登場人物たちの思惑

第9話 気づいた側の人たち


 目が覚めたとき、自分がいる場所が見知らぬ部屋で驚いた。

 だが、心地よいふかふかのベッドで寝かされていたことと、左手首に鎖がつけられていたことから、自分がゴーティエと一緒に旅行に出ていたことを思い出す。馬車の中でこれでもかとばかりに愛された私は疲れきって眠ってしまったらしかった。

 部屋の隅におかれたテーブルの上にランタンが置いてあって、部屋を照らしている。光源はこのランタンだけで、外からの明かりはない。日は暮れているということだろう。なお、周囲に人の気配はない。

 一人残されたことに困惑しているとドアが強めに叩かれた。返事をすべきか迷っているうちにゆっくりとドアが開かれる。それが直前のノックと不釣り合いで、私はとっさに毛布を被った。


「起きているのか?」


 男性にしては高い方に感じられる小さな呼びかけは、ゴーティエのものではなかった。アロルドのものでもない。

 え、誰?

 だが、この綺麗な声には聞き覚えがある。そのときは画面越しだったはずだ。

 声の記憶に間違いがなければ、そこにいるのは黒髪眼鏡のクール系爽やか青年のエルベル・ユーペルだ。

 ドアが閉まる音や風の動きから察するに、入ってきたのは彼のみ。

 なんで一人でこんな場所に?

 次に取る行動を考えていると、足音は着々とベッドに近づいてくる。できるだけ音を抑えるようにして歩みを進めているのが気になる。私が寝ているなら起こさないようにとの配慮かもしれないが、こうして近づいてくるのは眠っているかどうかを確認をするためだけだろうか。

 それにしても足音が異様に重い。自分の手元につながる鎖以外の金属音が部屋に響いて、私は状況を理解した。

 これは暗殺!

 迷いはなかった。こんなところで殺されるわけにはいかない。毛布をエルベルの姿が目に入る前に投げて、彼を覆い隠す。


「なっ!」


 突然のことにエルベルが怯んだ。

 私は自分の左手首につながれた鎖を思いっきり引っ張り、立ち尽くすエルベルの身体にくるりと巻きつける。

 やった! 思ったより上手く拘束できた!

 自分の足元で響くじゃらじゃらと鳴る鎖の音で、高揚感がすっと消える。拘束できたのは僥倖であるが、それは自分の左手首につながっている鎖によって、なのだ。つまり、この状況は私も逃げられない。腕の立つ騎士を相手にどこまで素人が太刀打ちできるのだろうか。


「待て、君は本当にヴァランティーヌか?」


 うろたえる声。想定していた展開とは違うのだろう。

 私は鎖をしっかりと握る。


「私はヴァランティーヌです。エルベル、あなた何のつもりでこんなことを? 王太子の婚約者に害を与えたら、ただじゃ済まないでしょうに」


 しっかりと絡めとってエルベルの身動きを封じる。もがいているが、彼は諦めたのか静かになった。なお、毛布を全身に被ったままなので顔はわからない。


「おや、僕の名前をご存知だったとは。直接お話ししたことはなかったはずですが」

「アロルドさまから聞いていたから、そうじゃないかと思いまして」

「でも、君は僕の顔、見ていないでしょう?」


 指摘されて、言葉が出てこなくなった。

 確かに矛盾する!

 しまったと思ったが、言葉のあやだと告げて逃げるにはいささか喋りすぎている。

 さすがは頭脳系キャラ……って褒めたいけど、たんに自分の失言だと思うとへっぽこすぎじゃない?

