第6話 予言者との遭遇


「……はぁ」


 気絶して目が覚めたとき、ゴーティエは私を抱きしめて眠っていた。私はベッドの端に手首を縛られた状態で、逃げることはできない。

 なんでこんなことに……。

 ため息をついてわかったが、声がすっかり枯れている。ひょっとしたら、私に助けを呼ばせないためかもしれない。

 ゴーティエ殿下は充分に有能な人のはずなんだけど……。

 抱かれているときに気づいたのだが、どうもゴーティエは寝不足だったようだ。今は気持ちよさそうに眠っているので、多少は改善すると思う。言動が妙だったのは寝不足で本来の能力を発揮できなかったのだと考えられなくもない。

 しかし、それはそれとして私が前世を思い出してから様子がおかしい。振る舞いが極端だ。

 こんな人ではなかったのに――いや、まあ、溺愛からの監禁はありがちか。アロルドさまもああおっしゃっていたし……。

 婚約破棄をしたいだけだったはずが、なにゆえにこうなったのか。生き延びたいという願いを叶えるために必死になりすぎている気がする。

 部屋は暗い。明け方までは時間があるようだ。

 もうひと眠りしておこう……起きてから再開する可能性もあるもんね。体力は回復させておかねば。

 ゴーティエの体力は並ではない。それに付き合うことを考えると、休めるときには休むのが吉だ。

 寝直すことを決意してまぶたを閉じ――そこで肌がザワッとし、思わず目を見開く。違和感を得た窓際に顔を向けて目を凝らすと、人影がある。


「誰!」


 ゴーティエを起こすためにも声を張り上げたつもりだが、かすれてしまっていて音量が足りない。

 ただ、ゴーティエは目を開けてはくれなかったものの、闖入者には私が起きていることが伝わったらしかった。足音が近づいてくる。

 って、やっばっ。私、拘束されて動けないじゃない!

 ごそごそ動いてゴーティエを起こそうと試みるが、寝息を立てているだけでぐっすり熟睡中。反応はない。

 早く起きてください! ピンチですよ!

 こんな時間に第一王子の私室に入り込んでくる人間なんてロクな存在じゃないに決まっている。自分だけでなく、ゴーティエも危険だ。

 どうしよう。声をかけたのは失策だった!

 私が身を硬くして冷や汗を流していると、ベッドの隣に立たれた。怖い。


「――ふふ。ヴァランティーヌ嬢は起きていたのですね」


 男性とも女性ともつかぬ艶っぽい声には聞き覚えがあった。正確には、前世の記憶の中で、だが。


「あなた……エリーですね?」

「おやおや。あたしをご存知で? グールドン家の御息女さまにまで知られているとは光栄ですわ」


 こんな喋り方をする人物だが、ゲーム内の声優さんは男性であり、ゲーム上もエリーは男性である。しかも、性別が明かされるのはスピンオフ作品内であり、知っている人は少ない。

 でも、なんでこんな時間のこんな場所に?

 王家と仕事をしているのだろうか。ゲームではそんな描写はなかったと思う。


「ご謙遜を。ちまたで有名な予言者ではありませんか。ところで、こんな場所になにようで? 私が大声で助けを求めたら、どんな愉快なことになるかしら?」


 エリーはゲーム内ではサポートキャラクターにあたる。予言者として、ソフィエットの人生が変わる分岐点がやってくるたびに意味深なことを告げて去っていく。

 ゲーム内の姿と同じで、真っ黒な頭巾に身を包んでおり、目元は隠れたままで顔全体はよく見えない。私が挑発すると彼は口の端をキュッと上げた。


「ふふ。この部屋はどんなに大きな声を出したところで、外には聞こえませんのよ。あなたの可愛らしい嬌声も外には漏れていませんの」

「……あなた、いつからいたの?」

「うふふ。秘密」


 長い袖から真っ白な手が出てきて私の頬に触れる。とてもひんやりしていた。


「――そんな無防備な状態であたしに声をかけるなんて、あなたさまらしからぬ愚策ですね。別人みたい」


 別人……鋭いわね……。

 確かに、ヴァランティーヌ本人であれば、闖入者を刺激することなくこっそりゴーティエを起こして対応することだろう。

 なのに、私は失敗した。


「じゃあ、せっかくだし私の口封じでもしていく?」


 エリーがなんのためにこんな場所にいるのかわからないが、私に見つかってしまったのは想定外のはずだ。邪魔者を消すのはセオリーである。

 私が尋ねると、エリーは左右に首を振った。


「あなたさまを消すだなんてとんでもない。この国の未来に関わることでございます」

「では、ゴーティエ殿下がお目当てで?」


 探りを入れると、彼はまた慌てて首を左右に振った。


「そんなまさかまさか。あたしは事の成り行きを見守るために参上しただけですわ」

「見守りたいなら、私が声をかけたときに無視したらよかったじゃない」


 緊張状態から素の自分が出てしまった。令嬢らしい口調が難しくなっている。

 私の指摘に、エリーはふふふと小さく笑った。


「せっかくなので、あなたさまの裸体を目に焼き付けておこうと思ったのです。あなたさまが眠る前からこっそりと観察させていただきましたけどね、もっと身近で見られるなら、と」


 そう告げて、彼は私の裸体に顔を向ける。目元はやはり影で見えないが視線を感じた。


「へ、変態」

「変態で結構です。――ああ、この身体がゴーティエをおかしくさせているのかと思うと、本当に……」

「本当に、何?」

「ふふ、それはこちらのお話です」


 話を切り上げて、エリーは私から一歩離れた。


「ヴァランティーヌ嬢。ゴーティエ殿下を守れるのはあなただけなのです。その役割を、どうか忘れないで。あたしは、あなたたちの幸せを、ずっと昔から願っておりますの。敵にはなりたくないから、お願いね」


