第4話 思惑どおりにならない
ゴーティエの私室で入浴を終えたら話し合うはずだった。でも、愛され慣れない私は疲れ果ててしまい、帰宅することになった。加えて、ゴーティエ自身の仕事の都合もあって、改めて場を設けることにしたのだ。
アロルドとソフィエットのフラグがどの程度立っているかを知りたかっただけなのに。とんだ誤算だ。
加えて、ゴーティエと接していて気づいたことがあった。
ゴーティエ殿下はヴァランティーヌの変化を察している。
今の《私》はヴァランティーヌの意識だけではない。それ以上に前世の《私》が邪魔をする。ヴァランティーヌの幼馴染でもあるゴーティエが不審に感じるのも当然だ。
このまま死ぬ運命から逃れるために奔走していたら、もしかしたら、私はヴァランティーヌとしての自我を失ってしまうかもしれない――そんな予感が、実はある。
ゴーティエが愛しているのは、今の《私》ではなく、幼少期から仲良く過ごしてきたヴァランティーヌという名の少女なのだ。それは、彼が私に触れて愛を囁くたびに痛感させられる。
すごく、胸が痛い。
自分の死を回避するためではなく、彼とヴァランティーヌのために、きちんと別れるのが本当の幸せなのではないだろうか――
二日後の昼下がり。
私はゴーティエに招かれて王宮に参上していた。これから二人きりのお茶会と言う名の作戦会議である。
とにかく、ここまでの状況を整理して、どうにか死亡ルートだけは回避しないと……。
あまり悠長なことはしていられない。時系列的にゲーム内のイベントがこれから多数控えているのだ。日が経てば日が経つほど、ソフィエットとのハッピーエンドに向かって物語が進んでしまう。打てる手は打っておかないと私自身の命が危うい。
あれこれと思考を巡らせながらお茶会会場のテラスに出ると、予期せぬ人物が先客として席についていた。
「御機嫌よう、未来の王太子妃さま」
「御機嫌よう、アロルドさま。あの、これは……」
赤い髪、精悍な顔つきでガッチリとした体躯の持ち主はアロルドだった。今日は非番なのか、騎士の姿ではない。侯爵家の一員としての貴族らしい格好だ。
彼は私を見るなり片手を上げて挨拶してくれる。
私はというと、慌てて周囲を見渡した。アロルドと二人きりでいるところを見られたりでもしたら、ゴーティエの嫉妬をかってしまう。かなりマズイ。
「そう警戒するな。ゴーティエに呼ばれたからここにいるわけで、やましいことはないはずだ」
説明されても、彼に近づく気にはなれない。ゴーティエが現れてから席に着こうと、私は距離をとった。
アロルドは苦笑する。
「それに、今日は絶対に手は触れない。先日は冗談が過ぎて申し訳なかったな。監禁されていなくてなによりだ」
「当然です。あのあとは散々な目に遭いました。私にも落ち度はあったのだとは思いますが」
本当に監禁されなくてよかった。入浴で疲れてぐったりしていたら、泊まっていくように勧められたし。もちろん丁重にお断りしたけども。
釘をさすように私が冷たくあしらうと、アロルドは肩を竦めた。
「すまなかったな。あそこまで執着しているとは思っていなかったんだ。政治的に敵対したくないから手元に置いておきたい……その程度の興味だとばかり」
ええ、アロルドさま、私も同感です。
心の中で頷きつつ、私はため息をついた。
ゴーティエがなんとしても手放したくないと強情になっているのが想定外なのである。私は穏便に婚約破棄をして、平穏な余生を送りたいだけだというのに。
その平穏な余生を送る私の世界にゴーティエがそばにいたら――とは思うけど……王妃の身分で平穏な余生は難しいでしょうね。ゴーティエが国王になることを辞退するなんて有り得ないでしょうし。
「ゴーティエさまはずいぶんと私を評価してくださっているようですね」
「そうだな。――それはそれとして、ヴァランティーヌ嬢、君は女性としての魅力は誰よりも持っていると思うぞ」
