第25話『返り討ち』

 城中の豪華な客室へ急遽運び込まれたジュストは、大きなベッドに寝かされた。


 さっきまで荒い息を吐いていたはずなのに、青い顔になっている気がする。けれど、私が握っている手はしっかり握り返してくれているし、早く解毒したらすぐに治るはずだ……大丈夫。きっと、大丈夫だから。


 城で勤める医師である御典医がやって来た時、早馬で呼びに行ったはずのトリアノン侯爵夫妻……つまり、ジュストのご両親が現れた。


「フィオーラ様!」


 私が彼女の名前を呼べば、トリアノン女侯爵フィオーラ様は沈痛な面持ちで、部屋に居た人たちに告げた、


「もしかしたら、もう私の義理の息子は、危ないかもしれないわ……ミシェルと、静かに話させてあげたいの。申し訳ないけれど、家族以外は席を外してくれるかしら」


 そんな悲痛なフィオーラ様の言葉を聞き、私は信じられない思いで愕然とした。


 そんなはずはない、私を残して、ジュストが死んでしまうなんて……そんな……そんなはずないのに!


 集まってくれた医者や医療関係者は無言でその場を立ち去り、彼らが去って扉がきっちりと閉まったのを確認したフィオーラ様は、ベッドで横になっていたジュストをちらっと見た。


「もう良いでしょう。そろそろ、目を覚ましたら? ジュスト」


 さっきまでの悲壮な表情はどこへやら、呆れたような表情でそう言ったフィオーラ様に私は驚いた。


 ……え?


 何、嘘でしょう。どういうこと?


 私はこの状況にあまりに驚き過ぎて、涙が引っ込んでしまった。


 青い顔をして目を閉じていたはずのジュストは、パッと目を見開き上半身を起こして、気の置けない関係を築いているらしい義母フィオーラ様に微笑んだ。


「はい。義母上。演技もプロと思ってしまうほどに、とってもお上手なんですね。女優にでもなられたら良かったのでは? きっと、天職でしたよ」


 確かにフィオーラ様は『女優です』と自己紹介されても何の違和感もないほどに、美しい美貌を持ち洗練された身のこなしだった。ジュストのお父様ドレイク様も、そんな彼女の隣に立って困り顔をしていた。


 何? 私だけこの事態に、全然っ……付いていけていないんだけど……。


「あら。舞台に立つ女優になっても、数人の金持ちのパトロンを手懐けるのが関の山。私は自分が、金を出すパトロンになるのよ。誰かから金を貰うような、弱い立場ではなくてね」


 ジュストに向けた色っぽい流し目を私はうっかり受けてしまい、彼女の美しさに惹かれお金を出してしまうおじ様たちの気持ちがわかるような気がした。


「ははは。それは、失礼しました。義母上……ミシェル。そういう訳で、すみません。これは、すべて演技だったんです」


 ようやく私の方へ向き、毒を飲んで苦しんでいたはずのジュストは微笑みそう説明した。


「えっ……演技? どういうこと? ……もうっ……本当に毒を飲んだと思って、心配したんだから!」


 動揺した私の非力な力で胸を何度も叩かれても、抱き止めたジュストはびくともしなかった。彼が十年ほど付いていた職業を考えれば、それも当たり前のことだったのかもしれない。


 けれど、流石に今回はさしもの私も頭に来ていた。こんなにも、心配して……顔をぐちゃぐちゃにして、泣いてしまったのにと。


「そうなんです。僕があのお茶を口に含んだのは、確かなんですけど……あの時、血を吐く前に口を手で押さえたではないですか?」


 そう問われた私は、ジュストが倒れてしまう前を思い出していた。確かに彼はお茶を飲んだ後に、口を右手で覆っていた。


「……え? ええ。そうね。確か、そうだったわ」


「あの時に、僕は手の平に赤い粉を持っていたんです。だから、あれは血ではなく、赤い粉が溶けただけのお茶なんですよ。ちゃんとこれは訳あってしたことなんですけど、ミシェルを驚かせてしまってすみません」


 血では、なかった? 倒れるのも、演技だった? 本当に! よくわからない。なんなの。


「どうして、そういうことをしたの? もうっ……何も私に言わないのも、良い加減にして!」


 混乱して動揺して最高潮に興奮してしまった私を宥めるように、彼はその腕に抱き背中をとんとんと優しく叩いた。


「ええ。ミシェル、ご心配をかけてしまって、すみません……ですが、これは必要なことだったんです。父さん。あれは、持って来てくれた?」


「ジュスト。君は本当に、いつも変なことを頼んでくるねえ」


 息子の呼びかけに応えたジュストのお父様ドレイク様は、私が想像していた通りジュストに良く似ていて美男だった。眼鏡を掛けて髭を蓄え、少し野生的な年齢を経たジュストといったところだった。


