第2話人間性と神話
人の歴史の中で、繰り返していく日常に、垣間見る多彩な視線がある。
世の中を見る眼差しに、例えば、木の表面を滑る虫が、樹液を求めて、動く時、敵を察して、ピタッと止まる。人が、砂漠で、水を求めて、蜃気楼を見る目。動物の狩りをする狙いを定めた牙に滴る唾液の落ちる瞬間、地面から見える草の視線。
地球上にある神話は、自転する惑星とは、あまり関係がない。
しかし、星の配置を見定めた狩人は、星の下で踊る踊り子とすれ違う角度に、永遠の神秘性を見る。
多くの思惑が、塊になって、歴史を裁断してきた。
それは、僕や君の日常にも確かに存在している。
視線の向きに自意識を抱くなら、抱きしめる自負心を公開する自信がないという事実に、僕は、その内に宿る悲しいドグマを見つけた。
言葉を規定していく心理戦闘のただなかで、何度彼らは、神話にすがったことか。
超越性の美学は、個々人の信条にある。
もっと言えば、内面を追い詰めることで、自由を得たいと望む意志こそ、人生を高めるものは無いが、同時に、緊張から、短い生を渡る橋の上で、すれすれを切り抜けて、神話に蹴りをつけること。
多彩な視線が、歴史を作り、同時に葬り去る。
僕は、バランスの中で、傾く骨格の重さを神話でごまかす。
自重神話というのがあるとしたら、自転する地球の胴に腰を落ち着かせ、椅子を引くたびに、体感を結ぶ反発と肯定の行き来、あるいは、同時性。
矛盾する神話と自己の間で、接着していく過程で、何かを見つけるなら、自由は、むしろ、葛藤にあると決めることができる。
ここに神話が入り込む余地がある。
自重から解放されたいと願う時、踊り子の背中はなんと輝いて見えることか。
しかし、星の見る角度は、たいがい、肉欲のドグマをドラマ化し、虚しさにふける晩に哲学の優位性を見せて、神話へと人を駆り立てるのである。
人間性は、宇宙第三肯定。すなわち、重力解放の科学と反射するロマンのブラックホールに、光を投げて、新しい試みを発見していく視点から始まり、終わりに向かう。
始まりと終わりの時間軸の中で、時空を歪ませるように、内奥にある自転を信じる。
それはロマン的な神話に過ぎないかもしれないが、では、過ぎた時間は戻るというのか。
空間を鳴らすしかない。どうやって?
葛藤の美学を貫いて、滅びる意識を神話でそらせつつ、君の自由を視点、すなわち、病むほどの好奇心にあくまでも、反対のあきらめ、その矛盾に魅力を抱き、あとは、公転する星に任せ、ブラックホールに光を投げ込んでいく。
その逃避から神話が誕生するんだ。
悪魔的な魅力で、今を陶酔させていくしかない。
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