其の九
何を言ってるんだこの人は――とは、当然思わなかった。
つぐみさんの言う通りだったからだ。
「なんで、分かったんですか……?」
「勘よ」
「……は?」
「女の勘ってやつ?」
「……はぁ」
「もちろん根拠もあるわ。先ずこんな時間に態々学校へ戻ってきたこと。そしてさっきのうまい棒、コンビニのテープが貼ってあったわ。ここへ来るために、あれだけ買ったんでしょう? ここへ来るための口実として、取り急ぎ手持ちのお金で買えるお菓子として手に取ったのが分かる。それに――」
つぐみさんは、細くて小さい綺麗な人差し指を僕の頬に向け「涙の跡があったから」と言った。
「……」
僕は無意識に頬に手を持っていき、撫でる。触って分かるわけはないのだけれど、指摘された通り、僕はさっき、涙を流した。
「なんかふざけた態度を取ってたけれど、何となく余裕が感じられなかったし、どこか切羽詰まった感もあったからね。延々と怨嗟を口にし始めた時に、あぁこれはきっと……ってね」
「……凄いですね。つぐみさんの言う通りですよ。完璧に当たってます」
「勘だけどね」
あくまでも功績を認めたがらないのは照れ隠しなのだろうと僕はこの数日間の彼女との会話で学んでいたので、殊更これ以上指摘するのも野暮だなと思い、深く息を吐き、自分の行為を告白する。
「発端はいつもの喧嘩です。お金がないことから発展して、僕の高校入学に関しての話題に転向して行きました。……皮肉でしょう? こんな時に限って、普段全く興味を示さない僕の進路の話題が出るなんて。ほんと、馬鹿馬鹿しいです。それで、ヒートアップした母が、父に食器を投げたみたいなんです。ガシャンって音が聞こえて、僕は慌てて部屋から飛び出すと、コップか皿が割れていました。それで
「――でも、笑えない事態になってしまったのよね」
「……キレるってやつですね。最初は僕も二人に止めるように大声で呼びかけてたんです。引き離そうともしましたし、懇願もしました。もう止めてくれって。でも、二人は止まるどころかどんどんと過熱していき、顔を腫らした母親と、腕についた引っ掻き傷から血が滲み出している父親を見て、あ……もう駄目なんだなって、茫然としちゃって――」
正直、この先はあまり覚えていない。キッチンへフラフラと向かい、包丁を取り出した所までは自分の意思だったと思う。気付けば僕は、父親に馬乗りになる母親の背に包丁を突き刺していた。
「……お父さんは?」
「刺しました。脇腹を」
「……そう」
「母の名を叫んだ父は、母を抱き抱え、うろたえていました。ガラ空きだったんですよね、脇腹。抵抗もされずに、ズズっと。今でも感触が残っています」
――堅くも柔らかくもない、気持ちの悪い感触が。
「――成程。状況は理解したわ。で、あんたはこれからどうするつもりなの? 自首しに行くの?」
「いいえ」
「あたしに愚痴ったところであんたの両親は生き返らないし――まあ生きてるのか死んでるのか知らないけど。なんにしても、あんたの罪も軽くしてあげられないわ」
「分かってます」
――そう、分かっている。つぐみさんに話したところで、僕の犯した行動がなかったことになるとは思っていない。
ここに来た理由はひとつ。
「僕を連れて行ってください」
「……はぁ?」
思い切り怪訝な顔をされてしまった。しかし僕は諦めずに食い下がる。
「僕をつぐみさんと同じ存在にして欲しいんです。幽霊に」
「は~……」
心底呆れたというように、長く息を吐き出し、冷たい目線を僕に送る。
「じゃあなに、あんたは両親を殺した罪から逃れる為に死のうっていうの? それもただ死ぬんじゃなくて、死後も存在していられるようにあたしと同じような地縛霊になりたいってこと?」
地縛霊だったのか。まぁ、そうなのだろう、ずっとここにいるんだし。
「そうです。つぐみさんも話し相手がいたほうが退屈しないでしょうし、僕もこの世に未練はありませんから。ひと思いにお願いします」
「……」
分厚い雲が空を覆い、星ひとつ見えない空をつぐみさんは仰ぎ、目を閉じたまま「分かったわ」と肩を竦めた。
