第19話 たつ者

 大地のキャンプ地。


 風の大地とはじまりの草原をつなぐ中継地にはテントが建ち並び、雨をしのいで休むにはもってこいだったが、今は衛兵が駆けまわっている。


 負傷者の手当て、オークの襲撃地予測、戦力の再建、町の避難指示、救助要請など……到底人手は足らず、混乱のきわみだった。


 現場指揮官のマケナインは木箱に腰をかけていた。


 雨に濡れるのを気にせず、うつろな表情で目を伏せている。

 戦いの傷はアルルが精霊術で回復したのだが、気力が戻っていないらしい。


 アルルが温かいミルクを持ってきて、彼女に手渡した。


「どうぞ。温かいミルクですよ」

「……すまぬ」


 マケナインは手をすべらせて、コップを落っことしてしまう。

 カタカタと手がふるえていて、恐怖はいまだ消えていないようだ。


 俺とアルルとリンは目を合わせてかけるべき言葉を探していると、マケナインが自嘲気味に微笑む。


「ふっ……情けないところを見せたな」

「無理もない。……あわやケースにされかけたんだ。俺だって怖いさ」


 本当にマジで怖いと思う。

 思い出すだけでも背筋が凍りつくし、尻の穴が幻肢痛にでもあったのかズキズキしてしまうぐらいだ。


「私がこのざまでは兵士にしめしがつかないな……」

「誰もアンタを責めやしないさ。まだ休んでいたほうがいい」

「そうも言っておられん」


 マケナインは立ちあがろうとしたが足に力がはいらないようで、悔しそうに何度も太ももを拳で叩いていた。


 リンが心配そうに言う。


「お、おい……無茶するなって。ぶっ倒れちまうぞ」

「…………己の不甲斐なさに死にそうだよ」


 マケナインの身体は無事でも、心は屈したままだ。それでも立ちあがろうとするのは騎士の責任ゆえか。


 アルルはそんな彼女が気になったのか静かにたずねる。


「あの……どうして、そんなにがんばろうとするんですか?」

「不思議か?」

「オークと因縁があるようですが……立ち入ったことなら今の質問は忘れてください」

「…………我が一族の者がな、アレと以前に出会ったのだ」

「一族の者が、ですか?」


 マケナインは落ちたコップを拾い、丁寧に布でふいてから側に置く。

 そして懺悔でもするように重々しくつぶやいた。


「ク=コロッセヨ。私の姉だ」


 ク一族はどうしていかにもな名前をつけるのか……。

 ツッコミをいれたいが場の空気はシリアス極まりない。黙っておこう。


「お姉さんがいらっしゃったのですね」

「強く美しく……自分にも他人にも厳しい騎士でな。私とはちがう本物の騎士だ。本来、私の立場は姉上のものだった」


 マケナインは懐かしむように地平を眺める。


「ふいに見せる微笑みは慈愛に満ちていて……そんな姉上を慕う者は数知れず、有力貴族が声をかけにきたものよ。まあ、手酷くふってはおったがな」


 マケナインの瞳が鋭くなる。

 両手を組み、血が出そうなほど固く握っていた。


「哨戒中の姉上がオークに連れ去られたのは二年前」


 俺は少し引っかかる。

 二年前からあんな過激エロモンスターがいたのか?


「風の大地のモンスターに遅れをとることはない姉上がオークに捕まったというのだ。驚いたよ。四方八方手を尽くして探したのだが……」


 マケナインは口を閉じる。怒りでか肩がふるえていた。

 俺たちが言葉を待っていると、彼女はいまいましげに口をひらく。


「洞窟の奥で……無残な姿で発見されたよ……」


 アルルもリンも沈黙したので、俺がたずねる。


「……殺されたのか?」

「生きてはいる……生きてはいるがもはや別人でな……。凛々しかった姉上の姿はなく、うわごとのように『おち〇ぽケースオーク』の存在をつぶやいていたよ……」

「じゃあ捕まったク=コロッセヨさんは……」

「…………オークに『殺せ』と啖呵をきってはいたそうだよ。だが……」


 俺は静かに首をふる。

 アルルたちの耳にいれたくないのもあるが、姉の尊厳のためにも必要以上に語らなくていいと目で伝えた。


 マケナインは弱々しくうなずく。


「空想上でしかない、おち〇ぽケースオークなど誰も信じなかった。それに……ク一族の者が被害者などと知られるわけにはいかない。だから私はこの二年……おおっぴらにはせず奴の動向を探りつづけ、ついにその噂を聞きつけたのだ」


