前世での推し

第3話 想定外に修羅場なんですがッ⁉︎

 最後までしていなくとも、寝かせてくれないだけで体力は削られるものである。丸一日愛され続けた私は、熱を出して寝込むハメになった。

 帰宅後に発熱して医者を呼んだと聞かされたらしいゴーティエは、私の屋敷にとんできて申し訳なさそうに頭を下げてくれた。公務で忙しいはずなのに、こうしてすぐに会いに来てくれたことは素直に嬉しかった。冷たい言葉をかけることなく、優しく労ってくれる。

 私が知るゲーム世界ではオレ様エス系ヒーローという設定だったはずなのに、こんなに溺愛されるとは。





 誕生日パーティから一週間後。

 元気になった私は王立騎士団の詰所に顔を出していた。一応、公務である。

 王太子妃として私が婚約したことは、先週のゴーティエの誕生日パーティで改めて宣言されている。なので、王宮内の施設や機能についてを学ぶため、あるいは関係施設で働く人たちとの顔合わせと交流のために順番に回ることになったのだった。

 気が早いと思うけど、結婚してからはもっと忙しいものね……。

 結婚すると、新婚旅行と称した外遊が始まる。なので、王宮内のことを学ぶなら婚前が都合がいいのだ。


「――それにしても、強そうね……」


 騎士たちの稽古を眺めながら、私は呟く。

 たくましい筋肉がどこもかしこも溢れている。上半身裸の屈強な男性が鍛えているさまは、少し恐いけれど頼もしくも思える。彼らがこの国を守る要の戦士たちだ。

 私が生まれて間もない頃は小競り合いから生じた戦さが度々あったとのことだが、現在は大きな戦さは存在しない平和な期間が続いている。そのため、宮廷騎士たちの主な仕事は災害時の救助や再建だ。この目の前で鍛えられている筋肉は、国民を救う体力を養うためである。

 騎士たちに指示を出している赤い髪の人物が、王立騎士団筆頭騎士のアロルド・エルヴェだ。

 ゲームではかなりはっきりした赤い色で表現された髪だが、こうして見ると陽の加減で赤く光って見えるくらいで、ごく普通の赤毛なのだなと思えた。彼の体格はここにいる誰よりもガタイがよく、迫力がある。重そうに感じられる体躯を持つが、これで意外と俊敏に動けるのだから、本当に強い。二十一歳という若さなのもすごい。

 まあ、ゲームの攻略対象なのだから、設定はいろいろ盛られているんだろうけどね。

 自然と目をひく華やかさを持っているのは間違いない。モブの筋肉も悪くはないが、やはり全身にまとうオーラが違う。それは前世の自分が愛した存在だからそう見えているという話でもないだろう。

 全体を俯瞰するように眺めているつもりだったが、気づけばアロルドばかり見ていた。こうして至近で実際に動いているさまを見ることは今までなかったから、その仕事ぶりも含めて気になってしまう。

 とはいえ、こうして顔を合わせたらかつての初恋が再燃――みたいな展開になるかと思ったけど、ときめかないものね。素敵だとは感じるけど。

 周囲から慕われているのもやり取りを見ていればわかる。肩書きどおりの有能な人物なのだろう。

 私が見つめていることに気づいたのか、アロルドはこちらに軽く微笑むと、稽古を止めて休憩の指示を出した。それぞれ水を飲みに行ったり、汗を拭きに行ったりと散っていく。

 アロルドはというと、にこやかな表情で私に近づいてきた。

 私は椅子に座ってパラソルを開いているので、目の前に立たれると顔が見えない。私がゆっくり傘を後ろに倒すと、普段なら精悍な顔つきであるのに女性向けの穏やかな顔のアロルドが立っていた。


「視察はいかがですか? 未来の王太子妃さま」


 他の騎士から受け取った布で汗をぬぐいながら、アロルドが声をかけてくる。前世の私が好きだった声と全く同じ。直接話をしたことがなかったこともあり、転生先でも自分の好きだった声を聞けてなんだか不思議である。


