敵対者たちの動向
第7話 ゴーティエ殿下の弟君
というわけで、私はゴーティエの私室にいる。むやみにうろうろして調度品を壊したり汚したりしたらまずいので、大人しくベッドの上に座っていた。
まあ、ここは確実に夜も使うし、もっとも無難なのよね……。
体力的な意味でもここならすぐに休めるので都合がよいのだ。
入浴後、心身ともにサッパリとしたゴーティエは上機嫌な様子で公務に向かった。なお、私には何度もこの部屋からは出ないようにと念押しをして行ったことも付記しておく。
ゴーティエが出かけたあとはメイドたちが部屋の掃除に訪れては、私がベッドの上で小さく座っていることを訝しがっていたが、お気になさらずと告げて無視してもらった。一応は彼の婚約者で今は客であるが、さらわれて囚われているだけなので、気遣いは無用である。
「しかし、どうしてこんなことを……」
今日は何かがある日なのだろうか。
私の予定といえば、屋敷にテイラーを呼んで新しいドレスの採寸でもしようかと言っていたくらいであり、特別なイベントはない。
私が屋敷にいると不都合なことでもあるのかしらね……何も思い浮かばないけれど。
昼食も昼食後のお茶もベッドのそばで済ませたところで、私は仮眠をしておこうかと考える。
ゴーティエはちっとも戻ってこないし、使用人からの伝言もなく、私は完全に放置されている。そのこと自体は気がかりであるが、何もないなら何もないで平和な時間が過ぎている証拠だ。だとすれば戻ってきたゴーティエとのイチャイチャタイムに備えて体力は温存すべきである。
自然とあくびが出てきたところで、ドアがノックされた。ゴーティエからは来訪者がいても無視するようにと言われていたので、私は音を立てないように息を潜める。
使用人たちはゴーティエ殿下がいないのを把握した上で掃除に入っていたし、別に返事をしなくてもいいわよね……。
放っといて寝てしまおうか――そうぼんやり考えていると、ドアがゆっくりと開く。
「失礼します」
女性の声ではない。想定していた相手ではないらしいことを悟って、私は眠気を押し退け警戒する。
「あれ? てっきりこちらに閉じ込められていると思ったのに……」
この声はカミーユ殿下?
ゴーティエが声変わりする前のものによく似た声は、第二王子のカミーユ・リオンのものに間違いない。
私に用事? でも、ゴーティエさまには男性とは喋るなって言われていますし……。
少なくともベッドの上にいるのはよろしくないと判断し、近づいてくる気配から逃げるように私は動き出す。
この部屋の中で隠れられる場所といえば――。
「――えっと……姉さん、何を?」
「ちょっとかくれんぼでも……」
ベッドの下に身を隠そうとしたまではよかった。だが、大きなお尻が引っかかってしまい、ジタバタしているうちに情けない状態でカミーユに見つかってしまったのだった。
これはかなり恥ずかしい……。
しぶしぶと頭をベッドの下から出して、私はカミーユを見上げる。彼はあきれ顔をしていた。
「あの、もう僕は十五歳ですよ? かくれんぼで遊ぶような歳ではないのですが」
「ええ、そうでしたわね……」
ベッドの下に何かを落としたことにでもすればよかったと、彼に告げてから後悔したが、カミーユはこの不自然さについては言及しないようだった。素直ないい子である。
カミーユは穏やかで優しい少年だ。他の人が失敗しても、それを非難することなく受け止めて、それとなく助け舟を出してくれるタイプ。そして彼もまた美形であり、ゴーティエよりも愛らしい印象の顔立ちをしている。
私がゴーティエと幼馴染であるように、カミーユとも幼馴染と言えるだろう。幼い頃はよく一緒に遊んだものだ。それこそ、かくれんぼはよくした遊びの一つである。
「えっと……ゴーティエさまでしたら、今は公務中で留守ですわ。出直したほうがよろしいかと」
「いえ。兄さまが留守なら、むしろ好都合です」
