第6話『本当の気持ち』
こうして、私たちの間にある障害が何もかも取り払われたとして……落ち着いて考えてみると、私……ジュストのことが、好き。
身分違いだと思っていたから、知らない振りをしていたけど……私は彼のことが、好きだった。ずっと。
けど、ジュストに恋しても絶対にそれは叶わないって、思っていた。だから、好きではないと、これまで自分の心を誤魔化していた。
身分の差、定められた婚約者、貴族として課された義務。
私がここで頷いたなら、この恋がもし、叶うとしたら……私は、頷きたい。
うん。そうよ。
何度か深呼吸をして覚悟を決めて、ジュストが待つ背後へ振り向いた。
「……お父様は……怒らないかしら?」
薄暗い光が差し込み埃舞う室内で、ジュストはいつも通り、飄々とした態度を崩さない。
護衛騎士ジュスト・リュシオール。十年ほど私の一番近くに居て、ずっと守っていてくれた人。
「サラクラン伯爵は一時的には怒るかもしれませんが、愛するミシェルお嬢様が幸せであれば、きっと許してくださいます。それに、保険を掛けるようで申し訳ありませんが、運悪くわかっていただけなくても最終的には孫の顔を見ていただければ、それは解決するはずです」
ジュストはすべて僕の計算通りです、みたいな澄まし顔をしている。いつものことなんだけど。
私がここで頷くことだって、彼にとっては予想することは簡単なことだったはずだ。
「私……本当にラザール様との婚約を解消して……ジュストと、結婚することが出来るの?」
そう出来るなら、そうしたい。だって、今までにこれが出来るなんて、思ってもいなかったから。
身分違いの恋を自覚した今、もし叶う道があるのならば、私は迷わない。
「はい。出来ますよ。お嬢様が、そう望まれるのであれば」
ジュストは両腕を軽く開き、にっこりと微笑んだ。
長年一緒に居た彼には、何もかも全てお見通しなのだ。私がここで、何を望んでいるのかを。
「ジュストっ……!」
涙ぐんだ私が小走りで抱きつけば、ジュストは抱きしめて、背中をぽんぽんと叩いた。
「……泣いているお嬢様を、僕がこうして抱きしめるのは、なんだか久しぶりですね」
ジュストは幼い頃から私付きの護衛騎士だったし、悲しいことがあって泣いている私を慰めるのは、いつも彼の役目だった。
ラザール様が私の婚約者に決まって、思春期に入る頃にはこれは男女ではあんまり適切な行為ではないと知って、そうしないように気を付けていた。
けど、こうして彼に久しぶりに抱きしめられて、とても良くわかった。
私はこれをずっと望んでいて、けどそれはいけないと自分の中で禁じていて、無意識に求めてやまないくらいにすごく寂しかったんだって。
「私……本当に、ジュストと結婚出来るの……?」
私が彼を見上げたら、いつものように楽しそうな表情で微笑んだ。
「出来ますよ。この後は僕がどうにかしますので、お嬢様は何も心配しなくても、大丈夫です」
「……嘘みたい。嬉しい……」
嬉し涙をこぼした私の頬に親指を当てたジュストは、そのまま顎を持って私の唇を撫でた。
「……あの、無事に想いが通じ合ったところで、キスをしても良いですか。ミシェルお嬢様」
真剣な表情のジュストを見て、私は若干ムッとしてしまった。だって、彼を受け入れたこの状況で、キスが嫌だなんて誰が言うと思うの?
「……それも、貴方の得意の意地悪なの? ジュスト」
護衛騎士ジュストはいつも、物知らずな私のことを揶揄って遊ぶ。これもその一環なのかと警戒したら、彼は首を横に振って苦笑して言った。
「いえ。それをしてしまうと、今まで培った鋼の自制心がなくなり、もう止まれなくなるかもしれないので、ここはお嬢様ご本人にちゃんと許可を得た方が良いかと思いまして」
……止まれなくなる……? どうして。ジュストが止まる必要なんて、あるの?
「……別に構わないわ。だって、私たち、もうすぐ結婚するんでしょう?」
私がそう言って頷けば、ジュストは楽しそうに微笑んだ。
「ええ。その通りです。ですので、うん。何の問題もありませんね」
背の高い彼は背を屈めて私の顎を持ち上げて、目を合わせてじっと動かなかった。
「……ジュスト?」
……どうして、私にキスをしないの?
