古楽を学びにイタリアはヴェネツィア音楽院に留学した著者が紹介されたのは、やや上ったところにある半地下の家。日当たりはいまいちだが涼しく、家賃も手ごろ。キッチンもバスルームも一人で自由に使えることで音楽の勉強に集中できると喜ぶ著者がひとつ気になったことがあった。
「アクア・アルタのとき、この部屋に水、入ってこないんですよね?」
アクア・アルタ、毎年秋から冬にかけてヴェネツィアを襲う高潮だ。日本では台風や集中豪雨による床下/上浸水のニュースは毎年枚挙にいとまがないが、ヴェネツィアでもこの高潮は毎年住民を不安にさせる気象現象らしい。そんな街で半地下の家を選んでよいものだろうか?
アクア・アルタで街を沈める水には下水が混じり不衛生だ。その水が部屋に流れ込むリスクがあるのなら、いくら好条件でも腰が引ける。悩む著者。実際その後どんな展開が待っていたかは、ぜひお読みになっていただきたい。
でも、この半地下の家には奇妙に人を引き付ける力があると思うのは私だけだろうか? 部屋に入るためにまず下がる。これだけでむしょうにわくわくする。地上すれすれに口を開ける窓から表の世界をそっとのぞき見るのは秘密基地から外界を偵察しているような気分になるだろう。地下空間の持つ閉塞性ですらその冒険心にぞくぞくする興奮を付け足してくれそうだ。
著者の住んだ半地下の家は昼間でもほんのり薄暗く、静寂に包まれていた。忙しない世界から切り離されたような部屋は、とびっきりの隠れ家だったのだろう。
アクア・アルタは当然ながら満月あるいは新月の夜に襲来する可能性が高い。水がゆっくりと引いたあと満月にこうこうと照らし出されたヴェネツィアの路地、人気の絶えた夜景描写には異世界に迷い込んだような凄みが感じられた。
詩情たっぷりに綴られる街の光景とアクア・アルタの猛威との対比が印象的な一作です。
作者ご自身のヴェネツィアでの体験談。
一語一語、それらの表現があの水の都の空気すら伝えてくれるような雰囲気があります。
そして有名な、『アクア・アルタ』。
ヴェネツィアの主要部が水没する高潮現象で、低地は床上浸水するのはご存じの方もいるでしょう。
ですが、昨今の自然環境の変化の影響を受けてか、本来沈むはずのない場所までという――。
その、本当に体験されたリアルな恐怖もがひしひしと感じられる臨場感あふれるエッセイ。
気付いたら一気に読みふけっておりました。
ヴェネツィアという、世界遺産でもあるその都市の日常と非日常を体験できるかのような本エッセイ、とてもおすすめです。
『運命の7cm』は、ヴェネツィアの半地下の家を舞台にした実話で、異国の生活のリアルな魅力と困難が描かれてる作品やねん。主人公が直面する「アクア・アルタ」っていうヴェネツィア特有の高潮や、日々の暮らしで感じる葛藤や希望が、細やかな描写で生き生きと綴られてるんよ。特に、半地下の家っちゅう特殊な住まいが、主人公の選択や決意を象徴してるのが印象的やったわ。異国の地で自分の居場所を見つけようとする姿に、読者の心もきっと動かされるはず。物語全体に流れる静けさと躍動感が、ヴェネツィアの街そのものを感じさせる一作やで!