そう答えると、いつもの穏やかで天使のような彼の顔がスッと冷たいものに変わった。ゴーティエが悪巧みをしているときの表情に似ていて、私は身体をこわばらせる。
「わ、私に用事があるのでしょうか?」
「ええ。兄について、いくつかお聞きしたいことがありまして」
彼がゴーティエのことを「兄さま」と呼ばずに「兄」と告げたことが引っかかる。
「何を知りたいのですか?」
私が尋ねると、カミーユは部屋を見て改めて私の顔を見た。
「まずはこの寝室から出ましょうか。いらぬ誤解を受けると面倒ですから」
カミーユの表情はにこやかなのに、目の奥に冷ややかなものを感じる。
「ええ、そうですわね……私もゴーティエさまに誤解されるようなことはしたくはありませんもの」
ゆっくりと頷いて、私はカミーユに先導されるままに部屋を移動したのだった。
ゴーティエの私室に設けられている応接用のスペースに私は案内される。革張りのソファーに腰を下ろして互いに向き合うと、カミーユは口を開いた。
「姉さんと兄の間に何かあったのではありませんか? 結婚が絡んだ話だろうと考えておりますが、いかがでしょうか?」
単刀直入な切り出しに、私が動じることはなかった。
この話題の振り方からすると、カミーユ殿下もゴーティエ殿下の異変に気づいているってことかしらね。
カミーユから情報を引き出しておこうと、私はにこやかに微笑んだ。
「それは当然ですわ。婚約者候補から婚約者と名乗ることになりましたし、そのことはゴーティエさまも大変喜んでくださりました。私も喜ばしいことと存じます。私と結ばれることになって、気持ちが高揚していらっしゃるのでしょう」
穏やかにのほほんと告げると、カミーユは疑いの眼差しを向けた。
「本当に、心から結婚を望んでいらっしゃいますか?」
「ええ。出会ったときから結婚を誓い合っていたのですから、嘘ではございません」
「…………」
まだ探るような目でこちらを見つめている。
何を知りたいのかしら?
ゴーティエを幼くしたような容姿のカミーユはとても愛らしい。公務が続いてすぐに大人らしい振る舞いに馴染んでしまったゴーティエにも、少年らしいこんな可愛い時代があったのだなあとしみじみ深く思う。
そういえば、カミーユ殿下もソフィエットの攻略対象だったわよね……。
「――先程は、いらぬ誤解を受けたくないと申しましたが、姉さんが望むのであれば、協力しても構いませんよ?」
「何をでしょう?」
彼の言葉の意図が掴めなくて、私は小首を傾げる。
カミーユは不敵に笑った。
「兄との婚約破棄のために、一芝居しても構わないと申したのです、ヴァランティーヌ姉さん」
天使のような彼からは想像しにくい悪い顔をしているが、ゴーティエと比べたら仔猫の威嚇程度で可愛らしく感じられた。ゴーティエが本気で怒ると、獅子の威嚇よりも怖い。
ふむ。婚約破棄のために、ね……。
私が予知を理由に婚約破棄を望んでいると知っているのか、あるいは実はゴーティエが何らかの理由で婚約破棄を望んでおり、それに加担しようとしているのか――それはまだわからない。
とりあえず、私が婚約破棄を望んでいるわけではないと訂正しておこうかしら。そこからの反応次第で、出す情報を変えよう。
「あら、それなら間に合っておりますので、ご心配なく」
「それは、アロルドさんと逃げる計画が進んでいるからですか?」
「まさか。そもそも、婚約破棄をするつもりはありませんもの。どうしてそのようなご心配を?」
逆に私から尋ねれば、カミーユはバツが悪そうな顔をして、下を向いた。
「何かあったのはあなたさまのほうではありませんこと?」
黙ったままでも構わないのだが、理由が知りたい。ゴーティエの留守中に私と二人きりで話そうなどとやって来たのだ。独占欲の強いゴーティエに見つかったら、おそらくタダでは済まされない。危険をおかしてでもどうにかしたいことがカミーユにはあるはずなのだ。
「……姉さん。本当に結婚を望まれているのですか?」
