第11話『呼び掛け』
「あ。あの本何処に行ったかしら。ジュスト知らない? ……ジュ」
私は自室でお気に入りの本がないことに気が付き、いつも傍に居てくれた彼の名前を呼ぼうとして、そう言えばもうサラクラン伯爵邸に彼は居なかったと思い直した。
邸の主であるお父様の意向に逆らって、この邸に居るなんて無理なことはわかっている。それは理解していたとしても寂しかった。
いつも一緒に居てくれたというのに、もう私の傍に居ないんだと、落ち込んでしまう。ただそこに居るだけだと言うのに、支えてくれた彼の大事さに気がついた。
彼なしでは居られないくらいに、私はジュストのことが、とても好きなのだ。
居なくなってしまったことで、その想いはより強まったと思う。
ジュストがこのまま居なくなってしまうなんて、絶対に嫌。どうにかして、連絡を取らなければ。
……とは言っても、サラクラン伯爵邸の使用人たちも妹オレリーも、一度家出をしてしまった私を完全に見張っている状態。
この前は手紙を出そうとしただけなのに、宛先を何度も確認された。あれだと、隠れてジュストと連絡を取ろうとしても彼らに受取人まで確認されてしまうだろう。
けれど、そんなことをしなくても、私にはジュストが何処に居るかすらもわからないというのに。
これではこの先、ジュストとどうすると相談することだって出来ない。ジュストのことだから考えがあるに違いないとは思いつつ、逆に何も考えてなかったのでは? とまで思えて来てしまう……大きく溜め息をついてしまった時、扉が勢いよく開く音が聞こえた。
「……お姉様!」
「どうしたの? オレリー。驚いたわ」
オレリーはいつも大人しく、姉の私の前でも礼儀正しい。彼女のこんな無作法な振る舞いは珍しく、とても驚いてしまった。
「何度も言うけど……元護衛騎士で……まあ、貴族の身分を得たとは言え、ジュストと恋人になったばかりか、彼と結婚したいなんて、絶対に駄目よ! あいつ、本当に性格悪いのよ!」
オレリーは私がラザール様と婚約解消してジュストと結婚したいと言っていると知って、絶対に阻止したいと考えているようだ。
何度かこれを伝えに来たけれど、私が頑として受け付けないものだから、オレリーの方も絶対に折れないと意地になってしまっている。
私だってこればかりは、可愛い妹オレリーが望んでいるからと引く訳にもいかない。
そして……父もラザール様がオレリーと婚約したがったことは、流石に知らせていないようだ。
「知っているわよ……そこが、好きなのよ!」
ジュストが性格が悪いことなんて、付き合いの長い私なんて十年ほど前から、ずっと知っているのだ。
ジュストの場合、好きな女の子だから虐めたいなどという可愛いものではない。多分、困っていたりイライラしているところを見て彼にしかわからぬ視点で楽しんでいるから、タチが悪いと思う。
……そんな彼のことを、世界で一番好きだと思っている私も相当おかしいとは思うけど。
「お姉様……男の趣味が悪過ぎよ!」
それは否定出来ないかもしれないけど、妹に騒がれたくらいで、好きな人を好きでなくなる決意をする姉は居ないと思う。私だってそうよ。
「ねえ。オレリー。私のことをいくら悪く言っても良いけど、私の好きな人のことを悪く言うのは止めてちょうだい。貴女だって、誰か好きな人が出来れば私の気持ちをわかってくれると思うわ」
オレリーは健康になって、これから楽しい貴族令嬢生活を開始するはずだ。社交界デビューだってちょうど良い年齢なのだし、もしこの子が夜会に出れば、貴族令息たちが列を成すはずよ。
……ひと目で恋に落ちたラザール様のことは置いておいたとしても、本当に私の妹は可愛いんだから。
「まあ! お姉さま。私のことを、いつまでも病弱で寝たきりだなんて思わないで。私にだって、すでに好きな人くらい居るもの」
私は妹が胸を張り言った『好きな人が居る』という言葉を聞いて、あまりに驚き過ぎて、唖然として声が出なくなってしまった。
え。どういうこと? ……オレリーに、好きな人が居るですって?