「ええ。統率がとれていることがよくわかります。アロルドさまは噂に違わず優秀でいらっしゃいますのね」

「どうかな。慕われてはいるけど、面倒な仕事を押し付けられたようなもんですよ」

「ご謙遜を」


 私はクスッと笑った。ゲーム内で交流していた彼と同じ空気を感じられて、ちょっと懐かしくなる。ゴーティエの友人でもあるので、結婚後も付き合いはあるのだろう。

 さて、ここからが私個人の重要なミッションスタートである。


「――ところで、アロルドさまには想いを寄せる女性はいらっしゃいますの?」

「ん?」


 アロルドに怪訝な顔をされてしまった。早く本題に入りたい気持ちが急いて、唐突すぎてしまったかもしれない。

 何か言い方を変えてみようかしら。


「こんなにも素敵な人ですから、婚約者や恋人の噂がないなんて勿体ないと思いまして」


 アロルドに女性関係の浮ついた噂がないのは事実だ。騎士としての仕事に執着するあまり、女性との付き合いを遠ざけてしまっていた。

 なお、ゲームの設定もそんな感じだった。真面目で正義感に溢れる男である。

 補足すると、アロルドは不思議そうな表情で私を見つめ――頬に手を添えてきた。


「ん?」

「なるほど、視察の名目で自分の護衛騎士を選びにきたのかと思っていたが、愛人候補を見積もりに来たってことか」

「は、はいっ?」


 口調、あの、口調が恋愛モード突入時の砕けた調子になっていますけどっ!

 私はアロルドの言葉が飲み込めず、あたふたとしてしまう。彼の手を弾いて拒むのがヴァランティーヌという女性だろうに、前世の記憶が邪魔をしてうまく動けない。


「あんまりにも熱い視線を向けてくるから、なにかと考えていたんだが……そういうことなら、納得できるな」

「か、勝手に解釈しないでください! 私にはそんな下心など――」


 彼の大きな手で頬を撫でられるとゾクゾクする。汗ばんだ手のひら、マメでゴツゴツしている感触、太くなってしまった関節の硬さ――画面越しではわからなかった生々しい感覚が私を狂わせる。

 男慣れしていないのも問題があるのかもしれない。王太子妃を狙って大事に育てられただけあって、不必要に男性とは接触しないようにさせられていたのがアダになった。


「ゴーティエだけで満足できないっていうなら、協力してあげようか?」

「きょ、協力でしたら、そういうことじゃなくて――」


 くいっと顎を持ち上げられてしまった。

 マズい、これ、キスされるっ!

 逃げなきゃいけないのがわかっているはずなのに身体が竦んで動けない。

 ってか、なんで手慣れているのっ? 話が違うっ!

 現実から目を背けてしまいたくて、私は強く目をつむってしまった。

 と、その時だ。


「おい、オレの最愛の婚約者に手を出すとは、どういう了見ではたらいているのか説明いただこうか、アロルド」


 鋭く刺すような声が詰所に響く。ゴーティエの声だ。

 アロルドの手はビクッと震えたのちに私の頬から離れて行く。

 かと思うと、パラソルが引っ張られて地面に落ち、私の身体は背後からやって来た人物に抱きすくめられてしまう。


「何をやっているんだ、ヴァランティーヌ。こういうときこそ毅然とした態度で逃れなければ」

「す、すみません、ゴーティエ殿下……」


 私を背中側から抱きしめて耳元で叱責したのはゴーティエだった。

 なんでこんなところに?

