其の四

 両親は高校の同級生だったらしい。


 恋愛結婚と言えば聞こえはいいのだけれど、どうやらいわゆるできちゃった結婚というやつで、母の妊娠を機に籍を入れることにしたのだと、母方の祖母に聞かされたことがある。


 当時の僕は祖母が少しだけ不満っぽく言っていた意味が分からなかったけれど、要するに『順番が逆』ということなのだなと、割と最近気付いた。


 現在は共に三十五歳で、父は結婚してから少しして郵便局の職員になったのだけれど、職場で何か揉め事を起こしたらしく、数年前にクビを切られてしまい、今は派遣社員としてどこかで働いているらしい。母は専業主婦で、パートには出ず、日がな一日テレビを観て過ごしている。祖父母はそれぞれ実家に住んでいて、僕には兄弟がいないので、同居している家族は僕を入れて三人のみである。その家族三人で、駅から少し離れた場所にある家賃六万円の2DKに住んでいる。


 最底辺とは言えないのかもしれないけれど、それなりに不自由もあり、このご時世に、中学生になった今でも毎月のお小遣いは数百円程度しかもらえないし、洋服なんかも古着ショップで適当に選んできた一着ワンコインみたいなものばかりだ。ゲーム機の類は当然のように持っていないし、辛うじて買ってもらった『玩具』といえば、今僕が手にしているスマホくらいのものだ。


 父は気性が荒いとは言えないが、時折酒を飲むと悪態をつくことがある。


 暴力を振るうわけではないが、くだを巻く、というのか、ずっと愚痴を言っている。


 仕事のこと、家庭のこと、数少ない友人の悪口や、政治批判まで、とにかく目に映るもの全てを批判し、日頃溜まった鬱憤を全て吐き出すかのように延々と文句を垂れ流す。


 僕は父のその様が大嫌いで、こんな大人にだけはなりたくないといつもいつも、心から思う。


 母親はといえば、何事にも無関心な人で、父が暴言を吐いている間 は、隣室でPCを使ってネットサーフィンなどを楽しんでいるようだ。昔は相手をしていたようだけれど、ここ数年は父が酒を飲み出したらすぐに自室に引き上げて、酒に弱い父が眠ってしまう頃合いを見計らって、父が食事をしているテレビが置いてある部屋へ移動し、ヘッドフォンを差して視聴を始めるのが普段の光景だ。


 夫婦仲は悪いわけではないけれど、冷え切っているのは間違いなく、息子の僕としては気持ちの悪い話ではあるが、夫婦の営みもここ数年一度もないと思う。

 

「ふうん。あんたひとりっ子なのね。従兄弟とかもいないの?」

「母の実家がある長崎に二人います。会ったことは――一度だけしかないですね」


 兄弟のように仲の良い従兄弟もいると聞くけれど、うちの場合は距離も離れている為、まず顔を合わせる機会もなければ、会話も一言二言しかなかった気がする。


 しかし、それで寂しいとか、兄弟が欲しくなるということもなく、家でも殆ど口を開くこともない僕は、学校で友達とも言えない数人のクラスメイトとたわいない話題に興じるだけだ。


「は~、じゃあちゃんとした友達もいないのね。暇じゃない? 毎日」

「暇……ではないですよ。何だかんだと充実してる気がします。本を読んだり、ゲームをしたり、時間が経つのが早い位です」


「ゲームってどういうゲーム?」

「これです」


 スマホを左右に振って見せる。今やゲームといえばソーシャルネットワークゲーム、所謂ソシャゲというやつが主流だろう。クラスの九割近くがやっているし、とあるゲームをやっていないだけで仲間外れにされたりいじめの対象になったなんて話も他校ではあったようだ。


「へ~……ちょっとやって見せてよ」

「いいですよ」


 物珍しそうに画面を覗き込む幽霊に、ススっとフリック操作をして見せると、「なに今の。どうやったの?」と、食いついてきた。スマホを見たことがないのだろうか。そういえば、僕は実物を見たことはないけれど、ガラケーという折り畳み式の携帯を持っている人が大人ではいるみたいだし、子供でも、中には家庭の事情でスマホを持たせてもらえない子もいると聞く。


 彼女の服装を見る限り、きっと携帯すらない時代に亡くなった幽霊なのかもしれないし、もしかしたら江戸時代からタイムスリップしてきた幽霊かもしれない。


 いや、そもそも幽霊ですらないんじゃないか……?


「ちょっと、早くしなさいよ」


 トントンと画面を指で叩き、操作を促す。


「あ、ごめんなさい」


 マナーモードにしている為、BGMは鳴らないけれど、ファンシーな絵柄が画面に現れ、可愛らしいキャラクターがコミカルな動きを見せるOPが始まる。


「へー、結構凝ってるのね。こんなちっちゃい画面なのに」などとひとりブツブツ言いながら人差し指でフリックの真似をする。


 僕はそれを合図にプレイ画面を表示すると、セクシーなコスチュームを来た悪魔の女性キャラや、ゴスロリファッションに身を包み、手に杖を持っている魔法少女などが描かれたカードが数枚並び、クリックするとカードから飛び出して、会話がスタートする。


「うわ、何これ。カードの子が喋ってるの?」

「そうですよ。この子を操ってモンスターを倒すんです」

「そうなんだ。見かけによらず強いのね」


 このままバトルシーンを見せてあげようとすると、「もういいわ」とあっさり身を引き「なんか飽きちゃった」と、再び腰を下ろす。


「あ、飽きたって……まだ数秒しか見てませんけど」

「いーの! 飽きたんだからしょうがないでしょっ」


 子供っぽく「ふんっ」とそっぽを向き、「ま、新しい発見ができて暇潰しにはなったわ」と、僕に向き直る。


「あんたの家族の話も平凡そのものだったけれど、まぁ色んなドラマがあったんでしょうね、両親からすると。ま、どうでもいいわ。それじゃあさようなら」


 息継ぎなくそう言いきった彼女は、そのまま消えてしまうのかと思いきや、「何見てんのよ」とまるで昔の漫画に出てくるヤンキーのような口調で僕を睨みつける。


「あ、い、いや、消えちゃうのかなって」

「消えないわよ。っていうかあんたが消えなさいよ、ここから。あたしの居住スペースにいつまでも土足で踏み込んだまま居座ろうったってそうはいかないわ」


 邪魔よ、邪魔。と、邪見じゃけんに扱われ、「上履きなので土足ではありません」などと言い返せるはずもなく、代わりに「居住スペースって……ここに住んでいるんですか?」と質問した。


「そうよ」とあっさりと答えてくれた彼女は、「家賃は払ってないけどね」とニヒルな笑みを浮かべる。


「ま、お菓子を持ってくるんだったらまた悩みを聞いてあげってもいいわ」


 腕を組みながら、居丈高に彼女は僕を見下ろしている。


 見下ろしている……?

 そう、僕より身長が低いはずの彼女は僕を、見下ろしていた。


「……」


 ゆっくり彼女の足元に視線を落とすと、地面に足がついていなかった。

 宙に、浮いていたのだ。


「っ……」

「何ビックリしてんの?」


 あまりにも口調や雰囲気が幽霊らしくなかった為、すっかり失念していたけれど、彼女は紛れもなく幽霊であったのだ。もしかしたら――などという疑念は霧消むしょうしてしまった。


「じゃあね」


 ふわりと空に舞い上がり、ドアの上の建物に腰かけ、再び星空を見上げる。


「そ、それじゃあ、し、失礼します」


 逃げるように駆け出した僕は、破裂しそうな心臓を押さえつけながら、闇雲に走り、混乱しながら家路に着いた。

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