第12話『手紙』
『拝啓 愛しいミシェルお嬢様
そろそろ常に傍近くに仕えていた僕が恋しくて、枕を涙で濡らしていらっしゃる頃合いだと思います。
何故、僕があの時何も言わずに去ったかと言うと、ミシェルお嬢様は正直で嘘を付けずに、隠し事があると挙動不審になってしまうとても、とてもお可愛らしい一面があるため、こちらの準備がすべて整うまで何も言わずにいたことをどうかお許し下さい。』
私はそこまで読んで、笑ってしまいながらも、涙が出そうになってしまった。
これは絶対にラザール様が用意した、偽の手紙ではないわ。
加減が絶妙で、これを読んだ私がムカっと苛立ったとしても、すぐにその後の誉め言葉で取り戻せる程度の嫌味……絶対に、あのジュストが書いたものよ。間違いないわ。
やはりお母様も言っていた通り、ちゃんと連絡出来る方法を確保していたからこそ、ジュストはサラクラン伯爵邸を出て行く時に、あの余裕を見せていたのだ。
『ああ。お嬢様のそういうところも、僕はとても好きなんです。誤解なさらぬように。本当に可愛いですよね。一刻も早くお会いしたいです。
僕もミシェルお嬢様の傍を離れる時は、耐えがたいほどに寂しい思いを味わいました。しかし、ようやく色々と準備が整いましたので、この手紙でお知らせいたします。
先日、クランシー侯爵家より、お嬢様へお茶会の招待状が届いていると思います。そちらで偶然に会おうと思っています。
ええ。僕たち二人は何も知らないんですが、偶然そこに居合わせる予定です。偶然です。
僕の義母トリアノン女侯爵もその場にいらっしゃいますが、クランシー侯爵夫人とはそれほど仲が良い訳ではありません。ですから、クロッシュ公爵令息も、あまり警戒していないことと思われます。
だと言うのに……何故、そのお茶会を選んだかは、内緒です。
ほんの数日離れただけだというのに、ミシェルお嬢様の怒った顔が恋しいです。
それでは、数日後のお茶会で会いましょう。
ジュスト・リュシオール』
あまりに彼らしくて、これが偽物かどうかなんて、疑う余地もない。これは、絶対にジュストからの手紙だった。
「……私の怒った顔が恋しいって……なんなの。けれど、とてもジュストらしいわ。やっぱり、色々と準備を進めていたのね」
私は先日アンレーヌ村まで家出をしていたけれど、三日で彼に見つかり、そこでは、サラクラン伯爵邸へ帰らざるを得なかった。
私に仕えている護衛騎士なのだから、ジュストだってあの時、すぐに私を連れて逃げてしまえば誘拐したと思われて、後からこうだったと弁明してもお父様たちからの心証は悪かったはず。
だから、とりあえず私をサラクラン伯爵邸に置いて、追い出された彼が単独で色々と動いていた方が効率の良い方法だったと今では思える。
そして、この手紙にも書いているけれど、ジュストが後で迎えに来てくれると知っていたならば、私はもっと落ち着いて行動していただろうし……秘密を抱えられずに嘘がつけないと言えば、そうなのかもしれない。
今の段階で、サラクラン伯爵邸の中で私がジュストと連絡を取っていると思っている人は居ないだろう。だって、あっさりと彼に置いて行かれて本当に焦っていたし、すごく寂しくて、実際に落ち込んでもいた。
ようやく落ち着いて来た私へ届く手紙は、ジュストではないかと厳しく検閲されてしまうはずだから、まさかよりにもよって婚約者ラザール様の従者ザカリーが、そんなジュストと通じているなんて誰も思ってもいないはずだ。
ザカリーだって、これが仕えているラザール様にバレてしまったら、安定した身分を失い職も失うことになってしまう。彼はそれほどのかなり危ない橋を、敢えて渡ったのだ。
けれど、おそらくジュストはそれ以上の価値がある報酬を彼に支払い、二人の中で話はついているのだろう。
これまでにジュストとザカリーは特に仲の良い様子は見えなかったけれど、私とラザール様は恒例のお茶会で良く会っていたので、そこで話すようになったのかもしれない。
「……けど、嬉しいわ。ようやく、会えるのね……」
ジュストに会えると思うと嬉しくって喜びのあまり、飛び跳ねてしまいそうだった。思い余って手紙にキスをして、それを胸まで下ろしたら、そこに居た人物を見て、私は目を見開いた。
「オレリー……? 貴女、何をしているの?」
私は慌てて、手紙を後ろ手に隠した。そして、『しまった』とは思った。これって、自分にやましいことがありますよって発表してしまっていることにならない?