いくら待っていても、なかなか近づいて来ない彼に焦れて私が呼べば、ジュストは苦笑して言った。
「いえ。長年願い続けたものが、すぐそこにあると思うと、人は叶えることが怖くなってしまうんですね。僕もこんなに怖いと思う感情を……生まれて初めて、知りました」
整った顔が近づいたと思えば、唇が重なった。
「……何、企んでいるの?」
そういう悪い顔をしていた。ジュストは私が彼に何か隠し事をしていたりすると、良くこういう表情になった。
それをネタに揶揄われることがわかっているのに、私は嫌な顔をしながらもそれを待ってしまうのだ。
そうされることが、嫌ではなかったから。
「こんなにも可愛らしいお嬢様を、これからどうやっていじめようかと考えています」
ジュストはいやらしさなんて見えない可愛らしい顔をしているというのに、私の纏っていたドレスを床に落として楽しそうな表情になっていた。
薄い下着姿では心許なく、私は後ろへと後退ろうと思った。
「私のこと、揶揄って遊ぶつもりなの? ……いつもみたいに」
これまではジュストは私が驚いたり、彼の言ったことにイライラしたり……そんな様子を見ては、楽しんでいた。
けど、今思い返すとそうしてもらっても、一緒に居れて話せれば、それだけでいつも嬉しかった。
そのくらい、私はいつも傍に居るジュストのことが好きだった。
「僕はお嬢様で遊んだことなんて、これまでに一度もありませんね。そんなに人聞きの悪いことを言わないでください」
「けど、私を虐めるってそういうことでしょう」
「いえ。僕が言っているのは、大人の意味でお嬢様をいじめるってことなんですけど……口で説明してもきっとわからないので、これから実践してお教えしますね」
ジュストはそう言い、傍にあった大きなベッドの上の埃避けの布を外した。その下にあるのは、ここで暮らしている時に彼が使っていただろうベッドだ。
私を抱き上げるとベッドの上へと寝かせ、自分の上着を脱いだ。
「……綺麗」
私は窓から差し込む光に、キラキラときらめく埃を見て言った。白いシャツ姿になったジュストは苦笑して、私の頭の横に両手を付いた。
「なんだか……とても、余裕がありますね。お嬢様。これからの未知の体験が怖くないですか?」
「……だって、ジュストは私の嫌がることを、絶対しないでしょう?」
ジュストは私が嫌がることを、今までにしたことがない。だからこそ信頼しているし、彼を疑ったことなんていない。
それを聞いたジュストは、苦笑して頷いた。
「そうですね。敢えてすることは、絶対にないとは言い切れますけど……そこまで純粋に信頼されていると、なんだか、それはそれで、複雑な気持ちになりますね……お嬢様。どうして欲しいですか? 止めます?」
ジュストはいつも通りで、揶揄っている楽しそうな表情。そんなことを私が希望するはずもないのに、彼には何も言わずともわかっているのだ。
この先ももっとして欲しいと、そう思っていることを。
「やっ……止めないで」
「かしこまりました」
ジュストの唇は首の辺りにいくつも赤い跡を残しながら、下へ下へと降りていった。
「っ……ジュストっ……」
「申し訳ありません。痛かったです? これでは、痕に残ってしまいますね……」
私の鎖骨に付いた赤い痕は、確かに他のものと比べて色が濃い。そして、ジュストはそこで呆気なく身体を離した。
「……どうして?」
まだまだこの行為は続くだろうと思っていた私が驚いて見上げれば、ジュストは苦笑して上着を着るところだった。
「もう少し……我慢強いと思っていたんですが……すみません。ここまでにしておきます」
「どうして? 私たち結婚するんだし……良いでしょう?」
私たち貴族令嬢は初夜まで純潔を守らねばと口では言いつつ、結婚の決まった婚約者と楽しんでいる子も居る。実際のところ、私とラザール様のようにキスも交わしていない方が珍しい。私たちはある程度、情報交換をしていたのだ。
ジュストは両手で耳をパッと塞ぎ、目を閉じて、しばし無言だった。
「はー。危ない……サラクラン伯爵邸のシェフのジョンが夏祭りで女装して踊っているところを思い出して乗り切りました。まあ、まだ婚約している訳でもないですし、ここまでにしておきます。よしよしして頭を撫でてくれても良いですよ」
「ジョンの女装姿ですって? 私も見たかったわ」
夏祭りは使用人たちは羽目を外すと聞いていたけれど、ジュストもそんな中で女装していたのかもしれない。
「ええ。彼のおかげで乗り切れて感謝しています。自慢の鋼の理性が終わってしまうところでした。危なかったです」
てきぱきと私の服を直して、なんならドレスも元通りに着付けてくれた。
「……どうして、あれ以上しなかったの?」
うずうずと高まりゆく行為に期待していたのは私だけだったのかと問えば、ジュストは微笑んで答えた。
「僕は三手先を読むを身上にしているんですが、快感に悶えるお嬢様の可愛さを完全に計算違いしておりました。ですが、ミシェルお嬢様への愛ゆえにギリギリで我慢することが出来たので、今はほっと一安心しております」
「それなら、別に我慢しなくても良かったのに……」
途中で寸止めされてしまった私は、なんだか不完全燃焼だった。
「いえ。それは無理でした……けど、あそこまでいって、途中で止めようと踏みとどまった僕に拍手して欲しいです。お嬢様」
これは揶揄っているのか大真面目なのか、判断のつかない私はベッドに座ったままで大きく息を吐いた。
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