第10話 貴女は誰だ?
「急にここを訪れることにした件について察するところもあっただろうが……いよいよロドリク様が動き出した。ティエリ公爵とカミーユも向こうにつくらしい」
そこで大きくため息をつく。
ゴーティエの衝撃的な発言にもかかわらず、アロルドとエルベルはそれぞれ目配せをしただけで落ち着いている。
「それは……ゴーティエさまと敵対するということでしょうか?」
王弟と弟、王家の血を引くティエリ公爵が手を結んでいるという報告は、ゲーム本編ではなかった。それぞれにそれぞれの理由があってゴーティエ王子と敵対する展開はあれど、共闘する話はなかったはずだ。
「ああ、そうだな」
ゴーティエは頷いた。これはよからぬ展開だ。
想定外の事態に、ゲーム攻略知識を呼び出そうと記憶を巡っているとエルベルが挙手した。そのまま言葉を続ける。
「では、グールドン家はどちらにつくのでしょうね?」
「え?」
ウチ?
グールドン家の名を出されて、私は驚いた。なにを言い出したのだ。
思考を中断してエルベルを見やる。彼はきょとんとしていた。
「不思議そうにしていらっしゃいますが、元々、宰相殿は王弟派でしょうに」
「かつてはそうだったかもしれませんけれど、ゴーティエさまと婚約が決まったのですから」
「なにを。政略結婚でしょう。人質としての立場をお忘れですか?」
「私に人質としての価値がなくなったかのような発言はどうかと思いますわ」
グールドン家は確かに王弟派なのだ。ヴァランティーヌの父は現国王にいい顔をしているものの、祖母や叔父らは王弟派だったりする。宰相として国の発展に尽くすこと、王に逆らわないことを示すために、娘である私をゴーティエ殿下の幼馴染にして忠義を誓っていたはずだ。
私が返すと、エルベルは薄く笑った。見た者をぞくりとさせる嫌な笑み。
「価値、ねえ」
「エルベル、これ以上の発言は侮辱と見做すぞ」
ゴーティエが告げれば、エルベルは両手を小さく挙げた。
「ああ、それは失礼いたしました。でも、気にならないんですか、殿下は?」
「ヴァランティーヌをあの家に残していたら、いずれ処分される。ならばオレの手元に置いておくほうがいい」
「死にゆく様を見届けるために?」
「今度は死なせん」
はっきりと宣言して、ゴーティエは私の腰を引き寄せた。
今度は……。ゴーティエさまは、私が死ぬ運命であることを知っているの?
「そうおっしゃいますが、もう彼女は死んでいるではありませんか」
エルベルの発言に、場が凍りついた。
私の腰にまわっていたゴーティエの手が震える。
「愛していたヴァランティーヌ嬢がもうこの世界にいないことを殿下は察しているのでしょう? 聡いあなたでしたら知っていて、こうしてごっこ遊びに興じていらっしゃるんですよね?」
「エルベル!」
名を呼んで胸ぐら掴んで立ち上がったのはゴーティエではなくアロルドだった。激昂するアロルドに、エルベルは薄ら笑いで応じる。
「……君も【気づいた側】じゃないか。殿下と敵対する未来を避けるために、僕に薬学令嬢との婚姻を勧めたわけで。でも、僕も同じですよ。僕が薬学令嬢と結ばれても、殿下は死ぬ。そういう物語の筋書きですからね」
「だから、その筋書きを変えるためにこうして――」
「もう手遅れじゃないですか? ヴァランティーヌ嬢の様子が違うことに気づいたからか、予知された事象が前倒して始まっている。それも同時多発的に。僕らは阻止するために手を組んでいたから動きませんけれど、彼らは違う」
「……くっ」
アロルドは反論する言葉が出なかったらしい。悔しそうにしてエルベルを椅子に下ろした。
エルベルは胸元をただしてゴーティエに目を向ける。
「どうします? 逃げますか?」
「案ずるな。それについては手を打っている」
ゴーティエがさらりと返す。エルベルがあからさまに驚いた顔をした。
「ん? オレが【気づいた側】であることは察しているのだろう? 隣国に要請して、クーデターを鎮める手助けをするように書簡のやり取りをしてある。あいつが裏切らなければ、ロドリク様が王座につくことはない」
「で、ですが、そうなると殿下の立場は」
