第8話 彼の攻略が後回しになった本当の理由
パチッパチッと火の爆ぜる音にハッとすると、あたりはすでに火の海だった。取り巻く炎のお陰で壁さえよく見えない。室内に置かれた木造の椅子がゆっくりと崩れていくのが目に入った。
なんで、こんな……。
自分がどうしてここにいるのかなんて悠長に思い出そうとしている場合ではない。とにかく身の安全を確保しなくてはとドレスの裾を引っ張り上げる。そのドレスを見て、私は疑問を覚えた。
この真っ白なドレスは……ウェディングドレス?
見覚えがない――いや、本物を見たことがないだけだ。間違いない、これは美麗なイラストとして画面越しに見たもの――悪役令嬢ヴァランティーヌのウェディングドレス。
ゲームでは、ヴァランティーヌはこのドレスを纏って絶命することになる。といっても、複数あるエンディングの一つであり、ソフィエットがアロルドを選んだときに起こるイベントのもの。
どうして? アロルドさまはソフィエットと結婚することを渋っていたはずなのに。ううん、そんなことよりも、ゴーティエさまは? ゴーティエさまは今、どこにいらっしゃるの?
私は前世記憶を頼りに結婚式場となった神殿をさまよう。
時系列がわからないけれど、私が生きているということはゴーティエがまだ生きている可能性が高い。ゲームでの絶命シーンはヴァランティーヌが先であり、その後にゴーティエが騎士アロルドに刺されるのだ。
自分がいた場所が新婦の控え室であることを思い出し、私はようやく彼らがいるはずの広間にたどり着いた。周囲をほとんど炎で包まれているが、祭壇付近にある二つの影の正体は私にはわかる。
「待って!」
ゴーティエとアロルドが対峙している。ゴーティエは一瞬だけこちらに目を向け――その隙にアロルドは胸に刃を突き立てた。
「いやぁぁぁぁぁっ!」
シナリオが違う。どうして、こんな。
ねえ、なんで……ゴーティエさま、なんで私を見て笑ったの? ホッとしたような、そんな顔をして……。
「悪いな、ヴァランティーヌ嬢。俺はこうするしかないんだ」
泣き崩れた私のそばに、彼の血で濡らした剣を携えたアロルドが歩いてきた。その足取りは重い。
「許さない……私はあなたを許さない!」
見上げて睨んだ刹那、胸元に熱を感じる。口から熱がこぼれた。
「さようならだ、ヴァランティーヌ嬢」
そう告げるアロルドの顔には苦渋が満ちている。
なんで……なんで……?
痛みを意識する前に、世界は暗転する。
パチっと目を開けて、咄嗟に自身の胸に手を当てた。すごい汗だ。心臓が興奮してばくばくと脈打っている。
「……夢?」
やけに生々しく感じられた。もしかしたら、これはただの夢ではなく予知夢なのかもしれない。
アロルドさまとソフィエットがくっつくの?
そうなるとどうなるのか――私はその詳細を思い出すと同時に、ゴーティエの攻略を後回しにしていた原因を思い出した。
『プリンセス・ソニア』は最終的な敵となるゴーティエ・リオンと障害となるヴァランティーヌ・グールドンを倒し、ソフィエットと結ばれる攻略対象が国を獲る物語なのだ。つまり、どんなルートであれ最終的にはソフィエットがお妃さまになるから、プリンセス・ソニアなのである。
ゴーティエを攻略できるようになるのは、全ての攻略対象でのエンディングを迎えたあとなので、実質的には隠しキャラなのだった。
って、かなりマズイ……。私が知っている展開だと、どう頑張っても私は退場させられるし、ゴーティエの命だって危ないじゃない。
肩に乗る重みを思い出してそちらを見やれば、ちょうどゴーティエが目を開けるところだった。
「ああ、すまないな……つい眠ってしまった」
片目を擦って、ゴーティエは顔を上げる。私と目が合った。
「ゴーティエさま」
「どうした? 顔色がずいぶんと悪いな……」
彼は私の前に立ってまじまじと顔を眺めた後、何を思ったのか私の身体を軽々と抱き上げた。いきなり横抱きにされると心もとない。
「え、あの」
「寝室で一緒に仮眠を取ろう。夕食には呼ぶように伝えてあるから、心配はいらない」
仕事をさっさと片付け終えてから部屋に戻ってきたということらしかった。ゴーティエは頼もしい。
私は彼の首に腕を回した。彼は温かい。
「……どうした?」
身体を支える以上に力を込めてしまったので、ゴーティエに気づかれたようだ。私は今にも泣き出してしまいそうな自分を抑えて、ボソボソと返事をする。
「夢見が悪くて……あなたさまのことをとても恋しく思います」
「不吉なことを言うんだな。オレは死なないぞ」
「私だって、あなたさまを死なせるようなことはいたしません」
話しているうちに寝室に入る。私の身体がベッドに降ろされると、私たちは抱きしめ合った。お互いの存在を確認し合うように、しっかりと、ぎゅっと。
「ゴーティエさま……」
「心配するな。オレが貴女を守るから」
深い口づけをして、互いの熱を感じて。
きっとこんな時間は長くは続かないのだ――そんな予感があって、胸が苦しかった。
出立の日。
指定した時間どおりにグールドン侯爵家の屋敷にゴーティエを乗せた馬車が到着した。通常であれば私のほうから出向くのだが、王弟であるロドリク・リオンが王宮での公務で使用中のためこういう形になったと聞いている。
二人で旅行、ね……。
結婚してから忙しくなるのは間違いないが、だからといって急に出かけることもないはずだ。ゴーティエには何か目的があるのだろう。王都ではできない、なにかが。
「――どうして浮かない顔をしている?」