 ここにはお付きもいたのに誰も止めようとしなかったのは、私が助けを求めなかったからもあるだろうし、アロルドも侯爵家の人間なので下手に割り込むと面倒ごとになりかねなかったからだろう。警戒するようにちゃんと言っておけばよかった。

 心の中で反省していると、なにやら様子がおかしいことに気づく。

 いつまで背後にくっついているんだ、ゴーティエ殿下。


「ゴーティエ、悪かった。そんなに怒らないでくれ。あまりにも君の婚約者が可愛いから、少しからかってみたくなったんだよ。挨拶程度の頬への口づけくらいなら、許容できる範囲だろ?」


 アロルドの声がちょっと遠い。数歩下がって私たちの様子をうかがっている。ゴーティエの殺気に気圧されているように見えた。

 なだめようと弁解するアロルドに、ゴーティエはそれこそ獅子が威嚇するような調子で鼻を鳴らした。


「あいにく、許容範囲外だな。オレの婚約者に触れることさえ許せぬ。しかも素手でなんて、もってのほかだ。頬への口づけは万死に値する。未遂でよかったな」


 おお、こわっ。めちゃくちゃお怒りですね、ゴーティエ殿下……。

 私が震えていると、ゴーティエの抱擁がきつくなった。


「ああ、アロルドが怖かったのだな、ヴァランティーヌ。かわいそうに。こんなに怯えて」


 あ、いえ。恐れているのはあなたさまです――とは言える状況にない。

 ゴーティエの指先が私の頬をそっと撫でていく。


「泣かずによく耐えた。貴女は強い女性だ」


 囁かれると背中がゾクゾクする。恐怖でなにも言葉が出ずにいると、ゴーティエが動く。私の顔を横に向けさせると、唇を重ねてきた。


「んっ、ふぅっ……!」


 触れるだけではなかった。長く深い口づけで、快感を引き出す動きに拒絶することもかなわず翻弄される。

 軽い酸欠で意識が朦朧としてきたところで、ようやく唇が離れた。


「ヴァランティーヌ。視察はこの辺で切り上げて、部屋に戻ろうか」


 ゴーティエは私の返事を待たなかった。私の身体を軽々と抱きあげて歩き出してしまう。アロルドが何も言わなかったのは、あっけに取られていたからだろうか。

 こんなことをしなくてもいいのに……。

 無抵抗のまま運ばれたのは、ゴーティエが乗ってきたらしい馬車の中だった。

 座席に横たわらせられると、扉が閉められた。カーテンもきっちり閉められて、外からは中の様子が見えない。

 ゴーティエと二人きり。


「殿下……?」


 すぐに出発するのかと思ったのに、馬車は動き出さない。その代わりに、ゴーティエは私の上に覆いかぶさった。

 私を見つめるゴーティエの瞳からは心の揺れを感じ取れる。迷っているか怯えているか、そんな雰囲気。彼の弱さが見え隠れしている。


「どうしてあんな迂闊なことをした? 貴女は充分に魅力的な女性だ。貴女の美貌があれば、男など簡単に誘惑できるだろう――オレが狂わされているくらいなんだから」


 そう問いかけて、私の柔らかなストロベリーブロンドをひと房持ち上げて恭しく唇を落とす。


「わ、私は――」

「オレとの婚約の解消を目論むために、アロルドと駆け落ちでもするつもりだったか?」

「えっ」


 ゴーティエの目が鋭く光った。

 私はその目の恐ろしさに言葉を詰まらせる。


「アロルドは王立騎士団の筆頭騎士だ。その肩書きに恥じない能力がある。一緒に逃げるなら好都合だろうな」

「な、何をおっしゃっているのです? 私はただ――あっ……」


 露出していた首元をねっとりと舐められた。身体がゾクゾクして言葉が続けられない。アロルドの前でした官能的な口づけの余韻が身体に残っているのだ。


「熱を出させるほど抱き潰してしまったことは申し訳ないと思っていたが、貴女がほかの男を誘惑するなら話は別だ。オレに抱かれて、ほかの男も試したくなったか? どんなふうに触れてくるのか、気になってしまったか?」