エルベルが狼狽える。ゴーティエの行動は想像していなかったらしい。
ゴーティエは薄く笑った。
「ヴァランティーヌを失わない未来を手に入れるためなら安いものだろう? この王国が滅んだからといって、この国の民を傷つけるようなアイツではないし」
ゴーティエの言う「アイツ」が誰なのか思い出した。おそらく隣国の王子ギーセルベルトだろう。私も幼い頃にお会いしたことがある上、ゲームでは攻略対象の一人だ。
ヴァランティーヌと結婚し国王となったゴーティエが悪政を施すようになり、かつての友人を諭すために軍を向かわせることになる正義の人だ。現状、国王にもゴーティエにも非はないはずなので、ゴーティエからの要請には応じてくれることだろう。
「それでこちらに、ですか」
策があって行動していることを理解したのだろう。エルベルは微苦笑を浮かべた。
「ここはギーセルベルト殿下の指揮する軍が通る街道に近い。必要であればそこに合流するが、その前に確認したいことがある」
ゴーティエが立ち上がる。そして腰にさげていた長剣を抜くなり、私の顔に剣先を向けた。
ああ、そうなるのか。
焦ることなく、私は運命を察した。
「貴女は誰だ?」
「ヴァランティーヌ・グールドンですわ」
「もう一人いるはずだ。下手な演技をすればその首を刎ねると思え」
そんなにも悲しそうなお顔で、冷たくおっしゃるのですね。
私は自然と涙を流した。
「ごめんなさい、ゴーティエさま。私は、ヴァランティーヌだとしかお伝えできないのです。ただ、あなたさまの幼馴染であったはずの私は、もう、消えかけているから……お許しください」
ポロポロと涙が溢れる。ヴァランティーヌは、愛している相手から剣を向けられていることが悲しいのだ。
「ヴァランティーヌ……」
「生き延びたいのであれば、私を斬り捨ててください。そうすれば、あなたさまだけでも生き延びれる。私は、ヴァランティーヌとしての私は、もう、長く居られないから」
ああ。やっとわかった。《私》がここにいる理由。
ヴァランティーヌも気づいていたのだ。この世界は、どう足掻いてもゴーティエとヴァランティーヌに幸せな未来は訪れないのだと。
それは彼らが悪役として倒されるべき存在だからだ。
ヴァランティーヌは幾度目かの結末で祈ったのだろう。いつかの未来で、幸せな結婚をしたい。せめて、ゴーティエさまの幸せを願いたい、と。
それがゴーティエルートへの合流であり、だが、それはヴァランティーヌ自身の死を意味する。
かつてゴーティエはヴァランティーヌに告げていた。「オレの気持ちを受け止めてくれるのなら、一生愛し、尽くすことができるだろうとは思っているよ」と。それはヴァランティーヌに向けた言葉で、《私》に向けられたものではない。
だから私は、嘘はつけない。
剣先が揺れた。
「ゴーティエ、そこまでにしておけ」
アロルドが静かに立ち上がり、ゴーティエの剣を下げさせる。エルベルもそれを見てゴーティエの剣を取り上げた。
「ヴァランティーヌ」
ゴーティエが一歩足を踏み出す。手元に武器はない。
「私の知る限りでは、あなたさまに命を奪われる未来はございません。運命を変えたいと願うなら、あなたさまの手で私を――」
「ヴァランティーヌっ」
彼の手が伸びた。ゴーティエが望むようにしようと抵抗せずに身を任せれば、彼は私の身体をしっかりと抱き締めた。
「……まだ、そこにいるではないか。愚か者。一人で消えようなどと思うな。オレだって、貴女の生きる未来を望んでいるのだ。オレはもうどうなってもいい。ただ貴女を、愛する貴女を守り抜く未来が、オレの願いなのに」
抱き締められているので彼の顔は見えない。ただ、彼が涙を流していることは、私の耳に触れる彼の頬が濡れていることから明らかだった。
「ゴーティエさま……」
私はそっと彼の背中に手を回す。
どうすれば、この窮地を脱することができるのだろう。私には何ができるのだろう。ヴァランティーヌとゴーティエのために、《私》は何が。
思考を巡らせていると、扉が強めに叩かれた。
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