第6話浅瀬の思惟

 物思う快感に、流れる思考の分断が、一か所で交じり合うポイントにある脳の部位が、連結想像野だ。

 思考の流れは、消えない思念に、反復する練習に、ノートで書いた字を追う視線の場所。その文字列に、イマージュを払った字形こそ現出する本当の思想形態だ。

 浅瀬の思惟は、深く入り込まないことがいいという考え方である。

 川を連想し、泳ぐことをすると、溺れるような思考形態が、深瀬に立ち入ったら危険なのだ。

 早めに標識を発見して立ち去る。

 危険信号は、詩の韻律である。

 観念的な言葉は、惑わす。

 しかし、観念のない生は退屈だ。

 バランスをとるために、浅瀬のレッスンがいる。

 イマージュを早めに切る。

 そのために、壁を作るのではなく、言葉を発する。

 言葉の規定によって、イマージュを逃れる。

 しかし、イマージュは乱立するから、詩を書く。

 すると、想像力は力をなくし立ち去る。

 標識は言葉である。

 浅く浅く入り込んで、川の流れが速く緩やかになるように、創作する。

 どんなに稚拙と判断される言葉にも、自身には、意味のあるものである。

 ノートに筆記やタイプして、イマージュと踊る。

 まるで、炎をよける時に手を突っ込んで、言葉とイマージュは、ポイントで交差する。手を握り合うダンスパートナーのように

 深瀬に入ると必ず自分を見失う。

 が興奮は深瀬の中の水底の宝石だ。

 普段は浅瀬にいて、イマージュと戯れながら、自在に入り込むために燃焼を繰り返す。

 興奮も乗じれば毒以外の何ものでもない。

 コントロールするには、言葉とイマージュを鍛える。

 怠るなら、自然と溺れしまう。

 限界措定値は、脳の連結想像野にある。

 日々、起こるイマージュを言葉でかどわかす。

 そんな感覚が、浅瀬と深瀬を行き来するために、安易ではないが、求められることなのである。

 ポイントを合致させたくなければ、適度な休息がいる。詩を吟ずるなら、耳を使えばいい。

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