概要
ケーキも「ヤバい」しレバニラも「ヤバい」。あらゆることは「ヤバい」のだ
わたしは十年以上前から「ヤバい」を注意深く聞いています。
何しろ、使われる範囲が広すぎて、驚くから。
そこにはもっと細かな表現があるはずなのに、「ヤバい」のだ。
「ヤバい」はもう市民権を得たように思われる。
しかし、そのことによって失われるものがあると、わたしは思う。
犀川ようさんの自主企画参加作品
https://kakuyomu.jp/user_events/16818093085525286658
何か間違っていたこと書いていたらすみません…… ←弱腰(;゚Д゚)
何しろ、使われる範囲が広すぎて、驚くから。
そこにはもっと細かな表現があるはずなのに、「ヤバい」のだ。
「ヤバい」はもう市民権を得たように思われる。
しかし、そのことによって失われるものがあると、わたしは思う。
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何か間違っていたこと書いていたらすみません…… ←弱腰(;゚Д゚)
おすすめレビュー
新着おすすめレビュー
- ★★★ Excellent!!!一つの言葉で多様に渡る「ヤバい」
このエッセイを読んで思い出したのは、米津玄師のインタビュー。
ぼんやりとしか覚えてないので検索をかけたら、「難しい言葉は、意味が多岐にわたってない。それだけのために使われてる(要約)」と書いてあった。
このエッセイで取り上げられている「ヤバい」は、その対称的な言葉だろう。
使いやすく、多岐にわたり、ポジティブにもネガティブにも使われる。
言葉とは誰かが使ったものをそのまま自分の中に取り込むことが多い。しかしそれは、自分の心も誰かによって流されているのではないか。
今一度自分の心を見つめ直すためにも、自分の中で定義しなおすことも大切かもしれない。そんなことを考えたエッセイです。