第13話『狼狽』
「……いつも傍にいてくれたジュストが居なくて、すごく寂しいの。今日も会えないと聞いて、本当に辛かったんだから」
私がここで軽く悪態をつくと思っていたのか、いつになく素直になった私に、ジュストはぽかんとした表情になっていた。
……何なの。『一体、何を言い出したのか』みたいな、その顔は……本当に、失礼だわ。
けれど、そんなところも、可愛らしい顔も、堪らなく好きなのだ。こうして久しぶりに会えて、それだけでも嬉しくて喜びが溢れそうなくらい胸がいっぱいになってしまうほどに。
私は本当に寂しかったし、ジュストに会えなくて辛かったのに、目の前に居る彼は余裕綽々で、何故かそうではないように見えた。
どうして……私だけがこんなに好きなの?
好きだと自覚させてから、あっさりとした態度で傍から居なくなったくせに、こうして二人で会っても今まで通りで、飄々とした態度で何も変わりない。
……こんなにも、ジュストのことを好きなのは、私だけなの?
「その……あの、ですね」
久しぶりに狼狽しているジュストは珍しく頬を赤くして、こほんとわざとらしく空咳をした。
「何なの。私だけ、好きなの? ジュストは違うの? 私は会えなくて……っ」
「お嬢様。どうか、その続きはお待ちください」
急に真剣な表情になったジュストは私の口を塞ぎ、周囲を見回して警戒していたようだった。私はしばし待って彼の大きな手が離れてから、何があったのかと首を傾げた。
「……何? 誰か、不審人物でも居たの?」
こんな警備の固められた高位貴族の邸にある庭園に、そんな人が居る訳もないけど、ジュストの動きは明らかにおかしかったし、私は眉を顰めつつそう聞いた。
「いえ! いけません。いけません。そのように、これまでの僕のしてきた努力を、すべて無にしてしまうような……男を惑わせてしまうような誘惑を……どこで覚えて来たんですか。やはり短い間だけと思い、お嬢様のお傍を離れるべきではなかったです」
いつになく早口なジュストに、ますます彼の言葉の訳がわからず困惑した私は言った。
「もう……何を言っているの。私は誘惑なんて何もしていないわ。だって、そう思っていたから、ちゃんと言葉にしただけよ」
ジュストが私を揶揄うのはいつものことなんだけど、ここで彼がそんなことを言い出すなんて、思いもしなかった。
「お嬢様……あのですね。まだ僕たち、一緒に住む訳にはいかなくてですね……ほら、ラザール様の件とか、サラクラン伯爵とか……乗り越えるべき大きな壁が、いくつも残っているではないですか」
「? ……わかっているわ」
私がそれをわかっていないはずないのに、ジュストは不思議なことを言う。
「自覚なく、お嬢様にそういう可愛らしいことを言われてしまうとですね……ここまで耐え抜いた鋼の理性を持つ僕も、我慢出来なくなってしまいますので、その、なるべくお嬢様の可愛いお言葉は、控えめにしていただけると有難いです」
「え……私、可愛かったの?」
私はジュストに会いたかったと素直に思っていたことを言っただけなんだけど、彼にはそこまで我慢出来ないくらい可愛く聞こえたのかと照れつつ微笑んだ。
「……ええ。僕くらいの強い耐性がなければ、死人が出てもおかしくない致死量の可愛さでした。あまり振り撒くと、悪い男に攫われて……二度と帰って来られなくなりますよ」
そんな脅しつけるような言葉も真剣でありながらも冗談であることを表すように、口元は笑っていた。
私たちの関係がはっきりとして、ジュストが変わったところと言えば、私を好きだということを隠さない甘い眼差しだ。
じっと見つめられていると、胸が高鳴って何も考えられなくなり、おかしくなってしまいそう。
だから、私はジュストからわざとらしく目を逸らして、拗ねた口ぶりで言った。
「だって、ジュストが会いに来てくれるのが、遅かったわ」
ジュストに会えたことは、確かに嬉しい。嬉しいけれど、不満があるとするならば、これしかない。だって、彼はそれまでは、毎日傍に居てくれたというのに。