 敵にはなりたくない――その言葉には切実な思いが託されているような気がした。

 エリーは軽く手を振ると、音を立てることなく部屋から退場した。

 まもなく、極度の緊張の中にいた私はストンと眠りに落ちる。





 私の名前を呼ぶ声がして、身体が揺さぶられる。この声はゴーティエに違いない。

 あれ、私……。

 汗で身体が濡れてしっとりしている。これは暑さによるものではなさそうだ。


「……ヴァランティーヌ。大丈夫か、ヴァランティーヌ!」


 ハッと目が覚めると、真っ青な顔をしたゴーティエがいた。彼の余裕のない顔は珍しい。

 ランプがつけられたこの薄暗い部屋は、ゴーティエの寝室だと理解する。私は彼のベッドで眠っていたのだ。


「大丈夫か……って……」


 この部屋に入ったときのことを思い出す。

 あなたさまが抱き潰したんでしょうよ……。

 私がゴーティエの言葉にあきれながら身じろぎすると、手首が拘束されたままだったことに気づいた。手を動かして外れないか試みているうちに、ゴーティエもその存在を思い出したらしい。私の手首を掴んで、丁寧に外し始める。


「ああ、申し訳ない。オレが眠っている間に逃げられたら厄介だからとくくりつけていたのを忘れていた。今外す」

「ええ、お願いします」


 すぐに拘束が外された。私は手首についた赤い痕を撫でる。薄く、直射日光でないとわからない程度の痕だ。場所が場所なので、服で充分隠せるだろう。


「しかし、目覚めてよかった。随分とうなされていたぞ。オレの名前を何度も呼び、苦しそうにしていたが……」


 言われて思い出す。

 私はゴーティエに――。

 返事をしようとしたものの口をつぐんでしまった私に、ゴーティエは額に優しく唇を落とした。


「昨夜は遅くまで負担をかけてしまったようだな。簡易的とはいえ、拘束されていれば悪夢ぐらい見るか。当然だな、無理もない」


 そう告げるゴーティエに、私の裸身は抱きしめられた。


「もう心配ないからな。嫌なことは思い出さなくていい」


 あれ? なんかおかしい……。

 抱きしめられたまま窓のほうに視線を向ける。かすかながら赤紫色の光が漏れていた。明け方のようだ。

 どういうこと?

 私が彼に犯されたときは、空がだいぶ明るくなっていたはずだ。時が遡っているのでないならば、あるいは私が丸一日眠りこけていなければ、あれは夢だったことになる。


「ゴーティエさま、あの、アロルドさまとお茶会をしたのは昨日のことでしたよね?」

「ああ、そうだが……どうした?」

「あ、いえ……。えっと、一応確認しますけど、私、処女ですよね? 私が眠っている間に……その、いたしちゃったりしていませんよね?」


 恐る恐る尋ねると、ゴーティエは不満そうな顔をした。


「オレは信用がないんだな。……いや、確かにこんな形で強引に攫ってくれば、貴女からの信用をなくしても仕方がないか」


 しょんぼりとして、彼は私の上から去っていく。


「信用していないわけではないんですが……年頃の男女ですし、こうして肌を合わせていたら間違いがあってもおかしくはないと――」

「オレは貴女が受け入れてくれるまでは待つつもりでいるんだ。下手な煽り方をしたら襲うぞ」


 私の言葉にかぶせるように告げられて、夢だったらしいアレを思い出す。下手な煽り方をしたら襲う――おそらくその言葉に偽りはない。


「……いえ、そういうつもりは決してないです、はい」


 慌てて訂正する。

 そんな私を見て、ゴーティエは苦笑した。


「ふむ。オレに襲われる夢を見たということか。正夢にならなくてよかったな」


 クシャッと私の頭を撫でて、長い髪を一房持ち上げると恭しく口づけを落とした。


「貴女が告げた未来をオレは信じている。もう失いたくないんだ。今度こそ、オレは貴女を幸せにすると誓ったんだから」

「……今度こそ?」


 前に何があったというのだろうか。私には思い当たるふしがなかった。

 聞き間違い?


「いや、なんでもない」


 ゴーティエは困ったように笑うと、私を抱き上げた。


「水浴びをしようか。身体中がべたついているだろう?」

「え、あ、一緒に、ですか?」


 入浴を提案されて、私の思考はこれからの行動に向けられる。前回の入浴ではエライ目にあった。今はそんなことをしている体力はない。

 私があからさまにうろたえると、ゴーティエはクスクスと笑った。


「心配するな。ただ洗うだけだよ。期待しているなら、やぶさかではないが」

「ゴーティエ殿下はずいぶんと体力をお持ちのようで」


 実際、こうして抱き上げられていても安定感があって、疲れているようには感じられない。


「多忙きわまりない執務をこなすために鍛えてきたということもあるが、昨夜は貴女のおかげでぐっすり眠れたからな。疲れが吹き飛んだ。感謝している」

「あ、はい……」


 私の身体を好きなようにいじくったことでスッキリしたならそれはよかったと言っていいのかわからないが、彼の血色は昨日よりもよくなっているので悪くはなかったのだとしておこう。


「今夜も泊まっていって、ヴァランティーヌ。明日は家に帰すから」

「何か用事があるのですか?」

「いや。――オレが貴女と一緒にいたいだけだ」


 なんだろう、少し言葉に詰まったような……。

 ゴーティエの様子がおかしい。そのことを真面目に考えたかったのに、お風呂に連れていかれた私は結局喘がされることになってしまって、思考どころではなくなってしまったのだった。

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