水晶宮の都 ⑤(最終話)

 眼鏡を外したアントンは、リュックの中から出てきた珍しい品々を手にして興奮していた。

 まちがいなくあの世界は現実だった――アントンは同じくコレクター仲間で信頼できる何人かに連絡をとり、「旅行先で珍しいものを手に入れた」と言って呼びつけた。

 さすがにランタンは見せられなかったが、布織物や蔓で作られた籠などを見せると、ほう、と目を見張った。中にはそれほど興味を示さなかったものもあるが、黄金色の茶器や織物には興味を示したようだった。

「この織物模様なんかはじめて見たぞ。どこのもので、どうやって作っているんだ?」

「さあ、それがちょっとわからなくてな……」

「わからないってことはないだろう」

「砂漠のマーケットで手に入れたんだけどな。いくつか寄ってみたから、どこのマーケットだったか忘れてしまったんだよ。商人も隊商みたいなもので来ているらしくてね。もしかすると、どこかの少数部族かもしれないんだ」

 コレクター仲間はアントンが突然そんな場所に出かけたことにも驚いていたが、布の完成度には感心していた。

 さらには黄金の茶器を見て、何度も重さや形を確認している。

「こいつは――まさか本物の金か? かなりの値打ちものだぞ」

「ははは。まさか」

 アントンは笑ったが、内心では本物かもしれないと思い始めていた。

「それに、このランプ!」

 それはオイルランプの類だったが、施された装飾は細かく、人間業とも思えなかった。あちらの世界ではランタンといえば光る石をセットしておくものらしいが、炎を楽しむものもあるようだ。だからこのランプは装飾のほうに力が入っていた。滑らかに円を描くようなガラスの胴体には、細かな装飾が施されている。ガラスに見えるがおそらく水晶に違いない。円形の胴体を包み込み、真鍮のような色合いの金属が支えている。洒落た作りといえばそれまでだが、その細かな意匠は一朝一夕でできるものではない。

「今度、もう一度行く予定があるんだ。もし良ければ……」

「本当か!」

 彼は――彼らは明らかに興奮していた。

「次も持ってきてくれるなら、こっちからもコレクションを融通しよう。お前が欲しがっていたサングラスとかな。わかるだろ、ジャズの……」

「本当か!?」

 今度はアントンが興奮する番だった。

 こうして協定は交わされたのだ。


 アントンは向こうの世界で興味を持たれそうなものをいくつか手に入れて、物々交換用に持っていくことにした。必ずしも硬貨や紙幣が必要でなくて良かったと思った。

 前回、興味を持たれた固形燃料やアルミのカップなんかをいくつか携え、もう一度あの世界へと赴く。そうした交易を何度も繰り返し、彼らが何に興味を持つのかをリサーチした。時には売買で向こうの硬貨とおぼしきものを手に入れて、ごく普通に買い物をすることもあった。

 アントンはそうして交換を繰り返し、価値の高いものめがけていった。

 だがそうしているうちに、ふとマーケットの中で不意に視線を感じることがあった。それは本当に不意に現れ、マーケットの片隅や闇の中からこっちを見ているような気さえした。最初のうちは気のせいだと思っていたものの、次第に魔術師の話を思い出した。

 ――もしかして、魔術師が?

 あの老人に言われたように、魔術師はまだ生きていて、もしかして自分を追っているのだろうか。確かに、少し目立ちすぎた気がする。実際、あの世界に無いものを次々に持ってきている彼は、マーケットの中で少し顔が知れてきていた。声を掛けられることも増えた。それなら視線も――きっと気のせいだ。魔術師がそれほど恐ろしい人物だというのなら、もっと早くアントンに狙いを定めているだろう。そう自分に言い聞かせる。

 おまけに、どことなく慣れてきたせいか、眼鏡をかけた時に目の前を通る人物に驚かれたことがある。いつの間にか現れたであろうアントンをじろじろと見たあとに立ち去っていったのが見えた。人のいないところで眼鏡を外しているつもりだが、少し緊張感が無くなってきたのも事実だ。

