水晶宮の都 ④

 アントンの旅は慎重ではあったものの、終わりに近づいてきていた。

 岩場の高台に上がって前を向いたとき、あまりのことにアントンは息を呑んだ。

 その向こうにはついにあの壮麗な都が姿を現したのだ。街の礎となる土台の上からは石柱がいくつも聳え、入り口には巨大な獣が二対、これもまた水晶で作られたと見える目玉で睨みをきかせている。その間を何人もの人々が行き交っている。ぱらぱらと見える人々はアントンと変わらぬ人間に見えた。砂漠の人々と同じように、少しだぶついたローブのような服を着て、頭にも布を巻き付けたり、フードのようにかぶったり、垂らしたりしている。

 アントンは感極まったように深呼吸をした。熱気が肺のなかへと忍び込んだが、その熱気さえここが現実だと否応なしにたたき込む材料にしかならなかった。砂のなかから顔を出す岩場で引っかけないようにしながら、なんとか岩場地帯を抜けた。はやる心をおさえ、砂の上を転びそうになりながら降りていく。やがて巨大な獣が守護する入り口までやってくると、アントンは目を見開いた。思わず眼鏡を外してしまわないように、リュックの肩紐に手をかける。そうして彼は、他の人々と同じように水晶の都に足を踏み入れた。

 都は、ずっと外から見ていたよりも繊細だった。作りは大きな神殿のようで、上を支える柱にはガラスのように細かな彫刻が施されている。土台にもあちこちに彫り物があり、道の両側には清らかな水が流れている。空気は清浄で、隙間に入り込んだ砂粒はあっという間に外へと流れ出てしまう。美しく整備されていた。こんな場所はいままでに見たことがなかった。

 アントンがぼんやりと見ていると、周囲の人々は彼のことを不可解な目で見つめた。はっとして、アントンは視線から逃げるように歩き出した。

 ――それにしても……。

 いったいどこへ向かえば良いのだろう。宿やホテルのようなものはあるだろうか。巨大な神殿にも見えるが、建物はひとつひとつ分かれている。店はあるのか、果たしてどのようなものが売りに出されているのか興味は尽きなかった。


 あえて人通りの多い場所へと足を運ぶと、そこは市のような場所だった。それこそ砂漠のマーケットを彷彿とさせるような場所だ。アントンは目を輝かせ、周囲のマーケットで売られているものに目を見張った。日常的に使われるような籠や小さな入れ物から、色とりどりの布や絨毯。天井から吊された服。壁に並んだ毛糸。なんの肉かわからないピンク色の固まり。見た事も無い赤や緑の果実。どれひとつとして同じ形のもののないランタンや、奇妙な目玉の装飾、何に使うのかわからない銅製の網のようなもの。

 アントンはそのひとつひとつに目を奪われた。

 中でも、ランタンのひとつは珍しかった。中で輝いているのは普通の炎ではなく、赤い水晶だった。つまみを調節すると、なかで赤い水晶が輝くのだ。燃料はいったい何かと問うと、店主は不満そうな顔をした。

「燃料じゃない。こいつは偽物なんかじゃないぞ。本物の夜光石だ」

 アントンは必死で謝り、本物かどうか確かめただけだと言った。実際はそんなもの見た事なかった。光る石など――あるとしてもここまで光源として機能するものなどあるとは思わなかった。

「物々交換でどうだい」

 アントンは荷物をひっくり返すようにして、アルミのカップや丈夫なロープや、固形燃料などと交換していった。どうせ現代でまた手に入る。惜しくはなかった。彼らはどこのものかわからぬ硬貨や紙幣よりも、そうした日用品と交換してくれるほうが多かった。

 そうしていくらかの品を手に入れて、興奮冷めやらぬまま歩いていたときだった。奥まった路地で露天を開いていた老人が顔をあげて、アントンのほうを見た。

「おや、あんた。そう、あんただよ。そこの眼鏡をかけた……」

「僕のことか?」

 アントンは視線を向けた。

「ああ、そうさ。あんたのことだよ。ここに客人とは珍しいじゃないか」

「残念だけど、僕は金を持っていないぞ」

 わざわざ路地の奥まで行こうとは思わなかった彼は、適当に受け流すつもりだった。

「なに、金が目的じゃない。珍しいと思っただけさ。あの魔術師以外にそんなものを持っているやつがいるなんてね」

 アントンはしばらくその意味を考えていたが、眼鏡のことだと気付いた。

「知っているのか?」

 思わず人並みから逸れ、露天の老人の前に立った。

「おお、知っているとも。その眼鏡の水晶は、ここで作られたものだからな」

「なんだって?」

 この眼鏡の水晶は、この都市にあったものなのか。

「知らなかったのかい」

「あ、ああ」

「それじゃああまり長いことここにいるのは感心せんよ。あの魔術師に見つかったら、もうここから戻れなくなるだろうからな」

 アントンは耳を疑った。

「魔術師がここにいるのか?」

「なんだ、あんた、何も知らないのか」

 老人は肩を竦めた。

「あいつはな、元いた世界から逃げてきたんだよ。元の世界でやり過ぎたんだ。どうせ魔術を使ってろくでもないことをしていなかったんだろうさ。もったいないことだ……。そうしてこっちに逃げてきたんだ、追っ手から逃げるためにな。だけどそのときに、眼鏡を置いてきたんだ。元の世界を断ち切ってね」

「そ、そうなのか……だけどそいつはもうずっと昔の話だぞ」

「あいつはまだ生きているよ。こっちに来てね。お前さんが魔術師の水晶を持っていることを知ったら、ただでは済まないだろうさ。命が惜しければ、引っ込んでいることだな……」

 アントンは礼を言って老人から離れた。

 そうしてもうしばらく街の中を散策しようとしたが、さきほど言われたことが頭から離れなかった。どこかから視線さえ感じる気がした。急いで一人になれる場所を捜して隠れると、そのままゆっくりと眼鏡を外したのだった。

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