「あんたがあたしのパートナーたり得るつもりなことは甚だ苛立たしくもあるけれど、死にたいんだったら殺してあげるわ」
生温い風が吹き始める。つぐみさんの白い髪はフワフワと揺れ動き、スッと音もなく僕の正面へと立った。
「――今からあんたに取り憑くわ。あんたは何もしなくていいからただ身体の力を抜いてなさい」
「は、はい」
取り憑かれると言われて肩の力を抜くのはなかなか難しくもあったけれど、言われる通りにしようと、深呼吸をしてリラックス状態を作る。
死ぬのは怖いけれど、彼女と同じ存在になれるんだったら――。
そう考えると、死の恐怖は薄れていく。
――両親を殺した罪悪感も。
「じゃあ……いくわよ」
ドン! と、激しく腹部を叩かれた気がした。
後ろに倒れ、臍の辺りを摩りながら「な、何で殴るんですか――」と問うたけれど、正面にはつぐみさんの姿はなかった。
「あれ?」
『聞こえる? あんたの中にいるから、頭の中で声がするでしょ?』
脳内につぐみさんの声が響く。これは正直気持ちのいいものではない。感覚としては、考え事をしている時の心の声が、はっきりと脳内に響き渡るような、なんだか全身がこそばゆくなってしまう歯痒さだった。
『さ、それじゃあ死のうか』
「え、ちょ、ちょっと、もうですか? っていうか、死ぬってどうやって」
身体が勝手に動く。つぐみさんに操られているのだろうか。同化したようなことを言っていたから、彼女に操縦されているような状態なのだろうか。
彼女は僕の身体を屋上の端へと近づけていく。そして金網に辿り着き、よじ登り始めた。木登りも苦手な僕がこうして金網を登れるなんて、運動神経は肉体的な問題よりも、脳が身体を上手く操縦できていないだけなんだろなと、楽観的なことを考えていると、気付けば金網の外側――
「こ、ここから、と、飛び降りるってことですか?」
恐る恐る訊いてみると『そうよ。怖い?』とつぐみさんは挑発的に返す。
「こ、怖くないですよ。もうすぐつぐみさんみたいになれるんですから」
『……』
何となく無言で目を逸らした感じが脳裏に浮かび、僕は疑問符を浮かべる。
「だ、大丈夫なんですよね? これ」
『大丈夫だよ。ちゃんと死ねるよこの高さなら。でも、多分あたしみたいになることはないけどね』
「えぇっ!」
ここまで来て、ここまで連れて来て、なんて無責任なことを言うんだ。
「そんなっ! 約束が違うじゃないですか!」
『約束? あたしはあんたを殺してあげるって言っただけだけど』
「違う! 分かったわって言ってたじゃないですか! 僕の意を汲んでくれたんでしょ!?」
『だから、死にたいのは分かったわってことでしょ。それくらい分かりなさいよ脳無し』
こんなところから飛び降りたら脳も飛び散り文字通り脳無しになってしまうこと請け合いだ。しかもつぐみさんみたいになれないんだったら、今ここで死ぬ意味なんて何もないじゃないか。
『でも死にたいんでしょ? 両親殺した罪から逃れたいんでしょ? 償う気なんかないんでしょ?』
――だったら死になよ。殺してあげるから。
無感情に、彼女は僕の脳に直接語りかける。
それは決して敵意や悪意を持ち合わせているわけではなく、きっと単純に僕が死を望んだから、それを叶えてあげるという、本当にシンプルな考えしか持ち合わせていないんだろうと思わせる台詞だった。
「い、いや、償うとか、そういうのはだって、家族だし……」
『? 家族だから、何? 家族は殺しても大丈夫なの?』
「だ、大丈夫とかではないですけど、他人が殺すよりも、その、恨みとかもないっていうか」
『……やっぱりあんたはどっちにしても一度死んどくべきなのかもね』
死に二度目などあるのだろうか。人は忘れられた時にもう一度死ぬと本で読んだことがあるけれど、そのことを言っているのだろうか。
『さ、じゃあ死のう』
彼女は僕の身体を縁に乗せ、身体を校庭側へとゆっくり倒す。
「ちょ、ちょっと――」
うわぁぁぁぁぁー!
――声にならない声を出し、僕は短い人生に幕を下ろす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます