第7話人工堆肥
人間というものは、人工的な考え方をしない。
生体において、データを換算し、脳と心と生体において、対比的なバランスでできている。
思い悩むことは、多い。
心に傷を持てば、誰かにあたる。
反射していく日差しをよける車内で、僕は考えた。
規則的な車輪の音。
電車のノイズ。
一定の動きと動感を区別できないまま、心と肉体のバランスを測れない。
息を吸って吐く。
とめどもなく押し寄せる生の不安に押しつぶされるとき、ふと、空に、太陽が見える。
鳥が一羽、羽を広げて、雲と交差する。
人工的な微睡に、意識を取られ、目の前にいる存在を忘れている。
皆、息をして、当然のように、同じような悩みを抱え、それを、他者的に、外に出さない。
ただ、ノイズだけが、耳鳴りとして表れて、服と帽子とバッグと、飾るものだけが目に付く。
とはいえ、それがどうしたというのか。
問いかけるまでもなく、僕は存在している。
少なくとも、僕の眼は、太陽を捉えて、鳥を追う。
地位や社会バランス、頭の痛い問題の中で、心は、散らかって、ティッシュだけが、鼻紙のように散乱する。
人工堆肥。
そんな言葉が不意に浮かんで、目を避けた女性の胸元に、憧れる。
所詮と言えば所詮。
もし、こんな瞳すら失えば、僕はどうなるのか。
それは、ノイズがかき消していく問題であって、想念はすぐに転じる。
全部をかけるという気分で臨めば、きっとうまくいく。
というのは楽天的だろうか。
気分をあざ笑えば、自身の欲望に、惑わされる。
悩み多き年ごろに、悩むのは、人と自分を比べるから。
でも、人工堆肥の問題は、群衆に紛れた異物のように思えれば、むしろ楽だから、命というものが、掛け値なく輝く瞬間に、孤独を選ぶ態度こそ、太陽を劇化することだ。
相変わらず電車がノイズを放ち、僕は一時でも悩みから解放されたことを誇りにして、女性の胸元を見つめる視線をそらすことに臆病さを感じる。
それはいいことだ。
執着し気分が乗れば、地位はなくとも、声をかけるという気分こそ、今を生きているという実感なのだろう。
この堆肥こそが、欲望の細分化されたシステムを貫くアップデータなのだ。
そして、太陽が輝けば、鳥も笑うという当たり前の誤解こそ、楽天的なアニマリズムエラーだ。
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