第3話 情緒を育てる教育
数学者の岡潔が好きだ。
彼の本を読んで、しみじみと「情緒が大事だ」と思っている。
この情緒を育むのは、やはり日本人の場合は日本語ではないだろうか。
でも、最近は、雨一つとっても「降水確率」とか「降水量」で表されていて、「天気雨」「夕立ち」はともかく、「村雨」「驟雨」「時雨」あたりはもう使われない言葉になっている気がする。
味を表すのもそう。
何でもかんでも、数字で表そうとしていて、糖度何パーセントだからおいしいとか、なんとかという成分が入っているからいいとか。そもそも「甘い=おいしい」ではないはず。だけど、テレビを見ているとリポーターが野菜を齧って「甘い! おいしいですね!」というシーンをしばしば見かける。だいたいその後、糖度何パーセントと言ったりしている。くだらない。
苦味とか、それこそえぐみとかがあるはずである。
情緒は育たないなあ、と画面を見ながらいつも思っている。
教育要綱が改訂されて、今の高校三年生から随分教科が変わった。
国語も、特に変わった教科の一つ。
簡単に言えば、小説を読む機会がかなり損なわれた。
現代文と古典だったものが、論理国語と言語文化になった。
論理国語にはいわゆる論説文だ。
言語文化の中に、小説や古典が含まれる。
国語の時間数よりも、圧倒的に英語の時間数の方が多い。
小説は要らない学問?
心を育て、日本人のルーツを学び、情緒を育むのは、小説だと、わたしは思うけど。
最近何でもかんでも動画だけど、動画って時間かかって嫌いだ。
読んだ方が早いのに。しかも分かりやすいのに!
どうして動画なんだろう?
でも、それって、読むのが苦手な人が増えて、聞いていればいいっていう人が増えたってことだよね?
そうすると、きっと、耳で聞き取りやすい言葉に集約されていく気がする。
たぶん、漢字の熟語は衰退していく。
音で聞くと分かりづらいから。
動画もSNSも、日本語を衰退させると思う。
(あ、一個人の意見です。)
動画じゃなくてSNSじゃなくて。
せめて、学校では小説を読むようにして欲しいなあ、と思う。
教科書に載っている小説は結構おもしろかったよ。
日本はどこを向いていて、どこに行きたいのだろう?
日本人なんだから、日本語を話して日本語の語彙を増やして、そして世界の美しさや彩りを、日本語で表現出来ればいいのに。
了
動画やSNSが日本語を衰退させる 西しまこ @nishi-shima
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