其の二
僕の通う旧校舎は文字通りとても
学園の創立九十九周年である今年は、一世紀を記念する来年に向けて、旧校舎も新しく立て直される予定だったのだけれど、諸事情により中止となった。
その諸事情とは他でもない、怪談話などで良く耳にする『幽霊が出るから』という理由だ。
幽霊が出るのであれば、むしろ壊して新しくすればいいと、保護者達からクレームが来たらしいけれど、そのクレームが実を結ぶことはなかった。どうやら普段は保護者に平身低頭している校長初め、幾人かの教員たちは突っ撥ねたらしい。
詳しく聞いたわけではないが、母親が保護者会で耳にした情報によると「ここだけは弄ってはいけないという通告が有力者からあった」とのことらしく、モンスターペアレントよりも恐るべき存在が、この学園に圧力をかけたらしいのだ。
とはいえ、僕も来年から高校へと上がるわけで、あと一年弱くらいなら、
幽霊とは一体なんのことなのだろうか。
一般的に『校舎に現れる幽霊』と言えば定番なのが、そこで自殺した生徒の霊だとか、若しくは教師だったり――自ら命を断った霊魂が
僕が聞いたのは、又聞きの又聞きであるため、信憑性も限りなく低いのだけれど、少なくとも僕の知る限りでは生徒間では一度も噂に上ったことがないため、大人達や一部の生徒には厳重な
まず、その幽霊は少女らしい。
そして、現れるのは必ず屋上である。
更に、ここ数年間で自殺した生徒はいないとのことなので、先に挙げた自殺した霊魂などの類ではないことは確かである。
他にはショートカットでワンピースを着てるだとか、明らかにトイレの花子さんをイメージしたであろうデマゴギー全開の目撃談や、お河童頭のロングヘアで手鞠をついて遊んでいるなど、座敷童そのまんまな証言まであったらしいけれど、どれも信じるには値しない、たわいもない嘘であると僕は考えている。
ならば、その幽霊の正体は何なのだろう。
学校側が一も二もなく従わなければならないような、そんな影響力を持つ人間に関係しているというのも、想像力を掻き立てられる。
そんな話を聞いてから暫くして、僕は普段立ち入り禁止になっていて厳重に管理されている屋上の鍵を手に入れる機会に巡り合えた。
職員室に出し忘れていたプリントを提出しに行った際、担任の隣の机の上に『屋上』と赤いホルダーの付いた鍵が置かれていて、すかさずポケットに滑り込ませた僕は、その足で屋上の扉の鍵を開け、すぐに職員室にとって返す。
元の位置に戻し、鞄を持って屋上へと上がる。
一度開けておけば、多分鍵を締め直されることはないだろう。そもそも屋上の鍵を生徒が手にする機会などある筈がないと考えているだろうし、身回りをするときだって、態々こんな不気味なところまで来ないだろう。その上更にドアノブを回して屋上へ出ることなんて先ず有り得ないと僕は踏んで、とりあえず開けるだけ開けて再度屋上へ出ようと決めたのだ。
もしかしたら、早速お目にかかることができるかもしれない。
大人も怯える幽霊の正体を、今日暴くことができるかもしれないなんて……。
「こんな風になってるのか……」
時刻は夕方六時を周り、辺りは薄暗くなっていた。
思ったよりも狭く感じたのは、校舎の形のせいでもあったのだろうけれど、コンクリートブロックが所々割れていたり雑草が生えていたりと、手入れを怠っていたのがわかると、余計にみすぼらしく感じてしまう。
「……誰か、いますか……?」
あまり大きな声を出してしまっては僕がここにいることが教師にバレてしまうかもしれないので、小さい声で静かな屋上全体に響き渡るように呼び掛ける。
「おーい。誰か、いませんかー?」
……。反応はない。当然か。とはいえ、折角来たのだから、もう少し様子を見ようと、鞄から携帯を取り出してフリック操作でカメラアプリを呼び出し、先ずは朽ち果てた感のある地面を一枚、そして所々破けた金網を一枚、そして、今出てきたばかりの扉付近を一枚。
「あー、暗くなってきたから上手く撮れてないか……」
ドア周辺が少しブレてしまっている。写真を撮るのはあまり好きではないので、不慣れ故の手振れなのだろうと、もう一度目の高さに携帯を構える。
「んー、今度は大丈――うわっ」
何かがレンズ越しに見えた気がして、慌てて目を離す。
「な、なんか、いた……?」
疑問形はただの自問で、誰かに問うたわけではないのだけれど、突然不気味な空気を感じ始め、背筋を撫でられているような感覚に襲われる。
「きょ、今日は帰ろうかな。もう遅いし」
震える手で携帯を鞄に仕舞おうとして、カメラを起動したままであることに気付き、アプリを閉じるため画面を見ると、そこには少女の姿が見切れていた。
「ひっ」
思わず放り投げてしまった。はっきりとは見ていないが、左側に長い髪の女の子が写っていた。それもぼんやりとではなく、くっきりと。
心臓は破裂しそうなくらいドクドクと鼓動し、足も震え出す。
「こ、こんなに、ははっきりと、写る、もの、なの?」
逃げよう。そう判断し、携帯を拾おうとしたが、先程よりも薄暗くなっていて、雑草だらけの地面ではなかなか見つけられない。
「ど、どこだ。は、早く見つけ――」
――メリッ。
液晶画面を踏みつけた音が聞こえた。
「え……」
僕の斜め左前方、距離にして一メートルちょっとの所に、棒付き飴を咥えた少女が、僕の携帯を足の下に敷き、立っていた。
「あ……あ……」
「? なに?」