声に涙が混じっている。苦しそうだ。
「どうしたの?」
「僕はヴァランティーヌ姉さんのことが好きでした。兄の愛と比べたら大した想いではなかったのでしょうけど」
「好いてくださり、嬉しく思います……けど、それとこれとはなんの関係が?」
要領を得ない。カミーユは俯いたままで、表情がよくわからなかった。
「お伝えしにくいことなのですが……きっとこの結婚はうまくいきません。結婚を取りやめて、ヴァランティーヌ姉さんには領地で余生を送ってほしいのです」
「どうしてそのようなことを?」
また予言者による占いだろうか。予言者の誰かが、私とゴーティエを引き離そうとしている可能性はある。
王族であるリオン家には専属の予言者が仕えているはずだ。専門分野がいくつか分かれていることを思うと、複数人いてもおかしくはない。
国としては貴族院が機能しているので、政治をまじないに委ねているわけではないが、天候についてや祭典等の催し事の日取りは予言者を頼っていると聞いている。予言者はこの国の重要な職業なのだ。
私が促すように問うと、カミーユはやっと顔を上げた。潤んだ瞳が私にしっかりと向けられている。
「近々、クーデターが起きます」
え? クーデター、だと?
この場ではおよそ聞かないだろう単語に、私は目をパチクリさせていた。
カミーユは言葉を続ける。
「父と兄はそのときに命を落とすことになるでしょう。僕はあらかじめ逃げますが」
「え、え? お待ちください。クーデターだなんて物騒な。それに、その情報を握っていて自分だけ逃げるなんて……主犯、あるいは近いところにご自分がいると明かしているようなものではありませんか」
私が指摘すると、カミーユはクスッと笑った。感情の起伏が激しい。どうしたというのだろう。
「さすがはヴァランティーヌ姉さんですね」
「現体制に不満があるのですか? でしたら――」
「違うよ、姉さん」
彼は間のローテーブルに片手をつけると、私の顔に自身の美麗な顔を寄せた。凍てつくような青い瞳が私を映す。
「あんたがこの国を狂わせるんだ。だからその前に出て行けって命じている。僕はヴァランティーヌ姉さんのことが好きなんだ」
「まさか、あなた……」
カミーユの指摘は、確かにもっともだと感じた。
彼は《ヴァランティーヌ》が好きなのであって、《私》のことが好きなわけではないと宣言している。
つまり、見抜かれている!
冷や汗が流れた。
「考えて、姉さん。姉さんだって兄さんを失いたくないだろう? だからここにいるんだよね?」
どこまで察しているのかわからない。返答に困っていると、ドアが開いた。
「オレの私室で逢引とは、どういう魂胆だ?」
「兄さま」
ゴーティエが戻ってきた。
それに気づいて、カミーユはいつも見せる愛らしい表情に戻って離れる。やましいことはしていないのだと誇示するように、たまたま距離が近かっただけだと装う自然な動作だ。
見る場所によってはカミーユ殿下とキスしているように見えるんじゃないかと思ったけど、ゴーティエ殿下の口調だと大丈夫そうね。
「誤解だとは言いませんよ。僕は姉さんに会いたかったのですから。兄さまばっかり姉さんを独り占めしてずるいです」
膨れて子どもっぽく拗ねる。
たぶん、演技なのよね、これ……。
先ほど対峙してみて感じたが、カミーユの内面はすっかり大人びている。
彼も公務の時間が増えており、順調に王家の一員としての仕事をこなしているのだ。公務が増えたことでゴーティエがあっという間に大人になってしまったように、カミーユだって成長してしまう。外見が中身に追いついていないだけで。
ゴーティエはあきれたような顔をした。
「まもなくオレの妻になる女性を他の男のもとに行かせるものか。独り占めしてなにが悪い」
「えー。ですが、妻になってしまったらもっと会えなくなってしまうでしょう? 今だけじゃないですか」
