第15話『演技』
私は婚約者ラザール様と一度だけ踊り、いつものように紳士しか入れない喫煙室へと向かう彼を見送った。
そこから友人たちを探すのも億劫で、一人夜会の会場を歩き出し、感じているのは疲労だった。
……何故かしら。ラザール様と一緒に居ると、とても疲れてしまう。
以前は、私は婚約者だし、結婚するのならば、ラザール様に好かれたいと思っていた。
ラザール様は令嬢からも人気があるくらいに、容姿は良いし、性格も少々気障っぽいところを除けば、特に気になるようなところはなかった。
それに、将来は公爵になるのだ。そんな彼から好かれたいと思ってしまうのが乙女心というものだった。
そんな彼に似合うようにいたいと私は必死で努力したけれど、結局はラザール様は、長年過ごした私よりひと目見ただけの妹オレリーと結婚したいと望んだ。
今思うとそれを聞いて、私は彼への想いを捨ててしまったのだ。
私を最終的に結婚相手に選んだのだから、一時の気の迷いを許してあげれば良いと言う人は、ご自分がラザール様と結婚したら良いと思う。
だって、私はオレリーと婚約者を交換して欲しいと彼が言い出したあの一件さえなければ、ラザール様と結婚してクロッシュ公爵夫人と呼ばれていただろうと自分でも思うから。
貴族としてこなすべき役割であり、避けて通れぬ義務だと思っていたから。
「……お疲れ様でした。夜会会場で見るミシェルお嬢様は、お美しくて……まぶしくて、僕の目がくらんでしまうところでした」
なんとも大袈裟な言葉を聞いて、やっと現れたと思い私は振り返った。
「ジュスト。待っていたわ……こんばんは」
さりげない動きで私の手を取ったジュストは、正式な夜会服に身を包み、どこからどう見ても、生粋の貴族に見えていた。
それに、ジュストはいつもはふわふわしている茶色の癖毛をそのままにしていて、それがまた可愛いんだけど、今夜は後ろへ撫でつけてしまっていて……雰囲気が変わって、とても恰好良い。
ずっとそばに居た私も見違えてしまうくらいに、素敵な紳士となっていた。
「ミシェルお嬢様。お疲れのご様子ですね。もし良ければ果実水でも、持って来ましょうか?」
こういった華やかな夜会では、隅の方に立食用のデザートや飲み物が用意されていて、ジュストはそちらへ私の飲み物を取りに行こうかと聞いてくれた。
「いいえ……ジュスト。私は今夜何が起こるのか、気になってしまって昨夜眠れなかったんだけど?」
理由を話してくれれば睡眠不足になることもなく、昨日会った時にジュストが言ってくれなかったせいで眠れなかったと訴えた。
「それは、それは……申し訳ありません。ですが、喜ばしいことに、僕の思うように、すべて事が運びました。さあ……ミシェルお嬢様。こちらへ」
ふうと溜め息をついた私はジュストに促されるままに歩き、行き先にあるものを見て少し慌てた。
「……待って。待って……これって、もしかして、王族がいらっしゃる方向ではない?」
ジュストが私を連れて迷いなく歩く方向には、短い階段の上に置かれた王座。そして、そちらへ座っていらっしゃるのは、国王陛下と王妃様。
そして、信じられないことに目をきらきらとさせた王妃様が、向かってくる私たち二人を待ち構えているような気がするんだけど?
「え。これから……どうするの?」
思わず、声が震えてしまった。
私は単なる未婚の貴族令嬢で、王族なんて社交界デビューの時に、国王陛下より声を掛けられた程度。
本来ならば年齢の釣り合う王太子や第二王子がデビュタントたちと踊るんだけど、即位が早まってしまったために、私がデビューした年は国王陛下と王弟殿下が、その役目を務められていたのだ。
「しっ……ミシェル様は、黙って傍に居てくださいね……ここが僕が用意した、一番大事なところです」
直前まで来ているというのに、ジュストは私に何も教えてくれる気はないらしい。
私たち二人は国王陛下と王妃陛下に正式な礼をして、彼らの許しを待った。
「顔をあげなさい。アシュラム伯爵……サラクラン伯爵令嬢」
私たちは二人揃って顔をあげ、何故か嬉しそうな表情の王妃様を見てとても不思議になった。
な、何なの……? 本当に意味がわからない。
それに、ジュストったら、何をどうしたら、ローレシア王国の至高の存在とも言える王妃様に、ここまで気に入られてしまうの?
