第17話『甘い果実』
「ラザール様の隠し子の件は置いておいて……ジュストってそういう王妃様の情報なんかを、何処で仕入れて来るの?」
私がさっきから気になっていたことを聞くと、ジュストは唇に人差し指を当てた。
「……それは、内緒です。お嬢様。先程も申しました通り、この世に溢れる情報の中には、たまに光り輝く金塊のように価値を持つものもありますので」
情報源を明かせない話は確かに聞いたけど、私がどうしても不思議になってしまうのは、護衛騎士として仕え自由になる時間がほぼない彼が、ここまで準備出来てしまったことだ。
……一体、何をどうしたら、ここまで出来たの?
「ジュストがこれまでに私に何も言ってくれなかったのは、今夜のことを恙(つつが)なく進行するためでしょう? もう今は、その必要はなくなったと思うけど」
ジュストは私専属の護衛騎士だし、それこそ、朝から晩までずっと傍に居てくれたと言っても過言ではない。
このために睡眠に充てる時間を使っていたというのなら、彼はどれだけの労力をそこに割いていたのだろう。
ジュストは苦笑すると、隣に座っていた私と距離を縮めて、顔を傾け近付けた。
「とは言え、僕自身とてあまり褒められたことをしたとは思っておりません。それをするしかないというところにまで追い詰められていたからで、王妃様の亡き妹君を思いやる優しいお気持ちを利用したと問われれば、それは認めます。その通りです。この件に関しては、ミシェルお嬢様を共犯に巻き込む気もありません。これは、僕が被る罪です」
「……自分が悪いことをしたという、自覚はあるのね?」
私だって、王妃様の身になれば、どうだろう。
亡き妹と駆け落ちした恋人の姿が重なる、私とジュストのような恋人たちを救いたいとは思うだろうけど、敢えてそういう過去を利用されたと知れば、嫌な気持ちを抱いてしまうかもしれない。
「ええ……僕は権力を持ってはいませんが、絶大な権力に窮地を救って欲しいと願うことは、別に悪いことではないと思いませんか。神様にお祈りするようなものですよ。神の中にも慈悲深い女神がいても不思議ではありません。ミシェルお嬢様」
馬車の中に設置された灯りは小さなもので、ジュストの表情は見えにくい。だと言うのに、私の顎を持った彼の強い眼差しは、視界の悪い中でもそうだとわかった。
「私と結ばれるためだけに、どれほどの人を利用したの? 誰かの心の傷を自分の幸せのために利用するなんて……人を人とも思わぬ所業だし、なんだか倫理観も薄いし、性格も悪いし、私のことイラっとさせる天才で口も悪いし……貴方って、本当に酷い人よね。ジュスト」
「そうですね。僕は自分の目的のためには手段を選ばぬ、酷くて悪い男ですね。ミシェルお嬢様。ですから……このまま貴女のことを、攫って行っても構いませんか?」
それこそ近づいた唇は触れ合う直前で、そんな時にこんなことを確認するだなんて、ジュストは本当に性格が悪い。
……だって、もし彼のことが嫌だと思っているならば、こうなる前に両手を出して突き飛ばしてしまっているでしょう。
それだって、全部知っていて、だからこそ、こうしている。すべて計算通りみたいな顔をしているところも、何もかも、私は……。
「……ジュスト。好きよ」
いつの間にか私たちの唇は重なっていて、抱き合ったままで激しく舌を絡ませていた。
今の私には長年居た婚約者も居ない訳だから、彼とこうしていることに、誰にも罪悪感なんて抱く必要もない。
……けれど、心のどこかで、罪の意識が湧いた。
決して食べてはいけないとされる禁断の甘い果実、それを、今ここで私たちは口にしてしまったのだと。
ジュストは私のことをそのまま食べてしまおうと思っているのではないかというくらいに激しい口づけを交わし、長い時間お互いを求めあってようやく離れた時には、私の唇はただ単に空気に触れただけだというのにひりひりとした刺激を感じていた。