「お前は弟なんだから、まだ会えるほうだろう? ほら、ヴァランティーヌの周りをウロウロするな」
犬を追い払うような仕草でゴーティエはカミーユを急かす。
カミーユはつまらなそうな顔をした。
「まったく……。兄さま、あんまりヴァランティーヌ姉さんを困らせないでくださいよ。姉さんは兄さまのものじゃないんですからね」
そう告げると、私に冷たい視線を一瞬だけ向けて立ち去った。
うわー、釘をさしていったつもりの態度よね……嫌われちゃったな……。
ヴァランティーヌとしてはカミーユは可愛い弟である。そんな彼に嫌われる原因を作ってしまった私は胸が痛い。これからのことを思うと、味方にしておきたかったのに。
まあ、嫌われているのは「私」だけみたいなんだけどさ。
「――ヴァランティーヌ、カミーユとなんの話をした?」
何か察するものがあったのだろう。ゴーティエはカミーユが出て行ったドアをじっと見つめながら私に尋ねた。
正直に話すのもためらわれる内容なのよね……。
嘘をつきたいわけではないが、うまくごまかそうと思った。
「カミーユさまは私があなたさまとの結婚を承諾したことに嫉妬しているようですわ。とても仲がよかったから、祝福したくても気持ちの整理がつかないようです」
無難な回答ではないだろうか。完全に間違っているということもないと思うし。
穏やかな口調で返答すると、ゴーティエは私の隣に腰を下ろした。
「それだけではないだろう?」
ずいぶんと距離が近いしソファーが狭いな、と思っていたら至近距離で私の顔を覗かれた。ちょっと怖い。ときめきとは別の意味でのドキドキが止まらないが、私は平静を装った。
「要約は告げたとおりですわ。カミーユさまがなにを伝えにいらっしゃったのだと考えていらっしゃるのです?」
この人はなにを考えているのだろう。
ゴーティエが何を目指しているのか、よく考えるようになったと思う。その理由や原因は、彼の妻になるからではない。
急に見えなくなったからだ。この人と紡ぐはずの幸せな未来が。
「…………」
ゴーティエは私が尋ねると視線を逸らした。
「あなたさまに心配されるようなことはありませんわ。なにか気になることがあるのでしたら、遠慮せずご相談ください」
「……すまない。自分でもよくわからないんだ。ただ、よからぬことが起きるのではないかと胸騒ぎがおさまらない。せっかく婚約できたのに、また失うことになったら――いや、そんなはずはないのにな」
なんだろう、この違和感は。
ときどき、彼は《なかったことやまだ起こっていないこと》をあたかも《あったこと》のように話す。これまで私の聞き間違いかと考えてきたが、それにしては頻度が高い。どういうことなのだろう。
「オレも疲れているんだろうな」
「それはそうでしょうね。私をあんなに構っていては、休まるものも休まらないのではないかと」
「貴女が魅力的なのが悪い」
ゴーティエは小さく膨れて大きく息を吐いた。そして私の隣に座り直し、ゴーティエは自分の頭を私の肩に預ける。
「少し休みをもらうことにした。ヴァランティーヌ、明日は一度屋敷に戻って旅行の支度を整えるといい。明後日から数日、旅行をしよう」
「ずいぶんと急な話ですね」
確か私が熱を出して寝込んだときに、元気になったら遊びに行こうと誘われてはいたが、もっと先の話だろうと考えていた。結婚までに行わねばならない公務や儀式がたくさんあるからだ。
優先的に公務や儀式をこなすにしてもかなりの仕事量だというのに、旅行だなんて。
「嫌か?」
「いえ、決してそのようなことは」
「ならよかった……」
肩に乗る重みが急に増す。私がそっとゴーティエを覗き込むと、彼は長い金色の睫毛を伏せて眠っていた。
「……おやすみなさいませ」
今日の仕事が残っているのであれば誰かが呼びにくることだろう。それまでは肩を貸しておこうと私は思った。
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