「父さんは何も言わずに、僕の言う通りやってくれたら良いんだよ。なんでも好きな研究をする費用だって、父さんが雑に扱っていた研究結果があれば、僕が稼いで来ただろう?」


 いつもは常に敬語を話しているジュストだけど、血の繋がった肉親のお父様の前では違うようだ。


「……まあ、それは、確かにそうだけどねえ……君は本当に悪知恵が働く子になってしまって、誰に似たのか」


 呆れたように言ったドレイク様に、ジュストは鼻で笑って言い返した。


「父さんだよ。父さんに決まっている。父さんだって、研究のためには、寝食忘れて手段を選ばないだろう? 僕はそれが、ミシェルを愛することだったってだけだ。ラザール・クロッシュが自分の仕掛けた罠踏んで居なくなれば、もう変なことも頼むこともなくなるよ」


 ジュストはドレイク様の差し出した緑の小瓶をもらい、少しだけ口に含んで嫌な顔をした。


「不味いね」


「そりゃまあ、美味しく作ってない薬だからね。けど、どうするつもりだい? 毒を飲んだ振りをして、倒れたが、それは病気だったことにするって聞いたけど?」


 病気だったことにするって、どういうことなの?


「うん。僕が軽い肺炎であれば、こうして血を吐いてもおかしくないだろう? 治療中で飲んでいる薬だから、こうして減らしておかないとおかしいからね。今頃、あの場に居たラザールが意気揚々と、陛下なんかに何があったか事情説明している頃だろうからね。ははは。あいつの用意した毒なんて、もう何処にもないのにさ」


「え……? どういうこと?」


 私はぽかんとしていた。ジュストが私に黙って色々計画して実行する人って知っているけどでも……毒を飲んだ振りをして病気だったことにするって、本当に意味がわからないわ。


「ああ。ミシェルお嬢様。僕は少し前から患っていた肺炎で喉を傷つけ血を吐き、この薬を飲んで治療中なんですけど……」


 じっと目を見つめられ真剣に言われて、そうだったのかもと思ってから、そんなはずないと思い直す。


「えっと……そういうことに、しろってこと……?」


「勘の良いミシェルは、大好きです。そうなんです。けれど、僕たちの飲んでいたお茶や茶器からは毒が出てきていないのに、おそらく毒が入っていたことになっているんですね。とても不思議ですけどね」


「……え?」


 毒が無いけど、毒があったことになっている……?


「そうそう。つまり、あのお茶会で、僕かミシェルが死なない程度の毒を飲み、王家がせっかく僕らのためにと主催してくれたお茶会を、話題になりたい目立ちたがり屋だから台無しにしてしまうことになるんですけど……というか、それがラザールが作った筋書きだったんですけど」


「そんなこと! ……いいえ。ラザールは、そうするつもりだったのね。証拠も揃えていたんだわ。だから、私には余裕の顔を向けていたのね」


「ええ……ええ。確かにこの世界には、実際ご自分で自作自演した悲劇の主人公になりたい方もいらっしゃいますから。僕らもそういう良くわからない思考の持ち主にされてしまうところだったんですけど……」


「けど?」


 もったい振ったジュストの口振りにじれったくなって、私は先を促した。


「あの時に飲んだお茶からも茶器からも、毒は検出されませんし、僕は少し前にかかった肺炎の治療中なので、少し吐血してしまっただけ……なのに、何故か毒を飲んだと自作自演したという証拠が何個か出て来るようですよ。不思議ですよね。仕掛け人たちも証言を脅されて強制されていて僕が奴の倍額払ったら、すんなりラザール裏切りましたね。ああ……あのお茶には、どうやら甘い砂糖は入っていたようですが」


「毒と砂糖を入れ替えたの……ジュスト。また、ラザールに罠を仕掛けたの?」


「いえいえ。ミシェル。それは、人聞きが悪いですよ。こちらは返り討ちと申しまして、僕たちに攻撃を仕掛けなければ何もされなかったはずなのに、という悲しき報復です」


 ジュストは清々しい爽やかな笑顔でそう言い、私はやっぱりすべてを知っていて、これをした彼のことが少しだけ怖くなり抱きしめられていたはずなのに少しだけ後退ってしまった。


「ミシェル、どうしました?」


「もしかして……私はとんでもない人を、好きになってしまったのではないかと思ったの」


「え……今、気が付きました?」


 にこにこと微笑んだジュストは、さりげなく私の身体を引き寄せた。


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