「……申し訳ありません。かのお方が出席されるのが、直近で明日でしたので。ギリギリまで、粘りました。素直なお嬢様が、何かの拍子に口にしてしまう可能性もありますし……僕にとっては、一世一代の勝負ですので、ここで失敗したくなかったんです」
「かのお方って……誰のことなの?」
ジュストが私のことをどれだけ失言する女だと思っているのか気になったけどここは置いておいて、彼の言う『かのお方』の方が気になった。
「ええ。そうです。さ迷える僕らをお助けしてくれるだろう、唯一のお方です」
「……それも、直前まで私に教えてくれない訳?」
私はこの状況に不満はいっぱいあれど、ジュストのすることに間違いはないだろうという安心感もある。
ジュストがそう言うのなら、そうなのだろう。
「ええ。言ったでしょう。僕にとっては、これからは絶対に失敗出来ないことですので、不安要素をすべて排除してしまいたいんですよ」
「わかったわ。私、ジュストのこと……信じているから」
そう言えば、彼は慎重に周囲を見回して、私のことを抱きしめた。
「光栄です。お嬢様。僕は貴女を失う訳にはいきませんので……すべてを今ここで話す訳にはいかず、申し訳ありません」
安心出来るジュストの腕の中で、私は彼のことが本当に好きなのだと再確認する。
婚約しているラザール様には申し訳ないけれど、彼の納得がいくような理由で早く婚約解消すべきとも。
「……いつまで、お嬢様なの? ジュスト。貴方はもう、サラクラン伯爵邸に雇われていないようだけど」
私を『お嬢様』と呼ぶのは、サラクラン伯爵家のものだけだ。公式にはサラクラン伯爵令嬢と呼ばれるだろうし、その時にも名前に敬称が付くくらいの話だろう。
ジュストはお父様が解雇してしまったし、サラクラン伯爵家との雇用関係は切れている。
だから、今ここに居るのは貴族の身分を持つ、ただの男女二人なのだ。
「お嬢様は一生、僕の大事なお嬢様なんです。貴女をこの手にするために、これまで生きて来ました」
「……やっぱり、ジュストのお父様を叙爵されるように仕向け、フィオーラ様と結婚させたのも、貴方なの?」
ナディーヌお母様は絶対にジュストの仕業だろうと断言していたし、私もお父様のことが書かれた新聞記事を見てから確信していた。
……きっと、ジュストがそうなるように手を回したんだろうと。
「……お嬢様は僕が思っていたよりも、鋭い名探偵なんですね」
間近にあるジュストの可愛らしい顔が苦笑いをして、やっぱりこれはそうなんだと思った。
……それでは、きっと……これも、そうだわ。
「それに、オレリーの病の特効薬を、お父様が開発されたこともそうなのでしょう? ……ねえ。ジュスト。少しだけ……怖くなる。これって、私と一緒になるために、全部貴方がしたことなの?」
私の傍に澄ました顔で常に居てくれた護衛騎士ジュストは、ここまで来るためにどれだけの犠牲を払ったのかと思うと、少しだけ怖くなる。
だって、就寝まで私と一緒に居てくれるから、彼が動くとするなら、それから。睡眠時間を削ってまで、上手く行くとは限らない努力を積み重ねて、ジュストは今ここに居る。
「父親がそうなるように働きかけをしたことは、確かに事実ですけど……これが上手くいかなければ、別の手を考えようとは思っていました。男爵位ではサラクラン伯爵は絶対に説得出来ないと思っていましたし」
だから、父親を侯爵位持ちの未亡人と結婚させたの? もう……私のためにしたことだなんて、本当に信じられない。
「……ラザール様のことがあって、今思えば、良かったのかもしれないわ。あの時はこれまでのすべてを否定されたみたいに思えて、本当に辛かったけど、ジュストの想いにこうして気が付くことが出来たもの」
悪い事があっても良い事があるって、本当のことなのねと私は思って微笑んだ。
ジュストは何も言わずに微笑み、私の頬にキスをした。
なんとなく、その時の彼が何かを誤魔化したような気がしたけれど、明日のための重要な打ち合わせの中で、いつの間にか忘れてしまっていた。
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