうね。それがいいわ」


 ふふっと勝ち誇ったように笑みを溢し、プチプチとヨーグレットを口に入れていく。


「それで何なの? また子供扱いされちゃった?」


 たった今あなたにされましたと言える程図々しくも空気が読めない奴でもない僕は、「まぁ……そんな感じです」と無難な返事をする。


 悩みがないわけではない。というか、悩みがない人間なんてこの世にいるのだろうか。小学生の頃だって、何かしら悩みはあった気がするし、大人だってそれなりに悩みを抱えているだろう。


「誰に子供扱いされるの? 先生? 親?」

「……みんなです。大人達はみんな、僕らを子供扱いします」


 ガキのくせにと、何度言われたことか。少し帰る時間が遅くなっただけで、「子供の癖に夜出歩くな」だとか、十八禁の本や映像に興味を引かれれば、「十年早い」とまたなじられる。


「窮屈ですよ、この国は」


 外国はもっと自由だと聞く。お酒が飲める年齢も低いし、運転免許を取れる年齢も日本より低いとか。


「馬鹿らしい。大人だからって偉いんですかって思います」


 ……思い出したら段々腹が立ってきた。大人はいつもそうだ。


「何かにつけて子供子供って。自分達だって子供だったくせに」


 最後の一粒を宙に放り、見事に口でキャッチして見せた幽霊少女は、

「ふーん。――で、あんたはどうして欲しいの?」と僕に問う。


「どうって……」

「子供扱いされたくないんでしょ? エッチな本読んで、エッチなビデオ観て、それからエッチなお店に行きたいんでしょう?」


 ビデオという言葉はいまいちピンとこないけれど、いわゆるアダルトビデオのことを言っているのだろう。彼女はDVDやBDの存在すら知らないのかもしれない。


 いや、それはそうと、「な、なにもそんないやらしい動機ばかりじゃないですよ」と、僕は顔を上気させ弁明する。


「じゃあ具体的にどうして欲しいのよ。大人扱いってなに?」

「それは……」


 ……なんだ? 大人扱いって。というか、大人は普段どんな生活をしているんだろう。大人だけに許されたことって、なんだろう。


「お酒、煙草、風俗。あとギャンブルかしら。まぁ、そんなところね、大人に許された遊びは。あんたはその中で風俗に興味があるんでしょ?」

「だ、だから違いますって!」


 首を大きく左右に振り否定するけれど、茶化す風でもなく、彼女は「他に何があるの?」と、食べ終えたお菓子の箱を僕の鞄に投げ込んだ。


「他に……」

「特にないんでしょ? じゃあいいじゃない、子供で」

「……」


 言われてみれば、確かに子供でいい。そもそも子供なんだから、大人が楽しむ場所に行っても場違い感は否めないし、何より単純に面白くなさそうだ。


「子供だけの特権ってあるでしょ? ほら、よく言うじゃない。『夏休みが欲しい』って。大人は夏休みがないんでしょ? 二三日くらいなら休める会社もあるのかもしれないけれど」


 それもそうだ。週に五日だけでも登校日が多過ぎると思っている僕からすると、父も偶にしている休日出勤なんて絶対に拒否してしまうのではと思う。


「だったらいいじゃない。あんたは子供。大人ではない。大人は楽しくないし、休みもないからなっても辛いだけ。だから大人扱いされる必要はなし」


 ――はい、解決。


 パン。と手を叩き、「さ、じゃあもう帰りなさい。男の子だからってあんまり遅くなると危ないわよ。子供なんだから」


 わざと馬鹿にしたように余計なひと言をつけ加えた少女の幽霊はシシシと愉快そうに笑う。


「……分かりました。今日はもう、帰ります」

「じゃあね」


 小さく手を振り、曇り空を見上げ「雨降りそ」と呟いた彼女に、僕は思い切って尋ねてみた。


「あの……名前……なんて言うんですか?」

「……」


 即答されなかったので、拙いことを訊いてしまったのではと反省もしたけれど、「つぐみ」と、こちらを見ずに小さな声で教えてくれた。


「つぐみ……さん、ですか」


 どんな字を書くんだろう。今のところ授業で習った字の中には『つぐみ』という漢字はなかった気がする。

 ということは平仮名なのか……?


 つぐみさんはそれ以上名前について掘り下げる気は一切なさそうに、後姿で拒絶を伝える。


「それじゃあ、つぐみさん。また来ます」


 僕はそっと扉を開け、物思いに耽っている彼女の邪魔をしないように、そっと閉めた。

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