第5話『支度(Side Just)』
「そっか……オレリーお嬢様も、未来の義理の兄を見ることが出来て喜んでくれたみたいだね。ありがとう」
僕がお礼を言ってにこっと微笑めば、サラクラン伯爵家のメイド服を着た可愛い彼女は顔を赤らめて去っていった。
僕は今朝、オレリー様のお付のメイドに、とあるお願い事をした。
……「今日は良い天気だし、せっかくだから、オレリー様に散歩を、ご提案してくれないかな?」
これがもし、何か面倒な事になりそうなら、口止め料としてお金を渡すつもりだった。
けど、あの様子ではただの好意の提案だと勘違いしてくれていそうだし、大丈夫だろう。人の好いサラクラン伯爵の使用人たちは当主の気質を反映してか、穏やかで人を疑わない人たちが多かった。
いやいや……僕は何も、おかしなことはしていない。人と人が会う機会を意図的に作ることは、別に犯罪でもなんでもない。
心の中にやましいことがあるせいだろうか。それほど悪いこともしていないのに、誰かに咎められそうなそんな気がしてしまう。
ミシェルお嬢様の婚約者ラザールは、出会った当初から僕のことが気に入らないようだった。まあ、それは僕だって彼と同じ気持ちになったし、仕方ないと思う。
婚約者が自分よりも自然に頼る異性など、それはそれは気に入らないことだろうから。
そもそも、僕とミシェルお嬢様は一緒に居る時間が長く、たまにしか会わない彼とは比較にもならない。接触機会が多ければ、好印象を与える回数も違ってくるものだ。
何も考えていないミシェルが無意識に僕を優先しているように振舞ってしまうのも、それは仕方のないことだ。
世間知らずの父と侯爵位持ちの未亡人と結婚させるのも、案外上手くいった。
身ひとつで手練手管を使い貴族まで成り上がった女性には、父のような学問一筋で純粋な男性がやたらと可愛く思えてしまうものらしい。
この後、ラザールは一時の気の迷いを起こすはずだ。そして、やはり長年同じ時を過ごし気心の知れたミシェルが良いと思い直す。
……そんなものだ。男はいつもとは違う味が、たまに食べたくなるものだ。物珍しい方へ浮気心が芽生えるなんて、本当に良くあることだよね。
けど、僕はあいつが迷った小さな隙を、なんなく見逃したりなんて、絶対しないけどね。
◇◆◇
「あれ? ……ミシェルお嬢様、それって何ですか?」
出入りの商人からこそこそと小袋を受け取って、廊下を歩く挙動不審なミシェルに敢えて偶然見かけた風に声を掛けると、彼女は慌てて後ろ手にそれを隠した。
「なっ……何でもないわ! ……ジュスト。私今から忙しいから、放っておいて欲しいんだけど?」
「お忙しいところ失礼しました。かしこまりました。お嬢様」
微笑んで了承した僕が何処へ行くかを、じっと確認しているミシェルは、意図がわかりやすくて可愛い。まるで、腹いっぱいで自分から興味なく離れて行く肉食獣の動向を必死で伺う小動物のようだった。
……ふーん。おそらく、私物の宝石を換金して、使いやすい硬貨を用意して貰ったというところか。
「……あ。ジュスト。私、午後は大事な手紙を書きたいの。絶対絶対、部屋には入ってこないでね」
その場から立ち去ろうとする僕に、思い出したかのようにミシェルは言った。
「はい。ミシェルお嬢様。僕は大事なご用事の邪魔は、決して致しませんよ。ご安心ください」
そして、見るからに警戒している彼女が自室に入るところを確認して、ミシェルが希望した通り一旦ここを離れようと思った。
ラザールが血迷ったあの話を聞いて、ショックを受けたミシェルが家出しそうな気配は、薄々察していた。
ミシェルは貴族令嬢の中でも箱入り中の箱入りで、次期公爵となるラザールの婚約者であることもあって、公爵夫人である未来も確定している。
権力の匂いに敏感な貴族たちの中で、おっとりした性格の良さも相まって、とても大事にされて来た存在だ。
つまり、これまでに自分を否定されることには慣れていないから、一度でもそんな自分を拒否しようとした婚約者を許したくても許せない。
世間知らずの少女らしいそういう純粋な潔癖さを、持ち合わせていた。
「あ。ジュスト? ……少し、良いかしら?」
「どうかしましたか?」
心配顔のメイドに呼び止められて、僕は立ち止まった。
「実はミシェルお嬢様が庭師の息子に、辻馬車の乗り方を聞いていたらしいの。あの方が辻馬車に乗ることを考えるなんて、なんだかおかしいわ。だから、もしかしてとは思うんだけど……お嬢様は家出なんて、しないわよね?」
ミシェルが家出するのではないかと心配して、常に彼女の傍に仕える僕に忠告をして来てくれたようだ。
「そんな、まさか! クロッシュ公爵夫人になる未来を捨てて? それはあり得ないと、僕は思います」
損得を単純計算出来る大多数の人ならそう考えると思うだけで、純粋培養貴族令嬢ミシェルは違うかもしれないけどね。
「そうですよね……! 最近、ミシェルお嬢様の様子がおかしいことは間違いないから、ジュストも気をつけて見ておいてくれる?」
「ええ。任せておいてください。僕が傍近くに付いている限り、お嬢様は大丈夫ですよ」
わざとらしく胸に手を当てた僕を見て、メイドは安心したように笑って去って行った。
しかし、これは、間違いなさそうだ。身近な辺りで必要な情報をかき集め、本日、硬貨の両替が出来て準備が整ったから、そろそろ家出するつもりだろう。
ミシェルが一体何処に行くつもりなのか知らないが、そうなれば、僕も手早く遠出の準備でもするか。
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