また私をからかって――と思いつつアロルドの顔をじっと見ると、彼は真面目な顔をしていた。
「特に最近は色っぽくなった。周囲には気をつけたほうがいい」
色っぽく……ね。
自分では実感がないが、年齢的には成熟してきているのだからそう感じる人もいるだろう。
しかし、アロルドさまは命知らずな人なのね……お節介焼きというか。いい人ではあるんだけど。ゴーティエ殿下に聞かれていたらどうするのかしら。
「ご忠告ありがとうございます。ですが、気をつけたほうがよろしいのは、あなたさまのほうではなくって?」
ああ、言わんこっちゃない。
背後から殺気を感じる。背中がゾクッとした。
私がゆっくりと振り向くと、そこには怖い目をしたゴーティエが立っていた。彼に睨まれているアロルドは涼しい顔をしている。
「遅くなってすまなかったな、ヴァランティーヌ。――では、オレの婚約者を口説く不届き者は退場願おうか?」
アロルドに向けられたものは、目つきだけでなく声も低くて怖かった。私への声かけが甘く優しいものだったから、なおさらその落差が激しくておそろしい。
「自分で呼び出しておいてそれはないだろう、ゴーティエ」
「オレの目が届かない場所でヴァランティーヌに話しかけるのは禁じよう」
アロルドに命じるなり、ゴーティエは私の身体を引き寄せた。ギュウっときつく抱きしめて顔を近づけると、私をさりげなく嗅いでいる。
くすぐったい……。
昨日は一日中顔を合わせなかったので、その反動で過剰なスキンシップになっているのだと思っておこう。
「おいおい。挨拶ぐらいいいじゃないか。顔見知りなんだし」
「今度ヴァランティーヌに余計な話をしたら決闘を申し込む」
「あのな……」
アロルドがあきれている。頭痛を覚えたのか、額に手を当てて俯いていた。
婚約破棄の提案でここまで変わるものなのかしら?
ゴーティエの気持ちがよくわからない。愛情を持って接してくれているのはわかるのだけども、私の周囲から異性を排除しようとするのが理解できない。
「――君たちが俺の前でイチャイチャするのはまったく構わないが、少しは本題のことに触れてくれないか? 見せつけたいだけなら、部屋のほうが都合がいいと思うんだが」
アロルドの提案に、ゴーティエは私を抱きしめる力を強める。
「……悪趣味だな」
腹部のあたりをさわさわと撫でられて、私はくすぐったさに耐えた。
これはなんの拷問ですか、ゴーティエ殿下。
「君はどういう想像をしたんだ」
ゴーティエがよからぬことを考えたらしいことは口調からわかる。だからだろう、アロルドの声が引き気味だった。
友人にこんな態度をさせるなんて、どうなんでしょうね……?
親しいからこそ察するものもあるのだろうと思うと、私も表情を引きつらせずにはいられない。
「オレたちが愛し合っているさまは、詰所で見せつけたつもりだったんだがな。そんなにオレのヴァランティーヌへの愛情が疑わしいのであれば、証明してやるのもやぶさかではないぞ」
「いえ、それ以上は結構です」
ゴーティエの言葉にかぶせるくらいの勢いでアロルドが拒否を示した。ありがたい。
詰所でのアレはやっぱり牽制のつもりだったのか……。
思い出すと恥ずかしくなる。人前であのような熱烈な口づけは一般的にはしないものだからだ。
気を取り直そう。
私は咳払いをして、ゴーティエの腕を解いた。
「――ゴーティエ殿下、話が面倒な方向に進んでいるので修正したいのですが。まずはどうしてこちらにアロルドさまが?」
すると、ゴーティエはアロルドから一番遠い席の椅子を引いて私を招く。
「ソフィエット嬢の話をするのであれば、アロルドもいたほうがいいのではないかと考えたのだ。そもそもソフィエット嬢がオレに近づくことがなければいいのだろう?」
「ええ、まあ……」
私は素直にゴーティエが示した椅子に腰を下ろす。その隣にゴーティエが何食わぬ顔で腰掛けた。