 俺は慌ただしい兵士を見ながら告げる。


「警護が厳重だったのはク一族の手配か?」

「ああ……オークとゴブリンが徒党を組んでいる話も聞いてな……。姉上の雪辱を果たすつもりが……巨ち〇ぽにいいようにやられてしまったよ……」


 マケナインは魂を吐きだすように息をはいて、背中を丸めた。

 永遠とそのまま黙しているように思えたが。


「立たねばな……」


 マケナインは歯を食いしばって、よろよろと立ちあがる。

 膝がふるえたままで、すぐにでも倒れてしまいそうだった。


「ふっ……巨ち〇ぽに負けた騎士など笑い話だな。それに恐怖する私もだ」


 マケナインは自嘲していたが。

 アルルが優しく否定する。


「笑いません」

「お前……」

「傷ついて、恐怖にふるえて……それでも立ちあがる人をどうして笑えるのでしょう」

「だが……私についてくるものなどもう……」

「マケナインさんは決してお姉さんの代わりではありません」


 アルルが周囲に視線をやる。

 誰もが今、自分ができることをやろうとしている。ときおり、マケナインの復活を信じるような視線が混じっていた。


 部外者の俺でも感じたことだ。

 マケナインの心に届いただろう。


「……私がやるべきことをやらねばな」


 まだふるえはおさまっていないが、彼女の瞳に力が戻っていた。


 俺は少し待ってから話を切りだす。


「マケナイン」

「どうした?」

「アルルたちを危険な目にあわせるわけにはいかない。正直、俺たちはレベル不足だ」


 あのオークが嘘を言うとは思えない。

 ゴブリンの大群でまた襲撃するというスゴミを感じたし、二人をそんな戦闘に参加させるわけにはいかない。


 マケナインはすぐに承知してくれた。


「護衛と馬を貸そう。お前たちには助けてもらった恩がある、はじまりの草原まで無事に送りとどけよう」


 アルルが『自分だけが安全な場所にいるなんて』と言いたそうな顔でいた。

 実際言うだろうし、俺がその前に言葉をつけ加える。


「だからさ、代わりに町の避難誘導を手伝わせてくれ」


 アルルが嬉しそうな表情を見せる。

 リンも仕方なそうに笑っていた。


 マケナインは泣き顔をこらえるように、眉をひそませる。そして、気丈な表情で笑ってくれた。


「ありがとう、旅人よ」


 ※※※


 アルルたちは衛兵と共に町に戻り、避難誘導を手伝っていた。

 町はオークとゴブリンの集団が襲撃すると聞き、大騒ぎだったが混乱は起きていない。町民たちは衛兵の誘導に従ってくれている。


 きっと町を守りつづけた彼らを信頼しているのだとアルルは思う。


「……雨、やみませんね」


 夜通しふるような勢いだ。

 ただ雨にかくれて逃げやすくはある。町で籠城戦をしながらタイミングを見計らい、女子供のような戦えない人と安全な場所に向かうつもりだ。


 道中の護衛が本番だと、アルルは気合をいれる。


 精霊術のストックは問題なし、体力は十分。三日三晩がんばりつづける気でいたし、アルルの体力でそれは十分可能だ。幼馴染のリンからは『格闘家になればいいのに』とは言われたが、やはり自分は精霊使いでいたかった。


「アルル! シャクヤをしらねーか?」


 可愛い女の子になったリンはぶっきらぼうに言った。

 旅に困難はつきものと母親に言われたが、まさかこうなるとは思っていなかったなあと、アルルは苦笑する。


「? なに笑ってんだ?」

「いえ、シャクヤさんは……いなくなっていますね」

「はあ⁉ 前もこんなことがなかったか⁉」


 オッチンポーツナガッター森でも一度姿を消していた。

 あのときはすぐに帰ってきたのだが、リンは不機嫌そうだ。


「アイツ、逃げたんじゃねーだろーな」


 心配しているなら心配しているとそう言えばいいのに。

 リンのわかりにくい優しさをアルルはよく知っていた。


「大丈夫だと思います」

「なにがだ?」

「たぶん、自分にできることをやりに行ったのではないのでしょうか」

「……アルル、なにか知っているのか?」

「いえ……」


 ときおり、彼から不思議な懐かしさを感じることがあった。


 ずっと見守ってくれていたような、ずっと心配してくれていたような、出会う前からシャクヤを知っていたような気がする。

 出会いからして怪しいのだが、どうしてだか彼を疑う気にはなれなかった。


 だから今もきっと、彼は自分のできることをやりにいっている。


「そんな気がしただけです」

「……そーかもな」


 リンにも思うところがあるのか唇を尖らせながら同意していた。


 と、ぴゅーーーと冷たい横風がふいてくる。

 アルルは「きゃっ」と言いながらスカートの端をおさえて、スケベな風にあらがった。


 ここは風の町スケベウインド。悪戯な風がふく――


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 風の町スケベウインド。そこでは悪戯でスケベな風がふく――

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