第7話『帰路』
ジュストの実家を出た私たち二人は、物慣れない女性一人旅をしていた私を本当に心配してくれていたという村長さんへと挨拶に行った。
彼と直接話してみると、私が家出した事情を聞いて『それは家出もしたくなるね』と親身になってくれて、怖そうな外見とは裏腹に本当に優しそうな人だった。
この村で育ったというジュストを幼い頃から知っているようで、私の護衛騎士として仕事をしている彼のことも、こんなに立派になって良かったと涙ぐんでいた。
こんなにも優しい人ならば、名前も知らない女性が路頭に迷っているところに、救いの手を差し伸べたとしても全然おかしくはない。
助けてくれようとした彼をうさんくさいと逃げ出し、外見やパッとした見た目なんて、あてにならないと私はしみじみと反省した。
そんな村長にお願いして遠距離用の馬車を貸してもらい、私たちは彼にお礼を言ってから馬車へと乗り込んだ。
「お嬢様ほどの金額を持っていれば、別に複数人乗り合わせの辻馬車を利用せずとも、直行の貸切馬車にすれば良かったと思いますが」
そう言えば、辻馬車は途中で街道に逸れて村へと行ったり、複数の客が乗り合わせをしていたのでアンレーヌ村まで結構な時間が掛かっていた。
「直行の貸し切り馬車なんて、あるの?」
私は長距離移動は乗り合わせの辻馬車を使うと聞いたから、そのまま使っただけなんだけど……。
「ええ。御者に|心付け(チップ)渡したあの大きな金貨一枚で、王都からアンレーヌ村まで優に六往復は出来ますね」
ジュストからそれを聞いて、私はあの時に本当に嬉しそうな満面の笑みを見せた、あの御者を思い出した!
「六往復! ……だから、あの御者は、あんなにも嬉しそうだったの?」
彼に渡した大きな金貨の貨幣が持つ価値に、今頃気がついてしまった私の質問に、ジュストは苦笑しながら頷いた。
「そういう訳です。嬉しそうにした訳ですよ。僕からお嬢様に便宜を計らうよう頼んで渡したお金を考えれば、彼は当分仕事しなくても生きていけますよ。平民にも天使が舞い降りたような幸運に見舞われることは、たまにありますから、彼も今は楽しい時間を満喫していると思います」
「そう……それならば、良いんだけど。もっと多い金額を渡せば、良かったかしら」
ジュストがそう言うならば、庶民の彼には当分働かずに遊んで暮らせるような金額だったのだろう。辻馬車の御者の彼には色々と気を使って貰ったり良くしてもらったし、それは私があの辻馬車に乗り込んだ時からそうだった。
「あまりにも渡した金額が多過ぎると、金を持つことに慣れない平民は身を持ち崩すのが常ですからね。そうはならない程度の額です。お嬢様はご安心ください」
「……そうなの?」
お金はあればあるほど良いだろうと、私はずっと思っていたんだけど、ジュストに言わせるとどうやらそうではないらしい。
ジュストは微笑んで、隣に座っていた私の腰に手を回した。
近い……今までは馬車に乗る時は護衛騎士ジュストは前へ座って、隣でしかもこんなにも近過ぎることはなかった。
さっきまでに自分たちが何をしていたかを考えれば、ここで近付いたからと照れてしまうこともないんだけど……今までにあった日常の中に戻って来たようで、なんだか恥ずかしい。
ジュストの顔が息も触れそうなほどに近くなっていても、狭い馬車の中で私は後ずさることも出来ない。
出来ないというか、それは、しなくても良かった。私は近い未来に、ジュストと一緒になるんだから。
けど、まだ目の前に居るジュストと結ばれ、結婚出来るといった事実に慣れない。家出したことから始まったここ一連の出来事が、まるで夢の中の出来事のようにも思えて来る。
「ええ。身の程に合わないものは、何をどうしても、いずれ手の内から、離れていくものですから。僕にとってはお嬢様はそうではありません。そうなるためにこれまでに、努力しましたから」
「あの、なんだか近いんだけど? ……ジュスト。近い」
とても近い。本来ならば私たち、こんなことが許される関係ではなかった……今は、もう違うけど……。
「近いです。何か問題でも、ありましたか?」
「こっ……この馬車の中でも、あれをするの?」
さっきの、ジュストの実家でした甘い空気の中の行為を、またここでするの?