微妙に近すぎる……。
アロルドから距離をおくことが目的かと考えていたが、すきあらばスキンシップをしてやろうという魂胆も含まれているのかもしれない。
私たちの会話を聞いて、アロルドが不思議そうな顔をした。
「ん? ソフィエット嬢? あの伯爵家のお嬢さんに何かあったのか?」
「いや、これから何かが起きるんだ。それで、ヴァランティーヌが危機に陥る」
ゴーティエがきっぱりと告げると、アロルドはそれだけで納得顔をした。
へえ。大した情報はないのに伝わるんだ。
私が驚きで目を瞬かせていると、アロルドは口を動かす。
「誰に占ってもらったんだ?」
予言なのだと理解したらしい。この世界に予言システムが実装されていて本当によかったと思う。
私は問いに対して小さく手を挙げた。うっかり私がアロルドに声をかけてしまったら決闘を申し込む展開になりかねないので、できる限り直接には喋らないようにしようと努める。
アロルドは目を細めた。
「へえ。不吉なものを見たもんだな」
「ヴァランティーヌにとっての危機だからな、そういうものを見るときは見るだろう。グールドン家は一族に危機が訪れると未来を予知できるものが現れるのだと聞いているからな。なにも不思議なことはない」
え、そうなの?
ゴーティエの補足に私は驚いて彼に顔を向ける。自分の一族に予言者体質の人間がいるなんて聞いたことがなかったからだ。
ゲームの設定でもヴァランティーヌ・グールドンについては特には触れられていなかった気がする。主人公の情報は漏れていない設定のはずなのにプレイヤーの邪魔を熱心にしてくるなあとは思っていたが、そういう言動が予言によるものだったということだろうか。
「なるほど、そういう噂はあったな。俺としては危機を回避し続けられたのは予言のおかげじゃなくて、根回しがうまかったり頭の回転が良くていい感じに切り抜けているんだと解釈していたが」
私の実感はアロルドの指摘のとおりだ。父は自身の力でとてもうまく政治を行なっているように映る。
「そういう部分もあるにはあるだろうな」
「――で、ソフィエット嬢が邪魔になる未来が見えたわけだ。ふむ。それは承知したが、この様子だとゴーティエがよそ見をするようには思えないが」
そう告げて、アロルドはゴーティエを見つめる。私に直接話すのを禁じられてしまったため、律儀に守っているのだろう。ゲーム同様、彼は生真面目な男なのだ。
「そうだ。浮気などあるわけがない。ただ、それゆえに、ヴァランティーヌはオレとの子を流して自身の命も落とす。まわりめぐって、王太子妃にソフィエット嬢がおさまるそうだ」
「ああ、そういう……。ふぅん。ソフィエット嬢も面倒なところに巻き込まれているんだな。先日の暴漢も面倒だったが、そもそも彼女はそういう星回りなのかねえ」
腕を組んで、しみじみとアロルドは告げた。ソフィエットを案じているようだ。
そういえば、私が出席できなかったパーティでソフィエットはゴーティエとアロルドに助けられていたんだっけ。まだ詳細を聞いていなかったなぁ。
「そういう事情なので、ソフィエット嬢と縁ができたついでにアロルドがソフィエットと結婚しろ」
「待て、いきなり話が飛んだぞ」
うん、飛んだわね。
私が別のことを考えていたばかりに聞き逃したというわけではなさそうだ。焦るアロルドに同情する。
「なんだ、縁談の話はアロルドにはないだろう?」
ゴーティエが不満げに問う。ここにアロルドを呼んだのは、つまりはソフィエットをアロルドに押し付けようと考えたからということか。
「いや、確かに婚約者はいないし、恋人すらいないが、俺にだって好みはあるし、家の事情だってあるんだ。勝手なことを言うな」
「オレの命令だ。それ以外に理由など必要ないだろ。ノートルベール伯爵家は家柄としてかなり良いぞ。エルヴェ侯爵家との釣り合いも悪くはないと思うんだが」