 知略にとんだキャラであるヴァランティーヌに申し訳ない。冷や汗を流しながら次の言葉を探していると、エルベルは喉の奥で笑った。


「くくっ、ずいぶんと素直なんだね。君はやっぱり僕の知っているヴァランティーヌじゃないのか」

「あなた……私のことを知ってたの?」

「それはどっちの意味?」


 どっちの意味……ときましたか……。

 すぐに返答しないといけない質問に、私は長考しすぎた。

 エルベルは楽しそうに笑う。


「そっか。本当に別人なんだね。彼の直感は正しかった……というか、彼の愛は本物だったってことか」

「エルベル、あなた、何を言っているの? ってか、彼って誰のこと?」


 もうなりふり構っていられない。バレてしまったなら繕うだけ無駄だと判断して疑問をそのまま口にする。

 エルベルはまだ笑っている。

 私は苛立って鎖を強く引っ張った。


「答えなさい!」


 エルベルはそこでようやく笑うのをやめた。

 え、なに?

 急に気配が変わった。背筋がゾクゾクする。騎士が本気になったら、こういう気配を出せるのだろうか。

 私はしっかりと鎖を両手で握り直す。


「――ねえ、僕と取引しませんか?」

「しません。私にはやらなければならないことがありますので」

「やらなければならないことって何? 君は、このままだと死ぬんだよ?」


 語調も変わった。

 エルベルが動く。思わぬ方向に一瞬引っ張られただけで拘束が緩み、毛布がはらりと落ちた。

 烏の濡羽色の髪に色白の肌の美青年がそこにいた。眼鏡の奥の瞳が私を射抜く。


「ヴァランティーヌ、君には生きていてもらわないと困るんだ。このままでは僕たちは狂ってしまう。ゴーティエだって、そろそろ保たない。ソフィエットがこの世界の真実に気づいてしまったら、崩壊が始まる。それは阻止しないといけない」

「ま、待って! どういう……こと? 生きていてもらわないと……って、あなた、私を殺しにきたんじゃないの?」


 私が問えば、彼は苛立った顔をして髪をくしゃっと掻きむしった。


「なんだ、【気づいた側】じゃないのか……」

「え?」


 何が何だかわからない。

 私がさらに情報を引き出そうと口を動かすと、エルベルが音を立てずに私に接近して口を塞いだ。


「ごめん、ちょっと黙って。ゴーティエたちが戻る。僕がここにいると勘繰られるから、話を合わせて」


 耳を澄ませばゴーティエとアロルドの声が聞こえている。こちらに近づいてきているのも明白だ。

 私は静かに頷く。

 エルベルは私を解放して距離をとった。瞬間移動じゃないかと思えるくらいに静かで、素早い。

 そんだけ動けるなら、わざと罠にかかったのね、この人……。

 やがて扉が叩かれた。


「ヴァランティーヌ? 起きたのか?」


 この声はゴーティエだ。部屋の中に聞こえるようにしっかりとした大きな声で問いかけてくる。

 えっと、答えるべき?

 扉とベッドの間の立つエルベルに目配せをすると、彼は首を横に振って歩き出した。数歩で扉の前に立って、扉を開ける。

 ゴーティエがエルベルの顔を見て目を見開いた。戸惑う表情のあとに怒りの感情が目元に出る。


「すみません、ゴーティエ殿下……。この部屋で叫び声が聞こえたため、室内に入りました」

「ヴァランティーヌ!」


 叫び声が、のところでエルベルの話は切り上げて、ゴーティエは部屋の中に割り込むように早足で入ってきた。まっすぐベッドのところに進む。


「ヴァランティーヌ、どういうことだ?」


 ベッドのそばに立っていた私の両肩に手を添えて、私の顔を覗き込む。逃がさないとばかりにがっしりと掴まれているのでちょっと痛い。

 えー、エルベル、話を合わせろって言ってたけど、無茶振りもいいところじゃね?

 ゴーティエの反応が早すぎて言い訳を考える時間がほとんどなかった。こうなったら、言いながら考えるしかない。


「えっと……私自身は叫んだつもりはなかったのですが、どうも夢見が悪かったので……寝言が思いのほか大きな声で出ちゃっていたっぽいです。お騒がせしてしまい、すみません」


 恥ずかしさをにじませつつ苦笑を浮かべてみせる。

 よくわからないけどそういうことらしいということにして、後のことはエルベルにぶん投げることにしよう。辻褄合わせはそっちでどうにかしてちょうだい!

