其の八

「あら、また来たのねお菓子坊や。今日はどんな素晴らしいお菓子を献上しに来てくれたのかしら」


「……」

「……」


 僕は無言で本日のお供え物を差し出し、つぐみさんは無言で受け取った。


「馬鹿にしてるの? この前言ったつもりだけれど伝わってなかったみたいね」


 コホンと咳払いをし、つぐみさんはこちらに流し目を送りながら、苛立ち交じりにお菓子を僕に向ける。


「確かにあたしも好きよ、うまい棒。味の種類が豊富なことも知っているし、地域限定や期間限定だってあることくらい知ってるんだから。馬鹿にしないでくれる?」


「いや、別に馬鹿にはしていませんが……」


「あのねぇ、仕方ないからもう一度だけ教えてあげる。いい? 好きは好きでも、これで相談に乗ってくれってムシがよ過ぎでしょう? 十円でしょう? これ。あたしの有難い説教をワンコインで、それも下から三番目とかいう低コストのコインひとつで頂戴しようなんてふざけ過ぎよ」


「いえ、消費税があるので、ワンコインではないんですけど――」


「そういう問題じゃない! 今は税金の話をしてるんじゃないでしょ! 偶には一切れ三千円くらいする羊羹でも持って来なさいって言ってんの!」


 どこに売っているんだ、そんな高級羊羹。一切れどころか一口サイズすら買えそうにないんだけど。


「まったく」


 シャクシャクと僕が買ってきたうまい棒シュガーラスク味を食べ始め、数秒の間に完食する。


「で、今日は何なの! 詰まらなかったら叩っ返すからねっ」


 小振りな胸の前で腕を組みながら、頬を膨らませ胡坐あぐらを掻くつぐみさんに、僕はどう切り出したものかと考えを巡らす。


「ほら、さっさとしなさいよ。日が暮れちゃう――って、今日はもうとっくに暮れてたわね。今何時?」

「ええと」


 スマホを見遣ると、午後八時を過ぎていた。


「今日は遅いじゃない、ここに来るの。いつもは五時頃来て一二時間で帰るのに」

「あぁ、偶々ですよ。一度家に帰ったので」

「家に帰ってまた学校に来たの? あんた学校好きねー」


 学校が好きなわけではないし、いくら学校が好きでも態々わざわざこんな夜半に再登校する奴もいないだろうと思ったけれど、そこは「あはは、確かに」と照れ笑いで誤魔化した。


「いえ、ちょっと、話をしたくて」

「ふーん。あたしはあんまりしたくないけど、まぁお菓子も貰っちゃったし、ちょっとというならちょっとだけ聞いてあげてもいいわよ。なに、愚痴?」

「まぁ……愚痴ですね。いつも通り」


 興味なさそうに伸びをしながら、「どうせまたあれでしょ、お父さん達が喧嘩しちゃうんでしょ。そろそろ他人を入れたほうがいいんじゃない? 拗れ過ぎちゃうと後々面倒よ」と、尤もな意見をくれるけれど、僕は「……そうですかね」と、とぼけたような言葉を返した。


「――あんたさ、両親が離婚するって言ったら、どっちに着いてく? やっぱ男の子だからお母さん?」


 男の子だからという理由も良く分からないけれど、一般的に親権は母親に行きやすいと聞くし、僕も例に漏れず母親に引き取られることになるのだろう。


「そうじゃなくて。法律はどうでもいいわ。あんたがどっちと暮らしたいかって聞いてるの」


 ……正直、考えたことがないわけではない。夫婦喧嘩が始まる前から、漠然とだけれど、考えたことはあるのだ。でも、答えはでなかった。


「どっちとも暮らしたくない、かも」

「両親共に好きじゃないんだ」

「うーん、そうですね。好きか嫌いかだったら好き、なのかもしれないですけど。でも、嫌悪感は凄くあります」


 嫌悪感。そう、嫌悪感はある。凄く。うだつの上がらない父親と、怠け者で役に立たない母親。


 好き嫌いでいえば、なんて言ったけれど、思い出すだけで苛々してしまうことが最近は特に多い気がする。


「ま、一緒に暮らしてると悪い所ばかり見えてくるし、しょうがないんでしょうね、それは」

「……そういうものですかね」


 生まれた時から二人とは共に生活しているけれど、つい最近までは本当に何とも思っていなかった。良くも悪くも、ただの『親』でしかなかった。


「じゃあさ、善い所はどこなの?」

「善い所?」


「そう。たとえばお父さんだったら、何か壊れた物を直してくれるとか、ほら、日常大工だっけ? 後はどこか行くって言えば車で送ってくれるとか、どっか連れてってくれるとか」