オレリーはそんな私を見て、冷静に言った。
「お姉様。駄目よ。その手紙は……ジュストに、会うつもりでしょう」
私たちは仲の良い姉妹で、良くお互いの部屋を行き来しているし、オレリーの体調が良くなってからそれは頻繁にあることだった。
けれど、まさかこんなにも見られたくないところを、偶然見られてしまうなんて……。
「そっ……そんなこと、ないわ! これは、ラザール様からのお手紙よ。彼がさっきサラクラン伯爵邸に来ていたことは、貴女だって知っているでしょう?」
先程、私の婚約者は訪問していたし、それを知らされた時、一緒に居たのはオレリーだ。流石に私宛の手紙を渡せとは言えないのか、眉を寄せていたオレリーは大きく息をついて言った。
「……お姉様。ラザール様は、本当に完璧な婚約者なのよ。それをほんの一時の感情で駄目にしてしまうなんて、とっても馬鹿げているわ」
一般的な貴族令嬢としての損得を考えれば、そうなると思う。けれど、私ミシェル・サラクラン個人としての見解は違う。
「後悔なんて、しないわ。私は昔から、ジュストのことが好きだもの。それに、最近、気が付いただけなのよ」
もしかしたら、ラザール様がオレリーのことを好きにならなければ、ジュストのことを好きになっていることに気が付かないままで生きていられたかもしれない。
だって、身分違いの恋が実ることは稀。大体は、不幸な結末に終わってしまう。
生まれ育った環境が天と地ほども違う二人が、新天地に逃げたところで上手く適応出来ずに、上流階級の者から死んでしまう。これまでに何度も繰り返された悲劇で、そういう風に大体の展開は始まる前から決まっているのだ。
けれど、ジュストは自力で身分の差を埋めて、私に求婚して来た。私もそんな彼の努力や想いに応えたいと思うのだって、自然なことのはずだ。
オレリーは可愛らしい顔をしかめて、つらそうに言った。
「私は大好きなお姉様に、幸せになって欲しいの。護衛騎士上がりのジュストは、今は貴族位にあるとしても、それは借り物なのよ。上手くやれるとは思えないわ」
生粋の貴族ラザール様と居た方が私の人生は上手く行くと、オレリーは思っているのだ。損得の足し算と引き算、それはとても簡単で一般的には彼女が選ぶ未来が正解なのかもしれない。
けれど、それは私だって理解しつつ、自分の正解の道へと選んだ。
「簡単ではないかもしれないけれど、私は幸せになるわ。オレリー。私の幸せは、私にしか決められないもの」
とは言っても、オレリーはなかなか納得しがたいようだった。
姉の私は大好きだからと言ってくれるけれど、私だって妹のことを大好きだし、幸せになって欲しい。
なかなか思いが噛み合わない私たち二人は、正反対の性格だからこそ……互いに大好きだと思えるのかもしれない。
◇◆◇
「こっ……来ないのですか?」
クインシー侯爵邸で開かれたお茶会で隣に座ったジュストの義母トリアノン女侯爵フィオーラ様は、色気あるとんでもない美女で、初対面の私でもわかるほどに有能そうな女性だった。
手練手管でその地位にまでのし上がったと聞けば、おそらくそうなのだろうと思う。
けれど、挨拶を終わらせた途端におもむろに『ジュストは今日、事情で来ないわ』と耳打ちされて、私は驚き過ぎて目を見開いた。
嘘でしょう。
今日、ジュストに会えると思っていた私は、大袈裟ではなくまるで天国から地獄に落ちてしまったような気分だった。
「ええ。残念だわ。私、義理の息子に伝言を頼まれただけなの。あの子も色々あるらしくて……ごめんなさいね」
何も悪くない美女にすまなそうに謝罪されて、私はこう言うしかなかった。
「いっ……いえ。私もそれは、仕方ないと思っています。ええ。大丈夫ですわ」
私だって、何か事情があれば約束が反故になってしまうことは仕方ないと思える。けれど、残念だと思う気持ちを、すべて飲み込めるかと言われれば、それはまた別の問題で……。
「顔色が悪いわ。大丈夫?」
てきめん顔に出てしまった私は、初めてお会いしたフィオーラ様にこれ以上気を使わせてしまう訳にもいかずに立ち上がった。
「ええ。少し、涼んで来ますわ……」
一通り参加者の挨拶も済んだことだし、今日のお茶会は大規模に開催されていて人数も多い。私が一人抜けたところで、ほぼ気が付かれないし支障はないはずだ。
……会えると思っていたのに……本当にショック過ぎて、私に付いて来ようとした新しい護衛騎士に首を横に振って『付いて来ないで』と示した。
彼も私がひどく落ち込んで涙目になっている様子を見て『これは関わらない方が良い』と判断したのか、神妙な顔で頷いて元の位置に戻っていた。
別に護衛騎士なんて居なくても……クインシー侯爵家は力ある貴族だし警備の数も多くて、私が庭園をうろうろしていても別に危険なんてないわよ……そんな時でもジュストは、私の傍を離れなかったけど……ジュストではないし……。
私は人気のない庭園のベンチに腰掛けて、目の端に付いていた涙を拭った。
「ジュストの馬鹿……ジュストの嘘つき。本当に、ひどい人……」
今日、久しぶりに会えると思っていたから、気分の上下の落差が開きすぎていて、どうしても落胆していしまう気持ちは隠せなかった。
私はジュストに会いたかったのに、こんなにも会いたかったのに……会えないんだ。
頬に流れ落ちる涙を拭っていた私は、誰かにハンカチを渡されて、何気なく見上げて息が止まりそうになった。
「お嬢様は僕が居ないと駄目な、仕方ない人ですね。そんなに、会いたかったんですか?」
私が良く見ていた護衛騎士ではない紳士の恰好をしたジュストは、軽い動作で私の隣に座りいつものようににっこりと可愛らしい顔で微笑んだ。
「どっ……どうして?」
さっき、私は彼の義母に『今日はジュストは来ない』と、聞いたばかりなのに。
「いえ。こうでもしないと、ミシェルお嬢様の護衛騎士は居なくならないでしょう。すみません。僕が来ないと義母は言いましたけど、この通りあれは嘘です」
久しぶりに会ったジュストは、いつも通り『全部僕の計算通りです』みたいな涼しい顔をして肩を竦めた。
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