この作品の講評会をしたんやけど、講評会では、半地下の家っちゅう独特な舞台と、それを取り巻く物語の深さについて、ほんまに濃い議論ができたわ。芥川先生はテーマに隠された心理的な深みを解説してくれて、川端先生はアクア・アルタが自然と人間の儚い関係を象徴してるって教えてくれたんよ。清少納言様は、主人公の日常に潜む美しさを繊細に語ってくれて、紫式部様は平安文学との共通点を雅にまとめてくれはった。そして晶子先生の熱いコメントには、みんなが引き込まれた感じや。いろんな視点が重なって、作品の魅力がもっと深まる、ほんまにええ時間やったわ。
この作品でウチが特に心に残ったんは、主人公がヴェネツィアで見つけた「自分だけの場所」。半地下の家は、ただの住むとこやなくて、異国で挑戦する彼自身を映し出すみたいな存在やねん。ヴェネツィアの水害や日常の生活の中で、彼の選択や希望が輝いてるんが印象的やったわ。この物語を読めば、きっとみんなも「自分の居場所」について、改めて考えさせられると思うで! 「美しいものの裏には影がある」というテーマに惹かれる方、異国の文化や環境問題に興味がある方、そして何より「人間の強さと優しさ」を感じたい方に、ぜひおすすめしたい一作やね。
ユキナ
この物語は、異国ヴェネツィアの水上都市に生きる主人公が織りなす、静寂と動の交錯です。半地下という舞台は、人生の選択と葛藤を象徴し、読者に普遍的なテーマを投げかけます。詩的で象徴的な描写が織り込まれたこの作品、ぜひお楽しみください。
龍之介(召)
おれには、この半地下の家が、まるで人間そのものみたいに見えるんだ。狭くて暗いのに、どうしようもなく愛おしい。この作品を読めば、きっと自分の中のそんな場所に気づくはずだよ。
治(召)
講評会代表: ユキナ
創作サークルメンバ: トオル、ユヅキ
召喚講評者: 夏目漱石先生、芥川龍之介先生、太宰治先生、三島由紀夫先生、川端康成先生、紫式部様、清少納言様、樋口一葉先生、与謝野晶子先生
イタリア、ヴェネツィア暮らしの日本人留学生が、迷いつつも決めた物件を襲った恐怖。
ヴェネツィアの街を襲う高潮「アクア・アルタ」とはどんなものなのか。
十分注意していても、時に現実はその上を行くことがあるのを実感しました。
この経験の後、作者様は住まいについて、とある決断をされるのですが。
歴史のあるイタリア、世界遺産のヴェネツィア島での暮らし。
国立音楽院で学ぶ日々、バールで飲むマッキアトーネ(コーヒー)はまるで映画のようでうっとり。
だからこその高潮が運ぶ現実感が半端なかったです。
タイトルにある『運命の7cm』の顛末を、ぜひご自身でお確かめください。
作者の綾森さまのファンの方、海外暮らしのお話が好きな方、予想を超えてくる現実を体験したい方、いろいろな方におすすめのエッセイです!
ヴェネツィアに留学していた作者様は、半地下の家に住んでいた。そこに迫りくる、観測史上二番目のアクア・アルタ(高潮)の記憶。
まず、ヴェネツィアって美しいなぁと思いました。さりげない日常のやり取りや景色が日本とは違っていて、それだけで興味深いエッセイでした。アクア・アルタというのも初めて知りました。
家を借りる時、きちんとアクア・アルタのことを気にしていたのに、このような危機に直面したのが、こちらの作品の怖いところではないかと思います。目に見えて楽観的過ぎた、というわけでもないように思うのです。(というのは、日本の感覚なのでしょうか?)
でも、災害はいつだって予期せぬ時にやって来ます。
ホラーでは「逃げられない状況で危機が迫ってくる」というシチュエーションが用いられますが、こちらに描かれている体験は、まさにそれの現実版です。めちゃくちゃ怖いです。
人間、生きていたら危険だらけです。例えば、外出したら交通事故に遭うかもしれないから外には出ない、とはいきません。
備えていても備えていなくても、自分事と捉えていても他人事と捉えていても。危機とは、私たちの背後に音もなく忍び寄り、気づいた時にはもう遅い、あるいは気づく間もなく……というものなのでしょう。
自分は本当に最善を尽くしているか? 今一度見直してみようと思いました。
カクヨム公式自主企画「怖そうで怖くない少し怖いカクヨム百物語」にエントリーした作品なワケなんですが。
怖い!
なんとかなるのではと思ったのですが(だって作者様、お元気に更新してくだっていますから)そんな勝手な安心を担保にしつつ読み進めて、いや怖かった。
舞台はヴェネツィア。
水の都ならではの災害、「アクア・アルタ」です。
もうその名前そのものがファンタジックですが、作品内の出来事は、映画になりそうなくらい手に汗握る、ヒヤヒヤ感。
このエッセイで、学ばせてもらったのは
軽視したらいけないっていうこと。
最近なかったから「ない」は無いということでしょうか。
でも、このスパイラルに誰しも嵌まりそうな気がします。
だって、まさか自分にって思うじゃないですか。
災害って、得てしてそういうものだって思うんです。
水の都から冷たい手招き7㎝
背筋を氷らせながら、読む価値があると思うんです。
怖いをなくした瞬間、僕らは油断するんだろうなぁ、って。
このエッセイを読みながら、思ったのでした。