めぐる世界の果てに

第12話 薬学令嬢の孤独


 王都の混乱は数日間続き、クーデターは失敗に終わった。ロドリクとティエリ公爵は投獄され、カミーユは知らぬ存ぜぬを貫いて王都から遠い保養施設での謹慎処分がくだった。ギーセルベルトが到着する前に方が付いていたらしい。

 計画が前倒しになったことが仇となったのだろう。ロドリクの準備不足を突いて、国王陛下の手腕で捩じ伏せたとのこと。ながらく平和な日々を過ごしていたとはいえ、そう簡単に転覆するほど脆くはないのだ。





 ギーセルベルトからの文を受け取り、私たちは当初の旅行の日程に合わせて王都に戻った。すぐに王都に帰還して国王陛下側に加勢してもよかったのだが、想定よりもあっさりとことが運んだために様子をみようと待機していたのだった。

 そして私は、クーデターによって怪我をした人々が治療を受けている病院を訪ねていた。薬学令嬢ソフィエットがそこで怪我人たちの手当てをしているからだ。

 シナリオの通りにロドリクが勝っていれば、間違いなくこの病院にソフィエットがいるはずだけど、今回は負けたからなあ……。

 もっと混雑しているかと身構えていたが、想像していたよりも被害は少なく済んだようだった。手当のために並ぶ人はいても待たされている様子はなく、テキパキと作業は進んでいる。清潔さも保たれており、これならば回復も早かろう。

 クーデターがパフォーマンスだったみたいな印象を受けるのはなぜかしらね。

 ゴーティエが旅行のために有能な騎士を連れて王都を離れていたというのに、この程度の被害で済むことが不思議だ。

 視察名目で訪ねてきたからには状況は把握しておかないと。あとはソフィエットに会えれば……。


「ヴァランティーヌさまっ?」


 治療室に向かう途中で、私の名を呼ぶ焦る声が廊下に響き渡った。私が振り向くと、長い髪をシニョンにまとめた眼鏡の少女ソフィエットが青い顔をして早足で向かってくるところだった。


「あら、ソフィエットさん」

「いけません、ヴァランティーヌさま。こんな場所に居ては」

「ここは病院でしょう? 先日のクーデターで怪我をされた方がたくさん運ばれていると聞いて視察に訪れたのですのよ?」


 私は護衛として連れてきた騎士アロルドをチラッと見やって、穏やかに返した。


「そうではありません! ……周囲の目がありますので、どうぞこちらへ」


 ソフィエットがそう告げて案内したのは狭い病室だった。空気の入れ替え中らしく、窓が開けられており部屋に先客はいなかった。

 ドアを閉めるなり、ソフィエットは不安そうな顔を私に向ける。


「ヴァランティーヌさま、お身体は?」

「私なら、元気ですが?」

「ああよかった……」


 ほっと安堵した様子で、ソフィエットは表情を柔らかくした。どうしたというのだろう。私はアロルドと顔を見合わせる。


「そうだ。お薬、お渡ししないと」


 ソフィエットは何かを思い出したらしく、自身が腰につけていたポーチから封筒のようなものを取り出す。


「薬? 私は健康ですが?」

「健康だからこそ、ですよ。鉄分と葉酸はしっかり摂っておかないと、元気な赤ちゃんを産めないですからね」

「え? 私、妊娠していないですけど……」

「日数的にはまだわからないでしょうけど、そうなる未来が見えたのです。いいですか、ヴァランティーヌさま。このお薬をしっかり飲んで、王都を離れてゆっくりしてください。そうすれば、悲劇は避けられます。半年でいいのです、どうか今は私に騙されてください」

「ですから、私は、その、まだ、殿下とは致していないので!」

「…………ええ?」


 あまりにも話が噛み合わない。ソフィエットと見つめ合ってしまうと、アロルドが笑いを押し殺す声が響いた。


「ははっ……ゴーティエに必要なこと以外口を聞くなって命じられているが、こりゃあ無茶な相談だろ……くくっ……」

「あの、どういうことでしょう? 誕生祭で結ばれたはずでは……」


 ソフィエットが混乱している。この様子だと、ソフィエットは気づいた側の人間だ。

 私は額に手を当てて大きく息を吐いた。


「私が子を流して死ぬのは予言かしら? それとも、経験からなのかしら?」


 私の問いに、彼女は再び顔を蒼くさせた。シナリオを大きく変えてしまったのではと慌てているのだろう。私は安心させるように努めて優しく微笑んだ。


「安心なさい、ソフィエットさん。その未来は、今のところ私の予知で回避しております。私が子を宿すことで起きる悲劇は避けられますわ」

「で、ですが、今は回避できても、お世継ぎは必要でしょう? いずれは――」

「私は子を宿さず一生を終えるつもりです」


 この国は終わる運命。そしてゴーティエはヴァランティーヌの生存を望んでいる。だから、ギーセルベルトに国を託したのちに二人で慎ましく余生を過ごすことに決めたのだ。子どもを宿すことで死期が早まるなら、二人で生きていこうと誓った。そういう生き方でもいいじゃないか。

 穏やかに告げれば、ソフィエットは私に封筒を押し付けてきた。


「そんなっ! 私は、ゴーティエ殿下とヴァランティーヌさまのラブラブハッピーエンドを応援したくてここにいるんですよっ! お二人が幸せになれるように、薬学は極めましたし、医術も学んでいる最中なのです。そのために、私は何度も何度もこの歴史を重ねてきたのに……そんなっ」


 錯乱状態になりかけたソフィエットを、私はそっと優しく抱きしめた。背中をトントンと軽く叩いて宥めながら、私は言葉を選ぶ。


「あなたの気持ちは嬉しいし、その努力も認めるけれど……愛する人と結ばれて子を産み育てることが最上の幸せというわけでもないのよ。私にもゴーティエ殿下にも、望む形の幸せがあるの。あなたが決めることじゃないから、それは間違えないで」

「ヴァランティーヌさまっ……」


 わあわあと泣きじゃくるソフィエットを慰める。やがてソフィエットはポツリポツリと胸のうちを明かした。

 自身に薬学令嬢と呼ばれるだけの知識と技術を持ち合わせているのかと疑問に思ったときに、この歴史を何度も繰り返していることに気づいたこと。

 予言者エリーに質問を重ねることでそれが確信に変わったこと。

 誰かと恋をするたびに、賢君になるだろうと噂されているゴーティエ王子が道を踏み外してしまうこと。それを諫めるために彼の命を奪わねばならないこと。

 ゴーティエ王子が道を誤るのはヴァランティーヌ侯爵令嬢が関係していること。ゴーティエ王子はヴァランティーヌ侯爵令嬢を深く愛していることを知ったこと。ゴーティエ王子のことを知ろうと近づいた結果、王子との子を宿していたヴァランティーヌが病で死んでしまったこと。

 調べれば調べるほど誰も悪くないはずで。だから、悪役として命を散らすことになるゴーティエ王子とヴァランティーヌ侯爵令嬢も幸せになる権利があり、必ず幸せになる道があるはずだと信じてここまで来たこと――ソフィエットは、ずっと一人で調べ続けてここに辿り着いたのだと話してくれた。


「……そう。一人でつらかったわね。私たちのためにありがとう」

「ヴァランティーヌさま」

「私はちゃんと、生き抜いてみせるから安心しなさいな」

「わかり……ました……」


 ソフィエットは涙を拭って、私に微笑んだ。ゲームスチルで見たことがないくらいの、とびきりの笑顔だった。

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