さあ、婚約破棄から始めましょう。

一花カナウ・ただふみ

寝台で蘇る記憶

第1話 寝台で蘇る記憶

 静かにしていると、パーティの喧騒がこの部屋まで届いていることに私は気がついた。

 今宵催された王宮の舞踏会は盛大なものであり、たくさんの賓客が招かれている。

 本日は第一王子、ゴーティエ・リオンの二十歳の誕生祭なのだ。王家の誕生祭では、これまでの成長と繁栄を讃えるため、あるいは災いが近づいてこないようにするため、こうして賑やかに一夜を過ごす。


「何を考えているんだい?」


 金髪碧眼の超絶美形な青年が、私の上を覆い被さるようにして顔を覗き込んでくる。私の目の前にいるこの青年が、本日の舞踏会の主役であるゴーティエ殿下だ。

 彼はベッドに広がった私のストロベリーブロンドの髪をひと房持ち上げて、恭しく口づけをした。こういう仕草がさまになる。


「本当に一晩中、パーティをするのだなと思いまして」


 主役が抜けていいのかとパーティ会場から連れ出されたときに尋ねたが、ゴーティエははぐらかすように笑うだけだった。

 賓客のために用意されただろう部屋の一室に連れ込まれ、こうして私、ヴァランティーヌ・グールドンは広いベッドに押し倒された――という場面である。


「風習だからね。それに、オレ自身は結構好きだよ。こうやって大騒ぎするのは」


 ゴーティエは私を逃すまいと腰のあたりにまたがったまま、盛装を脱ぎ始めた。綺麗に飾り結ばれたクラヴァットが取られ、それが私の両手首に括りつけられる。動かしてみると、ベッドの柱も一緒に括られたらしい。私の手は頭上にあって、動かせなくなっている。


「あ、あの……?」


 ゴーティエがすることに対しては決して抵抗はするな、と両親から言われている。それは私が彼の婚約者に選ばれたときからずっと言い聞かされたことだ。王家の正当な血筋であるゴーティエに、侯爵家の娘である私が逆らえるわけがない。

 しかし、この状況は心もとない。


「ん? 初めては痛いものらしいからね。暴れられたら困るから、固定させてもらったよ」


 私の疑問に、彼はさらりと答えた。なおも着々と脱衣は進む。

 痛いのか……。

 私はそっと身構えた。これから自分の身に何が起こるのかはなんとなくわかる。淑女教育として、母から教わったこともいくつかあったので、つまりはそういうことなのだろう。

 優しくしてくれるといいのですけど……そう望むのは、私の立場では贅沢かしら。

 幼馴染でもあるゴーティエの性格はよくわかっている。意地悪でわがままで、どんな手を使ってでもほしい物は手に入れるタイプだ。私のことなど気にかけることなく、この身体を楽しむのだろう。


「そういうものなのですか……」


 しょげた声で返したからか、ゴーティエは私の頬に手を添えると見つめ合った。

 部屋はそこそこ明るい。互いの瞳にはそれぞれの顔が映っているのだろう。私は彼の瞳の中に、不安げな女性の姿を見た。

 十八歳の私は、すでに少女とはいえない顔立ちをしていて、身体だってすっかり大人のそれと同じだ。仰向けになっていてもツンと天を向いている大きな胸、グラスの持ち手のように細くくびれた腰、今流行りのタイトなドレスだと肉感が溢れてしまう大きなお尻。太っているわけではないが、どこも柔らかな肉に包まれているので、触れたらきっと心地がよかろう。

 気に入ってくれたら、嬉しいな。

 結婚をしたら、きっと毎晩身体を重ねるようになるはずだ。王位継承権を持つ王子なので、後継者が必要になる。子どもは欲しいに決まっているのだ。ならば、少しでも触れたくなる身体の方が互いにいいだろう。

 しばらく見つめ合っていたが、ゴーティエは困惑気味にため息をついた。


「貴女のことだから、もっと強気な態度をすると期待していたのに。初めては面倒だな。そんなに怖いものか?」

「それはあなたさまが私に痛いものだと告げたからでございます」

「幼馴染なんだから、あなた、で充分だろ? 本当に強情な人だ」


 そう告げるなり、彼は私に口づけをした。

 深い深い口づけにうっとりし、私は自然と目を閉じて身を任せ――そのつもりでいたのに、強烈な違和感を覚えて目を見開いた。


「やっ!」


 彼の舌を噛まなくてよかったと思う。行為を続けようとするゴーティエに対し、私は反射的に彼の身体を蹴り飛ばした。


「い、イテッ」


 ベッドから転げ落ちる彼を視界の端に見て、私はハッとした。やってはならないことをしてしまったと血の気が引く。

 それと同時に、記憶の扉が開かれた。

 彼の眉目秀麗な容姿、それにゴーティエ・リオンって名前……ここ、『プリンセス・ソニア』の世界じゃない?