確かに家柄は悪くはない。なんせ、王太子妃に選ばれる程度なのだから。
ゲームの設定的な話を抜きにしても、ノートルベール家は科学者寄りの実直な家柄である。医療従事者に出資を行って適切な医学を身につけさせているというのが他の貴族たちの行動とは異なるが、資金のベースとなる領地経営はうまくまわしていると聞いている。
女性が勉学に励むことをよしとしない一部の貴族たちがソフィエットを指す《薬学令嬢》のあだ名を揶揄する気持ちを込めて使っている向きはあるが、所詮はその程度しか悪く言える部分はないということでもある。
ゴーティエの意見に、アロルドはむすっとした。
「生け贄にするつもりか」
「愛するヴァランティーヌを守るためだ。犠牲になれ」
ゴーティエの意志は揺るがない。本気になれば、こうして直接に伺いを立てずとも事を進めることができたはずだ。それをしなかったということは、ゴーティエにはアロルドの友人としての情もあるのだろう。
アロルドは額に手を当てて悩む表情をした。
「君の気持ちはわからなくはないんだが、さすがにいきなりすぎて困る。前向きに検討するから考えさせてくれ」
「ソフィエット嬢にふさわしい相手が他にいるのであれば、そっちに紹介するのも充分にアリだ。とにかく、ソフィエット嬢には申し訳ないが、オレとは関係のないところで幸せになってもらわねば困る」
「ふさわしい相手……ああ、ソフィエット嬢に気があるやつなら、心当たりがあるぞ?」
おや、意外な方向に話が進みそう?
アロルドがソフィエット嬢との結婚を即決しない理由が気にはなるが、ほかの相手というのも興味が湧いた。
よく考えてみたら、ソフィエットの結婚相手の候補ってゴーティエやアロルドさま以外にあと五人はいるのよね……。
ゲームの攻略対象は全員で七人。さまざまな立場にある素敵な男性と出会い、恋に落ち――
あれ? 恋愛して、なんやかんやがあって結婚して……それだけだっけ?
何か大事なことを忘れている気がする。
「へえ。それは誰だ?」
ゴーティエも興味が湧いたようだ。促すとアロルドが喋り出す。
「ユペール伯爵家嫡男のエルベルだ。騎士としても腕がいいが、頭の回転が速いやつで、薬学令嬢と名高いソフィエット嬢に興味を示している。エルベルとソフィエット嬢をくっつける場を設けるなら、やってもいいぜ」
エルベル・ユーペル……ああ、あの人か。
私はその名の人物を思い浮かべる。
黒くて真っ直ぐなクセのない髪を持つ、眼鏡男子である。クール爽やか系で、むさい騎士の連中に混ざっていると花が咲いているような印象になった。
確か、ゲームでもソフィエットの攻略対象の一人だったわよね……。
前世の記憶もひょっこり出てきて現在と混ざり合う。意識を保っていないと、ヴァランティーヌとしての記憶が書き換わってしまいそうだ。
前世のことは思い出さないほうがヴァランティーヌのためになるのかな……。
ヴァランティーヌとしての記憶を失うことが、私は怖い。前世知識で生き延びたとしても、ここに残った私がヴァランティーヌではなくなっていたら――ゴーティエはどう思うのだろう。ヴァランティーヌを愛しているからこそ、協力しているのに。
「ならば、エルベルとソフィエット嬢の相性を見るためにパーティでも開くか。騎士団との交流や息抜きという名目ならば、自然だろう。アロルド、手配は頼む」
「ああ、了解」
ゴーティエは半ば押しつけるようにアロルドに提案すると、立ち上がって私の手を引いた。
「はい?」
話が済んだら帰るだけですよねと確認するために私が見上げると、ゴーティエはとてもにこやかな顔をしていた。
「ヴァランティーヌはオレの部屋だ。話がある」
「……はい」
眩しすぎる笑顔とは裏腹に、あまりよろしくない事態が待っている気がして、私は身構えたのだった。
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