 散歩用のドレスの上から胸をやわやわと揉まれた。私への怒りをぶつけるためではなく、快感を引き出すためにそうしているのがわかる手つきだ。


「やっ……そ、そんなことは微塵も考えておりませんわ」


 イヤイヤと首を横に振るが、ゴーティエは行為をやめてはくれない。


「それに、女性が来るとわかっているのに、なんだ、あの格好は。普段どおりにしているにもほどがあるぞ。アロルドにきつく言っておかないとな」


 確かに、女性が視察に来るとわかっていながら上半身裸で筋肉を晒しているのはちょっと問題かもしれない。


「ああ、それは同感です……」


 ゲーム内では主人公のソフィエットが騎士団の詰所を唐突に訪ねるので、そのシーンは筋肉祭りの絵面になったわけだが、今日の私の訪問は公式のものだ。体調不良でスケジュールが変更になったが、事前に伝えてあったはずである。少しは配慮されてもいいかもしれない。


「貴女は男性の身体に興味があるようだな。じっと胸や腕を見ていた」


 私の息は甘く変わっている。手も足も自由なのだから、ゴーティエを払いのけることはできるはずなのに、そうできない。


「い、いつから私をご覧になっていたのです……?」

「アロルドに案内されて、椅子に腰を下ろしたあたりから、だったか」


 かなり最初から私は監視されていたらしい。ゴーティエは暇人ではないから、仕事をどうにか処理してわざわざ私を追ってきたのだろう。


「声をかけてくださったらよかったのに……」

「貴女がどのように視察をするのか、知っておきたいと思ったからな。――アロルドはオレが来たのを初めから知っていたぞ」

「……初めから?」


 だとしたら、アロルドはゴーティエをけしかけるために私に触れたのではなかろうか――そう考えて冷静に思いかえそうとしたとき、彼の手が直接私の胸に触れてきた。


「ふえっ? あ、あのっ」


 いつのまにか上半身が乱れてはだけている。大きな胸は目に毒だ。しかも、彼の大きな手が被さっていて、それが卑猥に動いている。


「やぁっ……わ、私にも話をさせて……っ!」


 気持ちがいい。頭の中が真っ白になってしまいそうなくらい。

 とにかく行為をやめてほしくて、私の胸を揉む左手に自分の手を添えた。


「貴女とアロルドには大きな接点はなかったと思うが、噂を聞いて熱をあげる女子も多いからな。興味を持っていてもおかしくはない」

「ゴーティエさま……私を信用して……」

「婚約をなかったことにしてくれという女の話など、そう信用できないな。オレは貴女の頭脳を評してもいる。おそらく、オレは貴女がしようとする計画の先回りはできない。裏をかくことも難しいだろう」

「そんなことは……や、やめて……」


 刺激が変わって、私の身体は小さく震えた。快感が言葉を奪っていく。


「ヴァランティーヌ、貴女こそオレを信用したらどうだ? 子を流したくない、自分の死を避けたい気持ちはわかるつもりだ。オレだって貴女を失いたくはないし、オレとの子を流すなんて想像もしたくない。協力は惜しまないと告げたのに、貴女は勝手なことをしようとする。オレとの結婚がそんなに嫌なのか?」


 私は懸命に首を横に振った。

 これは拷問なのだと、やっと思い知った。


「い、嫌だなんて、めっそうもないことでございます!」


 私が否定すると、ゴーティエはニタァと笑った。美形にはそういう笑みを浮かべてほしくはないが、不気味さの中に色気も混じっているように感じられて混乱する。すごくゾクッとした。


「――逃がさないよ、ヴァランティーヌ。あとでちゃんと話してね」


 頷く前に唇を塞がれる。左手は胸を揉みしだき、右手はスカートの中に潜り込んでいく。


「んんっ」


 私の抵抗など意味をなさない。ゴーティエによって引き出された快感でぐったりと身動きが取れなくなるまで、私はたっぷりと愛されたのだった。

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