「……反則ですよ。ミシェルお嬢様。僕の心を翻弄出来る術を、良くご存知ですね」
深いキスを交わしていた間に既に停まっていた馬車は、どうやら私が帰るべきサラクラン伯爵邸にいる訳ではなさそうで、私はジュストの向こうにある小さな窓に映る風景を見て驚いた。
「……ここは、何処?」
私は窓に近付き信じられない気持ちで、それを見上げた。とても広くて、大きな邸だ。しかも建てられたばかりなのか真新しい。
「ああ。これが、僕の邸です」
「ジュストの邸なの? すごいわ」
「僕の父は難病を研究しては、数々の特効薬を開発しておりまして……あの人は研究馬鹿で、ただそれだけで満足していたんですが、僕が義母と共に苦心して量産することに成功し、販路を拡げまして、ええ。平たく言いますと、お嬢様。僕は現在お金だけは、潤沢に持っております」
確かにジュストのお父様が叙爵された時の新聞記事にも、数々の難病を克服しと書かれていたから、彼が開発してくれたのはオレリーがかかっていた先天性の病の特効薬だけではなかったらしい。
それに……本来ならば治療することも難しい難病であれば、特効薬と聞けばお金に糸目をつけずに買い求める人だって多いはずだ。
だから、その特効薬のすべての権利を持つ人の息子だって、大金持ちになってしまうことは想像にかたくない。
「すごいわ……ジュスト。貴方って、もう……本当に、信じられない」
彼が今夜までに、どれだけの下準備をしていたのかと思うと、何も知らないままただ守られていた私は溜め息をついた。
……お母様が言っていた『あの彼の愛はとても深くて重そう』といっていた評価が、ここで正しかったことが証明されてしまった。
だって、私がアンレーヌ村に家出したのは、ほんの二週間前なのよ。
こんなにも立派な邸がそんな二週間程度で建つ訳もなく、彼は一年以上……ううん。そのもっと前から、この邸を準備していたことになって……凄い。
ジュストは全部計算通りです、みたいな顔をしている訳だわ。
「お褒め頂き、ありがとうございます。光栄です。ミシェルお嬢様」
彼は手の甲で口元を拭うと、外で待っていた御者へと手で合図し、馬車の扉を開かせた。
「ここで、降りるの?」
見学でもするのだろうかと私が問えば、先に降りていたジュストは、胸に手を当てて私へ手を差し出した。
「大事なお嬢様と愛を交わすというのに、その辺の宿という訳にもいかないだろうと、前々から準備していた甲斐がありましたよ……あ。お嬢様の部屋の浴室は、きっと感動して頂けると思いますよ。ミシェルお嬢様のお好きな童話、人魚姫を模して特別に造って頂きましたので」
確かに私は『人魚姫』が大好きだ。ずっと共に過ごしていた彼だって、それは知っている。
「……え? 待って。どういうこと?」
浴室の話をするということは、私も今夜はそこに入ることが前提なのよね?
「今夜は、僕たちはここで過ごそうかと……お嫌ですか? お嬢様」
ここでそういう子犬のようなうるうるした目は反則だわと言いかけて、これまでに私がジュストをどれだけ我慢させていたかと思い返した。
この私だって貴族令嬢で閨教育などは一般的に受けているし、男性の生理的な現象にも理解はあるつもりだ。
ジュストのこれまでの苦労、これまで我慢したもの、そして、私をどれだけ愛してくれているかを知れば、ここで彼を拒否することは出来ないと思った。
それに、貴族令嬢は初夜まで純潔を保つことを義務とされていても、私はジュストと結婚するのだから……そういう関係になってしまっても、何の問題もないと思う。
ジュストの思惑は読めないしわからないけど、彼が私を愛していることだけは疑いようもないのだから。
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