正面に座っているゴーティエが気遣う様子で尋ねてきた。
浮かない顔なんてしていないつもりなんだけどな……。
私たちの運命が死に向かっているらしいと気づいてから、どうにも考えすぎてしまう。ヴァランティーヌであれば、もっとうまく立ち居振る舞いができたんじゃないか――なんて無意味なことまで想像してしまう始末だ。ゲーム内で必ずデッドエンドに向かう彼女が、私以上にうまく動けたかなんて、ある意味自明なのに。
「旅行を楽しみにしすぎて、眠れなかっただけですわ」
眠れなかったのは事実だ。ただ、それは楽しみだったからではなく、ほかの攻略対象たちの動きを封じる方法を考えていたからだ。手遅れになる前に手を打っておかねばと気持ちが急いている――それゆえにのこと。
出向いたところで、情報も得られませんでしたし……。
昨日はフラグの確認のため、引きこもり公爵ヴェンセラス・ティエリのいる図書館を訪ねていた。そこで偶然見かけたソフィエットに声を掛けられたものの、挨拶をしてそれだけ。ソフィエットがゲームの攻略対象であるヴェンセラスに何の用事があって訪ねたのかは不明だ。
まあ、もう一つの目的だったエリーを見つけて交渉できたから、有利にはなったんだと期待したいけど。
私は小さく欠伸をして笑顔を作った。
「本当にそうか?」
「ゴーティエさまこそ、体調はいかがですか? 今日のためにご無理をされたのでは? 顔色があまり優れていないように感じるのですが」
グールドン家の屋敷の前で見た彼がやつれたように感じたのは光の加減だったのではないかとも考えていたが、この正面に座るゴーティエの様子もやはり変わらず。整った顔立ちは健在だが、肌がくすみ、目の下にはうっすらとクマが出ている。寝不足ぎみの様相だ。
「俺だって旅行が楽しみで、眠れなかったんだ」
そう告げるゴーティエの態度は、嘘をついているようには見えない。微苦笑を浮かべる顔は憂いを帯びることで美しさが磨かれているようにも感じられて、こんな状況で美しいなんて思ってしまう自分を恥じた。
「なら、同じですね」
どうして唐突に旅行などと言い出したのか最初はよくわからなかったのだが、ゲームの記憶をたどってみたことで一つの結論に至る。
この旅行の日程は、王弟ロドリク・リオンのイベントが起こる時期と完全に重なっている。このイベントによってロドリクはソフィエットの手を取り、ゴーティエを次期国王にさせてはならないと心に誓うのである。
となると、やっぱり意図的に避けた?
腕利きの予言者が王家についていてもおかしくはないものの、どこか引っかかりを感じずにはいられない。
互いに詮索するのは得策ではないと考え、私は話題を変えることにした。
「――アロルドさまも一緒なのですね」
直接挨拶を交わすことはなかったが、今日の護衛の中にアロルドの姿があった。彼は王族を護衛するときの正装をしており、その姿は前世で画面越しに何度も見たものと同じでちょっぴり高揚していた。
ゴーティエはつまらなそうに、ふんと鼻を鳴らす。
「アロルドは腕の立つ騎士だからな。立場だけじゃなく、実力も伴っている。それにプライベートな旅行について来させるなら、よく知る相手がいい」
そこまで説明して、ゴーティエは何かを思い出したような顔をした。
「そういえば、前の茶会で名の挙がったエルベルも同行しているぞ。素行や実力を直接見るいい機会だろう」
「そうでしたか」
確かエルベルの設定は隠し子だったよね……。気が変わらないといいけど。
ゲームでの情報を思い出す。これから敵対する可能性が高いことを思うと、迂闊な真似はしないようにせねばと深く誓う。
そんな私の心のうちを知ってか知らずか、ゴーティエは大きく息を吐き出した。
「プライベートといいつつも、やらねばならないことは山積みなんだ。骨が折れる」
プライベートとは名ばかりで、この旅の目的は王家の人間や敵対する可能性のある人間の目から離れて、態勢を整えることが最大の目的と考えられた。バカンスの予定は、そもそもこの旅行の日程には組み込まれていないのだ。
私が一緒なのは、周りの目を欺くためね。
「無理しないでくださいね」
「ああ、わかってる。心配かけてすまない」
「いえ。私が協力できることがあるなら、なんでもおっしゃってください」
欺くための要員であることには構わないが、何もしないでいるつもりはなかった。少しでも協力できることがあるのであれば、手伝いたいと思えた。
私がにっこりと微笑むと、ゴーティエは私をじっと見ながら手招きをする。
「じゃあ、こっちに来てくれ」
「……はい」
多少なりとも揺れる馬車の中、恐る恐る移動して、ゴーティエの隣に座る。内部は広いつくりではあるが、成人が並んで座るには少し窮屈だ。必然的に身体が密着してしまう。
「ヴァランティーヌ、温もりを分けてくれ」
「それってど――」
言葉は口づけに飲まれる。舌が絡み合うと、ゴーティエは私が了承したと考えたのか、旅行用のスカートの中に手を入れる。
「あっ……」
「この馬車でも揺れるからな。逃げるなよ」
馬車の振動でガクガク動き、それが記憶と結びついて妙な高揚感に包まれる。
「こ、こんな……ああっ」
「気にするな。この旅行は、そういう旅行だから」
そういう旅行……?
もう少し考えたいのに、思考は停止。もう自分ではどうにもならないことを、私は悟った。
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