「ないですね。うちの父、手先が凄く不器用なんですよ。精々電球を替えるくらいですかね。あと、車も持ってませんし、休みの日に遠出なんて以ての外ですね。殆ど家でゴロゴロしてますよ。そもそもそんなお金はうちにはありませんから」


 日常、ではなく日曜であることには触れなかった。日常的な大工って、それはもう本職だろう。


「そう。それじゃあお母さんは? 料理が上手いとか、家事を素早くこなすとか。あ、貧乏一家ということは節約家ってことだよね。じゃあ買い物上手なんじゃん。あとほら、母親といえばさ、趣味の悪い服を買ってきて子供に着させたがるじゃん。そういう微笑ましいエピソードないの?」


「ないですね、残念ながら。母は父以上に出無精ですから、買い物も殆ど行きませんし、多分細かい計算なんてしてないんじゃないでしょうか。ある程度は切り詰めないと父の安い給料では家族三人暮らしていけないでしょうし、何かしら考えてはいるんでしょうけど、多分数字に弱いですし、その手のことは期待できないですね。それと料理も上手くはありません。レパートリーが圧倒的に少ないですし、味の工夫も大してありません。――貧乏だからバリエーションにも限りがあるというのは分かるんですけどね。服も買ってもらったことは一度か二度くらいですかね、僕が物心ついてからは。自慢じゃないですけど、Tシャツは三枚しか持ってないんですよ。パーカー一枚と 、ジーパン一枚。あと、ジャージ上下と、薄手のダウンが一枚くらいですかね。下着だって最低限で回してます」


「うーん、如何にもな貧乏話ね。昭和って感じがするわ」

「はは、昭和の時代は僕みたいな人がいたんですかね。というかつぐみさん、昭和の人なんですか?」

「うん」


 あっさり答えたつぐみさんだったけれど、「じゃあさ」と話を次へと持っていかれてしまった。


「お父さんとお母さんの善い所教えてよ。なんか、嬉しかったエピソードとかさ。それで判断してあげる。どっちと居たほうがあんたが幸せになれるのか」

「うーん、特にありませんね、残念ながら」


 仮にあったとしてもきっと、乱暴過ぎる決めつけをされる気がする。


「そうなんだ。大変ね」

「大変ですね、本当に。善い所なんてひとつもないですよ。あの二人の息子で良かったと思ったことも一度もないですし」

「……ふーん」


「大体、子供を育てる能力が欠如してるんですよ、どっちも。本来子育てをしなきゃいけないはずの母親が、ネグレクトとまではいかないまでも、世間の母親みたいに溺愛したり、必要以上に構うようなこともなかったですし、弁当にしても前の日の残りものとかばっかりだし、息子が帰って来ても食事の支度だけしてすぐに部屋に戻ってゲームだかなんだかに熱中してるくらいですから。授業参観だって来てくれたことがないし、進路の話だってまともに聞いてもくれません。好きなところでいいんじゃないって、それだけ。僕に興味がないんですよ、あの人は」


「……そうなんだ」


 僕の口は――僕の愚痴は、止まらない。


「ええ、そうなんです。父親はある意味もっと酷いですね。母親以上に僕に興味がないんですから。仕事仕事って、僕が小さい頃からずっと相手にしてもらえませんでしたから。僕が怪我をしても無関心だったし、僕が泣いていても気に留めていなかったですし。会話なんてここ数年、まともにしてないですよ。仕事から帰ってきたら無言でご飯を食べて、風呂に入って寝るだけ。朝は僕よりも早く出かけていって、遅い時間に帰って、また早朝に出かけて――の繰り返し。休日は月に二三日しかないですし、偶に深夜に帰ってくることもあります。残業代が出ないってぼやいてた癖に、それでもまだ同じところで働き続けている。馬鹿ですよ。ほんとに生きてる意味ないですよね。奴隷みたいなもんですよ。社畜っていうんでしたっけ ? そういうの。ああはなりたくないですね。底辺ですよ。最底辺。自分の親ながら情けないですね。生きててもしかたないですよ」


「だから、殺したの?」


「…………え?」


 湿気を含んだ風が、屋上を吹き抜けた気がした。タイミング的につぐみさんが吹かせたんじゃないかと疑ったりもしたけれど、そんな小細工というか、小芝居染みた演出をする必要は全くない。


「……どういうことですか?」


 僕はつぐみさんの目を見ずに聞き返す。


「そのまんまの意味よ」


 端的に返したつぐみさんは、隣に座ったまま、真っ直ぐに僕を見据えてる。

 『嘘はかせない』というプレッシャーを与えてきているようだ。


「――惚けていてもはっきりと分かるわ。いい? 面倒だからこれ以上はぐらかさないで。認める気がないのであれば帰ってもらうわ」


「……」

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