 ――うまくいってきているんだ。

 だからきっと大丈夫だと思っていたが、アントンは自衛のためにも銃を持っていくことにした。

 いつでも取り出せるように手にして、わけのわからない輩に急に絡まれても大丈夫なようにした。

 魔術師と言ったって、自分がそう名乗っていただけだろう。まだ生きていたとして、この百年だか二百年だかずっと異界に引きこもっていたというのなら――その技術の発展も気付いていないだろうと踏んだのだ。

 アントンはその日、銃を手にして眼鏡をかけた。

 目の前に男が一人居たが、それだけだった。アントンは服の中で銃の引き金に指をかけながら、ひどい緊張から解放された。下手に騒ぎを起こすのも憚られる。結局、水晶の都市で自分を狙うものは何もいなかった。


 そうして、アントンは再び水晶の都をうろついていた。

 見た事のある通りにさしかかったとき、不意に聞いたことのある声がした。

「お前さん、まだこっちに居たのかね」

 以前出会った老人が渋い顔をした。

「爺さん! 久しぶりだな」

「魔術師に気をつけろと言っただろうが」

「気をつけてはいるさ。武器もある」

「そうかい。まあ、いいさ。お前さんが選んだことならな。今度はなにか買っていくかい?」

「ああ。物々交換でも大丈夫か?」

 老人は物によるとだけ言って、アントン相手に自分の露天の品をすすめた。

 アントンはいまやこの街で、そこそこ顔が知れてきていた。きっとあの老人が気にしすぎであると思っていた。友人たちからのリクエストに応え、念願のサングラスを手に入れるためにも、もう少しここで硬貨を集めなければならない。あと一枚、ラグかランプを手に入れられれば、秘蔵のサングラスを譲ってくれると友人が言っているのだ。それを逃すわけにはいかなかった。


 アントンはそれまでに集めた向こうの硬貨と、新たに手に入れた交換用の品を手にして、もう一度だけあの世界に行くことにした。

 しかし、眼鏡をかけようとしたそのときだった。

 正確には、眼鏡を手にとり、視線を落として顔に持っていったときだった。水晶の向こう側には相変わらず美しい都の風景が見えていたが、その先には古びたローブと靴が見えていた。普段そうしているように、腕は自然と顔へと向かっていた。あ、と思ったときにはもう遅かった。目の前に、こちらに向かって手を伸ばす男がいたのだ。魔術師だとすぐにわかった――ずっと待っていたのだ! 眼鏡を外す場所を複数持っておくべきだった。銃を手にしようとしたが、そう思っても既に遅かった。彼の両手は耳の近くまで来ていた。かの水晶の世界が視界をすべて埋めるまえに、眼鏡がカチャンと音を立てて床に落ちた。


 それからしばらくして、友人たちは警察を伴って彼の家へと赴いた。

 何度連絡をしても、家に行っても反応の無いアントンを心配し、彼らは警察を呼んで押し入ったのだ。

「おい、アントン?」

 彼らは声をあげ、アントンを捜していった。

 部屋が荒らされ、彼の服や靴が無くなっているのを見ると、彼らはイヤな予感を隠しきれなくなった。きっとこの分なら他のものも無くなっているはずだ。

「アントンさん! 居たら返事をしてください!」

 警察の声にも反応はなく、やがて彼らはアントンの部屋だった場所に踏み込んだ。そこは家具がすっかり周囲に片付けられていた。そのテーブルのひとつに彼の眼鏡が置かれていたが、床の中央では、彼の衣服が落ちていた。

 正確には彼の頭だけが転がっていた。胴体のあるはずの場所には、服と、服の形に積み上がった砂だけがあった。彼の体だけが砂となってしまったように。そうして絶句する彼らの目の前で、風によってさらさらと流れていったのである。


 こうしてアントンは頭部だけを残して死んだ。

 そしてアントンが手に入れた水晶の眼鏡は家のどこにもなく、彼の死とともに消え失せてしまったのだった。

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水晶宮の都 冬野ゆな @unknown_winter

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