其の十

「あんたはね、臆病なのよ。病的な程に」


 ――つぐみさんの声が、どこか遠くから聞こえる。


「怖くて怖くて、仕方がないの。だから自分は大丈夫な振りをして、飄々ひょうひょうと、物事を楽観視してますって顔して、自分自身すら騙しながら、傷付かないように殻に閉じ籠ってるの」


「……」


 反論しようにも口が開かない。僕は今、どんな状態になってるんだ……?


「親を殺した罪を逃れようとしているのなんて、まさにその集大成ね。人の命を奪ったことに、罪悪感を覚えたくないが為に、死に逃げようとした。命を以て償うと言えば聞こえはいいけれど、事もあろうにあたしと同じになりたいとか、巫山戯ふざけたことを口にした時点で、あんたはもう無理だなって思ったわ。どれだけ誰かに叱られようと、たとえ少年院に入れられようと、その性根は変わらない。腐った心根は正常には戻らない。人を恐れ、罪を恐れ、ろくでもない人間になってしまう」


「な……ん……で……」


 やっと口が開けたと思ったら、喉が張り付いてしまっているようで、途切れ途切れにしか声が出ない。


「なんで? 決まってるでしょ。というか、自分の言動省みたら分かるでしょ? 自分が如何にどうしようもないかって。否定していたお父さんよりも、何倍も、何百倍も、どうしようもない人間なんだって」


 ――どうしようもない? あの父親より? 馬鹿な。そんなことあるはずがない。だって僕は、あんな風になりたくないからと努力をしているんだから。


「努力? 結果的に親を殺してしまうような方向性の努力だったのかしら? 最大級の親不幸ね」


 違う。殺したくて殺したんじゃない。あれは、仕方なく――


「仕方なく? 仕方のない殺人なんて相手が自分に殺意や害意を向けた場合のみに適応される正当防衛だけよ。両親はあんたを殺そうとしたの? 傷付けようとしたの?」


 ……………………。


「あんたに矛先が向いたの? 進路の話が出たのは、本当に進路について話あっておくべきだって判断が母親の頭にあったからではないって言い切れるの?」


 ……………………。


「あんたは両親に甘えたかっただけ。母親のゲーム趣味を批判したのも、自分を見て欲しかったからというだけ。父親の仕事を否定したのも、構って欲しかったからというだけ。喧嘩を止めに入ったのも、自分にも目を向けて欲しかっただけ。全部自分のことばかり。だから、誰もあんたを見てくれなくなったんじゃない?」


 ……………………。


「大人扱いして欲しい? 誰よりも子供なあんたのどこを見て大人だと思えばいいのかしら。あんたはただの寂しがり屋で自己中で、周りから相手にされていないと癇癪かんしゃくを起して暴れ回る子供でしかない。――まずはそれを自覚しなさい」


 ……………………。


「そろそろ起きな。もう口も開くでしょ」

「……う」


 ゆっくりと目を開ける。真っ暗な夜空を漂うどんよりとした雲は、僕が『死ぬ』前と同じ、分厚い雨雲の塊として、空を覆っている。


「あ、あれ……」


 両手を見る。何も変化はない。骨折どころか擦り傷ひとつなく、全身のどこにも痛みは感じない。


「ど、どうなって……」

「拾ったのよ。落ちそうになったのを」

「……拾った?」


「説明するのが面倒だから簡単にしか言わないけど、取り憑いてなんかいないの、そもそもね。取り着いたと思い込ませただけ。で、あんたは勝手に自分でフラフラと金網を上って、端っこから飛び降りた。あたしは脳内に語りかけただけ。で、落ちた瞬間に掴まえてここまで引っ張ってきたってこと」


 僕らのいる位置を確認すると、ここは屋上の中心部辺り。

 座ったまま呆けている僕と、隣で腰に手を当て僕を見下ろしているつぐみさんが立っていた。


「あ、あのそれじゃあ、僕は生きて――」

「……ズボンの股のとこ触ってみれば。生きてることを感じられるんじゃない?」

「股……?」


 何を卑猥なことを言う人なんだと思いながら言われた通りに触ってみると、びっしょりと濡れていた。


「うわっ」


 漏らしていた。ちびっていたなんて表現では生温いくらいに、広範囲に及ぶ生温い液体が、僕の股間を濡らしている。


「……怖かったんでしょ、飛び降りるの。まぁ実際は飛び降りたと言っても数センチくらいしか落ちてないけど、ビックリして出ちゃったんでしょうね」

「そうか……」


 肛門付近にも違和感がある。というか、だんだん痒くなってきた。


「まぁいいじゃない、それくらい。――で、あんたはあたしの説教を聞いてどう思った?」

「……」


 返す言葉なんてなかった。返す必要なんてなかった。

 彼女の見方に否定する箇所なんて、ひとつもなかった。


「でも――」


 だったら僕はどうしたらいいんだ。


 全て失ってしまった。両親をこの手で殺してしまった僕は、少年院に入れられ、数年間出てくることはできないだろう。院の中でいじめに遭うかもしれない。もっともっと、捻くれてしまうかもしれないし、やさぐれてしまうかもしれない。


「この期に及んで未だ臆病風を吹かしているの? あんたには失うものなんてないじゃない。今の人生で楽しいの? 両親に愛されたいのに素直に言えない人生は楽しかった?」


 ――楽しいわけがない。


「なら、もういいじゃない。きちんと罪を償う覚悟をしなさい。そこから自分と向き合う覚悟を持ちなさい。根っからの悪人じゃないんだから、自分の行動に責任を持てるようになれば、きっと変われるから」


 僕が……変われる? こんな陰湿で怖がりな僕が、変われる?


「幽霊のあたしとコミュニケーション取れるくらいには度胸あるんだから、それ程怖がりじゃないってことでしょ。それに、死んだ気になってってよく言うけどさ、あんたは今一度死んだんだから。詰まらない人生に幕を下ろしたんだから。第二幕は社会復帰後になるわね」


 ――とにかく覚悟を持ちなさい。


「それだけ」


 と、浴衣の裾を翻し、僕から距離を開ける。


「あたしの言ってること、理解できたよね?」

「……」


 頭では分かっている。今が岐路だということも。

 今こそが、チャンスだということも。


「親を殺した僕が、チャンスをもらえるだなんて」

「あんたの意思次第だよ。頑張れるんだったら頑張りな。諦めるんだったら今度は自分の意思で死にな」


 彼女は金網を指差した。


「……いえ、もう死ぬ気はありません」

「そ」


 短く答え、つぐみさんはふわりと宙に舞う。


「さ、そろそろ帰りなさい」

「――はい。色々とご迷惑をおかけしました」

「ほーんと、迷惑だったわ」


 顎を上げて、顔を逸らしながら彼女は言った。


「でも、暇潰しにはなったわ。ヘタレ中学生男子の滑稽さを見て笑えたしね」


 最後まで酷いことを口にする彼女に苦笑いを返す僕は、それでも最後くらいは凛とした姿を見せたいと、僕は仄かな想いを伝える。


「僕はつぐみさんに一目惚れしてたのかもしれません。だからこうして何度も足を運んだんですねきっと」


 好意を抱いていたのは自覚があったが、明確な恋愛感情を抱いていたんだと、今はっきりと気付いた。


「知ってた」


 照れる様子もなく、自信過剰な様子もなく、決まりきった事実であるというように、彼女は欠伸あくびをする。


「最初から気付いてたけど、応える気は全くなかったよ。だってあんた――」


 優しい笑みを湛え、優しくない台詞で彼女は僕との最後の会話を締め括った。


「ガキなんだもん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る