「……なんですって? それは、一体、誰のことなの?」
妹オレリーに好きな人が居るとなれば、色々と話は変わって来てしまう。そもそもの話、祖母同士の大昔にした約束なんて、それほど拘束力のあるものでもないと思うけれど……それにしたって。
「ふふ。それは、内緒よ。お姉さま。お姉さまだって、私に隠していたことがあったでしょう?」
私はそれを聞いて、『もしかしたら、オレリーはラザール様が自分を婚約者に望んでいると知っていたのかもしれない』と思った。
……けれど、そんな訳はない。それだけは、お父様も言わないだろうし、誰もが愛するこの子に悲しむしかないようなことを誰がわざわざ伝えるだろう。
おそらく、私がジュストとのことを、ずっと黙っていたと勘違いしているのだろう。
「……ジュストと私が想いを告げ合ったのは、家出してからよ。それまでは、私はラザール様に嫁ぐと思っていたし、そういう未来が現実になることを疑ってもいなかったもの。だから、別に隠していた訳ではないわ」
「お姉さま……そうなの?」
やはり、オレリーは私がジュストと自分の関係を、ずっと黙っていたのだと思ってたようだ。
ふうっと大きく息をつき、私は頷いた。
「ええ。そうよ……私だって、貴族の義務は果たすつもりだったわ。けれど、ジュストと結婚出来るのなら、そうしたいの。出来れば、貴女にも私たちのことを応援してもらいたいわ……私のたった一人の妹だもの」
「お姉さま……」
「……ミシェルお嬢様。オレリーお嬢様。お取込みのところ申し訳ございません」
ちょうどその時、開けたままにしていた私の部屋の扉を、遠慮がちに私付きのメイドサリーが叩いたので私は苦笑して言った。
「……良いわ。サリー、何かしら?」
急ぎの用があるのに、私たちが話していたからなかなか伝えられずに機会を窺っていたのだろう。
「はい。ラザール様がミシェル様に会いたいと、いらっしゃっております。今は応接室の方へお通ししておりますが」
本来ならば、貴族の訪問は先触れがあるはずだけど、この前に会ったラザール様は、ジュストのことで婚約者の私へ色々と不満があるようだし、そういう『気に入らない』といった気持ちを行動で表明しているのかもしれない。
なんなのかしら……私だって不満があるのは、同じことなのに。
「ラザール様が……そうなの。支度して、すぐに行くわ。オレリー、また話は後にしましょう。身体が良くなったと言っても、無理をしてはいけないわ」
「はい……申し訳ありません。お姉さま」
私に大事な訪問者が居ると知り、そこでは駄々は捏ねられないと思ったのか、オレリーはしゅんとして部屋から出て行った。
私にとってあの子は妹で本当に可愛いけれど、やはり病弱で今までほとんど人に会わず慣れていないせいか、まだまだ我が侭なところが抜けていない。
◇◆◇
「ごきげんよう。ラザール様」
私がドレスに着替えて応接室に現れると、ラザール様は立ち上がり、紳士らしく私の椅子を引いてくれた。
「……ミシェル。君は、今日も美しいね。こんな婚約者を持てて、僕は幸せ者だ」
私は彼の言葉にいつものように『私も光栄です』とは言えずに、曖昧に微笑むしかなかった。
私が彼と婚約解消して、ジュストと結婚したがっているとわかっている癖に……本当に嫌味が上手だし意地悪だわ。
自席へと回ったラザール様は座り、メイドがお茶を淹れるのを待ち、これから二人きりで話をしたいからと人払いをした。
「……君には、本当にがっかりしたよ。ミシェル。だが、貴族の責務として、ミシェルとの婚約は解消しない。僕は君と結婚する。良いね?」
この話をされると思い覚悟をしていた私は『やっぱり来た』と心の中で思い、こう来たらこう言おうと考えていた言葉で切り返すことにした。
「……ええ。がっかりさせてしまって、本当に申し訳ありません。けれど、別の方と結婚したいと望んだことを責められるであれば、私たちは同じ罪を犯したのではないかと思うのですが?」
これは私本人にはまだ知られていないと思っていたのか、ラザール様は優雅に呑んでいたお茶を吹き出しナプキンで拭った。
熱かったでしょうね。良い気味よ。
私は澄ましてお茶に口を付け、しばしの沈黙が流れた。
「君は……あの護衛騎士に、話し方が良く似ているな」
それは、嫌味のつもりで言ったんだろうけど、ジュストのことが好きな私にとって、それは誉め言葉よ。
「長い間、私たちは近い距離で過ごしていたので、そう思われても、何もおかしくありませんわね……」
「……あれは、悪かった。僕もどうかしていたんだ。一時の気の迷いだ。同罪ということで、お互いに忘れよう」
ラザール様は思わぬところで自分の罪を明かされ、この場を収めるために、それを言うしかなかったのかもしれない。
けど、申し訳ないけど、そんな申し出はお断りよ。
「いえ。同じ罪ではなさそうです。私はラザール様が長く婚約していた私にはそれほど興味がないと知り、大きな衝撃を受け家出をしました。その先で、私の身も心も助けてくれたのは他ならぬ彼なのです」
「……どうかな。破滅を招く使者にならなければ良いが」
ラザール様はそれきり何を言っても黙ってしまった私に対し流石に居心地が悪かったのか、色々と言い訳しつつ帰って行った。
……同じことをしていると指摘されて、同罪だから忘れようって、どういうこと?
オレリーの一件から私の中で、どんどんラザール様が嫌いになってしまう……ううん。元々嫌いだったのかもしれない。婚約しているから、良い部分に目を向けて好きにならなければいけないと、そう思い込んでいただけで。
「……失礼します。ミシェルお嬢様、こちらをお預かりしています」
礼儀作法通り見送りをして自室に帰ろうとした私を呼び止めた茶色い髪の背の高い従者は、確かラザール様の従者のザカリーだった。メイドたちにも人気のある男性だったと思う。
確かにこうして近くで良く見ると、顔が整っている男性だった。
「……ああ。ありがとう」
ラザール様。あれを反省して謝罪の手紙でもくれたのかしら。面倒だけど礼儀として、返事は返さなくては。子どもっぽい真似は、私の評判を落としてしまうもの。
そう思って手紙を何気なく開くと、署名にジュストの名前があって、私は慌ててそれを閉じた。
立ち去ろうとしていたザカリーは、差出人に気が付いている私を見て、不敵に微笑んだ。
どうして、ラザール様の従者ザカリーが、ジュストからの手紙を持っているの……? 私はドキドキしながら素知らぬ顔をして自室へと早足で急いだ。
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