 どんどんと記憶が呼び戻される。

 私はこの『プリンセス・ソニア』の世界に転生したのではないだろうか。しかも、ヒロインのソフィエット・ノートルベールではなく、凄惨な人生を送る悪役令嬢ヴァランティーヌ・グールドンとして。

 ってか、私の推しは王立騎士団筆頭のアロルド・エルヴェさまなんですけどっ!

 よりにもよって私が一番攻略を後回しにしたゴーティエに貞操を奪われかけているなんて、あり得ない。

 あり得ないついでに思い出した。このシーンがあるということは、このあとの私の処遇も自ずと決まってくる。

 まずい。このまま貞操を奪われてはいけない!

 このルートがどこに向かっているのかを思い出せた私は、大きな声で叫んでやった。


「ごめんなさい、ゴーティエ殿下! 私との婚約を破棄させてください!」


 侯爵令嬢からの婚約破棄の申し入れなどできるわけがない。それはわかっているけれど、このままでは回避できなくなってしまう。一番なりたくない最期が迫っているのだ。


「なぜだ! 了承していたのではなかったのか? こんなことで婚約破棄なんて! オレはずっと貴女を――」

「ここで私が身籠る子は産まれないのです。それどころか、流産が原因で私も死ぬの! 私のざまぁエンドを回避するにはこれしかないんだからっ!」


 『プリンセス・ソニア』の世界のゴーティエルートは、子どもを身籠ってしまったためにヒロインに邪魔をするヴァランティーヌだが、子がお腹にいることをなかなか明かせなかったばかりに流産し、最終的には本人も命を落としてしまうという、ざまぁなエンドがある。

 殿下の誕生日に交わって子どもを宿すのはイベントの順番的に間違いがない。「殿下はたくさんの子を欲しがっています。たった一度だけで懐妊できたのだから、私が彼にふさわしいのは自明でしょう?」と、真相を語るシーンは愛好者の中では有名だ。

 この状況をどうにかしたくて喚いていると、ゴーティエがベッドに戻ってきた。


「ヴァランティーヌ、落ち着いてくれ。怖い思いをさせたことは謝るから」

「ゴーティエ殿下……?」


 謝る、ですって? あなたの口から、謝罪?

 聞き間違いかと思って、もう一回言ってはくれないかと口を閉ざすと、ゴーティエは私の拘束を解いてくれた。


「え?」

「ヴァランティーヌ、貴女を失うのは嫌だ」


 手首が自由になってキョトンとした私を、ゴーティエは優しく起こして抱き締めた。


「混乱を与えてしまうとは思わなかった。まずは落ち着いてほしい」


 え、えっと……ゴーティエさまってこんな人だっけ?

 十八年間のヴァランティーヌの記憶を通してみても、前世のゲーム体験を思い出してみても、彼はオレ様系キャラであって、こんなふうに他人を労わるような素振りはしない。攻略を終えたあとのエピソードで甘々な二人の生活をみられるが、それまではかなりキツい男に感じられた。

 ここにいるのは本当にゴーティエさま?

 私が暴れなくなったからだろう。彼は私を解放し、優しく微笑んだ。


「蹴り飛ばしたことについては不問にしよう。その代わり、説明してほしい。その未来は本当なのか?」

「その未来……私が流産して亡くなるってことでしょうか?」


 私が聞き返すと、ゴーティエは大真面目に頷いた。

 予想外の展開であるが、これはきっとチャンスだ。どの程度のフラグが立っているのかを確認できる。

 私は慎重に言葉を選ぶ。


「――私はおそらく、今宵の交わりで懐妊します」


 貴族階級で栄養状態のいい私は、月のものが定期的にきている。前回の月経から数えると、今はちょうど排卵日の前日。百発百中で妊娠可能というわけでは流石にないだろうが、妊娠しやすい体調には違いない。