私がそう聞けば、ジュストは身体を離して吹き出して、お腹を抱えて笑い出した。笑いの隙間に何か言い出そうともしているんだけど、笑い過ぎてしまって言葉にならないようだ。
な、なんなの! 疑問に感じたことをそのまま聞いて何が悪いの?
ジュストが私のことを揶揄うのは、いつものことだけど、笑い過ぎよ! しっ……失礼なんだから……!!
「……すっ……すみません。ミシェルお嬢様。あまりにもお嬢様が可愛過ぎて、どうしても我慢が出来ませんでした」
我慢するところがなんだかおかしい気もするけれど、良い性格をしたジュストにとってはいつものことだから、怒ることでもないのかもしれない。
「私のことを笑うことを?」
ムッとしてじろっと彼を睨め付けた私に、ジュストは苦笑して頷いた。
「いえ。こんな僕にも、とても可愛いところがありましてね。どうか、聞いてもらって良いですか?」
「それは、別に良いけど……」
首を傾げた私にジュストはまた近づき、腰に手を回した。
「ほら……婚約者だから問題ないと、ラザール様と二人になった時が何度かあったではないですか。ミシェルお嬢様」
そんな風に切ない眼差しで見つめられたって、さっきの笑いの余韻が残るこの馬車内では、何の説得力もないわよ。
「そうね。そう言う事もあったわね」
とは言ってもラザール様は、ただ単に私と二人きりで過ごしたかっただけのようで、会話内容にもいつもと違うようなことはなかった。
「僕はとても想像力豊かな方ですので、あの時、二人が何をしていたのかなと思い、心痛める時もあったんです……」
「ジュスト……」
芝居かかった大仰な仕草で胸に手を当てたジュストは、真面目な顔で頷いた。
「ですが、先ほどの反応を見る限り、僕の心配など単なる思い込みで、お嬢様は本当に、可愛らしいお嬢様のままなんだと安心したんです。失礼なことをしてしまって、申し訳ありません」
どうやらジュストはいつも通り私を馬鹿にした訳でもなくて、ラザール様と私がいちゃついているかもしれないと想像逞しくしていたから、そうではないと知って喜んでいたらしい。
……けど、それってどうなの。笑うところではないように思うんだけど……?
「ええ。ジュストの思った通り、ラザール様は、私に触れることはなかったわ……今思えば、私は彼にはあまり好かれていなかったのよね。オレリーみたいな女の子が好きなのなら、それも仕方ないことだと思うわ。私とあの子は正反対だもの」
私のお祖母様がラザール様のお祖母様と親友で、子どもたちを結婚させようと約束していたそうだ。
けれど、自分たちの子どもは紆余曲折あって、結局違う相手と恋愛結婚することになってしまい、孫でその願いを果たそうと、幼い頃に婚約させてその約束を果たそうとしていたそうだ。
だから、ラザール様と私は祖母同士の熱い友情の結果として、婚約することになった。
「そうでしょうか……それは、彼のお気持ちは、ラザール様以外にはわからないですよ」
苦笑したジュストの胸を掴み、眉を寄せた私は訴えるようにして言った。
「だって、あの人はオレリーと私を、婚約者を取り替えるように望んだのよ。だとすると、私のことをそれほど好きではなかったと言うことだもの」
「……言ったでしょう。お嬢様が僕のことを好きだったから、気に入らなかっただけですよ。そして、僕を敢えて名指しで排斥することになれば、お嬢様の恋心を自覚させ、自分の負けを認めるようで嫌だったんでしょう。彼にもずっと不満があったんですよ」
「そうなの……?」
ラザール様は未来の公爵となる令息らしく、幼い頃から、とてもプライドが高いお方だ。
身分も持たぬ護衛騎士ジュストの方が、婚約者の私の関心を惹いていると思えば……そんな彼は、どう判断するだろうか。
「ええ。そうです。ですから、僕は先ほども言っていたではないですか。ミシェルお嬢様は僕のことをお好きなので、それをあの方は、ずっと気に入らなかったのではないかと」