チュポと音を立てて抜きだした飴を右手に持ち、キョトンとした顔で「なに驚いてんの?」と不思議そうに訊かれた。
「ゆ、ゆう、ゆう――」
「あぁ、幽霊なのかって? うん、そうだよ」
「で、出たー!」
「出たよ?」
「ご、ごめんなさい! もう来ません! だから祟らないでください! お願いします!」
「?」
必死に謝罪を告げる僕を、少女は見下ろしている。
少女――と言っていい風貌であった。
小学校高学年程度の身長と、長い髪、服装は浴衣? なのか、やたらと短い裾なので、ファッションで着ているのかもしれない。
一番印象的なのはその長い髪だ。
彼女の髪の毛は暗がりでも分かる位に真っ白だった。
それも、北欧などにいるような綺麗な銀髪ではなく、老婆のような白髪だ。
艶が全くないわけではないだろうけれど、幼い顔立ちと相反するそれは、決して美しいとは言えないものだった。
「ねぇ、お菓子持ってる?」
「…………え?」
地面に頭を擦りつけながら謝り続ける僕に、彼女は再び口に飴を含みながらそう訊いた。
「お菓子。持ってないの?」
お、お菓子……? あぁ、お供え物のことか。僕は急いで鞄の中に手を突っ込む。
何かあったはずだ。いつも非常食として何かしらのお菓子を入れてあるのだから……。
「あ、あった。こ、これ、どうぞ」
「――なにこれ、ビスコじゃない。あんた乳臭いもの食べてんのね~」
眉を
「……うーん、意外と美味しい、かも」
たった数秒前に否定したものを、何の後ろめたさもなく翻せるのはやはりこの世に怖いものなどない幽霊ならではの豪胆さなのだろうか。いや、この世のものでない幽霊だからこそ、なのかもしれないけれど。
「んで、何の用?」
「え?」
ペロリと平らげ、更に催促を促す彼女にもうこれ以上は持っていないと謝罪を告げつつ、用件を聞かれた僕は、なんとかそれらしい理由を口にする。
「……あの、ゆ、幽霊が出ると噂されているので、その、ぶ、部活動の一環でちょっと真相を確かめに……」
「ふーん。大変ね」
信じた、のか? というか、こんな取ってつけたような動機を口にするのであれば素直に興味があってとだけ伝えればよかったのではないかとも思ったけれど、ただの興味本位で存在を暴きに来られたのと、部活動という大義名分を掲げて来られるのでは、受け取り手の感じ方も変わってくるだろうと思い直す。
「は、はい。でも、もう大丈夫です。は、はっきりと確認できたので」
失礼しますと踵を返しかける僕の肩を、彼女は小さな手で鷲掴みにした。
――服越しでも感じる、とてもひんやりした感触だった。
「何部なの?」
「ひぇっ」
手に持っていた鞄を放り投げてしまう程の恐怖心は、僕の足を竦ませ、すぅっと音もなく僕の前に回り込んだ幽霊少女は、「何部?」と、繰り返した。
そして「新聞部って今もあるの?」と、彼女は問うた。
――新聞部?
「あ、い、いや、もうありません。十年くらい前まであったらしいですけど」
入学当初、部活を選ぶ際に、そんな話を聞いた気がする。今は大人も新聞を読むことは減ったらしいし、大体はネットで情報を入手する時代になったため、学級新聞的なものもなくなってしまったのではないかと誰かが言っていたが、確かにうちも新聞を取っていない。新聞の内容はネットでも配信されているからそれで十分なのだろう。
「ふーん、なくなっちゃったんだ。まぁ、しょうがないよね」
「……?」
少し寂しそうな顔をしていた幽霊少女だったけれど、すぐに切り替えを見せ、「で、あんたは何部なの?」と再度質問をしてきた。
「あ……えと、文芸部、です」
文芸部という言葉を、この時生涯で初めて口にした僕は、本など殆ど読まないし、文学にも何の興味も抱いていなかった。しかも、文芸部が何故幽霊を探索しに来る必要があるのだろうかと、すぐに他のもっとらしい、『超常現象研究部』などに言い換えようかと考えたが、それは幽霊少女が許してはくれなかった。
「へ~。本好きなのね。やっぱお化けが出てくる本が好きなの?」
「あ……あ、そう、ですね。なんか、お化けが出てくる本が好きです」
「どんなやつ? お化けが退治されちゃうとか?」
「は、はい。お化けが退治されちゃう様なやつです」
「馬鹿にしてる? ……同じ言葉繰り返されるの気分悪いんだけど」
「! ご、めんなさい! もうしません、二度としません!」
はぁ……。と、これ見よがしに溜め息を吐いた幽霊少女は、「あーあ、折角久々に来たお客さんだったのにな」と、詰まらなそうに両手を後頭部に持っていき、唇を尖らせる。
「久々の……お客?」
注意されておきながら、すぐにまた彼女の言葉を繰り返してしまった僕は、慌てて両手で自分の口を塞いだのだけれど、彼女は意に介さなかったようで、
「そう。結構久しぶりだよ、誰かと話すの」
と、ドア横にちょこんと体育座りをし、空を見上げた。
「ここに来る人は限られてるの。条件があるみたいね」
条件……。屋上の鍵を持っている者、ということだろうか。
「違うわ。もっと、なんていうか――精神的なものよ」
「精神的……」
彼女はまるで僕の心を読んでいるかのように話を繋げていくが、僕はそんなことはどうでもいいと思っていた。
その条件とやらが何なのか知りたくてしょうがなかったからである。
「そ、その条件って一体」
空を指差し星を数えながら、彼女は事もなげに言った。
「死を考えている人間」
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