「別にそれは構わないが……。挙式に多少の不便はあれど、子どもができることは喜ばしいこと。婚約もしているのだから、手続きとして問題はないだろう?」


 ドレスの乱れが気になったのか、ゴーティエは喋りながら私に薄布を羽織らせた。

 なんだろう、そういう気遣いがどうにもくすぐったい。


「ええ……手続きとしましては、大きな問題はございませんわ。しかし、私は懐妊と同時に病を患い、子を流してしまうだけでなく、私自身も命を落としてしまう――そういう未来を見てしまったのです」


 細かい部分は違うのだが、説明したところで理解できないだろう。うまいことローカライズして結末から離れない範囲に話を作ってみた。

 この世界は予言者という職業が周知されており、夢等で未来の吉凶を占うことが日常的に行われている。元々はゲームの攻略に必要な情報をプレイヤーに与えるためのギミックであるが、せっかくなので利用させてもらおう。


「未来を――」


 美麗な顔が困惑に歪む。ゴーティエはどうやら本気で私を案じてくれているようだ。

 えっと……これは私がいきなり未来を見たなんて言い出したことに対して心配しているのか、それとも、私の言う未来を信じて心配しているのかよくわからないわね……。


「は、はい。どうも、強い恐怖心が原因みたいで……」


 実際のところはよくわからないが、ゴーティエが私が怖がっているのだと誤解しているようなので便乗することにした。強烈な違和感のことは伏せておこう。


「貴女に怖い思いをさせたことは悪かった。きちんと手順を踏んだつもりだったのだが、まだ足りなかったのだな……。初めてでも快感を与えられるように、研鑽を重ねてきたつもりだったのだが」


 心の底から申し訳なく思っているらしく、ゴーティエは頭を垂れた。

 ん? あれ? ゴーティエって……。


「あ、あの……」

「ん? どうした?」


 落ち込んだ顔がこちらに向けられる。私は薄布の前をしっかり合わせながら、ゴーティエの顔を覗き込んだ。


「その……あなたさまはずいぶんと経験が豊富でいらっしゃるようですね……」


 ゲームの設定では確かに童貞ではなかったはずだが、そんなに様々な女性を相手にするような男だっただろうか。そもそも、研鑽を重ねてきただなんて、ずっと想ってきた人を前に告げる言葉ではない気がする。

 まあ、私はアロルドさま推しだったから、ほかの攻略対象の経歴に興味はなかったんだけどね! それに、推しの攻略の都合上、ほかの攻略対象だってある程度は覚えたけど、忘れることほうが多かったし。

 浮気を疑う発言をすると、ゴーティエは目を見開いて焦燥した様子で私の両肩を掴んだ。


「そんな言い方をしないでくれ、ヴァランティーヌ」


 必死な顔。彼がそんな表情で迫るシーンを、私は、いや、前世の私でさえ知らない。


「オレは貴女に出逢ったその時から一途に貴女を想ってきたんだ。だから、貴女を傷つけないようにするために父上に相談し、練習用にと女性をあてがってもらった。それを不潔だと、浮気だと言うのであれば、そう罵ってくれて構わない。どうするのが最善なのか、オレにはわからなかったんだ」


 えっと……そんなに動揺されましても。

 今にも泣き出しそうで必死な表情は正直ドン引きなのだけども、彼が私に対して優しくしたいと願い行動していたことは伝わった気がする。

 一生懸命な人を、その方法が間違っていても、今くらいは笑わないであげたいよね……正直に話してくれたみたいだし。

 どんな反応をしたらいいのかぐるぐる悩んで、私は長く息を吐いた。


「――あなたさまが私をどれほど大事にしようとしていたのかは伝わりました。ですので、手を離してください。肩が痛みます」

「あ、ああ、すまない。今にも貴女がオレの前から消えてしまいそうで……怖くなったんだ」


 ゴーティエは私の肩から手を離してくれた。手放したくない気持ちは言葉だけではないらしく、一度離れたのにもう一度触れて、そうしてゆっくり離れていった。

 彼は今日を楽しみにしていたのね……勢いで押し倒したんじゃなくて、計画を立てて準備をしてきたんだわ。

 私、ヴァランティーヌとしては、親や大人の言いなりでしかなくて、ゴーティエに対しても仲のいいお兄さんとしか見てこなかった。だから、恋人っぽいこととか夫婦になるためのあれこれとか実感を伴っていなかったわけで。

 政略結婚なんだろうって考えていたけど、ゴーティエは私を一人の女性として見ていてくれたようだと受け止められた。

 自分の話はこれでいいだろう。問題はこれからの私の身の振り方だ。


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