確かにジュストはそう言ったけれど、私にはそれが理解出来なかった。
だって、私がいくらジュストが好きであっても、状況的にラザール様と結婚するしかなかったし、彼だってそれは知っていただろう。
「確かにジュストの言う通り、ラザール様のお気持ちは、聞いてみなければわからないわ。けれど、オレリーに恋をして、私から婚約者を交代させろと言ったことは、変わらない事実でしょう?」
私の家出の原因は、結局そこなのだ。
強く詰め寄る私には別に逆らう気はないと示すためか、彼は両手を挙げた。
「僕はラザール様を庇う訳ではありませんが、男は目新しく珍しいものへ、たまに目移りする事もあるんですよ。そして、慣れていて期待通りのものへと帰ってくるものなんです。良くある話なんですよ」
「え。そうなの?」
そんなことが? 世の中には良くある話なの? 嘘でしょう。
「ええ。世の浮気の理由はほとんどこれでしょう。もし、本気の想いならば、保険など掛けず別れてから言って来るはずです。そうではありませんか?」
男性のそういう浮気をしてしまう理屈を聞いても、私には不快感が増すだけだ。
その理屈で言うのなら、本当に私のことが好きなら、浮気なんてしないのではないの?
「……最低。私なら、絶対に! そんなことは有り得ないわ」
「ええ。ミシェルお嬢様は、昔から僕に一途でしたからね」
心から理解していると言わんばかりにジュストは頷き、私はいつものごとく半目になった。
「ジュスト……その良くわからない自信は、どこから湧いて来るの?」
今思うと私は昔からジュストのことを好きだったと思うし、彼がそば近くに居てくれることに喜びを感じていたと思う。
けれど、私は貴族令嬢の義務として、幼い頃からの婚約を果たすことを求められていて、恋心を自覚してしまうことも、彼にそれを告げることも許されなかった。
そういった理由で私はこれまで、ジュストに好きと言った事もないし、そんな素振りも一切見せていなかったはず。
「だから、言ったではないですか。ただその目を見れば、わかります。ミシェルお嬢様は僕のことを、誰よりも好きなんですよ」
「何を言っているの? 本当に、自意識過剰よ。ジュスト」
呆れた私がそう言えば、ジュストは肩を竦めた。
「え。では、僕と結婚するはずのミシェルお嬢様は、僕を好きではないということになりますけど……そうなんですか?」
少々悲しそうな表情を浮かべたジュストに、言い過ぎたかもしれないと私は慌てて首を横に振った。
「べっ……別に、そんなことは言ってないでしょう」
「いい加減に素直になった方が、良くないですか。お嬢様は、僕のことがお好きなんですから」
彼にこう言われていては、私だって、ここで否定することはおかしいと思っている。さっき好きだと認めたばかりだというのに。
けれど、今までが今までだから、彼への恋心を否定することが当たり前になっていた。
……どうしよう。さっきは勢いで好きだと言えたけど、今は何故だか難しい。難しいというか、恥ずかしいわ。
「はいはい。大丈夫ですよ。僕がお嬢様のお気持ちをわかっているんだから、何も言わなくても良いんですよ。ミシェルお嬢様」
ジュストは黙り込んだ私の顔を覗き込み、手を握るとその後は窓の風景を見ることにしたようだった。
何でだろう。今では、私たち二人の間には、何の障害もないはずだ。
ラザール様はオレリーとの婚約を望んでいるのだから、私がジュストと結婚したいと言い出しても、渡りに船と飛びつくはず。
お父様だって一時は怒ってしまうかも知れないけれど、私が彼と結婚したいと望めば、未来の伯爵となるジュストを認めざるを得ないだろう。
どうしてだろう。どうしても……なんだか不安な気持ちが消せない。
直行で王都へと向かう馬車を急がせて、私たちは次の日の夜にはサラクラン伯爵邸へと帰ることが出来た。
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