これまでにも、ジュストは信じがたいくらいに様々なことをやり遂げていたけれど、こんな風に王妃様に気に入られてしまうなんて何がどうなっているのか、とっても気になる。
「貴方が……私に手紙をくれた、ジュスト・リュシオールね? ……いえ。今ではアシュラム伯爵なのかしら。フィオーラの義理の息子と、聞いているけれど。従属爵位のひとつを貰ったのね。届け出は出ていたわ」
王妃様はトリアノン女侯爵の名前を言って、もしかしたら義母から紹介して貰ったのかもしれないと思った。それに、早業なジュストは、すでに伯爵位を得ているようだ。
いえ。私に求婚するならばと手に入れた地位なのだから、今ここで彼が手にしていないとおかしくなってしまうのかしら。
「はい。その通りです。こうしてお目通り叶いまして光栄です。陛下」
「……そして、そのサラクラン伯爵令嬢が、貴方の言っていた女の子ね?」
ええ。私です。どういう反応を返せば良いかわからずに、私は無言でカーテシーするに留めた。こんな場所に連れて来るのなら、細かく指示して欲しかったわ。
「ええ。そうです。手紙に書いた通り、叶わぬ恋に落ち、このままでは駆け落ちせざるを得ないところまで、僕たちは追い詰められてしまいました」
……え?
「まぁ! そんな……駄目よ。アシュラム伯爵。貴方がいくら有能でも、身一つで逃げれば出来ることは限りがあるわ」
「……ですが、このままではミシェルと僕との仲は、無理やりに引き裂かれてしまいます。愛し合っているというのに、それなのに」
……隣ではらはらと涙を流し、哀れな涙声で王妃様に訴えている男性は、何処の誰なの?
私。きっと、名前も知らない人だと思うわ。こんなジュスト、見たことないもの。中身がどこかで入れ替わってしまったのかしら。
突然始まった芝居に、私は呆然と見守ることしか出来なかった。
「まぁ……まぁ! まぁ……駆け落ちなんて、駄目よ! この私が、絶対にさせないわ! こんなに可愛いご令嬢に、何かあったら……!」
どうして、王妃様はそんなにもヒートアップして涙を流してしまっているの……?
その隣に居る国王陛下は『仕方ないなぁ』と言わんばかりに、愛する王妃様を優しく見つめているし、ここでぽかんとしているのは私だけだわ。
「王妃様。ありがとうございます……そのお気持ちだけで……本当に感謝しております」
ジュストは持っていたハンカチで涙を拭い、私はそんな彼を見て開いた口が塞がらなかった。
嘘泣きよね……? だって、さっきまでジュスト、平然としてなかった?
「アシュラム伯爵。待ちなさい……ねえ。あなた。若い二人を路頭に迷わせるなんて、私には出来ないわ」
「……しかし、私が貴族の結婚問題に口を出すとなると……」
「何を弱気なことを言っているの! あなた!」
どうやら、我らがローレシア王国の国王陛下、王妃様のおしりに敷かれているみたい。
私とジュストって、叶わぬ恋で駆け落ちするしかないと思い悩んでいる恋人同士役で大丈夫なのかしら?
私は感謝に泣き崩れたジュストの隣で、ただ呆然とするしかないんだけど……。
「……あい。わかった。しかし、この二人だけの事情を聞いただけでは動けぬ。そちらのご令嬢の、婚約解消を申し出ても受け入れないというクロッシュ公爵令息を呼べ。彼側の事情も聞けば良いではないか」
私は両陛下が臣下へ命令を下している隙に、ジュストにそっと近づいた。
「ジュスト……全然、話が読めないんだけど?」
私は彼の耳元で囁き、彼はハンカチを口元に当てて、小声で返した。
「ええ。王妃様は、ロマンス小説が大好きなんです。彼女の目には、僕らは救われるべき悲劇の恋人同士に見えているという訳です……まぁ、実際にそうですし」
「そ、そうなの? もう……先に言っておいてよ」
「もし僕が先に言ってしまったら、ミシェルは挙動不審になりますよ。それでは、両陛下の鋭い目を誤魔化せなかったので、別れが間近で悲しみのあまり呆然としている演技をお疲れ様でした。とても上手かったですよ。ミシェルお嬢様」
また私を揶揄ったジュストに、彼が何をしたかったか良くわかった。だって、私はこれを事前に知っていたら、絶対に挙動不審になっていたから、ジュストの言っている通りになってて……。
「もうっ……けど、そういう訳だったのね。だから、この夜会……王妃様……これで、理解出来たわ。ジュスト」
「ええ。大事なところは終わっておりますので、ラザール様の演技を見守りましょう」
「……どういうこと? ラザール様は、演技なんて……」
私は不思議に思って聞いたんだけど、王妃様から質問されたジュストは涙ながらに答え、私は彼の隣でじっとしている演技を続行することにした。
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