 私の苦しい説明に納得したのか否か、ゴーティエは私をギュッと抱きしめた。


「また怖い夢を見たのか……。それはどんな夢なんだ? また良からぬ未来の夢か?」


 耳元で囁かれた。抱きしめたのは私以外の人物に聞き取りにくくするためのようだ。


「……申し訳ありません。今は」


 私も小さな声で返事をした。

 いや、まあ、怖い夢ってのは方便だから、この返事は時間稼ぎのためだけどね!

 ゴーティエは私を離して、見つめ合う。そして流れるように口づけをした。

 ゆっくりと唇が離れると、私を見つめながらゴーティエが心配そうに微笑んだ。


「もう怖がらなくていい。ここが現実だ。わかるだろう?」

「は、はい……目が覚めてよかったです」


 今のキスはつまり、ちゃんと起きていることを自覚させるためってことでしょうか。刺激が強めでしたが……。

 ちらっと彼らに目をやると、二人ともやれやれといった表情を浮かべて見守っていた。私たちが仲良くしていることについては、悪いようには思っていないらしい。

 エルベルが訪ねてきた真意については、またそのうちに知ることになるのだろう。【気づいた側】が何を指しているのか、ちゃんと問いただす必要がある。

 エルベルに対してどうアプローチをしたものかと考えている間に、ゴーティエが二人に向き直った。


「――この部屋にヴァランティーヌがいることを話しておかなかったのは悪かったと思うが、どうしてこの部屋の近くをエルベルが通りかかったのかは気になるところだな」

「少々時間があったので、屋敷内を探検していただけですよ」


 エルベルはゴーティエの問いにさらりと何食わぬ声で答えた。


「行動するときは二人一組でと指示したはずだ」

「僕と対になっていた彼は部屋で休んでいたいと言うので、置いてきました。部屋にこもって休むなんて退屈ではないですか。警備のためにも屋敷内を知っておくのは良いことだと考えたのです。――むしろ、今回は何もなかったとはいえ、ヴァランティーヌ嬢を警備の兵を外に立てていない部屋の中に鎖で繋いで閉じ込めるなんて、その方が問題だと僕は考えますが?」


 ゴーティエ相手に、エルベルは物怖じせずに指摘する。無理のある言い訳のような気がするが、とうとうと述べたあとに非難の言葉を添えれば、追及を避けられそうではある。

 ゴーティエは鼻をふんと鳴らした。


「この屋敷の警備ならば心配ない。ここにオレたちがいることを知っているのはここにきた人間だけだ。普段から来る人も限られている」


 そこまで告げて、ゴーティエはエルベルに鋭い視線を向けた。


「――ああ、そうだな。裏切り者がいたら、安全は保障されないか」


 睨まれたはずのエルベルは、とても穏やかな微笑みを浮かべた。


「僕が裏切り者だとおっしゃるのでしたら、城に帰れと命じてくださって結構ですよ。従いましょう」

「いや、別の用を命じるだけだ」

「承知いたしました。――では、この場は席を外しましょうか?」


 エルベルが出て行きたい気持ちはよくわかる。ゴーティエがピリピリしているのが明白だからだ。

 だが、エルベルの提案にゴーティエは首を横に振って却下した。


「ここに残れ、エルベル。せっかくだ、今のうちに話しておきたいことがある」

「さようでございますか……」


 渋々といった様子でエルベルが承知する。それを待って、アロルドが席を用意した。

 なんの話が始まるのかしら?

 私とゴーティエはベッドに腰を下ろし、その正面に座れるように椅子を配置してアロルドとエルベルが座ると、ゴーティエが口を開いた。

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